異世界転移モノの流行りに乗っかろうとしたら、ただのまるでダメな男(略して、マダ男)ができたんだが? タイトルが全て。

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異世界の幼馴染みと妹分が俺のことを好きすぎる件について

 

 

 

 ここは、王都から遠く離れた城塞都市ラリッサ。

 

 

 辺境にあるこの城塞都市は、元々戦時に国境を防衛する拠点として建築された。数百年もの間、敵の侵攻を阻み続けたその堅牢さから、難攻不落の城塞と名高い。しかし、それは隣国と休戦協定が結ばれ、長期の戦闘停止が継続されるまでの話だ。

 

 戦に明け暮れ、誇り高き死を誉れとした時代が過ぎ去り、春の微睡みのような平和の時代が訪れた。今となっては分厚い城壁からのみ、その名残を感じることができる。

 

 しかし、決してその歴史が忘れ去られた訳ではない。侵略者から領土を守った英雄たちの死闘をラリッサの民たちは寝物語に聞き育つ。 

 雄叫びを上げ、勇猛果敢に死さえ恐れず、守るべき者たちのためにその剣を振った英雄たち。それこそが今のラリッサを形造り、血肉となったのだと、語り継がれているのだ。

 

 ラリッサが、王国の防衛拠点としてではなく、行商人たちが日夜行き交う物流の要所として名を馳せることとなった今でも、それは変わらない。この城塞都市が、前線に立たち、常に外敵に晒されていた戦いの歴史はあまりにも長すぎた。

 

 ラリッサにおいて今も「強くあること」が美徳とされるのにはそういう背景があってこそと言える。つまり、このラリッサの民たちは、揃いも揃って脳筋なのだ。考えるな、とりあえず筋肉だ! を地で行く戦闘民族の恐ろしさを是非とも体感して頂きたいものだ。

 

 そんなラリッサで、根っからの文系である俺こと有明嗣郎、通称シェロは育った。

 

 日本人である俺がラリッサという外国にいるのか、と思われるかもしれない。それも間違いではない。外国は外国でも、世界が違う。それは、ここが地球ではないということだ。つまるところ異世界、なのである。

 

 ここの生活レベルは中世ヨーロッパといった具合なので、最初はタイムスリップをしてしまったのではないかと思った。しかし、魔法や魔物などが実在することを知り、そのことは否定された。

 

 ここでは大地が1つの星であるという概念はまだなく、世界を指す統一された言葉はない。様々な種族・国によって呼び方は異なる。ラリッサのあるこの国では、世界のことを、ノビステラ(我らの大地)と呼んでいる。

 

 さて、俺がこのノビステラに来たのは、ちょうど9歳の時だ。どうやって異世界に着たのか。何度思い返してみても、気づけば迷い混んでしまっていたとしか言えない。そこに至るまでの記憶はあやふやで、どうしてそうなったのかなんて皆目見当もつかないのだ。

 

 この異界の地に迷い混んだ俺は、ここでは語り尽くせない紆余曲折を経て、最終的に魔法使いである現養父の側に身を寄せることとなったのである。

 

 それから10年間、俺は養父と共にラリッサに定住していた。ラリッサは俺にとって、第2の故郷と言っても過言ではない。 

 

 しかし、養父が魔法薬学の最大の研究機関オースティン・カレッジがある王都へ、講師として配属されることが決まったことが転機となった。そうして養父ともに王都へと住居を移したのが、かれこれ3年前の話である。年に数回は、ラリッサを必ず訪れていたが、魔法薬の研究が本格化してからはそれも中々叶わなくなった。

 

(まあ、戻らなくなった理由はそれだけじゃないんだがな。にしても……1年ぶりくらいか)

 

 そもそも、1年ぶりに王都からラリッサに戻るきっかけとなったのは、養父の一言が原因だった。

 

 1週間前突然、「ラリッサのヨハネスから連絡が入った。行って話を聞いてこい」と工房から叩き出されたのである。いや、もっと説明することがあるだろう! と思うが、養父に常識を求めるだけ無駄というものだ。思い出すと、無性にイライラしてくる。

 

 あのクソ親父、ほんと人使いが荒すぎる! と、心の中で毒づく。

 

 とにかく、早く終わらせて帰ろう。それがいい。俺は使い古したローブのフードを引っ張り、深くかぶり直した。

 

 馬車に揺られながら、過去のことを感傷的に思い返して、現実逃避をしていると、知り合いの商隊が残酷にもラリッサに到着したことを知らせてくれた。

 

 まだ夜明前の薄暗さが残る中、馬車から降りる。乗せて貰った商人に礼を告げ、手に気持ちばかりの銭を握らした。無料より高いものはない。こうことは、親しき仲でもきちんとしておくことが重要だ。

 

 すでに城門前には、開門を待つ遍歴商人たちが列をなしていた。俺もその列に加わる。

 

 並んで少しすると、日が登り辺りがオレンジ色に染まりはじめた。それとともに、朝を告げる甲高い鐘の音がラリッサから鳴り響き、ゆっくりと城門が開いた。その様子をぼんやりと眺める。

 

「兄さんっ!」

 

 誰かに呼ばれた気がした。気がしただけだろう。

 

「シェロ兄さん! 絶対聞こえてるでしょう! はぁあ、うっ、ふぅっ……はぁ、ちょっと、もう、置いていかないでくださいよ!」

 

 列が進みはじめたので、足を踏み出そうとしたところ、腕を強く引っ張られた。振り向くと、肩で息をする少女がひとり立っていた。綺麗というより可愛らしい顔立ちで、素朴な村娘といった少女だ。腰まである赤みがかった金髪の髪は乱れ、汗で頬にへばりついている。よほど、必死に駆けてきたのだろう。

 

 シンプルなブラウスに踝までを覆うスカート、その上からエプロンを付け、背中には大きめの革袋を背負っていた。

 

「えっ? お前、いつから居たの?」

 

「最初からですが!? 王都を出てから、ずっと一緒に行動してましたよね!? 」

 

