ここは郊外。だが、これから呪霊たちの目的を達成するに当たっては、市街地の方が何かと都合が良い。
というわけで、引越しだ。虚枝から聞いた、立地も良く負の情念の集まる建物へと呪霊たちは向かう。そこにいたはずの人間は灰塵と化して地面に崩れ落ちた。
那由多は丸焦げになったそれを呪霊に掃除させて、部屋を見回す。
既にその場から去った真人が言っていたように、確かに悪趣味な部屋だ。那由多はギラギラと下品な光沢を放つ壺に無性に腹が立ち、叩き割った。
「何をしておる」
「要らないでしょこんなの、漏瑚も悪趣味だって言ったじゃん」
「せめて別の場所でやらんか! ここで破壊活動をするでない!!」
「漏瑚ってばうるさーい」
那由多は次々に趣味の合わない雑貨を壊し、適当に箱に詰める。漏瑚は一段と大きく頭を沸かした。
「こんの糞餓鬼が!!」
流石にあのまま部屋に居るのも面倒だ。そう思って、那由多は漏瑚の怒りが収まるまで外へ出ることにした。
ゴミの詰まったダンボール箱を路地裏に不法投棄して、そのまま歩く。
真人は今どこにいるんだろうか。彼は素敵な場所を探すのが得意だから、その恩恵に肖りたいと彼女は考えていた。
しかし、ツギハギの呪霊を見つけるより先に、彼女は別の人間に出くわす。先日も会った、虚枝刹那だ。
「やあ」
「あれ、どうしたの? 偶然だね」
「偶然じゃないよ、君に会いに来たんだ」
那由多は目を瞬かせた。
──自分に一体なんの用だろう? 彼女の好奇心が疼く中、虚枝は懐から平たい何かを取り出した。
「何これ……お面?」
それは目元を覆うような仮面だった。真っ白で、どこか呪力が漏れているから呪具なのだろう。那由多はそれを受け取って、手元でくるくると弄ぶ。
「これから外に出る時は身につけていて欲しいんだ」
「何で?」
「君のためだよ。特別な贈り物なんだ、駄目かい?」
明確な理由は教えてくれなかった。しかし、わざわざ貰ったものをつけない理由もないし、那由多はそこまで薄情でもない。早速顔に装着した。視界が遮られることもなし、案外快適だった。
「似合ってる?」
「似合ってる似合ってる。じゃ、用はそれだけだから」
去っていく虚枝が見えなくなるまで、那由多は必死に手を振った。
──やっぱり、良い奴だな。漏瑚たちにもアレを殺すのは最後にしようって言っておかないと。
仮面の滑らかな表面をなぞりつつ、那由多は街中を駆け回った。
「あ」
信号待ちの人がたむろする道路。その奥で、マッシュヘアというのだろうか。丸みを帯びた髪型の男と那由多は目が合った。
何も知らない那由多に対して、呪霊たちは知識を授けた。
世の中には自分たちのことが見える人間と見えない人間がいる。そして、見える人間の中には呪霊を
今視線がかち合った男は、間違いなく呪術師だ。いつか牙を向いてきた少年と同じような気配がする。那由多の本能がそう告げていた。
逃げなくては。そう思っているのに、身体は逆に男へと近付いていく。
「ねえ。オマエ、私と会ったことある?」
那由多の微かな記憶の欠片は、この男に反応していた。
「いえ、僕に呪霊の知り合いはいません!!」
腹から出したような大声で、男は叫んだ。その声量に那由多が目を丸くしているうちに、男はどこかへと去っていく。耳元に携帯を当てていたから、もしかすると救援を呼んでいるのかもしれない。
人が増えると面倒くさいことになる。那由多はせっかくの手がかりを涙を飲んで見逃した。
「七海? さっきヤバそうな呪霊に会ったんだ。うん、間違いなくあれは特級だ。五条さんにも伝えておかないとね!」
そろそろ漏瑚の熱も冷めた頃だろうと、部屋へ戻る。那由多が金属製のドアノブを捻って扉を開けると、そこには常夏の海辺が広がっていた。
「うわーっ! 海だー!」
服のまま、彼女は思い切り澄んだ水面へと飛び込む。口に海水が入って、ぺっぺっと吐き出す。潮の香りと塩辛い味が広がった。
その様子を『餓鬼臭いものだ』と漏瑚は呆れて見ていた。この後寒い寒いとストーブ代わりにされるのが予想出来たので、適当な場所に火を放ち先に焚き火を作っておく。
