微かな振動が、私の身体を揺らす。目を覚ますと、私は新幹線の中にいた。え、ここ? 確かに羂索と会う前って指定したけど。
私は席を立ち上がって、すぐにトイレに駆け込む。
「ぉ、ぇ゛……っ」
びちゃびちゃと、トイレに跳ねる私の吐瀉物。
戻ってきたあと私の脳に刻まれたのは死ぬまでの鮮烈な記憶。あくまで巻き戻りだから、思い出させてやるよ、ということらしい。
首元に手をやる。繋がっている。腕に手をやる。繋がっている。両手を見る。爪もあるし潰れてない。鏡を見る。両目が揃っている。
泥かヘドロと見紛うような真っ黒な瞳がそこにあった。相変わらず陰気臭い顔をしているけれど、なんだか安心した。これが私の顔だ。
口をゆすいで席へ戻る。冷めきったカフェラテを啜りながら、私は鞄から紙を取り出した。なるべく綺麗な字で文を綴る。
運命の人って言われたら、どんなのが思い浮かぶだろうか。
小指が赤い糸で繋がっている人? 一緒に地獄に落ちてくれるような人?
──私にとってはきっと、今までの凡庸な人生をぶち壊すような人だ。
それはまさしく夏油。まさかコイツのせいで何度も何度も死ぬことになるとは思ってなかったよ。
彼のことは好きだ。でも、恨んだこともある。お前が死ななければ、なんて心の中で八つ当たりしたこともあった。私の中ではかなり複雑な感情が入り交じっている。
そして、目の前にいる彼……いや今は彼女か。コイツもまた、私にとって運命の人なんだろう。
重要な分岐点で尽く私の心をへし折った宿敵であり、長年を共に歩き続けた友人。
愛憎渦巻く感情のまま、私は彼女と向き合った。
「脅迫状を受け取るのなんて初めてだよ」
「私も人妻にあんなもの送るの初めてですよ。ちょっと興奮しました」
「……で、何の用?」
「わざわざ言わなくても分かるでしょう。〝羂索〟」
私が手のひらから低級呪霊を羂索に差し向けると、あっさり祓われる。ま、そうだよね。
「やはり呪霊操術というのは便利なものだね。君では真価を発揮しきれていないようだけど」
「うるさいなあ……」
呪霊。呪霊。あんまり良い奴いないんだよねえ。誰かさんのせいで、ストックはそんなにないし。低級呪霊は単純な呪力で、少し強めの奴は彼女の
このままだとジリ貧。なら、もっと別の方向で攻めようか。
「『叢生』」
ここは山奥。操れるような木々なんて山ほどある。呪力をぶつけた太い枝が急に伸びて、羂索の足を貫こうとした。すんでのところで彼女は身を翻して避けるけど、まだまだ鋭利な枝は追いかけてくる。
「どういうことだ? 君の術式は呪霊操術だろう」
バキリ。枝を足でへし折って、羂索は疑問を投げかけてくる。流石に想定外らしい。
「うん。虚枝刹那の術式は呪霊操術。でも、別の私はそうじゃない」
「何を──」
「『
「……術式の開示か!」
多分彼女にとっては意味のわからない話だろう。
だけど、術式の開示ってのは私が自分から詳細を話すというデメリットの代わりに効果を底上げするものだ。敵が理解してようと理解してなかろうとその恩恵は得られるはず。
「使える術式と呪力の使用可能量はその時間軸の私の生きた年数によって変わる。使い切ったら接続は切れて、もうその術式は使えない」
私がやり直してきた人生分、術式と呪力のカートリッジがある感じだ。内容量が大きいものもあれば、小さいものもある。
叢生呪法──植物を操る、ぶっちゃけ花御の劣化版みたいな術式。彼女を拘束するように何本も枝を伸ばしたけれど、重力で全部地面に叩きつけられた。
魂の一部がどこかへと沈んでいく。もうこれは使えない。
「……うーん、同じ時間を繰り返しているのかな?」
「どうでしょう」
8割方正解。これだから頭の良い奴は。
単純に呪力強化された拳が迫る。両腕で受け止めるけど、重い。衝撃が骨まで届いて、ビリビリする。
「1度に使える術式は1つ。術式が複数あっても扱える脳は1つしかないからね」
羂索からすれば私がどれだけ繰り返しているのかなんて分からない。どんな術式を持っているかも分からない。長期戦になればなるほどあっちが不利だ。
なら、絶対にあの
「悪いけど、家で家族が待ってるんだ。夕飯の支度もあるし、早いとこ帰らせてもらうよ」
「キッショ」
「酷いこと言うね」
しまった、つい本音が。
羂索は傷ついたようなフリをして、掌印を組む。それに呼応するように、私も手を動かした。両手の小指と薬指を絡ませて、人差し指は中指に添える。
「「領域展開──」」
「
「
羂索のは人の頭が無数に張り付いた柱。根元にはしゃがみ込んだ人型が柱を囲むように配置されている。
私のは大規模な何層にも連なった仏塔。塔に絡みつくように色とりどりの蓮の花が咲いている。
2つの閉じない領域が絡み合い、必中効果を取り合っている。
この時間軸の私が領域展開が出来るなんて情報はなかったはずだ。初めて彼女の余裕ぶった顔が少しだけ崩れる。
「サプライズだよ、羂索」
「……まさか、現代の術師がこの技を使えるなんてね。どういうことかな?」
「さあ? 私の領域を食らったら分かるんじゃない?」
羂索は天元に匹敵するほど優れた結界術の使い手。凡人が逆立ちをしても叶うわけがない。
天才の1000年は、一体凡夫の何万年を費やせば釣り合うのだろうか?