「そうだったか? まぁ、どうでもいいけど」

 

「どうでも良くないです! もうっ、シェロ兄さんったら、私のことを気にしないで、どんどん先に行っちゃんうんだもの。少しは私に合わせてくださいよ。私が兄さんの荷物背負ってるんですからね。そもそも、逆じゃないですか? えっ、逆ですよね普通。兄さんは、絶望的にレディの扱いがなってないです!」

 

「お前ごときが、レディとか片腹痛いわ。どう見ても芋娘が限界だ。調子に乗るな、このダボが!」

 

「ひんっ、ひどい!」

 

 このレディ(笑)の名は、シンシア。あだ名はシンディ。王都に行ってから親父殿が取った弟子で、今は一緒に寝泊まりをしている。シンシアからしたら、俺は一応兄弟子に当たる。「兄さん」と呼ばれているが、別に本当の兄妹な訳ではない。まぁ、それなりに可愛い妹分ではあるが。

 

「兄さんがひとり寂しくラリッサに行くと言うから、こうやって着いてきてあげたのに、この扱いはなんなんですか」

 

「うるせぇな。俺はついて来てくれなんて一度も言ってないぞ、シンの字。あと、お前本当に体力なさすぎ。少しは鍛えろ。牛になるぞ……」

 

 そう言ってから、シンディの顔から下に目線を下げる。まだ十代前半にも拘らず、豊かなものが息をするごとにたわんでいるのを目撃。そう、たわんでいらっしゃる。

 

 やれやれ。残念ながら、お前の一部はもう牛と言っても過言ではない。いつも大変お世話になってます。日頃の感謝を込めて拝んでおく。

 

「もう、兄さんって本当に意地っ張りなんだから。私がいないと家事もできない癖に何を言ってるんですか。後、シンの字は止めてくださいね。響きが可愛くないので、シンシアかシンディって呼んで下さい。って、……ど、どこを見て、拝んでるんですかぁ!!」

 

「ぱいおつ」

 

「ぱ、ぱいお!? もう、もう!! 兄さんたら、破廉恥です!」

 

 シンディは顔を真っ赤にして、ドスドスと俺の胸を叩く。痛い痛い。力入りすぎ。俺を叩き潰す勢いだ。なんなの。こいつ、普通に面倒くさいわ。

 

「今、絶対こいつ面倒くさいって顔をしました。ちゃんと、反省してるんですか?」

 

「っち。たぶんそのうち反省します」

 

「……兄さんが絶対反省してないことだけは分かりました。というか、舌打ちは止めてください」

 

 深碧の目が恨めしくこちらを睨んでいる。対抗してこっちもメンチを切ってみた。……ため息吐かれた。勝ったぜ。

 

「はぁ、兄さんはいつもこれなんだから。もういいです。兄さん、次は私を置いていかないでくださいね」

 

「心外な。俺は置いていってない。シンディが勝手に置いてかれただけだ」

 

「受け身にしただけで、同じことじゃないですか! 兄さんの意地悪。もっと優しくしてくださってもバチはあたりませんよ。強く待遇改善を要求します!」

 

「却下」

 

 即答!? と、シンディはきゃんきゃんうるさく声を張り上げる。それを無視して、歩き出す。慌てて、シンディは俺の後を追いかけてくる。

 

「言ったそばから、置いてくのやめてくださいね。兄さんは鳥頭なんですか? そうなんですか? そうなんですね! ……この鳥頭!」

 

「……はぁ、芋やるからほんとにイモい村に帰ってくれないか。というか、帰れ」

 

「いやです。あと、イモい村ってどこですか! さっきからわたしの扱い、どうなってるんですか!?」

 

「うるせいやい。ん……ほら、行くぞ」

 

 シンディから、荷物を奪い取る。俺の顔を見て目を丸くした後、シンディはにっこりと微笑んだ。

 

「ふふっ、シェロ兄さん、ありがとうございます」

 

「っち……礼はいい。後で乳揉ませろよ」

 

 そう言うやいなや、シンディの胸を下から掬うように揉む。つきたての餅を捏ねているような心地よさ。

 

 ふむ。これは……良いものだ。

 

「に、兄さん、ひやぁん、あんっ、もう揉んでるぅ。ううんっ、こんな人がいるところでなんてダメったら……!」

 

 人がいないところならいいのか。それは、良いことを聞いた。

 

「……っもう、兄さん、本当に素直じゃないんだから!」

 

 耳まで顔を赤くして、恨めしそうに上目遣い。心外な、俺はいつも欲望に素直だ。腹が立ったので、もう一度強めに胸を揉んでおいた。

 

 

 

 ………………

 

 

 

 

 城門から市街地に入ると、蝋燭の明かりがぼんやりと家々から漏れていた。まだ夜が明けて間もないのに、人々は既に動き始めている。

 

 さらに歩みを進めると、まだ起き抜け顔の男たちが湯気が上がる風呂屋に入っていくのが見えた。ここでは、寝る前に風呂に入るのではなく、朝の身支度をするために風呂にはいる。そして、垢擦りや散髪、髭剃りなどを受けて一日が始まるのだ。

 

 本当に残念ながら、混浴ではない。

 最初は混浴だったと聞くが、淫らな行為を規制するために、男女の入浴時間が分けられることとなった。

 

 しかし、その割りには、公然と娼婦の斡旋や勧誘が行われており、近くでは胸を大きく開けた胴衣、派手目のスカートを着た娼婦たちが愛想を振り撒いていた。

 

 こんな早朝から、仕事熱心である。用事が終われば是非、俺もお呼ばれされたいものだ。

 

 

 

 

 市街地を抜け、広場へと進む。

 そこでは既に行商人たちが、肉や塩漬けの魚、穀物、果物、酒などの商品を広げ、客の呼び込みを始めている。さらに奥の方には屋台が立ち並び、匂いが香ばしいがこちらまで漂ってくる。

 

