明治時代──散切り頭を叩いてみれば、文明開化の音がする。
と、いうわけで、私の目の前には髷を切り落とし、髪を撫で付けた男が1人。
後に加茂家の汚点、史上最悪の術師とも呼ばれることになる加茂憲倫。
「また面白いものを見つけたんだ」
「へぇ」
ある所に特異体質の娘がいました。その娘は呪霊との子供を孕むことが出来てしまった。そして、術師でもない彼女は呪霊に抵抗することも叶わず、見ず知らずのうちに第1子を妊娠。
当然親戚一同は彼女を迫害、無理矢理堕胎されて亡くなった子の骸を抱えて逃げ込んだ先はとある山奥の寺。
ものすごく不幸なことに、その寺は知的好奇心の為には人の倫理を捨てられる糞野郎が所有していた。
「で、その子を使って実験してみようという訳さ」
「サイテー……」
私には出産の経験はない。でも、同じ女としてここまでおぞましいこともないだろう。全身が粟立って、寒気が止まらん。
「まあ君ならそう言うと思ってね。既に妊娠、堕胎させたものがこちらになります」
料理番組じゃねえんだわ。というかこの時代にそんなはもんないだろ。
私の目の前に並べられた9つの瓶。これが受胎九相図か。
まだ生きているようで、ホルマリンか何かの液体に浸かりながらも少しだけ呪力の揺らぎを感じる。
「趣味が悪いわ、本当。で、これどうすんのよ」
「別に? あんまり面白くもないし、失敗だったね。この先もっと呪いを溜め込んだら受肉でもさせようかな〜」
ただの思いつきでやっただけだから、そこまで考えがある訳でもないらしい。
容赦なく失敗作と切り捨てられてしまった9つの胎児たち。こんな毒親の元に生まれてきてしまった哀れな犠牲者に合掌。
「そういえば、件の子はどうなったの」
「首括って死んだよ」
こいつまじで。平然と言い放った羂索に、平安の感性はここまで恐ろしいのかと背筋が凍えた。穏健派と言えどやっぱヤバいわ。
御三家ということもあって、加茂家の装いは文明開化の真逆を行く昔ながらの和風スタイルだ。それも趣があって良いけれど、たまには味変がしたい。
そう思って私は羂索と共に東京の街へと繰り出していた。
西洋風の建物がチラホラと目につく。お貴族様か何かは素敵なドレスを纏っている人も居た。
食文化も随分と変わったようで、肉や鶏卵なんかが安価で並んでいる。いい時代になったものだ。
「そういえば君って昔から容赦なく卵食べてたけど、戒律とか気にしなかったの?」
「全然? 大体無宗教だもん私」
「神様が泣いてるよ……」
「勝手に泣いとけばいいんだよ」
君って結構冷たいよね、と羂索は呆れたようにこちらをじっとりとした目つきで見る。こいつにそんなことを言われる筋合いはない。
外の世界に触れてみれば少しは何か掴めるかと思ったけど、特に何もない。もう明治時代。この時間軸も順当に行けばあと150年ほど。意外とあるな……。
店先の果物をつついてみると、まだまだ未熟で硬かった。追熟させて食べようと購入して、私はたくさん桃の入った紙袋を抱える。
「またそんなの買って。誰の金だと思ってるのさ」
「アンタ」
「少しは申し訳なさそうにしなよ」
「いつも悪いね」
棒読みでそう言うと、心が籠ってない! と彼は握り拳を胸に当てて嘆く。髭面のおじさんがそんなことしてても可愛くもなんともないのでやめて欲しい。
手のひらで硬い果実を揉みながら、ぶつぶつと愚痴を吐く。今会える唯一の友人は人として終わり散らかしているし、閉じない領域はいつまで経っても出来ないし。
羂索はそれ本人の目の前で言う? と私の頭を軽く小突いた。
「あのねえ、君は自分が頭硬いって分かってないでしょ?」
「は?」
「もう少し頭を柔らかくして発想を転換させること。以上」
「急に何なの……」
「私からの貴重な助言だよ、刹那」
あの羂索が割と真っ当なアドバイスをくれただと? 明日はもしかすると槍が降るのかもしれない。
お礼代わりに手に持っていた桃をひとつ、術式で熟れさせて彼に投げる。甘くて美味しいよ。
「貸し1つ、返したからね」
何年前の話だよ。
発想の転換。
この間羂索から言われたことを、私はひたすら考え続けていた。
私の領域展開は、まず結界術で空間を区切ってから、その中に生得領域を具現化する感じだった。
そこから少しずつ段階を踏んで外殻を無くしたかった。この方法に何故か固執していたけど、これじゃ駄目っぽい。羂索の言っていた通り、発想を転換させないと。
結界術って言うのは割かしイメージ勝負なところがある。だからこそ、得手不得手がはっきり分かれる。正直後天的に才能を伸ばすなんて難しいかもしれないけど──それで諦めるようなら、もうとっくの昔に諦めてるっつーの。
伏黒恵。彼の領域は不完全だから、外殻がない。その代わり、建物や既存の結界などで区切る必要がある。
本物の閉じない領域とは全然レベルが違う話だと日下部か誰かが言っていた。
宿儺と羂索。2人の領域に共通するのは核となるオブジェクトがあること。宿儺は御厨子、羂索はなんかグロい柱のような何か。それに倣って私も仏塔を建ててはいる。
この仏塔を中心に、アウトラインは後にして、とにかく呪力を押し出す。ここまではいい。伏黒恵のような不完全な領域。
そこから、何とか必中効果を付与することで閉じない領域を完成させたい。領域展開は世界を生得領域──私のルールに染めるもの。
「私に従え……なんちゃって」
絶対見たくない級友の姿を思い浮かべながら、目の前の景色を無理矢理塗りたくる。出来る。出来るったら出来る。そう思い込め。
ピキ、と脳の普段使わない部分が音を立てて痛む。そんなことお構いなしに、私はひたすら呪力を練り続ける。あー、吐きそう。
目から、鼻から、粘膜からボタボタと熱い液体が垂れる。でも、絶対に掌印を組む手は外さない。呪力を練るのも止めない。
──私は掴んだはずだ、呪力の核心を!
