ゲンドウが拳銃の引き金を引くのと同時に、エヴァンゲリオン初号機がターミナルドグマに降り立ち、すんでのところでレイとリツコを守るように手をかざした。
エヴァの掌を中心にATフィールドが展開され、ゲンドウの放った銃弾はすべて弾き飛ばされた。
「シンジ……ユイ…!」
ゲンドウが見上げた先には初号機の顔。まるで鬼のようなその顔が、ゲンドウを見下ろしていた。
『父さん、何をやってるんだよ!』
そこから聞こえてくるシンジの声。
『いま、綾波に向かって撃ったよね⁉リツコさんにも…!』
シンジがゲンドウを糾弾する。鬼の顔で。母の体を借りて。その事実がゲンドウを堪らなくイラつかせた。
『なんでだよ!父さんはあんなに綾波のことを大切にしていたじゃないか!』
「………」
腸が煮えくり返る。これほどの屈辱を、ゲンドウは未だかつて感じたことがない。
『なのになんで、どうして綾波を殺そうとしたんだよ⁉』
ユイ、なぜシンジを受け入れた。なぜ、ここに来た。
そもそもシンジと初号機は、ゼーレの老人どもの目眩ましだったはず。ゼーレの襲撃に合わせて初号機が地上に現れることで、人類補完計画の生贄としてゼーレの目を引くはずだった。
無論、そのまま初号機をくれてやるつもりなど毛頭ない。初号機の中には碇ユイの魂も入っているのだ。初号機が目を引いているその間に、ゲンドウはゲンドウ自身の補完計画を完遂し、ゲンドウとユイの二人だけの世界を作り上げる。それが、ゲンドウが描いていた計画のあらすじだ。
それがなぜ、こんなことになっている?
レイの拒絶によってアダムは引き裂かれ、その機能を失った。それだけでも許しがたい事態であるのに、よりにもよってこの場にシンジが現れるなど。
怒りで気が狂いそうだ。
『どうしてなんだよ!答えろよ、父さん‼』
「
とうとう、ゲンドウの堪忍袋の尾が切れた。
「私がこの時のためにどれだけの犠牲を払ったか、どれだけこの時を待ち望んでいたか!お前ごときにわかる訳がないだろうがッ‼」
『父さん…』
「これを見ろ!」
ゲンドウがズタズタに引き裂かれた右手、アダムを見せつけるように掲げる。
「全てはこの時のため、ユイとの再会を果たすためだった!それを叶えるためのピースは全て揃っていた。失敗するハズが無かったんだ!それが土壇場に来て、全てを台無しにされた…その気持ちが、お前にわかるか⁉」
ゲンドウが肩で息をする。目は血走り、血の涙を流しそうなほどだ。だが、それでもゲンドウの怒りは収まらない。
「何故邪魔をする?何故、私の幸せを邪魔するんだ!お前も!お前も‼お前もッ‼」
ゲンドウが銃をこの場にいる全員に向ける。
「何故理解しようとしない、何故わからない!私の補完計画こそが、全てを幸せにできるというのが何故理解できないんだ‼私だけじゃない、ゼーレも、全人類も、全てだ‼全てを幸福に導けるのに何故邪魔をするんだッ‼私が幸福になろうとするのをなぜ否定する…!私が幸せを求めることの、いったい何が悪いと言うんだッッ‼」
そこまで叫ぶと、ゲンドウはその場にへたり込んだ。右手の傷が痛むのだろう。額に大粒の汗を浮かべている。
「はあ、はあ、はあ、はあ…」
ゲンドウの荒い息遣いだけが聞こえる。
だれも、何も口にしない。ゲンドウのあまりの豹変ぶりに、この場にいる全員が言葉を失っていた。
そんな父の姿を目にしたシンジの胸中には、ただ、悲しさだけがあった。
『……わからないよ、そんなの』
シンジが初号機の中から呟くように言った。
『全然、わからないよ…。だって、父さんは何も話してくれないじゃないか。いつも父さんが何を考えてるんだろうって、僕だって考えてたんだ。でも、何も教えてくれなかったじゃないか。僕が初めてネルフに来たときも、トウジを殺しそうになったときも、それに、今も。父さんが何をやりたいのか全然わからないよ…』
「…お前に教えて、なんになるというんだ」
『それじゃあわからないって言ってるんだよッッ‼』
シンジの怒りに、初号機が同調するように腕を振るった。風圧が足下にいるレイ達を襲う。
「きゃあッ!」
『なんなんだよ、父さん…!それじゃあどうしようもないじゃないか…、わかろうとしたって、父さんがちゃんと話してくれないんじゃ、わかりようがないじゃないか!父さんの考えが良いか悪いかの判断すら、できないじゃないかよ…!』