 くきゅーぅ、という腹の鳴る音が隣から聞こえた。

 俺は知らん顔して足を早め、屋台で揚げた包みパイとミートタルト、エールと蜂蜜酒を買う。無言でタルトと蜂蜜酒をシンディに差し出す。シンディは、頬をうっすら染めて、それを静かに受け取った。

 

 うん、この揚げパイ。うまい。腹が減っていたというのもあるだろうが、やはりできたてが、一番うまい。エールを一気に煽り、乾いた喉を潤す。

 

「おい、シンディそっちも一口くれ」

 

「はい、どうぞ兄さん。熱いから気を付けてくださいね」

 

 差し出されてタルトをそのままかぶり付く。こちらも文句ないほど美味しい。

 

「ほら、お前もこっち食ってみろ」

 

 お礼とばかり、シンディに揚げ包みパイを進める。シンディは困ったように眉を下げた。

 

「もう、兄さん。女性がそんなはしたないこと出来ませんよ」

 

「なんだ、さっきはもっとはしたないことをしていたじゃねぇか」

 

 公衆の面前で、胸を揉まれといて何を今さら。

 

「に、兄さん! もう、未婚の女性に、あ、あんなことをしたら本当はダメなんですからねっ!」

 

 シンディは、ぷんすかと頬を膨らました。満更でもない癖に、ぐちぐちとうるせぇな。いらっとしたので、尻を撫で回しておいた。

 

「ひんっ、シェロ兄さん、言ったそばから!」

 

「別に良いだろ。お前は俺の妹弟子だ。つまり、俺のものだ。なら、俺のものをどう扱おうが俺の勝手だ。それとも、お前は俺以外の男ものになって、身体を許す予定でもあるのか?」

 

 抱き寄せて、甘く耳元で囁く。シンディは一瞬で耳まで顔を真っ赤になった。くたりと、腰が砕け寄りかかってくる。

 

 そんな状態なのに、まだうだうだ言うので尻を鷲掴みにし、揉み込んでいく。シンディは、瞳を潤ませすぐに白旗をあげた。ふっ、チョロいぜ。

 

「ひぅ、兄さん、俺様にも程がありますよぅ。あんっ、分かりました、言いますから。……そんな予定ないです。私には、兄さんだけです! ううっ……ひどいです、兄さん。ちゃんと責任取ってくださいね?」

 

 ……責任? なんだそれ。知らない言葉だな。俺の辞書にはない言葉が聞こえてきたので、聞かない振りをした。

 

「で、食べるのか? 食べないのか? どっちなんだ」

 

「ううっ、頂きます」

 

 最初からそう言え。俺の揚げ包みパイが気になって、チラチラこっちを見てたくせに。お膳立てしてやったんだむしろ感謝しろ。

 

「んっ、もぐっん、んぐっ……兄さん、これ美味しいです」

 

「ん、そうか。ほら、口に食べカスがついてるぞ」

 

 シンディの口を指先で拭いてやり、そのまま肉汁がついた指を舐めた。ひんっ、とシンディの悲鳴を聞きながら、あたりを見回す。

 

 串肉や、揚げ肉、チーズやラグーなど、朝から屋台で高カロリーの食べ物ばかり売られているのは、ラリッサに労働者が多いためだろう。

 

 教会は悪食を避けるため、1日2食、昼夕のみの食事を奨励しているが、労働者はそんなことを言ってられない。それに、王都から1週間長い旅をしてきたんだ、これぐらい許されるだろう。

 

 ―――さて、腹も満たせたし、ぼちぼち大聖堂に向かうか。

 

「……あれ? アンタ、若様でないかい?」

 

 聞きなれた声に呼び止められ、立ち止まる。すると、恰幅が良い中年の女性がフードを無遠慮に覗き込んできた。素早く、身をかわし距離を取る。

 

「……いや、人違いダろ」

 

「わははっ、なに言ってんだい! アタシが若様を見間違う訳ないじゃないか! アンタ、王都から戻ってきたんだねぇ」

 

 バシバシと、背中を叩かれる。一発一発が、身体に響く。止めてくたさい、死んでしまいます。

 

「ぐほっ、ちょ、ぶぉっ……やめ、マーサ、こら、止めろ!」

 

「わははっ、やっぱり若様じゃないかい。アンタ相変わらずへなちょこだねぇ! ちゃんとご飯を食べてるかい?」

 

「もうほんとやだこの人!」

 

 この力士みたいな女性はマーサ、俺が養父に引き取られてから、俺の世話をするために養父が雇ったお手伝いさんであった御仁だ。母親代わりとして俺を育て可愛がって(物理)くれたため、いつまでたっても頭が上がらない。

 

「若様、ほんと久しぶりだねぇ。元気にやっていたかい?」

 

「まあ、ぼちぼちだな。マーサは……うん、相変わらずのドスコイ具合で安心した。ただ再会の度に、張り手をかまして来るのはそろそろ止めてくれないか。何、今から秋場所を目指してるの? 大関になりたいの?」

 

「わははっ、若様は相変わらず、なに言ってるかわかんないねえ!」

 

 マーサは、何がおかしいのかずっと笑っている。経験上、こういうときはなに言っても無駄なので、諦めが肝心だ。

 

「若様が戻ってきたってことは、いよいよかねぇ。お覚悟決めたんだろ?」

 

「はぁ? なんの覚悟だよ」

 

「アンタ、そりゃ……」

 

 マーサはそこまで言いかけて、俺の傍らにいるシンディに気づく。シンディは、マーサの勢いに戸惑いながら無言で頭を下げた。

 

「若様、アンタこりゃどういう訳だい。まさかこの娘、若様のコレじゃないだろうね」

 

 マーサは小指をピンと立てた。本当に、止めてくれない? そういうのセクハラに入るからな!

