「そういえばあんたさぁ、あの話って知ってる?」
アスカがスイカ畑の横に腰を下ろしながら、シンジに聞いた。
「あの話って、どの話のことさ…。流石にそれじゃわからないよ」
シンジはスイカ畑に水を撒く手を止めて、アスカに振り返った。
夏の日差しにキラキラと水が反射する。
抜けるような青い空が、ジオフロントの天井から覗いていた。
ネルフ本部決戦のあと、戦略自衛隊の病院にて加持から『人類補完計画が終わってない可能性』の話を聞き、シンジは一つの決意を胸に宿した。
ネルフ本部決戦を経て精神的に大きく成長し、エヴァシリーズを返り討ちにし、セフィロトの樹を断ち切ったシンジ。
彼の心の中でその時すでに蒔かれていた決意の種は、加持から聞いた衝撃の事実を受け止めると同時に芽を出し、少しずつ、大きくなっていった。
だからこそ、シンジは加持に問うた。
「僕らは、何をすればいいんですか?」と。
今までのシンジのように、誰かに言われたから、じゃない。
母、碇ユイとの約束はもちろん覚えている。
『世界中の人たちの幸せを、あなたが守るのよ』
確かに約束だった。だが、これはもうシンジ自身の願いでもあった。
もちろん、本当の意味で世界中の全ての人たちを守ることは、シンジにはできないだろう。
しかし、それでもシンジは「みんなの笑顔を守りたい」と、「僕のできる精一杯で」と心から望んだ。
他人の顔色をうかがい、人から言われるがままにただ目の前の仕事をこなす。そこにいつも釈然としない、漠然とした想いを抱きながら。そんなシンジは、もうとっくに居なくなっていた。
そんな決意のこもった眼差しを、シンジは加持に向けていた。
シンジだけではない。そのそばに立つ、2人の少女の顔もまた。
加持はその眼差しを嬉しそうに受け止め、
「じゃあまずは一つ、頼みたい事があるんだが」
そう、にこやかに言った。
(頼みたい事ってこれ……?)
退院したシンジは、重々しい雰囲気の戦略自衛隊員とともに、ジオフロント内のとある場所を訪れていた。
ここに来る前、加持からシンジに送られてきた一通の手紙。
『その場所に行ってみてくれ。そこに行けば、君にお願いしたい事がわかるはずだ』
そう書かれた言葉とともに、この場所の正確な位置が手紙には記されていた。
ジオフロントは現在、戦略自衛隊の監視下にある。中に入るだけでも様々なチェックを受ける必要があり、並々ならぬ苦労があった。ネルフの関係者であるシンジであれば、そのチェックはさらに厳しいものになろう事は想像に難くない。
そんな数々の関門を見事クリアしたシンジの目の前には、荒れ果てた大地。当然だ。ここは戦場だったのだから。エヴァンゲリオンという巨人同士が争った戦場。
何もない。
ジオフロントの天井の崩落時、粉々になった装甲天井や建材のダストが降り積り、辺り一面灰色の荒野と化していた。視界の端で、散水用の水道蛇口が破損し、そこから水が高く吹き上がっていた。
(こんなところに、一体何があるって言うんだろう…)
加持さんのことだ。何かのメッセージが残されているのかもしれない。
そう考えたシンジは何気なく、足元のホコリを払ってみた。
「あれ……?」
シンジは不思議そうに声を上げた。灰の下から、どこかで見たことのある、青々としたツルや葉っぱが顔を覗かせたからだ。
「おっ!そりゃあ、もしかしてスイカか?」
シンジに同行した戦自隊員も思わず声を上げる。
「ええと、たぶん、そうだと思います」
「はぁ〜、あれだけの戦闘があったってのによく生き残ったもんだなぁ。誰かが育ててたのか?」
「………………あ」
戦自隊員の言葉に、シンジの中で眠っていた記憶が蘇る。
そう、ここは加持のスイカ畑。
逃げ出そうとしたシンジに、加持が『脅迫』した場所。
あまり良い思い出のある場所じゃない。
だが、この時のシンジには、不思議と嫌な感情が芽生えなかった。