長年続けた精密な呪力操作、術式の練習。思いのままに動く呪力を手繰り寄せて、不完全だったはずの領域が、確かに完成した。空間を分断するのではなく、ただそこに領域が広がっている。
展開できたのは僅か数秒。でも、今はそれで十分。成功した……成功した!
閉じない領域が、今目の前にあったのだ。脳味噌の損傷は激しいし、呪力も尽きかけ。けれど、高揚感、もはや悦楽とも言えるような快感が私の身体に広がる。
「羂索!」
「うわ何、血塗れじゃない」
「出来たの! 閉じない領域!!」
「ちょっとばっちいから近づかないで……」
フラフラになりながらも羂索の元へ走る。そして、その手を取って強く握った。顔を手のひらで拭った時の血液がヌル、と皮膚に広がって彼は嫌な顔をしたけれど、私はそんなの気にもかけない。
「ありがとう、あなたのおかげだよ」
「あ、そ……」
あれ、あんまり嬉しそうじゃない? 私はこんなに嬉しいのに。彼の名前をまた呼ぼうとしたけれど、それより先に、私の身体が崩れ落ちた。
ふっかふかの高級感ある布団で目を覚ました。流石御三家だぜ。
羂索はほとほと愛想が尽きたと言わんばかりに私を見下ろしていた。無茶なことはするもんじゃないって。
仕方なくない? 凡人が天才に迫るにはこれぐらい苦労しないとダメなんだって。
「ねえ、羂索」
「……なんだい」
「次の受肉なんだけど、出来たら2017年より前がいいな」
「もうそんな時期か。……やけに具体的だね」
「神は言っている」
「はいはい」
もう何度ここに来たのだろう。私は生得領域に寝転がる。仏塔から伸びた蓮の花が鼻先にあった。仄かに甘くて瑞々しい香りが私の鼻腔をくすぐる。良い香りだ。なんか浄化されそう。
次の受肉まで、私がやることはひたすらに閉じない領域の練習。精度を上げなくては。時々疲れて式神と遊んだり、適当に絵を描いたり。時々気を抜かなくてはやってられない。
さて、どうしたものか。羂索への対抗手段を手に入れた今、私は先延ばしにしていた2択をそろそろ選ばなくてはならない。
──巻き戻りを使うか、使わないか。
それを考えた瞬間、私の中の一部が騒ぎ立てる。これは……虚枝刹那か。相当無念だったらしい。分かる〜。
でも、巻き戻りのポイントは大きいし、勝てなかったら無駄骨だし……リスクが大きい。
「はあ……」
小さくため息をつく。ぶっちゃけ、羂索にも割と情が湧いていた。あれだけ長いこと同じ人と一緒にいるのは初めてだったし。
どうせ殺すなら、憎しみがある時間軸で殺した方がスッキリするんじゃないかなあ。私の中の天秤は傾く。
うん、そうしよう。失敗しても私が諦めなければなんとかなる。
巻き戻りが乗った方の秤が、大きく下がって地に着いた。
「聞いてくれるかい!? 天元の同化が遂に失敗したんだ!! まさか天与呪縛があそこまで使えるとはね……!」
「うるさっ」
起き抜けにグイグイ迫られるのはいくらガワが美人でもキツイ。
どうやら今は星漿体の任務が終わったあとらしい。星漿体は死に、天元の同化は失敗。そして都合良く呪霊操術の使い手が六眼保有者のすぐ側に。
彼女にとっては絶好のチャンスだ。興奮しきっている。虎杖香織の美しい顏が台無しなので、少し落ち着いて欲しい。
羂索は嬉々として計画を練り直し始める。キッチンに立っていた虎杖仁がそっと私たちが座る居間のテーブルにお茶とお菓子を置いてくれた。
「あ、ありがとうございます」
「香織の友達だろう? こちらこそ妻と仲良くしてくれてありがとう」
もしゃり。早速私はフィナンシェを口に突っ込んだ。外はカリカリ、中はふわふわ。バターの風味が口に広がって、最高。
少しだけ、彼は気味悪かった。妻がリビングで突然起きた奇妙な女と2人きりなのに、何も言わない。眼鏡の奥の瞳は、少しだけ虚ろだった気がする。
「獄門疆も早く見つけなければ……ああ、凄い。長年生きてきてこんなに心が沸き立つのは初めてかもしれない」
「さいですか」
紅茶と甘味のマリアージュを楽しみながら、私は羂索が落ち着くのを待った。
暫くして彼女もようやく冷静になったらしい。取り乱したね、とこっちを向いた。遅いわ。
とは言っても私がやるべきことはないらしい。息子の育児が忙しいらしく、好きにしてていいと言われてしまった。
仮の身分を貰い、虎杖家を後にする。どうしたらいいんだろう。五条に見つかるのは不味い。術式を探られるのは嫌だ。
