「や、元気そうだね」
「羂索……っ!」
那由多は急いで真人を抱え、1歩後ずさる。間違いなくろくでもないことに利用しようとしているだろう。
「思い出したのかい?」
「少し違う、記憶を読み取っただけだ。アレと私は別物」
「ああ、そういう感じね。さて、真人を渡してもらえるかな?」
「渡すわけない、この状況で!」
妖しい笑みを浮かべながら手を差し出す虚枝──のガワを被った羂索。那由多はその手をはたき、真人を包む腕に力を込めた。
呪力も枯渇し、ただ震えるだけのひ弱な姿に憐憫の念が湧く。
「それがないと計画に支障が出てしまうんだけどな」
「計画? もうこうなった以上協力関係は破綻なんだから、そんなの私たちが付き合うわけないでしょ」
「おや、君たちにも利がある話だよ?」
「はあ?」
何を馬鹿なことを。那由多はそう思い、初めは話を聞く気はなかった。
だが、この女の底知れぬ無邪気な悪意に満ちた笑顔を見ていると、好奇心が首をもたげる。肉の器を変えながら1000年煮詰めた呪いは果たしてどこまで行き着くのか。
那由多は羂索との距離を保ちながら、「簡潔に話せ」とぶっきらぼうに言い放つ。そして、彼女は声高に話し始めた。
人類と天元の同化。その慣らしのために行われる『死滅回游』のためには真人の術式が必要だ。
彼の『無為転変』により、覚醒型と受肉型──2種類の泳者を生み出し、殺し合いを行わせる。
「ぜんっぜん私たちに利点がないんだけど?」
「話はまだ途中さ。もしも、人類と天元の同化が成されたとき、どうなると思う?」
「は? 分かんないよ、そんなの」
「はぁ……少しは考えることをしなよ。ま、所詮呪霊か」
「呪霊差別かよ。その力を借りなきゃいけないクセに……」
じっとりと那由多が睨みつければ、羂索はわざとらしく困ったように肩をすくめる。どうせ腹の中では「呪霊ごときが何かほざいているよ」ぐらいの認識だろう。目の奥にある侮蔑が隠しきれていなかった。
「話を戻すよ。人類と天元の同化を果たしたとき──私の予想では、日本国民全員分の呪力を孕んだ呪霊になる」
「呪霊に?」
「ああ、今の天元は呪霊に近い存在だからね。それを同化すれば当然そうなるだろう?」
「そうかな……そうかも……?」
那由多は目を閉じて想像してみる。
実質的に言えば、それは呪霊が人間に置き換わった世界になるのではないか? 100年後に邂逅するはずの仲間たちがその光景を見れば、何と言うのだろう。「よくやった」と褒めてくれるのだろうか。
那由多の真っ白な瞳に光が灯る。
それに、呪霊というのは等級が上がれば上がるほどその味も上等なものになる。1億人分の呪力を持つ呪霊は、一体どんな味がするのだろうか?
じわじわと口内に唾液が分泌される。つまみ食いならしていいかな、などと那由多が考えていると、背後から殺意を感じた。
「あぶなっ!」
真人との戦闘で重傷を負った状態でも虎杖は飛びかかってきた。すんでのところで那由多はその傷だらけの拳を避ける。
「ああ、まだまだ元気だね。良かった、ちゃんと丈夫にできている」
「話の途中なんだけど!」
「そうだね。悪いけど少し黙っててもらおうか」
そういうと羂索は自身の持つ呪霊を使ってあっという間に虎杖を無力化する。鯰呪霊によって足元を掬われ、百足呪霊に身体中の肉を食いちぎられ血に塗れていても尚、その瞳にはどす黒い闘志が燃えていた。
「殺さないの?」
「彼もまた必要なパーツさ。今は生かしておく方が良い」
「あっそ」
羂索は那由多の方に向き直り、胡散臭い笑顔を作る。
「で、どうするんだい?」
「…………少し、時間をちょうだい」
「ふむ……そうだね。まだもう少しぐらいなら待ってあげてもいいかな」
その言葉を聞いて、那由多は羂索から距離を取る。少し離れた場所で結界を形成した。あくまで術式を付与しない、隔離だけを目的としたものだ。頭が悲鳴を上げたが、外殻はしっかりと形作られた。
那由多は腕の中でぐったりとしている真人をじろりと見下ろす。
魂が折れている。屠殺寸前の家畜のように、余命が1日しかない病人のように、ただ死を待つように佇んでいるだけだ。
まだ大丈夫。きっと大丈夫。そう信じて、那由多は自身に残る呪霊達の数を確認した。
那由多は真人の口元へと手を近付ける。カサついた唇に指が触れた。小さな呻き声のようなものが漏れる。
指はゆっくりと真人の口内へと侵入していく。まだ暖かさが残っていた。口の端に指をひっかけ、徐々に口を開かせる。指には、血液とも唾液とも取れる粘液が纏わりつく。
修復する力も残っていないのか、所々歯が欠けていた。こみあげてきた血液の鉄臭さが鼻につく。
「真人」
「……なゆ、た」