「お前の意見など求めていない…!」
『じゃあ誰なんだよ!誰の意見なら聞くんだよ‼』
初号機が肩で息をしている。それはまるで、シンジと、初号機の中に眠る碇ユイが怒りに震えているようにも見えた。
『…父さん、僕は加持さんから聞いたんだ。父さんが綾波を使って、サードインパクトを起こそうとしてるって』
それを聞いたレイがハッと顔を上げた。その後ろでは、リツコがその事実から目をそらすように顔を俯かせた。
「加持、だと……?」
ゲンドウが初号機を見上げる。
『父さんの計画はゼーレとは違う。人類がみんな溶け合っちゃうのは一緒だけど、父さんは母さんと二人きりの世界を作りたいんだって。……ねえ、父さん。それ、誰かと相談したの?』
「…なに?」
『誰でもいいよ。冬月先生やリツコさん。誰かに相談して、一緒にやろうって、誰か言ってくれたの?』
ゲンドウが「意味がわからない」といった表情を浮かべる。それは心の底からシンジを見下した表情をしていて。
シンジはそれを見て、初号機の中でゲンドウから目を逸らした。
『やっぱり、ね…』
シンジは、落胆していた。つい先程までは大きく、遠い存在だと思っていた父が、今は随分と小さく見える。初号機に乗っているから、ではない。ゲンドウ自身の人間としての器が、今の会話で少しだけ見えたのだ。
『それじゃあやっぱり、誰も父さんのことがわからないよ。父さんのこと。考えていること。誰にも話してないんじゃ、わかりようがないよ。「こうかもしれない」って想像することはできるかもしれないけど、本当にそうなのか、確かめられないもの』
「その行為になんの意味がある。人間は分かり合えない生き物だ。無駄な議論を交わすより、絶対的に正しい一つの理論を提示したほうがいい。完璧に調律された理論には、反論の余地なく万人が従うのみだ」
『でも…、父さんは完璧じゃなかった』
その言葉に、ゲンドウの怒りは爆発した。
瞬時に頭に血が昇ったゲンドウは、初号機に向けて容赦なく発砲する。それを初号機は、ATフィールドではなく、その身で受けた。それはシンジが、ゲンドウを拒絶していないという何よりの証拠だった。
しかし今のゲンドウには、それがわからない。弾を撃ち尽くし、それでも引き金を引き続ける様は哀愁すら漂わせていた。
「はあっ、はあっ、はあっ、……ッ‼」
ゲンドウの瞳が殺意と憎しみで濁る。思いだけで人を殺せたら、とこんなに願ったことはない。憎たらしい異物である息子が、愛しき妻によって守られている。許せない、許せない!
その瞳を向けられたシンジはたじろぐ。なぜ、そこまで自分を憎く思うのか。なぜそんな殺意の篭った瞳で自分を睨みつけるのか。血の繋がった、実の息子のハズなのに。
「そうだ…、確かにお前の言う通りだ、シンジ…!確かに私は完璧ではなかった。だが、だからこそ私は神になろうとした‼」
『でも父さんは、神様にはなれなかったよね⁉』
その呼びかけはシンジにとって
『完璧でなくてもいい!だって父さんは、ヒトじゃないか…。全部1人でやらなくったっていいじゃないか…。僕は父さんの子供なんだから、それくらい話してくれたって良かったじゃないかッ!』
縋るように、シンジは叫ぶ。
戻ってきて。僕のところへ戻ってきてと、小さな子供のように。
ゲンドウに置いていかれた、かつての自分のように。
『僕だって母さんに戻ってきてほしかった…。会える方法があるなら会いたかった!その方法を父さんが教えてくれれば、そうすれば僕だって…』
初号機がうなだれる。
『僕だって、手伝えたかも、しれないのに……』
沈黙が辺りを包み込んだ。
シンジには、ゲンドウが何を考えているのかわからない。今までも、今この時も。初号機と同様にうなだれたゲンドウが、次になにを言葉にするのか想像もつかない。
正直なところシンジだって、実際にゲンドウに補完計画の話をされたところで、どう返答していたかなどわかりはしない。そもそも今この瞬間だって、人類補完計画がどれほどの脅威をもたらすのか、実感が湧いていないのが本音だ。ゲンドウがどう親切に丁寧に話をしたところで、信じられたかどうかは微妙なところ。口の上手い加持ですらシンジに説明するのに苦慮したのだ。人が苦手で口下手なゲンドウが、うまく説明できるとは到底思えない。