 

「ちげーよ! 何でそういう話になるんだよ! こいつは俺の親父の弟子だ」

 

「ふーん、そうかい。それだけには見えないけどね。まぁ、アタシはどう転んでも若様の味方さ。ただ、これじゃあの方が不憫だねぇ。若様、どちらを選ぶにしろ、けじめはちゃんとつけるんだよ」

 

「だから、そんなんじゃないって言ってるだろうが」

 

 それを聞いて、マーサは困ったように頬に手を当てた。

 

「で、それが目的でないとしたら、どうして戻ってきたんだい?」

 

「親父を経由して、ウィーンレム大聖堂のヨハネス神父から、呼び出されてんだよ。詳しくは分からんが、とりあえず大聖堂まで行くつもりだ」

 

「んっ? ……ああっ、なるほどそういうことかい」

 

「なんだ? 何か知っているのか?」

 

「いいや、何となく想像しただけだよ。まぁ、それだけあの方が痺れを切らしたってことだね。わははっ、モテる男は辛いねぇ! 気合い入れて行ってきんしゃい!」

 

 バンッ! と強い力で活を入れられる。だから、張り手は止めろとあれだほど……。それに、さりげなく重要なことを言ってる気がする。気がするだけにしておきたい。

 

「ああっ、行ってくる」

 

「全部終わったら、私の家にお越し下さいよ。腕によりをかけて料理を作ってあげますからね!」

 

「そうか。ありがとう、楽しみにしてるよ」

 

 俺にとったらマーサの料理がお袋の味だ。とっとと終わらせて、マーサの手料理を食べに行くか。

 

 

 

 ………………

 

 

 

 

 市場を抜けると人並みも疎らになってくる。そこで表通りから外れた脇道入り、なるべく人目につかないように気をつける。

 

「兄さん、兄さん。ねぇ、私たち何故隠れるように歩いてるんですか? 何か後ろ暗いことでもしたんですか」

 

「人を犯罪者みたいに言うな」

 

「なら、兄さんもっと堂々と表通りを歩きましょう、ね?」

 

「っち、あーもう、うるせーな。じゃあ、俺はこのまま行くから、お前は表通りを歩いてこい」

 

「もう、何でそうなるんですか!? 独りでなんて嫌です! 一緒に行きましょうよぅ」

 

 駄々をこねるシンディを尻目に、空を見上げる。陽が登り、なんとも爽やかな天気だ。空は高く、見事な秋晴れ。自然と足取りが軽くなる。

 

 20分ほど黙々と歩くと、荘厳なドームが特徴的な大聖堂が見えてきた。これが今回の目的地であるウィーンレム大聖堂である。

 

 神父様から、直接呼び出しとは、はてさてどんな無理難題を押し付けられるのやら。嫌な予感しかしない。

 

 とんずらしてもいいが、後が怖い。親父殿にどんな仕置きをされるか。まさに前門の虎後門の狼というやつだ。

 

 帰りたい欲を振り切り、足早に歩みを進める。入り口まで数メートルのところで、中からコツコツと石畳を鳴らす音が聞こえた。ぼんやりと薄暗い大聖堂の内部から、人影が見える。

 

 人影は入口に向かって真っ直ぐ歩いてくる。その人物は数秒もしない間に入口にたどり着き、暗い室内から明るい外に出て、目眩でもしたのか両目を掌で押さえ、もの憂鬱げに溜め息を漏らした。

 

 見覚えがありすぎるその姿を見て、げんなりする。おいおい。マジかよ。嫌な予感はしてたけど、まさか本当にお前がいるとは。 

 

 

「―――アンフィーサ」

 

 

 思わず、漏れた言葉だった。自分の声にワンテンポ遅れて気づき、すぐ口を塞ぐ。しまった。油断してた。

 本当に小さな声音だったが、アンフィーサ……アンは即座に反応した。

 

「……っ、シェロ!?」

 

 彼女は慌てて、両目を覆っていた掌を外し、俺の名を呼んだ。迷子が母親を探すような、響きだった。すぐに間抜けにも棒立ちで固まる俺を見つけ、目をかっと見開く。

 

 視線が絡み合う。数秒間、沈黙が満ちる。時が止まったようにお互いの動かない。

 

 どれくらいそうしてただろうか。数秒かもしれないし、数分かもしれない。もっと長くそうしてたようにも思えた。

 バサリと、教会の屋根に止まっていた鳥の羽ばたく音に、俺は我に返った。とりあえずこの場から離れないと、面倒なことになるのは間違いない。慌てて、翻しその場から離れようとし―――

 

 

「……待って! シェロ……シェロ!! ああ、待ってくれ!!!」

 

 

 その懇願とも悲鳴ともつかない叫び声に、思わず立ち止まってしまったのが失敗だった。気づけば、全力疾走で向かってくる彼女に、あっという間に壁際へと追い詰められてしまう。そして、追い討ちを賭けるように壁にドンッ! と手を突かれ逃げ道を塞がれる。

 

 これが噂に聞く壁ドンと言われる行為ではなかろうか。いや、でも壁ドンとされる側が男であるので、この場合どうなのだろう。冷静に考えれば、なんとも情けない構図である。そんな現実逃避をしつつ、目の前の人物を改めて見る。

 

 まず目を引くのは、どこから見ても端麗な容貌だ。シンディが少し野暮ったいが豊満な肉体を持つ美人なら、アンはまさに高嶺の花、その高貴さが雰囲気からも滲み出るスラッした身体付きの美人だ。

 

 絹糸のようなプラチナブロンドの髪を几帳面に編み込み、きっちりサーコートを着込んでいるところは相変わらずの生真面目さを感じる。背はかなり長身の俺と比べて、頭ひとつ分は小さい。ただ姿勢が綺麗にピンと伸びているため、幾分か高く見える。アメジストの瞳が爛々と輝き、一瞬たりとも目をそらさないぞという気概が感じられた。

 

「お、おう。アン、ひ、久しぶり、だな」

 

「……シェロ、何故逃げようとした」

 

「えっ、めんどかったから」

 

 反射的に、真顔で即答した。

 

 ひゅんと、風を切る音が聞こえたかと思うと、股の間に衝撃が走る。視線を下に向けると、アンの足が俺の両足の間の壁を蹴り崩していた。なにそれ怖い。この娘ったら、足癖悪すぎない? 