「そうだよ。那由多だよ」
十分に口が開ききったところで、那由多は真人に覆いかぶさる。口を開いて、胃を収縮させた。
やがて、その喉元から迫り上がってくる何か。那由多は口元を近付け──嘔吐した。
ドロドロとした吐瀉物が真人の口へと入っていく。思わず真人は身体を捻り逃れようとしたが、四肢も胴体も顔さえも、しっかりと押さえつけられていて微動だにできない。戦闘で消耗していなければ、もう少しマシな抵抗ができただろう。
「……っ、な、ゅ……だぁ゛……っ!!」
微かな足掻きのように絞り出された声にも聞く耳を持たず、那由多はべちゃべちゃと口内からひたすら流動体を吐き出すだけだ。
呼吸器が埋まっていき、真人は仕方なしに吐瀉物を飲み込んだ。感触こそ最悪だったが、身体中の隅々まで暖かな何かが染み渡っていく。少しずつではあるものの、真人の呪力が回復していた。
那由多は真人の口周りに飛び散った飛沫を拭うように舐め、口を開く。
「真人」
例え身体の傷が治ったとて、心の傷はそうもいかない。特に、真人においてはその魂が術式の根幹に関わっているからこそ、へし折れた魂を持ち直させる必要がある。だが、容易なことではないだろう。
「私、頑張ったよ。漏瑚は死んじゃったけど、漏瑚からちゃんと託されたんだよ。真人を頼むって!」
張りを失い、泥に塗れ、擦り傷だらけの真人の両頬に手を寄せる那由多。黒々とした髪が色褪せた肌を滑る。
「花御も、陀艮も、夏油傑に操られてたけど漏瑚がなんとか解放してくれたんだ。殺せなかったのは残念だけど、次がある。真人が死んじゃう前にこっちに来れて良かった」
那由多は無惨にも折れ曲がった真人の足を撫でる。呪力が戻ってもこの傷が治らないのは、きっとこれが折れた心の象徴だからだ。
ムッと顔を顰め、那由多は真人の胸ぐらを掴んだ。
「何だよ、そんなに虎杖悠仁が怖いのかよ! あんなのどうせただの人間だよ、100年もすれば寿命で死んでるんだから逃げようよ! 呪いらしく狡猾になればいいじゃん!」
真人は何も言わない。その様子に眉を下げたあと、ハッとしたように目を見開き、那由多は口角を上げる。
「そうだよ、100年……、100年後に皆と会いたくないの? さっきね、アイツとも話して、人間のこと皆呪霊にできるかもしれないって! そしたら、漏瑚も、陀艮も、花御もきっと私のこと褒めてくれるよね?」
彼女は無邪気な笑顔を浮かべたかと思うと、すぐに歪んだ。
「でも、今は真人しかいないんだよ」
那由多の丸っこい瞳の輪郭が歪み、ぽとりと大きな水滴が落ちた。それを皮切りに、とめどない涙が真人の顔を濡らしていく。
「真人……ひとりにしないでよぉ……」
真人の胸元に縋り付く。身体は呼吸のために微かに上下していた。まだ、生きている。生きているのだ。
「那由多はさぁ」
ビク、と那由多が跳ねる。慌てて顔を見れば、真人はゆっくりと瞬きをする。焦点の合わなかった色違いの瞳は那由多を捉えていた。
「子どもみたいだよね。そんなんでよく俺のこと弟扱いできるよ、ホント」
「……私も真人も人間から生まれた呪いなんだから実質姉弟みたいなもんでしょ」
「別にそれは異論ないけど、那由多の方が妹じゃない?」
「なんでだよー!」
抗議するように那由多は声をあげる。その顔は水分でべしゃべしゃで、見るに堪えない。真人はやや乱暴に手で彼女の顔を拭ってやる。しばらく幼子のように泣き続ける那由多の背中を優しく叩いていた。
那由多がようやく落ち着いたあと、結界は崩れ、2人は再び戦場へと戻る。
砕けて辺りに舞い散る氷片、撒き散らされた血液。那由多は一瞬状況が掴めなかった。
「なんで脹相がそっち側なの?」
「ふふ、なんでだろうね」
怪しく笑う羂索の姿に、こいつのせいだなと思い那由多は大きなため息をついた。
氷漬けにされた虎杖や高専の連中。その中で1人、無事な女が美しい金髪を靡かせる。
「さて、同じ顔が2つとはなかなか不思議な光景じゃないか」
「九十九由基!」
羂索と九十九が研究者同士の論議を交わしている間に、真人は呪力を全身に馴染ませる。本当に必要最低限──術式の行使は一回分が限界だろう。
「──さて、混沌を生み出そうじゃないか。真人、こちらの手筈は整っているよ」
「はいはい」
あらかじめ用意しておいた術式の遠隔発動のための媒体に向けて、真人は手を伸ばす。九十九の焦ったような声が聞こえた。
「ちょちょ、もしかしてあれが魂に干渉できる呪霊!?」
「そうだけど」
「『凰輪』ッ!!」
蹴り上げられた式神。だが、真人には届かない。ゆるりとその前に、人影が一つ。
「だーめ!」
