「……?」
身体が痛い。動かそうとしても、上手く動かない。
ついでに視界も悪い。布か何かで覆われているようだ。
私はどうやらベッドに横たわっているらしい。消毒液のような匂いもするから、恐らくは医務室だろうか。
身動きが取れないなら誰かを呼びたい。
口を開け、喉から声を出そうとしたが、掠れた音しか出なかった。
為す術なし。仕方がないので誰かが来るのを待つとする。
数分ほどして、こちらへ近付いてくる足音。歩幅や歩き方からして男性だろう。
ガラガラと音を立てて開く引き戸。私は動かしにくい四肢を微かに振り、意識を取り戻したことを相手に必死に伝えた。
「……は? おま、起き……っ!」
五条だ。五条だわコレ。驚愕が滲んだ声を上げて、彼は部屋から飛び出してしまった。どこいくねーん。
まあ、恐らくは硝子を呼びに行ったんだろう。
暫くしてまたドアが開き、多分硝子が入ってきた。
「マジで起きてんじゃん……調子は?」
「へ……き…………み、……ず」
パクパクと口を動かす。カッスカスだがなんとか水分を要求できた。
ストローを挿した水を貰い、喉を潤す。生き返る〜!
「ゲホン、あー……あー。うん、話せる。とりあえずこの目のやつとってよ、硝子」
「開口一番それかよ。ハイハイ」
硝子はゆっくりと私の頭と目を覆っていた包帯を解いていく。急に光が差し込んで眩しさに目を強く瞑る。
「うぉ、まぶしっ!」
「……自分の状態分かってる?」
「いや全然」
そもそもここに来るまでの記憶がかなり曖昧だ。何で医務室送りになるほどの傷を負ったんだ私は?
硝子が大きなため息をつく。気持ちは分からんでもないが、私もよく分からないので勘弁して欲しい。
硝子はわたしの目の前で二本指を突き立てる。
「……2日?」
「バカ、2ヶ月だ」
「んな……!?」
そういえばあの時は春爛漫だったが、心做しか窓から刺さる日差しが強烈だ。2ヶ月私は昏睡していたのか。
「手足は複雑骨折、頭の損傷も酷い有様だった。血だらけの刹那が担ぎ込まれた時は本当に心配したんだけど?」
「ご、ごめん……」
「頭の方を治すのが最優先だったから手足はまだ治療できてない。暫くは医務室暮らしだね」
「……お世話になります」
硝子も腕利きとはいえ、患者は私だけではない。危篤状態の人間がいつ運び込まれてくるか分からないので、一命を取り留めた私の治療はゆっくりとしたペースで進んでいた。
夏油には物凄い形相で説教をされた。怖かった。
「君ね、この怪我を負うまでの経緯を覚えていないって一体どういうことだい!?」
「でも、覚えてないものは覚えてないんだし……」
「前から思っていたけどね、刹那はもう少しシャンとした方がいい。自分が4人しかいない特級術師だという自覚はないのかい? それに……」
途中から夜蛾先生も加わり地獄のお説教タイムと化した。硝子が休憩を挟んでくれなければ私は干からびていただろう。
実は私が目を覚ました最初の時以外、五条とは会っていない。
彼も忙しいのだろう。時折見舞い品らしき高級フルーツ盛りが置かれているので、どうも会いには来てくれていると思う。
だが、タイミングが合わない。私が寝ている時に来てしまうらしい。
一応硝子にも五条が来たら起こしてくれと声を掛けているが、受け流された。なんでだよ。
覚悟を決める時間がいるんだよ、と言っていたが、何の話かさっぱりである。
さて、それから1ヶ月。ようやく私の手足が完治した。といってもまずリハビリをこなしていかなければいけないが。
腕や足に巻かれていたギブスやら包帯を全て取り去る。多少筋肉のそげ落ちた四肢に思うところはあるものの、これからまた鍛え直せばいい。
感覚を確かめるように手を握ったり開いたりを繰り返していると、医務室の扉が開いた。
隙間から覗く白い頭。ここ暫く見ていなかった五条だ。
「五条」
「……よう」
「なんか久しぶりだね」
「そう、だな。……怪我は?」
「ああ、もうすっかり治ったよ。硝子様々だよね、今ならこうやって立てたりも──」
地に足をつけ、立ち上がろうとしたが、まだ早かったらしい。足に上手く力が入らず身体が傾く。
マズイ、頭から倒れる。
受身を取るために腕を動かす。衝撃を覚悟した瞬間、暖かな何かが私を包んだ。
「バカかオマエ。病み上がりなのに無理してんじゃねーよ」
「ごめんごめん、ありがとね」
五条が私の身体を抱きしめるように支えてくれた。近い……が、文句を言える立場でもない。そのままベッドへと腰を下ろす。
「リハビリもやんないとね。まあ数ヶ月だけだしすぐに復帰できると思うよ」
「……そうかよ」
五条の顔色は曇ったままだ。私がいない分任務を回されているから機嫌が悪いのかな。今度何か甘いものでも買ってきてやろう。
「おい」
