最強のウマ娘を目指すため、世界でも有数なウマ娘養成機関であるトレセン学園に入学した生徒たちは、日々研鑽を積んでいた。この学園は、誰よりも速くなるために知識を学び、最も効率の良い練習をし、定期的に行われるレースに出場しては、喜びや苦悩の連続を繰り返し、心身ともに成長していく。ウマ娘達にとっては憧れの象徴とも言える、そんな場所である。
トレセン学園を見上げる少女が一人いた。彼女の名前は風本秋かざもとあき。横をすり抜けて先にある大きな校門を潜っていく少女達とは違い、彼女の頭上にはウマの耳が生えてはおらず、さらりとした栗色の髪の毛が綺麗に切り揃えられていた。
秋はウマ娘ではなく、ただの人間だった。
だが、トレセン学園はウマ娘達が通う特別な場所。人である秋はここの学生にはなれないのだがーーーー。
「ここがトレセン学園。ようやくここまで来たのね……!」
秋は嬉しそうな声色の割に、無表情なまま周囲の状況を確認する。不思議そうに見てくる者、気にすることなく駆け足で学園に入っていく者、競争をしているのか、並んで真剣な表情のまま校門を通り抜けていく二人組。
誰もがこの学園に在学しているウマ娘達だ。一人一人違う毛並み、決め細やかに手入れされた尻尾に人間にはない頭上に生えたウマの耳。そして走ることに特化した筋肉質でスラリとした体躯。学校生活ではほんわかと過ごしている彼女らも、きっとレース場に立てばガラリと雰囲気が変わるのだろう。
秋は高ぶる気持ちをぐっと堪え先に進む。
校門の前に着くと、一人の女性が立っており、学園内に入っていく生徒達と挨拶を交わしていた。
緑色の制服に黄色のネクタイが良く映えており、きっちりとした着こなしにしては、ほんわかとした緩やかな顔つきをしている。その女性を見た秋は、ハッとした顔をして近づいていく。
「たづなさん……ですよね? お久し振りです」
「あら。あなたは……」
たづなと呼ばれた女性は不思議そうにぱちぱちと瞬きを繰り返す。どうやらピンと来ていないのか秋の全身を見渡し、目を閉じてうーんと唸る。
秋が口を開こうとした瞬間、ようやく思い出したのか「あっ、あの時の……!」と嬉しげに両手を合わせる。
「あのお方の娘さんですか。もうこんなに大きくなったのですね。ふふ、時代の流れとは早いものです」
「覚えて下さって嬉しいです。あの時は私が中学生の頃でしたから、もう覚えていないかも知れないと思ったのですが……」
初めて彼女に会ってから早数年。幼かった顔立ちも徐々に大人びてきて、身長も大きく伸びた。確かに数年振りであれば、気づかないのも無理はないだろう。
それに比べてたづなは一切変わっておらず、まるで彼女の周囲だけ時が止まっているように思えてしまう。
(たづなさんって一体何者なんだろう……)
誰もが認める綺麗な風貌。大人を感じさせる丁寧な所作や立ち振舞い。女性の魅力が全て詰まった理想的な人。秋は彼女に密かに憧れていた。だが、どうしても彼女の不変さに気になってしまう。
年齢を問うのは失礼だろう。しかし、直球に聞くのもおかしな感じだ。どうしたものか、と悩んでいると、背後から誰かが走ってくる靴音が聞こえてきた。
「みんなおはよーー!!」
陽気な声色。その声に釣られて振り替えると、まず目に入ったのは珍しい桃色の髪。足を踏み込むタイミングに合わせて髪が揺れている。軽く砂煙を上げながら、道すがらの学生達に挨拶を交わしていく。そして秋の存在に気づいたのか、人懐こそうな笑顔を見せて近づいてきた。
「おはよう! 始めまして! 見ない顔だね! もしかして新入生……は前に来てたから……。もしかして転校生?」
興味津々でズイと顔を付き出してくる。気圧された秋は一歩後ろに後退りながら、話しかけてきた少女の全身をくまなく見渡す。
一瞬、彼女がトレセン学園の学生なのか悩んだ。それは身に付けている服装が周りとは違っていたからである。
制服の種類が違う、というわけでもなく、彼女が着ているのは何故か体操服だった。赤色のショートパンツを履き、そのから伸びる健康的な脚には所々絆創膏が貼られている。上には赤色のラインが入った白ジャージを羽織っており、頭上には赤いハチマキが巻かれている。
「初めまして。転校生じゃなくて、私はあなた達をサポートするためにこの学園に来たの。これを見れば分かるかな?」
秋は自身の胸ポケットから一枚のカードを取り出して少女に見せつける。しかし、どうやらピンと来ていないのか、覗き込みながら不思議そうに首をかしげている。
それを見かねてか、背後からたづなの声が聞こえてきた。
「それはA級トレーナーのライセンスカードです。もしかしたら、ハルウララさんの担当トレーナーになるかもしれませんね?」
「へぇ、そうなんだぁ。よろしくね! トレーナーさん!」
少女は朗かな笑顔を浮かべて手を差しのべる。
秋はその手を握り返すと、何かに気づいたのか神妙な面持ちで彼女を見つめた。
(やっぱりこの子も……)
華奢な細腕からは似つかわしくない力強さを感じる。
愛らしい顔立ちをしているが、彼女はただの人間ではなく、ウマ娘であるのだと再認識した。
「うん。よろしくね、ハルウララさん」
「あれ、わたし、自分の名前って言ったっけ?」
「ふふっ、さっきたづなさんが言ってたよ。そう言えば自己紹介をしてなかったね。私の名前は風本秋。同じ季節の言葉が入ってるなんて、何か運命的なものを感じるかも」
秋はそう言って笑いかけた。
春のような暖かみのある陽気な雰囲気を纏う少女。見ている側も気分が晴れやかになるようなうららかな声色。
まさに、ハルウララという名前を体現している。
彼女との会話を続けていると、授業開始前のチャイムが鳴り響いた。ピンク色のウマの耳がピンと立つ。
「あっ、もう行かないと! じゃあまたね! たづなさん、トレーナーさん!」
ハルウララはそう言って慌てて砂煙を立てながら後を去っていく。最後まで彼女の調子は変わらなかった。
取り残された秋とたづな。ハルウララの揺れる尻尾を見届けた後、二人は目を合わせ、お互いに表情を崩す。
「では、私は理事長の元へ戻ります。秋さんはこれからどこかに向かわれるのですか?」
「はい。この後に行かないといけない所があるんです」
たづなは少し目をぱちぱちと瞬きさせ、そして何かに気づいたのか、穏やかに笑った。
「そうでしたね。トレセン学園専任のトレーナーとしてのご活躍を期待しています。ではいってらっしゃいませ」
「ありがとうございます。これからもよろしくお願いします!」
勢いよく頭を下げた秋は、ハルウララと同じように校内を目指し駆け足で向かっていった。