コンクリートの冷たい地面に転がる3つの肉塊。肉が焼き焦げ、黒煙を上げるそれらは紛れもなく直毘人と真希、七海だ。
何故伏黒がいないのかは気になるものの、今はそれに気を取られている場合ではない。
壁の一部が隆起し、火口と化す。そこから炎が夏油を襲う。
肉盾代わりに呪霊を出し、呪力で身を守ったが、それでも熱が伝わってくる。
じりじりと迫る熱波に汗を滲ませながら、夏油は自分がどう動くべきかを考える。
この場で戦うのは得策ではない。重傷者が巻き込まれる恐れもある上に小回りが効かない。
可能なら怪我人を保護したいが、それが許されるほど鈍重な相手ではないだろう。
「陀艮、花御」
夏油は先程取り込んだ陀艮で炎から身を守るための水のベールを、花御で敵意を削いで隙を作る。
仲間を好き勝手に操るその行為はどこまでも漏瑚の神経を逆撫でするものだった。
「偽物風情が……我らをどこまでも愚弄しよって! 貴様を塵にして、この地に撒こうではないか。さすれば此奴等も多少は浮かばれるだろう!」
「できるものならね」
「……逃げる気か貴様!」
「まさか。戦略的撤退さ」
花御によって咲いた花はすぐに灰塵と化し、空に散る。
激情に駆られる呪霊から逃れるように、夏油は空を飛べる呪霊を呼び出しその場から離れた。
飛び上がる彼に襲い掛かる炎は周りに張り巡らされた水の防壁によって鎮火されていく。
ならば、と漏瑚は手を振るい虫のような何かを呼び出す。
「火礫蟲、奴を殺せ!」
羽を羽ばたかせ、無数の火礫蟲が夏油の元へと飛んで行く。
「ああ、悟の報告にあったやつだね。確か……音と爆発だったかな」
呪霊に乗って距離を保ちながら、夏油は手を銃のようにして人差し指を虫の群れに向ける。そこから呪霊が射出され、接触した瞬間に虫は甲高い悲鳴を上げた。その後爆風が巻き起こる。
渋谷のコンクリート街を粉々にしながら何度も起こる爆発。夜だというのに昼間のように明るい光景だった。
耳にこびりつくような火礫蟲の悲鳴が鼓膜を揺らし、そのうちに夏油の耳に入っていた音が途切れる。
耳孔から流れる血の感覚。夏油はなおも飛んでくる熱の塊を旋回して避けながら、耳を修復し始めた。
悟の無茶に付き合っていたら反転術式も随分うまくなったものだと夏油の口角が上がる。
「ふん……やはり貴様、五条ほど精密な呪力操作ができるわけではないな?」
「悟はなんたって眼が良いからね」
夏油は平然と漏瑚の言葉に頷いた。
以前五条と交戦した際、領域の押し合いに負けたことは漏瑚の脳にこびりついている。だが、この男なら。
虚枝から、彼の領域は疲弊した花御のものから塗り替えるまでにそれなりの時間がかかったと聞いている。
領域にさえ連れ込んでしまえば、間違いなくこの男を焼き尽くせる。
特級呪霊としての矜持のために。取り込まれた仲間を開放するために。
漏瑚は手を構えた。
「領域展開──『蓋棺鉄囲山!』
領域が構築されていく中、夏油は掌印を結ばない。代わりに呼び出した花御と陀艮に手を向け、命令する。
「出番だよ。花御、陀艮」
術式によって抗うことも出来ぬまま、2人の呪霊は領域を展開。
『蓋棺鉄囲山』、『蕩蘊平線』、『朶頤光海』。3種の領域が展開され、それぞれの必中効果を打ち消し合う。
花が咲き乱れたかと思えば全てが燃え上がり灰と化す。
火山に閉じ込められているような熱を洗い流すように海が全てを呑み込む。
その水を吸い上げ、植物がまた繁茂していく。
『漏瑚……!』
「我々のことは気にするな、この男を!」
「分かっておる!」
互いに有利であり不利。複雑に絡み合う領域は相性の影響で拮抗していた。三つ巴の形で膠着した結界の内部には自由に動ける男が1人。
「呪霊操術・極ノ番──『うずまき』」
夏油の指先に幾つもの呪霊が練り合わされ、呪力の弾丸となる。夏油はそれを無造作に放り、結界内に彼の呪力が爆ぜる。
元より主導権を奪い合っていた不安定な結界。
その状態下での第三者による強力な呪力の行使により──結界は崩壊する。
砕け散る外殻。その破片たちが地へ落ちるよりも早く、夏油は漏瑚に迫っていた。
術式の焼き切れた漏瑚に夏油は游雲を振り抜く。
腹に食い込む特級呪具の感覚。漏瑚は血反吐を吐いてビルへと突っ込んでいった。