「ぶふー……」
「楽しかった! ありがとう陀艮」
海で泳いだり、小さな頭足類の仲間を浮き輪にして浮かんだりとひとしきり遊んだ後、那由多は海から上がった。
漏瑚の用意した焚き火の前で、那由多が履いていたロングブーツを逆さまにすると砂浜に水溜まりが出来る。それをこねくり回して遊んでいると、漏瑚が外へ出ていくのに気付いた。
「またお出かけ?」
「ああ。五条悟とやらを殺す」
「私も──」
「駄目だよ、那由多」
裸足のまま立ち上がって漏瑚についていこうとした那由多に、虚枝が待ったをかける。那由多の口がへの字に曲がった。
「……なんで私はダメなの」
「君にはまだ早いよ。アレは本当に強いから」
「…………わかった」
那由多はぺたぺたと砂浜に足跡を残して、ビーチチェアに横たわった。その顔は不満がありありと滲み出てはいるものの、もう着いてこようとはしない。漏瑚たちはそれを見てさっさと出ていってしまった。
真人は一体どこへ行ってしまったのだろう。
探しに行こうかと那由多は思ったが、まだ時間もそこまで経っていない。さっきの術師が仲間総出でこちらを祓おうとしているかもしれないので悪手だろう。
那由多はうつ伏せになって、瞳を閉じた。胸が苦しい。物理的な意味で。
ドアが開く音が聞こえて、那由多は目を覚ます。真っ白なビーチチェアから身体を起こすと、見覚えのある淡い水色の頭が見えた。
「おかえり、真人。いい隠れ家は見つかった?」
「ああ、面白いものも見つけたよ」
「いいねぇ」
真人は本棚から一冊取り出して、那由多がいる方へ歩いてくる。那由多は椅子から降りて砂浜へと降り立って、中途半端に湿った砂を弄り始めた。
空いたビーチチェアに腰掛けてパラパラと頁を捲る真人に、那由多は『何読んでるの?』と話しかける。
「雲の巨人。詩集だよ」
大して興味もなかったようで、那由多は『へぇー』と生返事をしてすぐに目線を下に落とした。
寄せては返す波の音だけが広がる静かな空間。それを壊すように、またドアが開いた。
「随分と穏やかな領域だね」
「虚枝ー!」
中に入ってきた虚枝に近寄ってくる那由多。まるで主人の出迎えをする犬みたいで愉快だな、と虚枝は擦り寄る呪霊の頭を撫でながら思った。
「漏瑚はどうした、虚枝」
「瀕死。花御が助けに入ったから多分大丈夫じゃないかな」
「無責任だな、君が焚き付けたんだろ」
「とんでもない。私は止めたんだよ」
噂をすれば、扉から花御と漏瑚が入ってくる。那由多は頭部しかない仲間の悲惨な状況を見て悲鳴をあげた。
「じょ、漏瑚!? なんで首だけなの!」
「……五条悟にやられた」
「強いんだね、五条悟って」
おえ、と口から吐き出した呪霊玉を漏瑚に押し付ける那由多。
「なんの嫌がらせだ! やめんか!」
「呪力供給だよ! これはただの呪霊じゃなくて、単なる呪力に変換したヤツだから大丈夫」
「気色悪いわァ!」
嫌がる漏瑚だが、首しか残されていない彼に抵抗する術はない。口に押し込まれた玉を飲み込むと、確かに呪力が回復する感覚があった。
「へえ、そういうのも出来るんだ。呪霊特有なのかな?」
「虚枝もやってみる? はい、どうぞ」
「ふむ……」
那由多は興味深そうにしていた虚枝にも手渡す。
黒い塊を1口分齧って飲み込むと、虚枝の口にはエグ味が広がった。その上、毒に侵されたように血が込み上げてきた。
「えぇ!? ごめん!」
「やはり人間には毒みたいだね……」
反転術式を使いつつ、虚枝は然るべき時、然るべき場所──10月31日、渋谷にて五条悟を封印すると言った。彼女の頭の中には随分と壮大な計画があるようだ。
「いいね、真人、那由多?」
「異論ないよ。狡猾にいこう。呪いらしく、人間らしく」
「私も異論なーし!」
今後の動きが決まったところで、わさわさと謎の動きをする真人と虚枝。それを漏瑚と那由多は怪訝そうな面持ちで見ていた。
「……何をしとる」
「ブラジル体操」
「何それー」