 

 というか蹴りで石壁を砕くなんて、もう人間じゃない。さてはゴリラか。ゴリラなのか。

 

「落ち着け、とりあえず落ち着け。いいか、話せば分かる」

 

「……話し合いの余地などない」

 

 アンは低く唸る。徹底抗戦の構えだった。すぐ突撃しようとする悪癖はほんとうにどうかと思う。いつも損害を気にせず駆け抜けるから、後で泣くことになるんだぞ。

 

「……この1年、どこで何をしていた」

 

「どこかで何かをしてた」

 

「真面目に答えろ」

 

「新薬の研究をしてました。はい、すいません」

 

「一年もか」

 

「いや、一年しかだぞ。新薬の研究はな、時間と根気が必要なんだ。今だって、早く帰って続きをしたいとうずうずしてるんだ。てな訳で、この手と足どかしてくんない? 俺、神父様に会わないと…… 」

 

「その必要ない」

 

「へっ?」

 

「その必要はないと言ったのだ。ヨハネスに頼んでシェロを呼び寄せたのは、この私だからだ」

 

 それを聞き、あちゃーと、思わず俺はこめかみを押さえた。マーサとのやり取りで、そんな気はしていたが、できれば外れていてほしかった。嫌な予感がする。

 

「あー、一応聞いとくけど、何で?」

 

「何故だと!? 言うこともかけて何故ときたか。ふふっ、それは面白いこと言う。この1年間、何度も何度も文を送ったのに無視を決め込んだのはどこのどなたか。私がラリッサを無闇に離れられない立場だと知っているだろうに」

 

 ……墓穴を掘りました。相当溜まっていらっしゃる。

 

 しかし、いままでの内容から察するに、親父殿も神父様もグルだな。神父様は別として、親父は絶対、そっちの方が面白そうだから、なんてくだらない考えで息子を差し出したに違いない。こんちくしょう、恨むぞ。

 

 アンは、怒りを押さえられないのか小刻みに震え、完全に目も据わってる。これは、全力突撃の合図だ。

 

 戦略的撤退の要を認めます。俺は無造作に片手を挙げ、そこにアンの意識を集中させ、即座にしゃがみ横に転がる。拘束を抜けると、脇目をふらず走る。

 

「まぁ、正直スマンかったー。しかし、お前の望みが俺と会うことだとしたら、これで目的は達したということだな。うんうん、俺も良し。お前も良し。万事良し。では、俺は帰る。アディオふべしっ!」

 

 爽やかに捨て台詞を最後まで言う前に、何かが顔面に飛んできた。思わずしゃがみこみ顔を押さえる。痛みで頭が真っ白になる。なんなら、目の前にくるくる回って踊る流れ星が見える。 

 

 痛みに耐えながら目を開けると、地面には繊細な細工が施された短刀が落ちていた。この短刀、アンの家に代々受け継がれる守り刀じゃないか。えっ、何、これ投げたの? マジかこの(ゴリラ)信じらんねぇ。

 

「ああっ、すまない! 無事か? あなたがまた逃げようとするからつい投げてしまった」

 

「つい……じゃねえ! どういう守り刀の使い方をしてるんだよ! 完全に用途間違ってるからね!? 守るために使って。ずっと懐にしまっといて。投げないで、守り刀投げないで!」

 

 アンが駆け寄ってくる。心配そうに、俺の顔を覗き込む。ほら、考えなしに突撃するからこうなるんだ。無言でアンの瞳を見つめ、抗議の意を示す。そうすると、アンは目を瞬かせ、次の瞬間ふにゃりと微笑んだ。心底嬉しいという顔だった。えっ、ドMなのだろうか。

 

「やっと、見てくれた」

 

「……なんだって?」

 

「さきほどから、目を合わせてくれないし、逃げようとするし。おかしいではないか!」

 

 不満を次々と口にする度に、守り刀の下りで萎んでいた怒りがぶり返してきたらしい。……もう帰っていいだろうか。

 

「あのー、お取り込み中すいません」

 

 横から、遠慮ぎみに声を掛けられた。やべ、完全にこいつのこと忘れていた。しかし、忘れていても特に実害はない気がする。よし、忘れたままでいよう。

 

「ちょっと、兄さん! 聞こえてるんでしょう! 堂々と無視しないでくださいよ。もう、こっち向いてったら。兄さん、ひどいです!」

 

 ドスドス。だから、痛い痛い。効果音おかしいだろ。ほんと力入れすぎなんだって。殺す気か。

 

「止めろって、痛いだろうが。胸揉むぞ」

 

「ひゃうっ、んっ、兄さんもう揉んでます! いつもほんとうに、あ、んっ、揉んでから、言わないで、んんっ、ください!」

 

 ふにふに。はっ、俺の右手が勝手に。止めたくても止まらない。何てことだ。まさか右手に悪魔が宿っているというのか。なんて悪い右手! いつもありがとうございます。

 

「―――おい、何をしている」

 

 凍えるような声が響く。思わず、シンディの胸を強く握ってしまい「ああんっ」と空気を読まない悩ましげな声が聞こえた。アンが側にいるのにしまった。いつものノリでやっちまった。

 

 後ろから抱きつかれ、首にひんやりとした物が当てられる。視線だけ下げると、抜き身の守り刀が添えられていた。

 

 あっ、これ確実に死ぬやつだわ。

 

「その女性の胸から、手を離せ。今直ぐにだ」

 

「はい」

 

 耳元で囁やかれる。有無を言わせない声音だった。素直に従う。

 

「1年間会いに来なかったのは……これか」

 

「これって……なんだよ」

 

「他に、女を作ったかということだ。ど、どうせ、この一年この女性とよろしくやっていたのだろう……!」

 

 自分で言って、傷付いたようにアンは声を震わした。

 