沖縄。そうだ、沖縄に行こう。東京から離れていて、人も呪霊も少ないし、領域の練習をしててもバレにくいだろう。
「めんそーれ……」
沖縄の海は綺麗だ。太陽の光が反射して、キラキラと輝く水面。事前に買っていたサングラスがなければ危なかったな。
裸足になって海に足をつけると、太陽光で生温くなった水が触れる。
それからしばらくは沖縄でひたすら鍛錬を続けたり、遊んだりしていたけど、直ぐに飽きてしまった。定期的に羂索から振込みがあるので生活には困らない。
たまに思い出したかのように彼女から連絡が来る。順調に、夏油は精神をすり減らしているらしい。原作通りに進んでいく。
沖縄に飽きたので今度は北海道に来た。アイヌ呪術連にさえ気をつければ良いだろう。
1人でかまくらを作ったり、海鮮を食べまくったり、遊んではいるもののイマイチつまらない。
羂索からは最近息子の育児の話が振られてくる。どうやら丈夫な子に育ったようだ。どうでもいい。
『夏油傑が離反した』
ついにその時が来てしまった。羂索も身体を換えて、機会を伺っているらしい。
私は北海道にも飽きて、しばらく田舎を点々とする日々が続いた。ここ数年、彼女とは会っていない。
最近引越した場所の近くには強力な呪霊がいるようだ。誰も立ち入らない。
確かに禍々しい気配がするなあと思いながらも、私はそこに住んでいた。人が少ないから都合がいい。
「ちょっと良いですか」
「はい、え……」
どこか聞き覚えのある声。振り返ると、袈裟を着た男が立っていた。人の良さそうな笑顔を取り繕っているが、どう見ても不審者だ。
「この辺りで怪奇現象や、所謂いわく付き物件というものがあると聞いてきたのですが……ご存知ないですか?」
「……山の真ん中に、社があって。そこに近付いた人はみんな死んじゃうって噂があります」
「ありがとうございます」
私が答えて直ぐに、彼は山へと向かっていった。恐らく元凶の呪霊を取り込みに行ったんだろう。ここに長居するのもなんだか危険だ。引っ越そ。
羂索に居場所を聞いて、転がり込んだ。1人でいるのは思っているよりも心細かったし、退屈だ。
「だからって急に来られても」
「良いでしょ、私たち友達じゃない」
「ええ? そうだっけ。私と友達になるには結構厳しい条件があるんだよ?」
私を退屈させないこと、私と対等であること……と指折り数えて条件を挙げる羂索にムカついて、その指をへし折った。反転が使えるんだから問題ないだろう。
「友達じゃなかったのかい? 酷いことするね」
「いつ指をへし折られるか分かんないってスリリングでしょ。退屈には程遠いじゃん」
「確かにね」
嘘だろ、納得するのかよ。
少しずつ、クリスマスが近付いてくる。今年でやっと、この時間も終わりだ。本当に長かったけど、その分実りはあった。
羂索は百鬼夜行で夏油側が負けると確信している。そりゃそうだ、五条がいるんだから。
「ねえ、羂索。もうそろそろ時間だよ」
「うん? 今いい所なのに……あと10年もしないうちにきっと私の望む景色が生み出せそうなんだ。すぐにまた受肉させるよ」
「いや、いらないよ」
「どうして?」
羂索は水を差されたのが少し気に障ったらしい。不機嫌そうに頬杖をついた。
「もう私の時間は終わりなの。最後にお別れを言いたかっただけ」
「……どういうことかな」
「クリスマスが終わったら、アンタの友達は1人減るってこと」
「そう……寂しくなるね」
それ、本当に思ってる?
少し狭い炬燵の中に私は沈み込むと、邪魔だよと羂索に蹴られた。痛い。
──来たる12月24日、私の意識はプツリと途絶えた。
ああ、長生きしたから物凄い量のポイントだ。平安で得た分も合わせると、ギリギリ足りる。
戻ろう、あの頃へ。大丈夫、私ならきっと出来る。
■刹那&羂索
お互い友人を1人失った。
■夏油 傑
呪力を持っている人がいたから勧誘しようと思ってたのに、呪霊を取り込んだあと跡形もなく消えていた。
あと2話ぐらいで終わりそう。
那由多の明日はどっちだ
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しめりけ
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だいばくはつ