だがそれでも、相談してくれれば、その姿勢だけでも見せてくれたなら、シンジの心はどれだけ救われていただろう。
親子として、居なくなってしまった母親の事について話す。一緒に母さんを連れ戻そう、と話す。本当はそれだけで、シンジとゲンドウの親子の絆は戻っていたはずだ。どんなにか細くても、確かに繋がっていたはずだ。
シンジがここに来るまでの事を思い出す。加持、ミサト、ネルフのみんな、それにアスカ。今までシンジが自分から閉じていた世界。それが、自分がほんの少し本音を零しただけで、隔絶していたハズの他者との間に確かな絆が生まれ、シンジの世界の窓が開いた。窓が開いたその瞬間、シンジは何もかもが上手くいくような気がした。勘違いかもしれない、それでもいい。だが確かに感じたその繋がりが、シンジを強く鼓舞したのだ。
父、ゲンドウにもそれに気付いてほしい。
(だって、父さんは、僕と同じだったじゃないか)
シンジよりもずっと強固な心の壁。その壁を壊し、唯一の光を照らしたのが母であるユイだけなのだとしたら、ゲンドウはユイを失ってからずっと、1人の世界で生きていた事になる。
(そんな事ないって、伝えたい)
母さんだけじゃない。壁の外にいる人は誰だって、自分を照らしてくれる光になり得る。時には傷付けられるかもしれない。心を開いた事を後悔するかもしれない。それでも、それだけじゃないんだっていうことを、父さんにも知ってもらいたい。
待った。ひたすら待った。
シンジから投げたボールを受け取り、ゲンドウがどう返してくるのか、ひたすら待った。
シンジの生涯において初めての、親子のキャッチボール。どんなボールでも良い。返してくれれば良い。それすら出来なかったときのことを思えば、ただ答えを待つだけの時間など苦でもなんでもない。
祈るように、シンジはゲンドウを見つめていた。
お願いだから。どんなボールでも良いから。
僕にボールを、投げ返して。
「・・・・・・お前など、生まれなければよかった」
シンジの頭が真っ白に染まる。
無意識のうちにシンジが手を、初号機の腕を振り上げる。
その腕は父を叩き潰そうと振り下ろされ──、
バチンッ‼
それよりも早く、リツコがゲンドウの頬を張った。
『リツコさん…』
すんでのところで、シンジは初号機の腕を止めた。
リツコがゲンドウを張った右手で左肩の傷を抑える。
「ゲンドウさん、私にはわかるわ。貴方、シンジくんの言った事が全くわからなかったのね…理解出来なかったのね?」
『え…?』
ゲンドウではなく、シンジが聞き返す。リツコはしかし、シンジへと振り向かない。頬を張られたまま動こうとしないゲンドウを、静かに見下ろしていた。
「なぜ、シンジくんがここまで貴方に噛みつくのか、その裏側にどれだけの気持ちを込めていたのか、それが貴方にはわからない。わかるのは、実の息子が貴方に噛みついたという上っ面の事実だけ…」
リツコが大きく息を吸い、ふぅーっと吐き出す。
「本当に、残酷な人…」
「…お前に何がわかる」
「わかるわ。少なくとも、今この場にいる誰よりも。貴方がユイさんしか愛せなかった理由も、貴方がこうなってしまった理由も。貴方を愛した、ひとりの女として……」
その理由をリツコは口にしない。
実の息子に聞かせるような話じゃない。
「碇司令…」
今まで黙って成り行きを見守っていたレイが、ヨロヨロとゲンドウに近づく。
『綾波…』
「碇司令、答えて。わたしは、アナタの、なに?」
酷く抽象的なレイの問いかけ。
「……レイ、お前は、」
ゆっくりとゲンドウが言葉を紡ぐ。
「ユイの……、代わり…」
その言葉に、レイが顔をしかめる。
痛みに、耐えるように。
「…に、なれなかったモノ」
だがゲンドウの最後の言葉が、必死に耐えていたレイの涙腺を決壊させた。レイの目から涙が溢れ出る。
自分の存在が、心の底から信頼していた相手にとって、全く価値のないモノと宣言されたのだ。
『父さんッ!』
「碇くん、いいの」
激昂しかけるシンジを、レイが静かに制した。代わりに、レイは初号機を見上げ、シンジにも問いかけた。
「碇くん、わたしは、アナタのなに?」
『え…』
「お願い。碇くん、答えて」
『それは……』
「綾波は綾波だよ」と答えかけて、シンジは一瞬躊躇した。