「あの…この辺り、どこかホウキとか借りられる場所ってあります?」
「あん?」
シンジの不可解な質問に、戦自隊員は眉を上げた。
「いや、このスイカ、もしかしたら知り合いの人が育ててたやつかもしれないんです。だから、もしこのスイカたちが無事なら、なんとかしてあげたいなって…」
「あぁ、そういうことか」
隊員は顎に手を当てて考え込む。
「ん〜、ジオフロントの監視所にならあるかもしれないが、行ってみないとわかんねぇな。ていうか、その知り合いに連絡してみればいいじゃねぇか」
「…今、どこにいるのかわからないんです」
「……悪い。嫌なことを聞いちまったな」
隊員がすまなそうにシンジから顔を背けた。
(本当は生きてるし、連絡も取れるんだけどね…)
だがウソは言ってない。加持が今現在、世界のどこにいるのかはシンジにもわからないのだから。
「ちょっとここで待ってな。見に行ってくるからよ」
「はい。ありがとうございます」
「気にすんな。こういうのも自衛隊の仕事だ」
隊員が優しい笑顔をシンジに向ける。
若干の罪悪感を心に秘めたまま、シンジは黙って隊員を見送った。
「さて、と……」
シンジは辺りを見回した。
やることは、たくさんありそうだ。
「ここ、もうすぐ取り壊すらしいわよ」
「えぇ⁉」
アスカからもたらされた衝撃情報に驚いたシンジは、思わず手からホースを離してしまった。途端に勢いよく暴れ回るホースが、辺り一面にビシャビシャと水を撒き散らす。
「ちょっ!?バカ!早く止めなさいよバカシンジ‼」
「ご、ごめん!うわわわわ」
暴れ回るホースにシンジは必死で追いすがり、ようやくその手綱を握って動きを止めた。
その際に被ったシンジの被害は相当のモノだった。
「あっははははははははははは!あんた、頭からびしょ濡れじゃない!しかもさっきの動きナニよ!?へっぴり腰で追いかけてんじゃないわよ!」
青空に響き渡るアスカの爆笑。
その反応は半ば予想通りであったが、それでもアスカに被害がいかないようにとシンジは一生懸命にがんばったのだ。少しくらい不貞腐れるのはしょうがない事だろう。
「ひーっ!ひーっ!あ、あんた!アタシを笑い殺す気⁉」
腹を抱えて転げ回るアスカ。
「どーでもいいけど、そんな転がり回ると泥だらけになるよ」
「あっ‼」
アスカが「しまった!」という顔をする。
今日のアスカは黄色のワンピースに身を包んでいた。それはシンジとアスカが初めて出会った時に着ていたものと同じ。アスカのお気に入りだった。
「ああああああ‼」
そのお気に入りが泥だらけになっている。
「なんて事すんのよバカシンジ!弁償しなさいよね‼」
「言ってる事がムチャクチャすぎるよ⁉」
すっかり濡れ鼠になってしまったシンジが猛抗議をするが、それらは全く聞き入れられなかった。
結局の落とし所として、今日の夕飯をアスカの好物であるハンバーグをメインとしたフルコースにするという事でお許しを頂いたシンジだった。
「でも、さっきの話、本当なの…?」
「さあねぇ。アタシもミサトが喋ってたのを立ち聞きしただけだし」
「そうなんだ……」
シンジが畑の土を整えながら、少し残念そうに呟く。
「結構、いろいろがんばったんだけどなぁ…」
夏の日差しが容赦なく2人に降りかかる。
びしょ濡れになっていたシンジの服も、とっくに乾いていた。
「…前から思ってたんだけど、なんであんたが加持さんの畑の面倒見てんの?」
「え…?」
アスカの唐突な質問に、シンジもキョトンとする。
「そういえば…なんでだろ?」
「・・・あんたも大概アホよねぇ。加持さんに頼まれたんじゃないの?」
「まぁ、多分。一応は…」
シンジが土いじりを終えて立ち上がる。
長時間しゃがんでいたせいか、腰と膝が少し痛い。シンジは「んん〜」と背伸びをした。
「でも、なんとなくここの面倒を見ていれば、加持さんみたいになれるかなぁって。最近は結構愛着もわいてきたし、なんだかんだいって楽しいよ」