ギシ、とベッドのスプリングが軋む音がした。五条はベッドに手のひらを置いていた。
「……なに?」
「1回しか言わねぇからちゃんと聞けよ」
大事なことなら1回だけじゃダメでしょ。そう反論しようとしたが、五条の言葉の衝撃でそんなのは吹き飛んでしまった。
「オマエが好きだ」
私は暫くの間固まったままだった。そして、ゆっくりと彼の言葉を反芻し──周囲を見回した。
「何よそ見してんだよ」
「ドッキリ大成功の看板とか……」
「あるわけねぇだろ!! 人の一世一代の告白をなんだっと思ってんだオマエ!!」
やたらと距離が近いのに大きな声で叫ぶので少し耳がキンキンする。彼の真っ白な肌に朱が差しているのを見て、冗談ではないのだとようやく実感した。
「……今までずっと喧嘩ばかりだったから、嫌われてんのかと」
「アホか」
「すぐ突っかかってくるし……」
そう言うと、五条は気まずそうに目を逸らした。青い瞳がこちらを見つめなくなって、なんだか名残惜しい。
「……ぉ……が」
「なんて?」
「お、オマエが傑ばっかり気にかけるから!! 傑のこと好きなんじゃないかと思って! 構って欲しかったんだよ!!」
「恋愛偏差値小学生並か?」
好きな子に構って欲しくて意地悪するのって多分小学生で皆卒業してると思うよ。
そして、何気に聞き流せない発言しやがった。
「その勘違いは私と夏油にマジで失礼なので謝って」
「……傑のこと好きじゃない?」
「恋愛対象じゃないよ。人間的に好きかと言われると……ちょっと悩ましいな……うん、まあ、好きだよ。うん」
「傑泣くぞ」
「絶対嘘泣きじゃん」
誤解はどうやら解けたらしい。五条は露骨に安堵した様子を見せる。
……そういえば私はどうして夏油を気にかけていたんだろう。まあ、少し不安定なやつだからな。気になったんだろう。
「なあ」
「ん?」
五条がゆっくりと身体を近付けてくる。互いの息がかかりそうなほど顔が近い。いや、近い、近すぎる。
「傑のことが恋愛対象じゃないのは分かったけどさ、俺は?」
「……五条?」
サングラスという隔たりのない瞳がこちらを見ている。
沖縄の澄んだ海のような、雲ひとつない青空のような美しい六眼。その中には何かの熱が閉じ込められているのが私でも分かった。
「え、と……」
その熱が伝播するように、じわじわと顔が熱くなるのが分かる。
コイツはクズだ。大抵の人を見下しているし、常識のじの字もないボンボンだ。
だけど、悪戯を仕掛けてくるときのニヤケ面。術式アリの喧嘩が始まった時の興奮して瞳孔が開いたガンギマリ顔。一緒にスイーツを食べている時の顔。寝起きで少し瞼が重そうなボケっとした顔。
色んな彼が思い浮かんでしまう。その度に、私の心は揺れ動く。
ベッドの上にあった手のひらが、少しずつ上へと上がってくる。やがて、私の顎へと到達した。
私が上を向くように、軽く手が動いた。
先程五条を揶揄したものの、私にも恋愛経験というものはほぼ存在しない。術式が発現してからというものの、ずっとその研磨に身を注いできたから。
つまり、こういうことは慣れてない。私は動揺しまくっていて、心臓はやかましい程に拍動している。
「……脈アリってことでいいわけ?」
息が当たるほど近かった私と五条。微かな距離がさらに縮まっていく。隙間がなくなり、唇と唇が触れ合いそうになった瞬間──
ガタン、と大きな物音がして、扉から誰かがなだれ込んできた。
「硝子、押しすぎだ!」
「夏油、体幹弱すぎ~」
級友の姿に私は正気を取り戻して五条と距離をとる。
「硝子!!! ち、違うの、コレは!!」
「浮気がバレた時の反応みたいだね」
「刹那ってば浮気者」
「あの、本当に違うんです、待って、話を聞いて……」
しどろもどろになりながら弁解しようとする私の姿は相当滑稽だったらしい。硝子は勿論、夏油も笑いを押し殺せなくなった。
「オマエらな……邪魔しに来たのかよ」
「まさか? 応援しに来たんだよ、可愛い坊ちゃんの恋路をね」
「……表出ろ」
「1人で行きなよ、寂しんぼかい?」
夏油の煽りに、五条の額に青筋が浮かぶ。危機管理能力に優れた硝子は私を連れてすぐにその場を立ち去った。
医務室は半壊。五条と夏油は反省文50枚だそうだ。
あの告白騒ぎから、私は五条とは会ってない。あっちが私を避けているのだ。
告ったのはあっちだというのに、何故か振られた気分である。こんなの納得できない。
寮の共同スペースのソファで寛いでいると、首筋に冷たいものがふれる。悲鳴を上げて振り返れば、硝子が缶ジュースを持ちながらニヤリと笑っていた。
「硝子!」
「はい、差し入れ」
差し出されたジュースのプルタブを引き、缶を傾ける。冷たいサイダーが喉を通る、炭酸のしゅわしゅわした刺激が心地いい。うまい!