勿論、今まで溜め込んでいた呪力は全部突っ込むし、できる限りの工夫はしてある。
私の領域の必中効果──当然、使用している術式を必ず当てるもの。あえて、それを切り捨てる。
そして残ったもう1つの必中効果は無害なもの。これだけをあえて残し、押し合いに強くさせてみた。
何年領域弄りまくったと思ってんだ。いくら私が取るに足らない存在とはいえ、要件の1つぐらいは変えられる。
「あーあ。どうしてこんな時に邪魔が入るんだろうね。全く、嘆かわしいよ」
「それはこっちのセリフなんだけど」
チリチリと後頭部辺りが悲鳴を上げ始めた。額に脂汗が流れる。それでも呪力はぐるぐる私の身体を巡る。
領域の押し合いっていうのは俗っぽく言えば、俺ルールの押し付け合いなのではないだろうか、と私は解釈した。
だから実力者には人格的に優れたものは少ない。他者に配慮できる人間は他者に対して自分のルールや規範を無理強いすることがないから。
私ももっと自分勝手に振舞おう。
──羂索を殺して、私は生きる。家に帰るし、夏油は死なせない。全部、全部叶えさせてよ。
呪力は負の感情。死にたくないと嘆きながら命を落とした哀れな怨嗟の声、こんな所で生きていたくないと自ら命をふいにした絶望、この先が見たいと願い続けた未練。様々な思いが縒り合わさったのが私だ。
「ふ、んっ!」
羂索のスラリと伸びた下肢から繰り出される蹴りをいなして、片腕を掴みこっちへ引き寄せる。頭を思い切り反らし、むき出しになっている額にぶつけた。ガン、と固い頭蓋骨同士がぶつかって、脳が揺れる。
脳震盪を起こしてたたらを踏む彼女を押し倒し、その綺麗な顔面に拳を叩きつける。相手だってやられたまんまじゃない、ぐるんと体勢を変えて、今度は私が殴られる番だ。
口が切れて、溜まった血液を目元目掛けて吹き出す。怯んだ隙に首根っこを掴んでまた頭突きをする。バチリ、と目の前で黒い火花が散った気がした。
狙うのは脳。反転術式でも治し辛いブラックボックスだ。
「き、み! ちょっと石頭すぎるんじゃない?」
「頭突きが嫌ならさっさと領域解けよ!」
相手は反転術式で傷を癒す。私は使えないし、使えてもやらない。出力が落ちる。このまま削って領域の強度を下げてやる。
頭から流れる血を手で拭う。血でパリパリに固まった髪の毛が不愉快だ。張り付いた前髪を無理やり後ろに撫で付けて、体勢を立て直す。また殴り合いだ。根性比べしようぜ。
相手の頭への衝撃を執拗に狙う。逆にこっちは頭を絶対に守る。他は死ななければどれだけ怪我を負ってもいい、ひたすら攻め続けた。
どれだけそうしていたんだろう。ほんの数分だった気もするし、何時間にも及んだ気がする。血塗れになった私と、反転で傷はない羂索。どう見たって私の方が不利に見える。
だが、羂索の柱が少しずつ、崩れていく。彼女の脳が限界を迎えたのだ。どうやら私の脳みそは案外優秀だったらしい。
──押し勝った。私の領域効果が、羂索の脳へと到達する。
「なん、だ? これは……洗脳、いや……」
羂索にとっては
「『輪廻邯鄲夢』の必中効果は、今まで私が必中対象と接触してきた時間軸の記憶を刻み込むもの。私とあなたが歩んできた軌跡はどう? 素敵でしょう」
羂索に刻まれるのは主に2つの時間軸だけだ。接触なんて滅多にしなかったからね。1つ、虚枝刹那のダメだった時の記憶。そしてもう1つ、平安から現代まで共に進んできた時の記憶。
無量空処のように脳を破壊する程威力がある訳じゃない、ゆっくりと、脳に馴染むように情報を流し込むだけ。
「……はっ」
「〝
鼻で笑う羂索の手を取って、逃げられないよう指を絡ませる。術式の焼ききれた彼女は抵抗出来ない。
「〝
私たちの呪力と、残った呪霊を全部込めた一撃。
「呪霊操術 極ノ番──『うずまき』」
某県のとある山の中。帳が下りて誰からも見えない空間は、大きな衝撃波と爆風で包み込まれた。
煙が晴れたあと、その場に残されていたのは、小さな生首。
「なんで生きてんのよ」
「どうも生き汚い性分なもんでね」
どうやら残りの呪力を頭にかき集めてなんとか生き残ったらしい。だとしても、まだ術式は回復していない。最後の抵抗にすぎないだろう。
残された虎杖香織の頭を拾い上げる。
縫い目を1つずつ丁寧に切って、頭蓋を開いた。粘液まみれの脳を素手で取り出す。ちょっと気持ち悪いかも。
「……今ってどんな気分?」