シンジは過去に、リツコによって大量の『綾波』を目撃している。それらが綾波の魂の器になるモノだったということを知っている。今、目の前で自分に問いかけてくる綾波が、シンジと絆を紡いだ『2人目』の綾波とは別人ということを知っている。
シンジは知らない。『2人目』の綾波の中に心が生まれていた事を。それが『3人目』の綾波にも僅かながらに受け継がれているという事実を。
そのすれ違いがシンジの喉を締め付け、シンジをほんの一瞬だけ、戸惑わせた。
「そう……」
レイが初号機から顔を逸らす。レイが期待していた答えは、シンジからは返ってこないと悟ったように。シンジが溢れ出る涙を止めてくれることはないと悟ったように。
『綾波……』
レイが声を上げて泣く事はない。泣き方を知らないのだから。こんな時に、これほどまでに心が傷付いたときにどういった反応をすればいいか、レイにはわからなかった。
「レイ」
そのレイを、リツコが優しく抱きしめる。
「レイ、大丈夫。アナタはまだ生まれたばかりなのよ。こんな時にどうすればいいかなんて、まだわかるわけがないわ」
リツコが血の付いた右手で、レイの頭をなでる。
「・・・でも、大丈夫。アナタはさっき、自分の意思で碇司令を拒む事ができた。そして今も、自分が何者なのかを知りたがっている。それでいいの。最初はそれだけで十分」
リツコがレイから離れ、レイの顔を愛おしそうに撫でる。
「泣けるのね、アナタ」
レイを撫でるリツコの顔はまるで、我が子を慈しむ母親のようで。
「大丈夫。心配しないで。難しいかもしれないけれど、アナタはきっと見つけられるわ。自分が何者なのか。きっと見つけられる。だって、アナタは私の想像もつかなかったくらい、大きくなったもの。…だから、大丈夫よ」
リツコは優しく、レイに言い聞かせた。
リツコ自身にもわからない、この感情。殺意すら抱いていたレイに対する、暖かい感情。
リツコは知らないが、それは世の全ての母親が必ず経験するもの。空しさも、苛立ちも、殺意も、全ての母親が一度は必ず我が子に抱くもの。そしてそれを乗り越えて、我が子の成長を感じたときに抱く感情。言葉にすれば単純。けれど言葉だけではとても足りないもの。
それが自身の胸に宿ったのを、リツコは確かに感じ取っていた。
シンジはその様子を初号機から無言で見ていた。
(僕は、人はわかり合えることができると思っていた。加持さんがそうしてくれたように、ミサトさんがそうしてくれたように……)
シンジの視線が、ゲンドウに移る。
(でも、それはそんなに簡単じゃないのかもしれない。父さんの事が、僕にはまだわからないように)
シンジの脳裏に浮かぶ、先程のゲンドウの瞳。憎しみと殺意の篭った瞳。
(父さんがなぜ僕をそこまで憎んでいるのか、今はまだ、わからない)
でも、と思う。ゲンドウとの初めての対峙が、シンジにとって辛いものだったとしても。
(いつかは、わかり合えることができるのかな……)
今じゃなくてもいい。
それはこれから確かめていけばいい。
そのために、シンジは立ち上がったのだから。
『シンジ君!聞こえる⁉』
突然、初号機の内部に、焦りを隠せないミサトの声が響いた。
「ミサトさん⁉」
『シンジくんッ!弐号機が・・・アスカが!アスカがああ‼』
ミサトの声を遮り、マヤの悲鳴が鳴り響く。
「アスカ⁉アスカに何かあったんですか⁉」
『シンジくん、近くにリツコはいる⁉』
「リツコさん・・・⁉」
矢継ぎ早にシンジに押し寄せる情報の波。アスカの身に何があったのか。なぜここでリツコの名前が出てくるのか。シンジの理解が追いつかないまま、事態は急速に動き始める。
『ミサトね。シンジくん、何があったの?』
「リツコさん!わかりません、僕にも何が起こったのか・・・」
『シンジくん、近くにリツコがいるのね⁉なら、すぐにF型装備がどこにあるか聞き出して‼』
「F型装備…⁉」
『時間がないわ!アスカがエヴァシリーズにやられたの!』
「アスカが⁉」
初号機が弾かれたように立ち上がる。
『このままじゃアスカが殺されるッ!シンジくん、急いでリツコに聞き出して!』
『F型装備ね。シンジくん、今座標を送ったわ!』
初号機の通信にリツコが割って入る。
『リツコ、今まで何やってたのよ!』
『今は時間がないわ!シンジくん、すぐにその座標に向かって!F型装備はそこにあるわ!!』