硝子はお茶を一口飲んで、「五条とあれから会った?」と尋ねてきた。私は首を横に振る。
「自分から告っといてヘタレてんのな」
「全く……ちょっと硝子」
「ん?」
「あの野郎捕まえよう。協力してくれるよね?」
「当然」
ガッツポーズ。すぐに夏油にも連絡を回す。快く協力してくれるみたいだ。仕方がない、これはアイツが撒いた種なのだから。
とある部屋で、私は座布団に座って茶を啜る。トントンと机を指先で叩きながら待ち人が来るまでじっと待機。
廊下から足音が聞こえる。よし、奴が来るのも近い。
ノックと同時に扉が開いた。
「傑ーこの間の漫画の続き貸し──」
「よく来たね」
五条は私の姿を見て一瞬で扉を閉めようとした。だがそうは問屋が卸さない。部屋にいた夏油が五条の胸倉を掴み、中へと引き込む。ついでに自分は部屋の外へ逃げた。
「はぁ!? おい、傑!!」
五条はノブを回すが、夏油だって伊達にゴリラと呼ばれていない。2人の力は拮抗し、ドアが開くことはなかった。
すすす、と私は五条へ忍び寄る。
「五条〜」
背伸びをしてフッ、と耳に息を吹きかければ力は簡単に抜ける。五条は耳を抑えてこちらを睨みつけてきた。
「どうなってんだよ!」
「どうもこうも……アンタが逃げるからでしょ」
「は、いや……だって」
「言い訳すんなぁ!」
べしりとその真っ白頭にチョップする。大して力も込めてないから痛くはないのに、五条は大袈裟に頭を抱えた。
「五条、私はアンタと話がしたいの」
「…………」
「なんで逃げるの?」
サングラスに阻まれながらも私は五条と目を合わせる。
室内なので当然靴は脱いでいる。いつものヒール付きブーツじゃないから少し上を向かないと彼とは目が合わなかった。
しばらくして、彼は蚊の鳴くような声で呟いた。いつもの居丈高な態度はどこへやら。いじらしいものだ。
「ふられたくねぇもん……」
「アンタね……告るんだったら振られることも覚悟しなよ」
「嫌に決まってんだろ」
「我儘な奴」
呆れてものも言えないとはまさにこの事。私はため息をついた。
「大体ね……私がいつアンタとは付き合えないって言ったのよ」
「………………は?」
五条の顔がじわじわと朱を帯びる。恐らく、私もそうなんだろう。心臓はなんかドキドキするし、めちゃくちゃ身体熱いし。この感覚は……少し慣れない。
「わざわざ言わなきゃわかんない!?」
「逆ギレすんなよな!」
どうにもなくなって私は五条の胸倉を掴みあげる。そのまま、こちらへと引き寄せて──
その、あれだ。やるべきことの順番が少し入れ替わってしまった。
「で、私はアンタが好き。アンタは私が好き。何か言うことは?」
少々遅れながらもこちらの意志を伝える。心臓は張り裂けそうなぐらい喧しく唸っている。立っているのも難しいぐらいにフラフラする。
五条は赤らんだ顔のまま、「よ、ろしくお願いします……」とこぼした。
場所は夏油の私室だし、任務帰りだからちょっと汗かいてるし、シチュエーションとしては結構最悪。
──ま、いいか。
すよすよと寝息を立てていた呪霊を女は乱暴に蹴り上げ、叩き起こす。鼻ちょうちんを作っていた呪霊はガバリと身体を起こして、声を荒げた。
「ちょーっと! 人が気持ちよく寝てたのに何すんだよ!」
「呪霊の分際でスヤスヤ寝られてもねえ。大体なんで君は私に着いてくるのさ」
「だって真人がストック集めで忙しそうだから邪魔したら悪いじゃんか」
「私の邪魔はしていいのかな?」
ボロボロになったコンクリート製の建物が立ち並ぶ風景の中、羂索と那由多は隣同士に座っていた。
既に天元を掌握し、獄門疆を海底に閉じ込めたあとだ。死滅回遊も既に役割を果たし、後は羂索たちを除いた全泳者の死亡で終わらせるだけ。
「こっちも苦労させられたんだからちょっとぐらいいいでしょ。せっかく夏油傑と楽しくやってたのにさー。九十九由基のせいでなんかもう有耶無耶になっちゃったじゃん」
「それは私のせいではないね」