パラパラと舞い散るガラスの破片。月の光で煌めくそれは、次第に液状へと融けていく。
「舐めるなよ……小童がぁ!」
漏瑚は地に手をつき、力を籠める。呪霊に乗る夏油の下の地面が突如揺れ動き、地割れが起こる。
溝から湧き上がるマグマは掌を象り、夏油を呑み込んだ。
しかし、周囲の温度が少しずつ下がっていることに気付く。まだ10月末だというのに霜が降り始めていた。
手と手の隙間から流れ出る濁流。マグマが冷え固まり岩石と化す。それが砕け散り、中からはやや火傷を負った夏油が飛び出してくる。
「うん、特級呪霊に対抗するのはなかなか厳しいね。なるべく等級の高い呪霊を集めたつもりだけど足りなかったか」
呪霊操術の強みは膨大な数の呪霊を取り込み操れること。夏油は取り込んだ呪霊の術式を全て把握している。冷気や水に関連した術式を持つ呪霊を使い漏瑚の術式を弱めていた。
「その様子を見るに完全に相殺できたわけではあるまい。もう少し火力をあげてやろう」
「……それは困るね」
「ほざけ!!」
渋谷のビルから炎が立ち昇り、次々と倒壊していく。先ほどの涼しさが嘘のように街は熱気に包まれていた。
建物の壁面に設置されていた温度計の数値がみるみるうちに上昇していく。限界を超えた液晶はヒビが入り、何も映さなくなった。
弾丸のように放たれた呪霊は漏瑚に当たる前に炎に焼かれ塵と化す。
夏油の支配下の呪霊が作り出した氷や水が蒸発し、上空に雲が渦巻き始めていた。
夏油は額に流れる大粒の汗を焼き焦げた裾で拭う。肉盾となった呪霊が灰になって崩れていく。
この状況を一気に塗り替えられる
だが、先ほどから戦況を観察するように顔を出す低級呪霊の存在が夏油を躊躇させていた。
虚枝刹那の姿をした何か。それが本人でなかろうと術式すら模倣できるのだから領域展開が使えてもおかしくはない。
特級呪霊を取り込めたとしても、その後の術式の焼き切れ中に領域へ引きずり込まれると一気に不利になるだろう。
術式の行使の間のインターバル。炎が途切れた瞬間に三節棍を自在に操りその頭部へ叩き込む。
深追いはしない。一歩半夏油が飛び退くと、先ほどまで彼がいた場所から火柱が上がっていた。
「もう少しコンパクトに戦ってくれないかな。このままだと渋谷が更地になってしまうよ」
「気にするでない。いずれ荒野になり果てる地だ」
「まだまだそんな予定はないさ」
「なら一足先にそうしてやろう! 極ノ番──『隕』!」
夜空に鎮座する熱を纏った球。周囲の車や瓦礫が吸い込まれていき、球体は肥大化していく。
燃え上がる巨大な隕石は月明かりをも凌駕する強烈な光を放つ。渋谷の上空に新たな太陽が顕現したかのようだった。
極ノ番には極ノ番。夏油は再び指先に呪霊を集めていく。空へ浮かび上がっていくビルの残骸を避けながら、通りすがった知人に手を振った。
「あ、日下部さん……と、パンダ。なるべく遠くに逃げたほうがいいですよー」
「分かっとるわそんなこと! おい、早くずらかるぞ!」
「お、おう!」
背を向けてその場を後にする二人を尻目に、夏油は2体の特級呪霊もうずまきの一部として練り込む。
同胞が放つ呻き声を確かに感じ取っていた漏瑚。その身を焼くほどの憤怒が彼を支配していた。
「夏油傑!! 我らを弄びよって……楽に死ねると思うなぁ!!」
「呪術師を続ける以上、楽に死のうだなんて端から思っていないさ。極ノ番──『うずまき』」
空に聳える隕石に迫る呪霊の群れ。次々に手も届かないまま焼き尽くされていくばかりに見えた。
だが、炎の勢いも次第に衰えていく。強大な物量の塊は砕け、欠片となって地へ落下していった。
舞い上がる砂煙の中から姿を現したのは肩で息をする漏瑚。煤塗れになった頬を拭う夏油。
夏油は游雲を構える。
漏瑚の動きは先ほどに比べて遥かに鈍い。特級呪霊とは言えど、領域展開と極ノ番の発動により呪力は底を尽きかけていた。
このまま押し切れば祓い切れるはずだ。勝利を確信した夏油は三節棍を握る手に力を込める。
鈍い音がして吹き飛んでいく漏瑚を受け止める影。
「漏瑚っ!!」
「…………那由多か……!」
突然2人の間に割り込んできた新手。その姿は以前七海や灰原から聞いていた白面の呪霊と一致している。
だが、その顔に面は着けられていない。露わになった素顔は──紛れもなく、かつての級友のものだった。