シンジが初号機内部に映し出された座標を確認する。そこには使用可能なF型装備の名称、形状、そして使用方法が同時に記されていた。
「これを取りにいけばいいんですね⁉」
『ええ、今の初号機なら使えるハズよ』
『シンジくん、急いで‼』
「はい‼」
初号機が地を揺らして駆け出す。ヘブンズドアを駆け抜け、セントラルドグマの底から遥か上にある地上を見上げる。初号機は力を溜めるように屈み込み、矢が放たれるように高く跳び上がった。
「フィールド、全開ッッ‼」
ドグマを駆け降りた時と同じく、空中にATフィールドの足場を作り出す。そこに右脚をかけた瞬間、初号機は展開したATフィールドの出力を更に上げた。
全てを拒絶する壁であるATフィールドは、その副次効果として強力な斥力を備えている。初号機が右脚に力を込めると同時に強力な斥力が発生し、初号機を更に上へ上へと跳ね上げた。
シンジはまだ知らないが、それはF型装備を扱うために最低限必要な技術。つまり「ATフィールドの特性を正しく理解し、自在に操る」技術であり、かつてF型装備を「使えない」と判断させた要因であった。なぜならエヴァのパイロットは、使徒であった渚カヲルを除いて、全員がATフィールドの本質を理解できず自在に操る事もできなかったからだ。
それをシンジはこの土壇場で、無意識のうちに発揮したのだ。
『リツコ。そのF型装備、本当に使えるんでしょうね⁉』
通信でミサトとリツコのやりとりが流れる。
『ええ、大丈夫。F型装備はその出力の膨大さから、S2機関を搭載したエヴァを前提に設計されたもの。今のシンジくんと初号機なら、使いこなせるハズよ』
通信を聞き流しながら、シンジと初号機は上を目指して駆け上がる。ATフィールド技術とS2機関を兼ね備えた、ネルフ最強のエヴァンゲリオンとして。
◇
初号機が走り去った後のターミナルドグマ。
ミサトとの通信を終えたリツコが、未だ泣き止まぬレイを見つめる。
「レイ、アナタはどうする?」
リツコの問いかけにレイは即答する。
「行くわ、わたしも。それが任務なら」
リツコはその返答に首を振った。
「違うわ、レイ。任務だから、じゃない。アナタの心の声に従いなさい」
「わたしの、こころ……」
「そう。アナタの心が望まない限り、行くべきではないと私は思うわ」
「わからない。わたし…」
「無理に聞き出さなくていいのよ。ただ、心に身を任せるの。アナタがさっきそうしたように。もしアナタの心が戦いたくない、逃げ出したいと訴えるなら、それに従いなさい。誰もアナタを責めない、いえ、私が誰にも責めさせない」
「赤木博士……」
「アナタの心が、きっと教えてくれるわ」
レイはしばらくリツコを不思議そうに見つめた後、ゆっくりと、おぼつかない足取りでターミナルドグマを出ていった。
「ふぅ……」
リツコは一息つき、地面に座り込んだ。
左肩の傷の出血が酷い。リツコは自分の白衣の袖を噛みちぎり、簡単な包帯として止血を施し始める。
ターミナルドグマには二人。リツコと、放心したままのゲンドウだけ。
「……だいぶ静かになったわね、ゲンドウさん」
止血を終え、リツコが話しかける。
ゲンドウは反応しない。
「私、ここにきてようやく貴方の事が少し理解できたわ。本当に今更だけど…」
ゲンドウは反応しない。
「この戦いの行く末が、どこに向かうのかはわからない。もしかしたらゼーレが勝って、補完計画が発動してしまうかも…」
ゲンドウは反応しない。
「でもね、ゲンドウさん。もし、この戦いが終わって、私たち二人とも五体満足でいられたなら…」
ゲンドウは反応しない。
「ユイさんを、探しにいきましょう」
ゲンドウの体が、少しだけ揺れた。
「貴方の望んだ世界は訪れないかもしれないけど、貴方の補完計画は失敗に終わったけれど」
リツコがゆっくりと、ゲンドウに近づいていく。
「ユイさんは、待っていてくれるハズよ」
リツコがゲンドウの手を握る。
「ゲンドウさんとシンジくん。二人がきっと、ユイさんを見つけてくれる。ユイさんは、そう思ってくれていると思うの」
ゲンドウは反応しない。
「だから、まだ終わりじゃないわ。それまでは私も、微力を尽くします」
リツコが優しく微笑む。
ゲンドウは反応しない。
だが、
ゲンドウの手を包んでいたリツコの手が、ほんの少しだけ、握り返された気がした。
つづく