「ばっ、ちげーよ! さっき話したろ新薬の研究だって」

 

「………ふんっ、どうだか」

 

「だから、あーもう! こいつとはそういうんじゃないっての!」

 

「ほう、なるほど。唯の遊び相手、ということか。確かに男受けする淫らな身体をしている。この女性から誘われたのか? 不埒な。こんな垢抜けない顔をしてるのに、人は見かけにはよらないものだな。さぞ夜の具合が良いのだろう」

 

 アンは嘲るように、言葉を発した。シンディを見下す言動に、眉をひそめる。

 

「おい。俺に何か言うのは良いが、こいつは関係ないだろ」

 

 自分でも驚くぐらい、低く唸るような声が出た。

 

 妹弟子に対して下劣な揶揄をされ頭に血が上る。俺はシンディの兄弟子なので、どんどん弄っていこうよ! という方針だが、他の奴はなんか駄目だ。そう思うと、抱き締められ拘束されている現状にも苛立ちを感じる。

 

「……もういいだろ。早く、離せよ」 

 

 びくりと短剣を持つアンの手が震えた。

 

「あっ……うっ、い、嫌だ。離さない。絶対に離さない」

 

 振りほどこうと、身体を捻るが細い身体からは想像できない強い力で押さえつけられる。

 

「っ、お前な、いい加減にしろ!」

 

「……わ、私はっ!!!」

 

  俺の声をかき消すくらい、大きな声だった。

 

「待ってたんだ。ずっと、ずっと。会いたくて、で、でも、シェロは、1年も私に会いに来て、くれなかった……。ねぇ、しぇろ、は、もう、わ、わたしのこと、き、らひっう……っ」

 

 嫌いになったのか? と言おうとしたのだろうが、途中で嗚咽が混り言葉にならなかった。首元に、ボロボロと涙が落ちてくる。

 

 やだー、ガチ泣きじゃないですか。

 

 ……はぁ、一気に頭が冷えたわ。

 

 こいつ昔っから俺に対してだけ物凄く嫉妬深い上に、独占欲も強かったからな。1年間も会えなくてただでさえ辛かったのに、俺とやっと会えたと思ったらすぐ逃げようとするし、女連れだしで、精神的に相当堪えたんだろう。

 

 アンがここまで大泣きするのは幼いとき以来で、さすがの俺もいろんな意味で無神経だったと反省する。あいつの気持ちも一過性のもので、距離を置けば冷めるもんだと思ったんだがなぁ……。

 

 小さく息を吸って、覚悟を決めた。

 

 俺は守り刀を持つアンの手首を掴んで、くるりとアンの身体を前に引っ張り移動させる。その反動で、前のめりになって転けそうなアンを横から抱きしめた。アンは強く握っていた守り刀をすぐさま放り投げ、すがり付いてくる。お前、守り刀の扱いさっきから酷くない?

 

「なぁ、こいつと俺は本当にそういう関係じゃない。セクハラは日常的にしてるが、まぁ、スキンシップの範囲内だたぶんきっと。弟子で気安いから、つい悪ふざしちまっただけだ。……でも、お前もシンディにひどいことを言ったんだから、あとでちゃんと謝るんだぞ?」

 

 俺がそう言うと、アンは再び堰を切ったように泣きはじめた。心底、辛いと言ったような声で、俺の名前を何度も呼ぶ。

 

 苦しそうに浅く息を繰り返す音が続く。精神的負荷で、過呼吸になってるのか。俺は、慌ててアンの背中を撫で擦る。

 

「アン、顔を上げて俺を見ろ。俺を見るんだ。落ち着いて、ゆっくり息を吸え。なぁ、悪かった。俺も言い過ぎたよ。お前のこと嫌ってなんていない。ほんとだ。よしよし、大丈夫。泣くな泣くな。置いて行ったりしないから。ほら、ちゃんとそばにいるだろ?」

 

 アンは深呼吸しながら、恐る恐る顔を上げた。

 涙に濡れた目で、俺の瞳をじっと見つめ、こくんと頷いた。

 

 俺は、手でアンの涙を拭ってやる。そして、昔泣いていた幼いアンを慰めていたときのように、頬に、瞼に、額にと順番に唇を落とした。アンはそれでやっと安心したのか、小さく笑って、俺の手にそっと自身の手を重ねた。そして、愛しそうに何度も何度も頬ずりをする。全く、こいつ俺のこと大好きすぎるだろ。

 

 俺が恥ずかしくなって、手を放そうとしたら、すごい力で押さえつけられた。ゴリラの本領発揮である。こんなところで本領を発揮しないで頂きたい。

 

 数分たっぷり頬ずりをして、満足したのか手を離し、アンは背伸びをして、再び正面から首に手を回し、隙間を埋めるように強く抱き付いてきた。すんすんと鼻を鳴らし、俺の胸板に顔を強く押し付けるアンの背中を擦り続けながら、俺は小さくため息を吐いた。

 

 ほら……絶対面倒くさいことになるから、ここに来るのが嫌だったんだ。

 

「兄さん……」

 

 顔を上げると、炉端のゴミを見るような目をしたシンディが憮然とこちらを眺めていた。一部始終どころか、ガッツリ見られてた。俺でさえ、なんとも言えない気持ちになる。

 

「頼むから、何も言うな。死にたくなる」

 

 俺は、空を仰いだ。

 

 そこには相変わらず、嫌になるくらい綺麗な秋晴れの青空が広がっていた。

 

 

 …………………

 

 

 

「……で、説明してくれるんですよね」

 

 ウィーンレム大聖堂の礼拝堂に移動し、腰を休めたところでシンディがすかさず問いただしてくる。

 

「っち、何をだよ」

 

「何をだよ、じゃないです! 引っ付き虫みたいに張り付いてる彼女のことです! どんなことをすればそうなるんですか! ……馬鹿、兄さんの馬鹿!」

 

 シンディは、俺の隣に隙間なく座って腕を組んでいるアンを指差す。馬鹿とはなんだ馬鹿とは。抗議のひとつでもしてやらねば気がすまぬと意気込む。

 

 ア゛ッ、ダメだ。これは怒りを通り越したときの顔だ。目が笑ってない。ここは、ひとつアンに弁護を頼もう。

 

「おい、アン、お前もなんとか言えよ」

 

 隣を見ると、アンはまだぐしくじと鼻を啜りながら、顔を肩に擦りつけていた。駄目だ、こいつ本当に使い物にならない。あっ、おい、それ以上擦り付けるな、鼻水付くだろうが、止めろ、止めろって!