「刹那……!?」
刹那の顔をした呪霊は夏油を一瞬強く睨みつけた後、漏瑚を抱き呪霊に乗って逃げていく。動揺して固まっていた夏油はすぐに正気を取り戻し、後を追いかけようとした。
しかし那由多によって吐き出された無数の呪霊によって進路を妨害され、その気配を見失う。
偽物であろうと、本物であろうと、刹那の姿の何かは人間であるという前提条件で動いていた。
それがまさか呪霊になっているとは。友人の惨状に夏油は思わず頭を抱えたくなった。
「じょ、漏瑚!! 漏瑚、漏瑚……!」
「ええい、喧しい。そんなに大きな声を出さすとも、聞こえておるわ……」
追手を振り切った後、豪雨を凌ぐように未だ崩れていなかったビルの中へと入る。
冷たい地面に腰を下ろしながら、那由多は満身創痍の漏瑚に何度も呼びかけていた。
目が覚めた後、すぐに斥候役の呪霊に案内されて漏瑚の元に向かっていた那由多だったが、移動に時間を取られて祓われる寸前の介入になってしまった。
もう少し早く目覚めていたなら。後悔に苛まれながら那由多は口から呪力の塊を吐き出して漏瑚に渡す。
だが、漏瑚はそれを口にしようとはしなかった。黒い玉を押し付ける那由多の手を押し返す。
「いらん。他者の回復は効率が悪いだろう。自らのためにとっておけ」
「でも、漏瑚が死んじゃう! 死んじゃやだ!!」
「嫌ならば儂を取り込め。今なら出来るはずだ」
「そんなのやだっ!!」
瞳を潤ませながら首を振る那由多。幼子のように泣きじゃくる彼女の姿に漏瑚はため息をついた。
「あれも嫌、これも嫌と……相も変わらず図体だけが立派な尻の青い餓鬼のままではないか……。心配せずとも我らが真の意味で死すことなどはない。花御も陀艮も、そして儂も。同じ姿や形でなくとも再びこの地に生まれ落ちるのだから」
「そっか…………あっ」
「なぜ目を逸らす?」
バツが悪そうに目線を外す那由多。しばらく口篭っていたが、覚悟を決めたように息を吐いて漏瑚の大きな瞳を見据えた。
「その、……さっき思い出したんだけど……私は、みんなとは違うんだよ。みんなを殺しうる呪術師が転化して生まれた存在で……。だから、その……」
「よい」
「え?」
漏瑚の声がコンクリート製の古びたビル内に響く。
存在感こそ希薄になっているものの、その声の威厳は少しも失われることはなかった。
「そのようなことは些事に過ぎん。貴様がどのような存在であろうと、今は我らと志を共にする
「漏瑚……」
「この身体もそろそろ朽ちる時が近い。これを託す。宿儺の器に食わせろ」
「……分かった」
宿儺の指が収納された巻物を懐にしまい、那由多は漏瑚の手を握る。
那由多の瞳からこぼれ落ちた雫が落ち、漏瑚の頬を滑る。ゆっくりと時間をかけて蒸発していく水滴。
別れの時は近いのだと思わざるを得なかった。
「那由多」
「うん」
「真人を頼む。最早貴様にしか頼めんことなのだ」
「当たり前だよ。人から生まれたあの子、呪術師の成り果て……まあ実質姉弟みたいなもんなんだからさ! お姉ちゃんとして弟のことを守るんだよー!」
「脹相のようなことを言いおって」
和やかに話す中、少しずつ漏瑚の身体が崩れていく。支えるように那由多は漏瑚の身体に手を回した。
春の木漏れ日のような生温かさ。かつては燃え盛る太陽のようだった熱は徐々に冷めていく。
崩壊していく輪郭を掴もうと手で握りしめても、砂のようになって指の隙間から溢れていった。
「百年後の荒野でまた会おう、那由多」
「うん。
物言わぬ塵となって空へ舞い上がる仲間の姿。
滂沱の涙を流し、那由多は慟哭の声を上げる。何度も目元を擦り、しばらく蹲っていた。
しかしふと立ち上がり、頬を勢い良く叩く。
そして呪霊を吐き出し、命じた。
「虎杖悠仁、それに真人の居場所も探してきて。なるべく早くね!」
更新大変遅れて申し訳ない。
新生活に適応するのが遅れました。まこーらになりたい。
X(旧Twitter)が更新されてる間は一応エタる気はないです。
那由多の明日はどっちだ
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しめりけ
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だいばくはつ