「灰原、七海を連れて下がれ」
「ありがとうございます!」
灰原は夏油の言葉に従い、七海の肩を支え場を去ろうとする。だが、当然那由多も指を咥えて見ているだけとはいかない。
「待て! 逃げるなー!」
「私が逃がすよ」
焼き切れた術式の回復した那由多は無数の呪霊を吐き出す。それに対抗するように、夏油も当然自身の保有する呪霊を呼び出し、呪霊の群れ達がぶつかり合う。
片足を引きずりながら歩く七海の頬に、呪霊の肉片がビチャリと音を立てて付着する。
妖怪大戦争か何かか? 化け物同士がぶつかり合う惨状に彼は小さくため息をついた。
「灰原……」
「うん?」
「クアンタンに興味はありませんか?」
「ええ!? どういうこと!?」
半身は焼かれ、片腕を失った。もう引退しても良いだろう。青く輝く海を想い、七海は残された片目を瞑った。
「あーもう! 逃げられちゃったじゃん、夏油のせいで」
「逃がす方が悪いだろう」
「ああ言えばこう言う。そういうとこが嫌」
「そうかい。……ところで、いつまでその不愉快な演技を続けるつもりだ?」
「……へぇ?」
那由多の顔から表情が抜け落ちる。
「君、刹那じゃないだろう」
「うん。……五条悟といい、オマエといい、ちょっと気持ち悪いな。なんで分かるんだよ!」
「伊達に学生時代一緒にいたわけじゃないさ」
想い人の微かな残滓すらも見逃さなかった五条のことを思い出し、うぇ、とわざとらしく舌を出す那由多。
所詮はただの戯れ。何か意味があるわけでもない。くだらない演技はもうやめだ。
那由多は長い黒髪をたなびかせ、大きな声で叫ぶ。
「改めて自己紹介をしよう……私は那由多! 虚枝刹那の未練と恨みから生まれた呪霊だ!」
その名乗りを以て、戦いの火蓋は切られた。
領域を展開するためには膨大な呪力を消費する。故に、並外れた呪力量、もしくは呪力効率がなければ短時間で複数回の領域展開は不可能だ。
だが、那由多は術式の応用により自身の取り込んだ呪霊を単純な呪霊に変換し、呪力を回復させることができる。
つまり、この状況において彼女が取る行動は1つ。
「領域展開」
先程七海と灰原を閉じ込めるために使った分の呪力は既に補完済み。
掌印を組み、新たな外殻を形成し始める。
対して夏油は先程の『うずまき』で抽出した陀艮の術式を使い、領域を展開。領域外に設置していた呪霊で外殻を破壊した。
この場合、術式が焼き切れるのは那由多のみ。
基本的な呪力操作しか行えなくなった那由多に夏油は当然呪霊を差し向ける。
那由多の耳に、無機質な電子音が届く。
手にはいつの間にかスマートフォンが握らされており、音はそこから放たれている。
人々の噂話、インターネットの掲示板などで認識が広まり、集まった恐怖が呪いとして顕現することがある。
そうして生まれた仮想怨霊は自身の逸話通りに相手を動かすための簡易的な領域を使えるものが多い。
彼女が取れる行動は掛けられた電話を取ることのみ。
那由多は不慣れな手つきでスマホを操作し、耳元に当てた。
時々音声が途切れたり、ノイズ音が混じっているが、女性と思しき声が聞こえてくる。
『私、メリーさん。今あなたの後ろにいるの』
背後に現れた呪霊。その手に握られた包丁が那由多の身を抉る前に、手元目掛けて蹴りを放つ。
呪霊の手からこぼれ落ちた刃を受け止め、那由多は何度もその身体に突き刺した。
滅多刺しにされた呪霊から吹き出した体液が彼女を汚す。那由多はぐい、と乱暴に頬の汚れを手で拭い、舌を這わせてその甘味に舌鼓を打つ。
「うま……」
「君、同族に対して思うところとかないのかい……?」
にんまりと笑う那由多に引き気味な夏油。その反応に那由多は小首を傾げた。
「うん? まあ同じ呪霊だけどさあ、私はそんなに同族意識とかないんだよねー。その辺はオマエもよく分かるんじゃないかって思ったんだけど?」
「……と、言うと?」
「ろくに理性を持ち合わせない下級呪霊を仲間とは思えないってこと。私が仲間だと思えるのは理性を持ち、互いに尊重できる関係を築けるあの子たちだけだよ。オマエだってそうでしょう? 同じ人間だからって、非術師と仲良くできる?」