 

 くっ、仕方ない。ここは、俺の華麗な話術で何とかするしかない。

 

「俺のような理知的な男を捕まえて、なんてこというんだ。ほんと、失礼なやつだな、ぶち犯すぞ!」

 

「ひんっ! やっぱり!!」

 

「何がやっぱりだ、この――」

 

 シンディは、咄嗟に自分の胸を手で隠し、身体を除けさせる。それを見て、更に言葉を重ねようとすると腕に鈍い痛みが走った。横を見ると、アンが俺の腕を摘まんでいた。悋気を湛えた薄暗い瞳がじっとこちらを睨み付けてる。悪かった、と両手を上げ降参の意を示す。

 

「はぁ、……えっと、はじめまして、私はラッセル先生の弟子で、ウェントゥスのシンシアと申します。シェロ兄さんの妹弟子です。よろしくお願いします」

 

 探るようなその呼び掛けに、アンは身体を震わせた。そして、姿勢を正し、シンディと正面から向き合う。

 

 さっきまで、グズっていたのが嘘のように凛とした面持ちだった。これから負けられぬ戦に臨むとばかりの覇気を感じる。

 

 お前はいったい何と戦うつもりなんだ。

 

「……いや、こちらこそ先程は失礼な物言いをした。シンシアと言ったか、改めて非礼を詫びよう。私の名は、アンフィーサ。アンフィーサ・ジクムンド・ソフィーヤ・フォン・ラリッサ。こちらこそ、()()シェロが世話になったな」

 

「いえいえ、そんなことはっ……え゛」

 

 シンディの顔が固まった。一拍して、俺に視線を向ける。

 

「に、にに、兄さん……ラリッサ。ラリッサって、まさか、あの、彼女、いえ、このお方は……」

 

「ああ、そのまさかだ」

 

 基本的に、この国の人間は一部を覗いて名字を持たない。その一部とは勿論、特権階級である王公貴族を指す。名字は自身の生まれを正当なものとして証明するためのもので、国王に承認されて初めて名乗れるものなのである。

 

 つまり、この長ったらしい名前を持つアンは正真正銘、貴族の一員であり、ラリッサの名を冠していることから一目瞭然だが、この地を治めるラリッサ辺境伯のご令嬢なのである。

 

「兄さん、ちょっと、よりにもよって、よりにもよって! なんてお方をたぶらかしたんですか! バレたら、絶対打ち首ですよ!」

 

「あ、アホぅ! 人聞き悪いことを言うな! こいつは、ただの幼馴染みで、小さい頃から知ってるし、勿論手も出してないわい!」

 

「そもそも、平民の兄さんと貴族様がどうして幼馴染みになるんですか。ほら、キリキリ吐いてください!」

 

 鬼のような形相捲し立てるシンディに疲弊していると、アンが俺を庇うように前にでた。

 

「シンシア、あまりシェロを苛めてくれるな。……だが、ただの幼馴染みとは聞き捨てならぬな。私たちは家同士で決められた許嫁であろう?」

 

 全然、庇ってなかった。むしろとどめ刺しにきたんですけど。

 

「……兄さん?」

 

 どういうことですか? と目で語るシンディ。

 

「あー、許嫁云々は親父とアンの父親、ラリッサ侯が酒の席で交わした口約束だ。別に正式なものでもなんでもない。守る必要もないものだ」

 

「口約束などではない。これは誓約(ギャサ)だ。絶対に守るべきものだ」 

 

 俺がこの世界に来るずっと前、何らかの理由で酒の席を共にした親父と、アンの父親が酔った勢いで「お互いの子どもを結婚させよう」という約束を交わしてしまったことがそもそもの発端だ。本当に親父がやることなすことは、ろくなことにならないと痛感する。

 

 普通なら酒の席での戯言と忘れ去られるべきものだった。しかし、ラリッサ侯は、酔いが覚め正気に戻っても「酔って交わしたものだが、誓約は誓約だ。守らねばならぬ」と、妙な義理堅さを発揮した。

 

 これは誓約に重きを置くこの地方独特の信仰で、誓約を結んでそれを守り続けると神から恩恵を与えられる。しかしそれを一度でも破ると大いなる厄が振りかかるというものだ。

 

 俺からしたら、ただの迷信でしかない。しかし、平民でしかない俺と辺境伯爵令嬢のアンが、その誓約により引き合わさせたことからその影響の強さを感じられる。

 

 初めて顔を合わせたのは、俺がちょうど11歳、そのときアンはまだほんの5歳だった。それからずっと許嫁だと言われ育ったが、必死に俺の後ろをとてとてと着いてくるアンを妹のように思っていた。アンも俺を兄だと思っているだろうと。どうせそのうち、好きな人ができたから許嫁を解消したいと言ってくるに決まってる。それまでの関係だとすら思っていた。 

 

 ……つい1年前までは。

 

 一年前、15歳になるアンの誕生日合わせて王都から帰ってきていた俺は、ラリッサ侯からそろそろアンフィーサと一緒になって良い時期だろう、娘もそれを望んでいると背中を叩かれた。

 

 またまたご冗談をと、笑いながらアンの様子を伺った。兄貴分と結婚しろと言われて、きっと動揺しているだろうと踏んでいたからだ。

 しかし、アンは頬を染めながら微笑み、期待したような瞳で俺を見つめていた。俺はガツンと、頭を殴られたような気持ちになった。

 

 ―――えっ、許嫁って本気だったの!? と。

 

 そして、俺は逃げるように王都に帰り、一年間まったくラリッサには近寄らなくなったのである。

 

 思い返すと、中々のクソ野郎ぷりだなこいつ。結婚をちらつかせたら、急によそよそしくなる、みたいな?