九十九のブラックホールは薨星宮を飲み込んだ。当然中で戦っていた那由多と夏油はそこから逃れることに手数を裂かれる。決着は終ぞ着くことはなかった。
グダグダと文句を垂れながらも那由多は薨星宮の一件から羂索から離れずにいる。
それは一体何故なのか。本人にも分からないことだった。第六感のようなものが今はこうした方がいいと囁いているような感覚を覚えたのだ。
どこかで光の柱が立った。呪物の効果は聖なる光で滅され、中にいた者は開放される。
それから数分も経たないうちに地響きが鳴り、何かがこちらへ近づいてくる。羂索は顔を顰め、那由多は口笛を吹いた。
「マジでどうなってんだよ君は」
海底8000メートルの旅から堂々と帰還したその体は、服こそほつれたり破けたりしているが怪我一つない。
羂索とてまさかそれだけで仕留めきれるなどとは思っていなかったが、消耗を微かにすら感じない姿に心底辟易する。化物め。
「良い夢は、みれた?」
那由他はゆるりと立ち上がった。寝ぼけ眼の白濁した瞳と、透き通るような美しい六眼の視線がかち合った。
暫くして、五条は目を瞬かせる。次に目を開いたとき、その瞳に移る感情は失望であった。
「刹那……」
「ん? ここにいるでしょ」
「ソイツはガワだけ。オマエはもう違うだろ」
「流石は十年片思いを熟成した人間だね。よく分かってんじゃん」
片や死後の肉体を弄ぶもの。片や魂に巣食い宿主を食らいつくした寄生虫。五条は二つの紛い物を睥睨するように目を細める。
視線だけで人を殺せそうだ、と那由他は肩を竦めた。
「そんなに怒らないでほしいな。オマエにとって私は彼女の偽物のように見えるかもしれないけどね……実質的には娘のようなものなんだから」
「は?」
「私は彼女から生まれたんだよ? それも、彼女の望みによって。その後の結果は意に沿わないだろうけど、呪霊に後を託したのがそもそも間違いじゃない」
「そういう理論でいくと、私はさながら父親ということになるのかな?」
「今の肉体もその前も女だったけどねー」
那由多の口から思わず、というように嘲笑が漏れる。
ああ、全く似ていない。五条は熱を持つ脳とは別の部分で冷静にそう思った。
アイツはそんな風には笑わない。もっと、邪気がなく、朗らかだった。
『ちょっと! 報告書は!? ……今度パフェ奢れよ』
『五条! 勝負しよう勝負!』
『ごーじょー、ひーまー』
死者は蘇らない。微かに残った彼女の残滓でさえ、彼女とは似ても似つかぬ贋作だ。仮に似ていたとして、それは彼女の記憶と姿を持った何かにすぎない。
ならば、せめてこの手で。
「オマエらさ、もっと言葉を選んだほうがいいんじゃないか?」
五条の纏う雰囲気が一変する。先ほどまで湧き上がっていたマグマのような激情は冷め、されどその手に呪力は迸る。
死人を愚弄する者たちへ矛先を向けた。
「今際の際だぞ」
「知ってる」
諦めたように笑う那由他の姿は、今までの悪辣な顔はなんだったのかという程穏やかで──彼女によく、似ていた。思わず五条の口から舌打ちが漏れた。
生憎その手は呪いの王によって阻まれる。一命を取り留めた羂索は内心安堵し、那由多はつまらなそうに鼻を鳴らした。
「なんでそう平然としていられるんだか」
「どうせ死ぬなら絶対、アレがいいじゃん」
──それが一番、彼女の望みそうにないことでしょ?
そう言って笑う姿は、まさしく呪いそのものだった。
呪霊編おしまい。
あとは五条家編とか平安編の後日談とか夏油視点とか気が向いたら書きます。
新しい長編は書くとしたら多分虎杖世代です。
なんか質問とかあったら感想なりお題箱なりメッセージでどうぞ。
那由多の明日はどっちだ
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しめりけ
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だいばくはつ