呪霊を使役しながら、夏油は渋い顔をする。
今でもはっきりと思い出せる、醜い非術師の姿。あれを自分と同じ人間というカテゴリに入れるのは正直な話御免こうむりたい。当然、善良な非術師がいるというのも理解しているが。
「呪霊にも色々あるみたいだね」
「そういうこと。だからこそ、私の仲間をこれ以上傷つけないで欲しいな」
「それは土台無理な話さ。君たちが我々を呪い続ける以上はね」
「あっそ」
焼ききれた術式は回復した。領域展開に使った呪力も既に補完済み。
彼女はもう一度掌印を組み、領域を展開する。
本日3度目の領域展開。
夏油は先程と同様、花御の術式ストックを使いその場を切り抜けた。
だが、違和感が残る。
目の前の呪霊の呪力量は確かに特級を冠するだけあり多い。だが、何度も領域展開できるほどではないはずだ。
呪霊が呪霊を共食いすれば呪力が増すというのは頻繁ではないが、時折確認されている事例だ。そして、目の前の呪霊の体内には取り込んだ呪霊が山ほど存在している。
「……取り込んだ呪霊を呪力に変換しているのか!」
「御明答」
白く濁った瞳の真ん中に浮かぶ瞳孔が広がった。
獲物を見つけた肉食獣のように獰猛な笑みを浮かべた呪霊に、夏油は三節棍を振るう。
呪具がぶつかった頭からだらりと鮮血が流れた。それでも、彼女の笑みは薄れることはない。
「ほら、4度目だよ」
「──ッ!」
夏油も掌印を組み、自身の領域を展開する。
肉色の臓物と金色の花が混じり合い、互いを侵食していく。
想定よりも精度が悪い。那由多は眉間に皺を寄せた。
微かな違和感。それを那由多は見ないふりをした。
游雲と拳がぶつかり合い、衝撃がその身を襲う。その間にも互いに操作した呪霊は迫っており、限られた領域内で数多の呪霊同士が喰らい合っていた。
やがて双方共に領域を維持できなくなり──外殻がバラバラと崩れ落ちる。両者とも術式が焼き切れた以上、フィジカル勝負となる。
鍛え上げられた肉体から繰り出される武具に当たれば先程体験したようにタダでは済まない。那由多は術式が回復するまで逃げに徹することを選んだ。
側頭部狙いの横薙ぎを体を反らし、既の所で躱す。生命の危機のせいなのか何なのか、チリチリと脳が悲鳴をあげ始めた。
だが、それがどうしようもなく愉しい。漏れ出る笑いはどうしようもなく呪いらしかった。
「領域展開ができる呪霊なんて一握り。もうストックはないよね? 自前の領域もさっき使っちゃったでしょ。次は逃げられないよ、夏油傑」
「そうかい」
那由多が掌印を組むのに合わせ、夏油は構えを取った。
『これは教えられないから、見て覚えてもらうしかないなぁ』
『そんな無茶な……』
『ま、夏油ならいけるよ! がんばって!』
門外不出のはずのそれを何故門下生でもない彼女が知っているのかは分からなかった。もう真実を知ることもできない。
だが、あの時彼女に倣った簡易領域が今、彼女の残骸から自身を救う術になるとはなんと皮肉なことか。
覚悟を決めて、夏油は体外に呪力を放出する。
──ブツン。その時、何かが切れるような音がした。
「領域展か、……ぃ……?」
領域は形成されることなく、呪力は霧散していく。
那由多は驚きで目を見開いたまま唖然としたまま。だら、とその鼻から赤い液体が垂れる。
「ぁ、……え? なん」
その隙を見逃すほど夏油も悠長ではない。構えを解き、思い切り三節棍をその頭へ振り抜いた。
領域に対抗するために極限まで集中していた夏油から繰り出される一撃。
──黒閃。
空気中に黒い稲妻が迸り、那由多は数メートルほど吹き飛んで頭から壁へ叩きつけられる。余波でコンクリートが砕け、その身へ降りかかった。
瓦礫に身を埋めながら、那由多は必死に呪力を練る。問題なく呪力が全身を駆け巡る。だが、そこから結界を形成しようとすると脳が悲鳴を上げ始める。
なぜ、なぜ、なぜだ。
焦燥感と痛みに支配された頭で必死に考えるも、皆目検討もつかない。
那由多は領域を操るために必要な脳の一部を酷使しすぎた。
この世の上澄み──五条悟や両面宿儺とは違い、彼女の本来の呪力量では領域展開は一度が限界だ。それを裏技を使って何度も何度も脳に負荷をかければ、当然ガタがくる。