筋肉を動かして身体を少し温めた2人。虚枝は漏瑚の頭に足を乗せ、思い切り蹴り上げた。
「はぁ!?」
那由多は目の前で行われている呪霊サッカーの光景に混乱した。あの心優しい花御ですらキーパー役として参加している。
──もしかして、呪霊の間ではこれは常識なのだろうか。
しかし漏瑚は悲鳴を上げている。止めるべきか、見守るべきか。
那由多が狼狽えているうちに、真人のオーバーヘッドシュートが華麗に決まった。
ゴールのネットに思い切り食い込む漏瑚の生首。那由多は慌てて抱き上げた。その口から小さく怨嗟の声が漏れていた。
「コイツら……後で殺す!!」
あんまりな扱いではないかと思った那由多は、呪力の源となるような呪霊を集めるために外へと出歩いていった。勿論虚枝に貰った仮面は着けて。
「君たちって、よくアレと仲良くできるよね」
「仲良くなどしたつもりはない」
「ああ、そういうのいいから」
那由多が去った後、虚枝は小さな椅子に座って呪霊たちに話しかける。
呪霊操術。それを人間ではなく、呪霊が持つというのはかなり話が変わってくる。
同族を無理矢理降伏させ、使役し、使い捨てる。そのような呪霊からしてみれば悪辣な術式を持つ彼女と、何の偏見もなく接し続けるなんて、良くできるものだ。
「あいつバカじゃん。大丈夫大丈夫」
『彼女は私たちを従えようなどとはきっと思いませんよ。優しい子ですから』
「ぶふぅ」
「何よりアイツは儂らよりもまだ遥かに弱い。真人と同じく生まれて間もない呪霊だ。危険性のない相手に対し無闇に差別するなどと言うことはせん」
『貴様ら人間とは違うのだからな』と吐き捨てられた言葉に、虚枝は必死に笑いを噛み殺す。
まるで家族気取りだ。温厚な母、威厳のある父、そしてまだ幼い子どもたち。滑稽な劇を見せられているようで、堪らなくおかしかった。
虚枝は『少し用があるから』と言って外への扉をくぐる。何故か、真人もその後ろを着いてきていた。
拠点から離れた狭い路地裏。小汚い壁に背中を預けて、虚枝は真人に視線を向ける。
「何か用かな?」
「ちょっとね。……虚枝は知ってる? 魂の形っていうのは、皆それぞれ微かに違うんだよ。指紋みたいにさ」
真人は虚枝を色違いの両目で見つめる。肉体よりももっと深部にある、魂を。
「だから、どれだけ近しい存在でも全く同じってことは有り得ないんだよ、虚枝」
「……何が言いたいのかな?」
「なぁんでオマエと那由多の魂の輪郭が丸っきり同じなのかな、ってことだよ」
小さく虚枝が感嘆の声を漏らした。
──そんなことまで分かるのか。やはり、面白い呪霊だ。
今すぐにでも取り込みたいが、まだ彼は成長段階にある。手を出すには早い。
逸る気持ちを抑えて、虚枝は真人の言葉を待った。
「よく見れば、オマエの魂は歪んでる。まるで無理矢理型に押し込められたみたいに、ね」
「そこまでくればもう分かっているんだろう? あくまで私はこの肉体を少し借りさせてもらってるだけさ」
「ふーん……」
「君が名付けた『那由多』はお察しの通り、生前の虚枝刹那が呪霊に転じたものだ。元人間なら、今は呪霊でも必要ないかい? 要らないなら〝処分〟してあげるよ」
虚枝がそう言うと、真人の目付きが剣呑としたものに変わる。
光の遮られた路地裏は薄暗い。影の差す中で、薄墨と群青の虹彩が怪しく輝いた。
「勝手なこと言うなよ。他の奴らも言ってたでしょ、俺らは
聞きたいことはそれだけだから、と言って真人は踵を返す。
淀んだ空気の漂う鈍色の空間に1人残された虚枝は、ついに抑えることなく笑い声を上げた。
「呪霊なんて、たかが人間の老廃物にすぎないくせに」
刹那で那由多 刹那由多
いい加減ファンパレ始めようかな……
那由多の明日はどっちだ
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しめりけ
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だいばくはつ