 男の風上にも置けない。……まぁ、俺のことなんですが。 

 

 いやだって、今まで妹みたいに思ってた女と結婚できるか? 俺はまだ遊びたいし、独り身で居たい。

 

 それに結婚するなら、胸が大きい娘がいい。あと、貴族とか面倒くさそうで嫌だ。胸が豊かなら考えてやらんこともないが。でもまぁ、俺は普通の娘で十分。さらに、胸も大きければ、言うことない。

 

 俺が割と下劣なことを考え、返事をせず黙っていると、アンがそんな俺の様子を暗い表情で伺っていることに気づく。胸の位置で祈るように合わせた両手が小刻みに震えていた。

 

 その顔を見て、ああ、きっと以前から、アンは俺が結婚を望んでないかったことを知っていたのだと思った。そりゃ、一年前結婚を仄めかしたら、直ぐ俺が王都に逃げ出し中々帰ってこなかった訳だからな。気づかないほうがおかしい。もしかしたら、それ以前から感づいていたかもしれない。

 

 それでも、俺の口から、直接決定的な否定の言葉を聞くのが恐ろしいのだろう。だから、捲し立てるように、この地に住む者にとって絶対的な誓約まで持ち出してきたのだ。

 

 俺と再会して、俺の行動に大泣きするほど情緒が不安定だったのも、そこまで追い詰められていたからか。こんな調子で、俺がずっとラリッサに戻らなかったらどうなっていたのだろう。碌な結果にならないことは確かだ。

 

 今まで、アンとの様々な思い出が脳裏を駆け巡る。最後に、今日の泣き顔が浮かんで、消えた。

 

「俺はさ、誓約云々は置いといても、お前のこと妹のように思ってるよ」

 

 ひっ、と息を飲む音が聞こえた。断られたと思ったのだろう。アンは口を戦慄めかして、強く握っていた自身の両手をだらりと下げた。急速に目が虚ろになり、一筋の涙が頬を伝う。

 

「わ、私は、あなたを兄だなんて、思ったことは、いち、一度だって、ない。私は、ずっと、ずっと……!」

 

「おい、はや合点するな。別に断ろうって訳じゃない。お前を妹みたいに思ってたけど、これからはちゃんとお前を女として見るように努力はするってことだ。取り敢えず今はそれで手打ちにしてくれ」

 

 俺がそう言うと、アンは顔をパッと上げて、息を吹き返したように深呼吸した。目に光が戻る。アンは目を伏せ、静かに微笑んだ。それは夢でも見てるような、淡い笑みだった。

 

 一拍置いて、アンは俺を真っ直ぐ見つめた。そして、自然な動作で片膝をつき、俺の手を握る。そして、手の甲にそっとキスをした。

 

「―――ひとつ願うならば、どうか愛を請う許しを……」

 

 アンは、俺に想いを伝えてくる。ここまで、言ってくれる女がいまだかつていただろうか。そして、これから出会うことができるのか。

 

 そもそも恋愛対象と見るように頑張ると言った側から、プロポーズ紛いな言葉をかましてくる程度に拗らした女がそうそう居てたまるか。チョロすぎてこいつの今後が心配になる。

 

 俺がこいつを振れば、グズ男に捕まって隅々まで搾取されてしまう予感がする。こいつを受け止められる度量を持つ奴は、俺しかいないのではないだろうか。

 

 なんか、逆に丸め込まれているような気もするが。

 

(……とりあえず、一番重要な要素を確かめるか)

 

 俺はアンを見つめた。主にアンの胸部をじっくりと見つめた。無いわけではないが、戦力的には心もとない。B 、盛りに盛ってギリギリCか。うーん、微妙。普通ならアウトだが。こればっかりは、収穫してみないとわからない。

 

 俺はすぐ求愛に答えず、ふむと、小難しい顔でアンを近くに呼ぶ。おずおずと、無防備に俺の側に寄ってきたアンを、くるりと反転させ、後ろから抱擁する。そのまま胸をまさぐる。アンは最初こそ、驚いたように身体を震わせたが、抵抗は全くしてこない。むしろ、身体を持たれかけ、甘えるように鼻を鳴らしている。それを良いことに、持ち上げるようにして何度も揉む。

 

 ふむ、ふむふむ。

 

 悪くない。まだ、芯が残っているが形は良いし、手の平にすっぽりと収まる。一から育てるというのも乙なものだ。

 

「うん、よし合格!」

 

「にぃさあぁん! 何が合格ですか! ほんと、何してるんですか!」

 

 あっ、こいつのこと忘れてた。本日3回目である。

 

「見たら分かるだろ。胸を揉んでる」

 

「そういうことを言ってるんじゃないです! 大聖堂でそんな淫らなこと、バチがあたりますよぅ! それに私がいるのにひどくないですか!? もう、兄さんの馬鹿!」

 

 シンディは地団駄を踏むと、アンの胸をふにふにと触っている片方の手を引っ張ってくる。なんだこいつ。もしかして、自分も揉んで欲しいのだろうか。この欲しがりさんめ。

 

 俺は腕を強く払い、シンディを胸に引き込む。そのまま背中に手を回し胸を持ち上げた。ひんっ、とシンディの鳴き声が聖堂に響いた。

 

 右にはアン、左にはシンディ。まさに両手に花。

 

 異世界の幼馴染みと妹分が、俺のことを好きすぎる件について。まったくモテる男は辛いものだ。

 

 

 

「……これは、いったいどういう状況でしょうか」

 

 

 

 礼拝堂の扉の外でヨハネス神父の困ったような呟きがひそかに聞こえた。

 

 

 

 

 


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