ただ壊れただけならば、呪力による自己補完で治せるはすだ。
だが、脳というのは非常に繊細であり、未だ分からない部分も多い複雑な器官だ。人間から呪霊へ転化した彼女も例外ではない。
少なくとも、那由多にとって脳の治療は戦闘の片手間に出来るような作業ではなかった。
つまり──この戦闘において、那由多は領域展開を封じられた。直感的に彼女はそれを理解する。
「ふ、……ふふ」
瓦礫の山を無理矢理どかし、乱れた髪に手ぐしを通す。
痛みは現在進行形で彼女を蝕んでいた。だが、その顔は晴れやかだ。
領域展開ができないからなんだ。それは向こうも一緒、ちょっとアドバンテージがなくなっただけ。
那由多は頭から垂れた血液を整髪料代わりに、鬱陶しく伸びた前髪を後ろへ撫で付けた。
「おや、頭の具合は大丈夫かい?」
「別に? さあ、ROUND2だよ……夏油傑!」
那由多は鼻血を舌で舐め取った。自分の血は残念ながら美味くもなんともない。
つい、と空を指で撫でる。その軌跡に合わせて空間が裂け、暗闇から勢いよく何かが飛び出した。
一見蜘蛛のような呪霊は、本来であれば節足の部分が色褪せた人間の腕であり、膨れ上がった腹部には幾つも目が張り付いている。
呪霊はギョロギョロと辺りを見渡した後、糸を吐き夏油の下級呪霊を絡め取った。動けなくなったものから順に捕食し、その身体に纏う呪力量は増していく。
全てを喰らい終わったあと、それが狙うのは夏油。粘ついた糸が夏油に迫る。
「『狐火』」
眼前に迫ったところで端から青い炎が上がり、燃え盛っていく。夏油の襟元には狐のような呪霊が巻きついており、口からゆるりと炎を燻らした。
火はやがて蜘蛛型呪霊の元まで到達し、その身を焼き尽くす。焦げ臭さに夏油が微かに眉根を寄せる。
その背後から、那由多が蹴りを放つ。
「噛み付け」
夏油の手の動きに合わせ、八目鰻のような呪霊が地面から飛び出し、那由多の足に歯を立てる。
輪状に並んだ鋭い刃が皮膚を千切り、骨を砕いた。鮮血を伴って放物線を描き、吹き飛んでいくふくらはぎ。
バランスを崩して呪霊を身を任せながらも、彼女の口許は歪んでいた。
「『うずまき』」
「は」
下腿から飛び出す下級呪霊の群れ。それらは凝縮し、呪いの弾丸と化す。
呪霊を練り固めて放つ極ノ番の対象は、呪霊である那由多自身でも構わなかった。
回避のために身を捩ろうとする夏油の耳に届く歪な音楽。聞いた事のないリズムに脳が揺れ、一瞬身体の動きが止まる。その感覚は彼もよく知るものだ。
──呪言!?
放たれた呪いが彼の右腿を穿つ。拳大の穴が空き、夏油は体勢を崩した。
傷口を抉るように那由多はその太腿を掴み、思い切り壁に投げ付ける。弧を描く口許には偏光色に光る鱗のようなものが張り付いていた。
「人魚だよ、人魚。人を惑わす不思議な歌声、良いでしょう? 特に男ならよく効くんだ」
呪言ほど高等なものではない、本来なら大した効果もない術式。だが、特級呪霊の出力で放たれれば微かに脳が支配される。
「人間の身だとうずまきで術式を抽出する必要があるけど、私にはそんなのいらないよ。だって呪霊だもの」
「面倒な……」
頭上から勢い良く落下する『釣瓶落とし』を避けながら、那由多はクスクスと笑う。
夏油は彼女が繰り出す呪霊に加え、彼女と合体した呪霊の術式にまで意識を割かねばならない。
それでも、負けるつもりなど更々ないが。
三節棍を器用に手繰り、夏油は地を蹴った。
あれから、戦況は膠着している。
お互いに反転術式と呪力による自己補完で外傷はないように見える。手数の多さはお互い様。どちらも決め手に欠けていた。
安易に極ノ番を使えば呪霊が枯渇する。確実に仕留められるその時を虎視眈々と狙って、睨み合いの状態が続いている。
だが、こちらは呪力を手持ちの呪霊で回復できる。長期戦ならばどう考えても有利だ。那由多は迫る呪霊を避けながら、ほくそ笑んでいた。
ふと、那由多の頭によぎる考え。
──真人、大丈夫かな?
勿論、あの少年が彼の天敵とは言えども、地力の差がある。宿儺の器という素養があろうがそう簡単に埋まらないはずだ。
だが、もしも。1人ではなかったら?