仮想の質量が付与された球体をまともに受け、那由多の左半身が吹き飛んだ。辺りにまき散らされた肉片が真人の身体を汚す。それでも手は止まらない。
──『無為転変』。
地面に埋め込まれた楔に呪力が回り、文様が浮かび上がる。
「聞いてるかい? 宿儺。始まるよ……再び、呪術全盛平安の世が……!!」
数多の呪霊に飲み込まれていく渋谷。
渋谷事変は終わりを告げ──『死滅回游』が、この瞬間をもって幕を上げた。
──呪術総監部より通達
1.虚枝刹那の死亡を取り消し、同人に対し死刑を宣告する。
2.五条悟、及び夏油傑を渋谷事変共同正犯とし呪術界から永久追放、かつ封印を解く行為、同人に助力する行為も罪と決定する。
3.夜蛾正道を上記三名を唆し渋谷事変を起こしたとして死罪を認定する。
4.虎杖悠仁の死刑執行猶予を取り消し速やかな死刑の執行を決定する。
5.虎杖悠仁の死刑執行役として特急術師乙骨憂太を任命する。
「うわ、二人とも泥だらけじゃないか。屋敷に上がる前に少しは汚れを落としてくれないかな。これだから躾のなってない呪霊は困るね」
「うるせー! 大体ここオマエの屋敷でもないだろ」
「いやいや、今は私が当主だからね」
羂索の言葉通り、真人も那由多も手や足だけではなく全身が土塗れだ。汚れを落とすことなどせずに部屋へ入ってきたものだから、畳の隙間に茶色の泥が詰まった。
「それで……一体何をしたらそんなに汚れるのさ」
「植林」
「君たちが? ちなみに何の木を植えたんだい」
「スギ」
「一部の人間に死ぬほど恨まれるだろうね」
クックッと喉で笑う羂索。2人は女を白けた目で見下して、畳へ座り込んだ。
「まだまだだね~」
「ま、俺たちには他にも色々とやることあるから、どうしても片手間になっちゃうしね。仕方ないでしょ」
那由多は床に地図を広げる。懐から取り出したペンで一部の地域を塗りつぶしていく。それを見て、羂索は納得したように声を上げた。
「この間の噴火も、海洋災害も、君たちの仕業かい?」
「たちっていうか那由多ね。俺はストック集めについてっただけだし」
「今がチャンスなんだよ! かきいれどき!」
未曾有の呪術テロ。各地の結界。日本国民の恐怖は日に日に高まっている。
この機に乗じ、自然災害を起こせば畏怖は集まる。いずれこの地に生れ落ちる同胞たちのために那由多と真人は各地を巡っている。
動ける術師は結界の対処に手一杯。上層部が羂索に掌握されている以上、まともな規範を守るものたちはどうするべきか戸惑っているものも多い。こちらへの意識が手薄になっている今が好機であった。
「結界の様子はどうなの」
「ぼちぼちだね。そろそろ新しい火種が入るころなんじゃないかな」
「適当すぎない?」
「ある程度流動性を持たせた計画なんだよ。私がすべてを決めてしまっては真の混沌は生まれない」
「あっそー。あ、私たちもうすぐ出るから」
服についた土を叩いて落とし、呪霊たちは外への襖を開く。羂索はそれに待ったをかけた。
彼女にとって真人はもう用済みだが、那由多は違う。引き留められた那由多は嫌そうに眉を顰めた。
「なんだよ」
「今度、君の出番が来るだろうからね。覚悟しておいてくれ」
「えー、やだよ」
「夏油傑と戦えると言っても?」
途端に彼女の眼の色が変わる。真人にとっての宿敵が虎杖であるように、夏油は那由多にとっての不俱戴天の敵だ。
那由多は小さく頷いた。その目には隠し切れない殺意が燃えていた。
呪霊を呼び出し、那由多たちは空高く飛び上がる。上空から見た日本には、ところどころ黒い空間に覆われていた。
その中で今も術師たちの戦いが繰り広げられているのだろう。泳者でもない二人にはまったく関係のないことだが。
もしも羂索の計画が成功したら、早くアイツも殺すなり呪霊にするなりなんなりして早く呪霊だけの世界を作ってしまおう。
那由多はその光景を夢見ながら、目をつぶる。身体を後ろに預ければ、真人の色素の薄い髪が顔に触れた。
「疲れてんの?」
「別に……まだまだだから……頑張らないと……」
──そう、全ては100年後の再会する仲間のために。
魂の底で嘆き苦しむ矮小な何かを抑え込み、那由多は小さく嗤った。
虎杖にボコボコにされて仲間にはゲロ食わされるなんて真人が何したって言うんですか!!
渋谷事変おわり。おまけあと1話だけあげて呪霊ルートはおしまい。半分ぐらいはかけてるから多分そんなに時間かかんないと思います……多分ね……
那由多の明日はどっちだ
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しめりけ
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だいばくはつ