シンジが額の汗を拭いながら、アスカに笑顔を向ける。
その笑顔を向けられたアスカはというと、一瞬目をぱちぱちと瞬かせたあと、「うへぇ」と心底嫌そうな顔をしていた。
「あんたが加持さんみたいにぃ?無理に決まってんでしょ」
「いいじゃないか、少しくらい憧れたって…。確かに、まだまだ全然届かないって事はわかってるけどさ」
シンジが、自分が蘇らせたスイカ畑を見回す。
「……初めて、僕のことをちゃんと見てくれた大人の人、だったから」
ジオフロントに風が吹く。温ぬるい風だったが、それでも今は心地よい。
「僕も、なれるんなら、加持さんみたいな大人になりたいって思ってるんだ」
「…ふ〜〜〜ん。あ、そう」
アスカは心底どうでもいいといった様子だ。ワンピースの裾をパタパタと揺らす。暑いので、少しでも風を服の中に入れたいのだろう。
裾の間から、キレイなラインをした透き通るように白い太ももが見えそうだ。シンジはとっさに目を逸らした。
(別に少しくらい見ても怒んないっつーのに…)
端的に言って、最近のシンジはつまらない。
日常のやり取りに大きな変化はない。だが最近のシンジは事あるごとに、ふと思いついたようにアスカから目を逸らすことが多くなった。
それが、アスカは気に入らない。
(まさかコイツ。アタシのこと避けてんの?)
理由に心当たりが無いといえばウソになる。
掃除、洗濯、風呂、食事。果てはゴミ出しまでもシンジに押し付けているアスカである。
気に入らないことがあれば蹴りも入れる。
それでケンカになることもしょっちゅうだが、だからといって自分を変えようとは微塵も思わない。
それでもなんだかんだで全てやってくれるのが、シンジなのだから。
そんなシンジのそばが、アスカにとっては最高に心地いいのだから。
(シンジのくせに生意気な!アタシみたいな超絶美少女に構ってもらえるだけ、アリガタイと思いなさいっ‼)
夏の暑さも相まって、アスカの中のイライラが急激に上昇していく。
気に入らないといえば、もう一つ。
「どーでもいいけど、あんた、その髪の毛なんなのよ。見てて暑苦しいんだけど?」
そう。最近のシンジは髪を伸ばし始めたのだ。無造作に伸ばした髪は、襟足が結べるかどうかといった具合だ。
「まさかそれも加持さんのマネとか言うんじゃないでしょーね?」
「・・・別にいいだろ。僕がどんな髪型にしようが」
はぁ〜〜〜っとアスカが深いため息をつく。
(なんでもかんでも、加持さん加持さん…)
アスカにとって居心地の良いシンジ。それが最近どんどん変わろうとしていっている。しかも他人の真似をしようとしているのが、アスカは心の底から気に食わない。
アスカのイライラは頂点に達した。
「バカシンジっっ!!」
いきなり怒鳴られたシンジがビクッと肩を縮ませる。
眼前には鬼の表情で腰に手を当て、仁王立ちしたアスカ。
二人の間にザアッと強い風が吹いた。
「あんたはあんたのまんまが1番良いんだから!加持さんなんかのマネしないで、ずっとそのまんまでいなさわぶ‼」
風に煽られたワンピースのスカートが捲り上げられ、アスカの顔に覆いかぶさった。
シンジの眼前に現れた、三角形の白い布。
パンツ丸出しで仁王立ちしたままのアスカ。
2人の時間が停止した。
「いつまで見てんだこのブワァカシンジぃーーーッッ‼」
「げえふうっっ⁉」
アスカのドロップキックがシンジの鳩尾に炸裂し、ふっ飛ばされたシンジが顔から畑に突っ込んだ。
何度も心を砕かれ、傷つき、それでも立ち上がった『彼』が手に入れた、平和な日常。
きっとこの先も、悩み、傷つき、たくさんの苦しみが『彼』に襲いかかるだろう。
だけど、きっと、『彼』の心は二度と折れない。
彼らの運命が再び動き出すのは、三年後。
だから、それまでは、どうか。
彼らの『魂』に、平穏を。
──『エヴァンゲリオンANIMA』につづく