人間というのは群れるものである。目の前の特級術師は多分そういうの必要なさそうだが。
ともかく、援軍が来ている可能性もあるんじゃないだろうか。そわ、と少しだけ浮き足立つ。
那由多の心の揺れを敏感に察知し、好機だと責め立てる夏油。耳を掠める呪具の気配に、彼女の肝が冷えた。
「おっと、気がそぞろなんじゃないか?」
「……う、うるさいな、オマエなんかさっさと始末してやりたいのに……!」
「できないことを言うものではないよ。威勢が良いのは結構だけどね」
「オマエだって私に致命傷の1つも与えられてないじゃないか!」
「これからこれから。私は気の長い男だからね」
「嘘をつくな、オマエは気が短いはずだろ」
「……?」
「ふざけた顔しやがって……!」
何のことでしょうか、と惚けた面をする夏油に対して語気の荒くなる那由多。
中々好転しない状況に対する鬱憤、仲間の安否が分からない不安、目の前の男への殺意、戦いの愉悦。様々な感情が綯い交ぜになって興奮が抑えきれない。
そんな彼女の服を小さな力で引っ張る蠅頭が1匹。一瞬で冷水を掛けられたように頭が冷める。
「は?」
真人の様子を観察するために仕込んでいた呪霊。こちらに戻ってくるのは真人が危機的状況に陥っているときだけだ。
つまりは、そういうことなのだろう。
「顔色が悪いね、何かあったのかい?」
「あー……」
コイツから尻尾巻いて逃げるのか? このままやれば恐らく勝てるのに?
那由多の中で、真人の元へ向かうか、それともこのまま彼と戦い続けるのか。2つの択が天秤にかけられる。
「ないな、うん!」
「おっと、逃げる気かい?」
「戦略的撤退だからね! 大丈夫!」
比べられるわけもない。この男は生かしておけばいつでも殺せる。真人はこのまま放っておけば死ぬかもしれない。
何より、漏瑚に託された役目を放棄するわけにはいかない。
戦うのではなく、夏油の足止めをするように呼び出された呪霊を見て、彼はすぐにその意図を察する。
「逃がすとでも?」
「逃げられるよ」
退路を塞ぐように配置された夏油の呪霊。だが、那由多は余裕に満ちた笑みを浮かべていた。
「よーし、しめやかに──」
プツ、と那由多の首元に赤い線が引かれた。その線は広がり、首を1周する。
ゴロリと落ちた首は呪霊が咥え、残りの胴体に集まっていく呪霊。
「まずい!」
「──爆発四散!」
彼女の胴体と上級呪霊によって放たれた『うずまき』は、大規模な爆発を起こす。残った頭も何故か散り散りに爆ぜ、ありとあらゆる方向に逃げていく。
「クソ、本体はどれだ……!?」
うずまきによる呪力の奔流によって呪力感知が儘ならない。更に、バラバラになった頭は微かな呪力しか放出していない上に、呪力の質がどれも変わらない。
全てを追い切るのも呪霊を消費しすぎたため不可能。
「やられた……」
まんまと逃げられ、夏油はガリガリと額を掻き毟った。
「薄汚い下水道でチマチマ鼠寄せ集めた甲斐があったなー」
自身を分割し、そのどれもが同一性を持つ鼠の呪霊。下水の臭いにはうんざりしたが、取り込んでおいて良かった。那由多は分体をかき集めながら身体を再構築していく。
「んん、なんかちっさいな」
胴体を使ったうずまきによって消耗しているので、呪力による自己補完が少し難しい。完全には治りきらなかった身体はいつもよりこじんまりとしていた。
人間でいうと小学校高学年から中学生ぐらいだろうか。
無事──とは言いがたいが逃げられたのだし、このまま早く真人のところへ向かわなければ。
呪霊で空を駆けていく。風で大きく靡く髪が頬を滑るたびに苛立ちが増す。早く、早く。まだ着かないのか?
「──いた!」
那由多はその目に真人を見た。
だが、その姿はいつもとは似ても似つかない。酷く痛ましい姿だった。
片足が折れ、地面にへたり込む真人と、ゆっくりそれに近付いていく虎杖。
間違いなくこの場で被食者は真人であり、捕食者は虎杖である。少なくとも、那由多の目にはそう写った。
急いで真人のところまで行き、那由多は手を差し伸べる。
「真人! 助けに来たよ!」
「助けてあげようか、真人」
那由多の隣にはもう1人、同じ顔をした女が立っていた。狙いすましたかのように、同じタイミングで真人に声を掛ける。
「…………は?」
前言った通り渋谷事変までなのであと1話+後日談でIFルートは終わる予定です。想定より遥かに長くなった。
ファンパレで学生夏油が来たのでしっかり引きました。五条も甚爾くんも来たのでホクホクですわ。
那由多の明日はどっちだ
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しめりけ
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だいばくはつ