「道半ばどころか何にも為せていないから無念だ……といいたいけどね。私の手から離れた混沌を見ることが出来たから、ほんの少しだけ満足してもやってもいい」
「上から目線だね」
「いやいや、今は上目遣いだよ」
目ぇどこだよ。私は手の中の脳みそを見下ろした。
「……君、一体何者なのさ。最後に教えてくれてもいいんじゃない?」
「私は虚枝刹那。それ以上でもそれ以下でもない」
「そうか。残念だよ」
「じゃあ、そろそろ終わりにしようか、羂索」
あなたに別れを告げるなら、きっとこの言葉が相応しい。
「──さらば、友よ」
微かに回復した呪力を込めて、肉塊を全身で包み込んで強く抱き締める。
ぐしゃり。真っ白だったニットが、肉色の欠片と脳汁で汚れて、どこからか滴り落ちた透明な液体が地面を濡らした。
私も地面に崩れ落ちる。頭痛が酷い。身体の隅から隅までズキズキと痛む。最後の力を振り絞って、私は携帯で夏油たちに現在地を送った。
『たすけにこい』
多分数十分。痛みで気絶することも出来ないまま、私は大の字の状態で転がっていた。眼前に広がる空は雲ひとつない。真っ青だ。
それが遮られて、微かに金の混じった黒い瞳と目が合った。
「刹那、何があった」
「げと……」
ああ、来てくれたんだ。早いよ。
なんだか気が抜けて、どんどん瞼が重くなっていく。刹那、刹那と呼ぶ声がするけど、ごめん、もう無理。
沈み行く意識の中、最後に聞こえたのはアレの慌てふためく声。
『何これ! どうなってるんですか!?』
ざまあみろ。私は心の中で舌を出す。
最後の最後で胸がスカッとした。
「おはよーっ」
「おはよう! ねえねえ、聞いてよ!」
生徒たちで賑わう朝の通学路。その中で、セーラー服姿の2人の女子が並んで歩いていた。
「なになに?」
「昨日ね、呪術廻戦の夢見たんだよ」
「えー! いいないいな、どんなの?」
「……それが、実はあんまり覚えてなくって」
気まずそうにするボブヘアの少女に、隣の三つ編みの少女は夢ってそんなもんだよね、と大して気にした様子も見せない。
代わりに、スマホを操作して友達に見せつける。
「今日放課後私の家で呪術廻戦0を見るよ! いいよね?」
「うん!」
「そういえば二次創作みた?」
「いや、実はあのあと帰ってすぐ寝ちゃったからさあ」
2人は何ごともなく、学校へと向かう。授業を受けて、お弁当を食べて、放課後になったら仲良く遊ぶ。家に帰ったら親が作ってくれたご飯を食べて、お風呂に入って、暖かい布団で眠る。
そんないつも通りの日常を過ごすのだろう。
私はそれを見て、凄く安心した。ああ、終わったんだ。
絡まりあった糸の塊の、1番大事な部分が解けたような気がした。
2008年 4月 ■日
報告者:夏油傑
対象:東京校4年 虚枝刹那
発生日時:4月■日 午後3時38分
発生場所:宮城県▼▼市■■山周辺
発見の経緯:同日午後3時頃、対象より現在地と救助を求める旨の連絡あり。家入硝子及び五条悟にも同様の連絡があったが、任務の都合上報告者が赴いたところ、重症の対象を発見。速やかに保護し、高専の治療室まで搬送。
被害状況:対象の複数の部位の骨折、脳への損傷、その他多数の傷を確認
その他にも山の地形破壊、交戦相手らしき相手の肉片あり
(追記1:解析により肉片は脳の一部であることが判明、交戦相手は死亡と推定。)
(追記2:その後の捜索により周辺の草むらから脳だけが取り払われた交戦相手の頭を発見。死亡確定で良いものかと。)
対象以外の残穢もその場に残留していたことから呪詛師と戦闘したと思われる。帳は下ろされていたので民間人への影響は軽微。
対象は未だ昏睡状態。一刻も早い回復が待たれる。
■虚枝 刹那
おやすみ。
■×× 刹那
お家に帰れた。お母さんのオムレツうめー!
■羂索
私と仲良くしてたのって、殺すためだったの?寂しいねえ。
■夏油傑
……早く起きてくれ。
・輪廻邯鄲夢
掌印は歓喜天印イメージ。
存在したはずの記憶を焼き付ける。
さしすに使うと脳が破壊されるかもしれない。
宿儺とか裏梅は大して情もないのであんまり意味ない。
一応普通の必中効果もある。
那由多の明日はどっちだ
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しめりけ
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だいばくはつ