彼はこう言っていた。
運命とは、最もふさわしい場所へと、貴方の魂を運ぶのだ。
土曜午後九時。テレビに映る恋愛映画のような出会いだった。
心地よい春もどこかへ行ったような頃合い。それでも少し肌寒い、珍しく強めの雨が降りしきる夕暮れ時。街頭に明かりが灯り出す、そんな住宅街から少しだけ外れた一本道。毎日通る、見慣れた光景。
そんな一部分に彼女たちは転がっていた。
空き地になってしまった敷地の端の方。普段では絶対に視界にすら入らないようなところに、自然と目を引かれる。そんな感覚だった。
まるで、映画の世界から出てきたような菫色の長髪。後ろ姿の先には、濡れた段ボールと、それを雨から守るように立てかけられた傘。
「嗚呼、大丈夫。安心してくれ。私は、ここにいるからね」
少し小走りに駆け寄り、中身をのぞき込んでみると、小さくも真っ黒な子猫が一生懸命鳴いていた。
人気のない雨降りの夕暮れの一本道。予報によれば、明日の夜までは止むことは無さそうだ。彼女に声をかけて見ると、少し眉をひそめていた。こんな様子の彼女を見つけて、声を掛けに言ったは良かったが、自分の家では飼えない、と。
あまりにも、物語のテンプレートのような場面に出会ってしまい、思わず感動を覚えた節があったのは確かだった。こんな状況にも関わらず、目の前の彼女に悟られないように、僕の心は踊っていた。
「カノジョを家に連れて帰りたいのは山々なんだが……」
「じゃあ、ウチで面倒見ますよ」
雨の中で拾ったのは、面白そうなエピソードと子猫だけのつもりだったんだけど、今となってみてはそれだけじゃあなかったみたいで。
同じ世界の住人とは信じがたい、王子様のような女子高生を拾ったのか。もしくは、僕が拾われた側の立場だったのかもしれない。子猫に傘を貸す彼女と、その彼女に傘を差しだしている自分。傍から見たら間抜けには違いなかった気はする。
ともかく、そんな突拍子もなく、偶然が重なったような出来事が、俺と彼女の出会いだった。フィクションも鼻で笑うだろうけど、彼女にはこれがふさわしい。
現実では有り得ないような、そんな世界のお話。
彼女の名前は、瀬田薫。変わっていた。
それからは友達とも言い切れない、知り合い程度な距離感。
子猫の動向を聞かれては、なんの変哲もない返答で伝える関係。スマホでやり取りをしているだけだったのが、彼女の個性に引っ張られ、少しずつ距離も近づいて行く。
バイト先のカフェに顔を出してくれるようにもなった。子猫きっかけで出会ったお兄さんとお嬢様な王子様というだけだったのに、気が付けば、店員さんと女子高生という関係に。少しずつ頻度も増え、彼女につられて女性客も少し増え……
終いには、彼女が個性豊かな友達を引きつれて来るようにもなった。騒がしくなったというよりも、賑やかになった。それほど暗い人生を歩んできたつもりはないけど、今まで感じたことのない明かりを照らされている気がして。
「薫。彼とは知り合いなの?」
「彼は知り合いというか……」
「知り合いといえば知り合いかも、ですね」
そんな気持ちが変わっていたのはいつだっただろう。彼女の事を知ってみたいと、ほんの少しの興味が、いつの間にか、思わず彼女を目で追うほどに意識するようになっていた。
何しろ、彼女は一般論で許容するのなら、まさしく変わっていると言える人物だった。きっと10人いれば、10人が彼女のことをそう言って評するのだろう。
小説から切り取りしたような言葉遣い。舞台から役者がこちらに降りてきて、お芝居をしてくれているような仕草。自分の立場が、所謂白馬の王子様だとわかっている振る舞い。当時、高校一年生の女子高生がしていていいキャラの濃さではない。
何から何まで、彼女は面白かった。気になり始めてしまえば、そこからは興味が尽きない程に。それが、すぐそばで見守っていたいという感情に塗り替わっていくのも、理解できない話では無かった。
「どうかしたのかい?」
「ハハッ……いや、なんでもないよ」
昔、付き合っていた女の子たちに抱いていた感情とは少し違う。可愛いだとか、付き合ってみたいとは少し違う。ただ彼女の横に居ていたい。アイドルを追う、追っかけのファンとでも言った方がしっくりとくる。
多分、僕は瀬田薫という人間そのものが好きだったんだと思う。
恋心と同時に、彼女の有るがままに惹かれたんだ。変人だと心の中で笑っていたつもりが、蓋を開けてみればこちらも同じ人種だったというわけだ。思い出すと、頭の中が痛々しい。そんなに非常識に憧れているつもりなんかなかったから。
自分の気の変わりように気が付けば、それなりに取るべき行動も決まっている。
幸い、初めの出会いから一対一だったので、二人きりで何かをすることに、お互い抵抗も違和感もなかった。
遊びに誘う。食事に誘う。デパートに行ったり、水族館に行ったり、テーマパークに行ったり。遊びの感覚から、ありがちなはずのデートプランに。
わざとありがちなものを選んだつもりだったのに、彼女が隣に居るだけで、それが何倍も楽しく感じたのだから不思議だ。今まで触れられていなかった部分まで、満たされていく感覚。
「キミは、いつも楽しそうな色を見せてくれるんだね」
「そりゃあ、楽しいですから。そう言うのは、嫌いじゃないでしょう?」
「子猫ちゃん達の幸せが、私の幸せ。つまり、そういうことさ」
嬉しいことに、誘いを貰って彼女が所属する演劇部の講演にも行った。
壇上で見事な演技を見せる彼女は、普段とあまり変わらないようで。いや、何処か少し違うみたいで。やっぱり変わらなくも見える。瀬田薫という人間を形成しているそれぞれを見つける度に、次へ、次へと、やっぱり興味は尽きない。
立つ年月を重ねる度、足りやしないと、どれだけ掘り進めても、彼女は彼女であり続けていた。彼女はどんな時でも瀬田薫から離れることは無かったが、それが瀬田薫だった。
「勿論、キミもそうだよ」
「WIN-WINって奴ですか」
「あぁ……儚い……」
彼女の優しさ。観察眼。格好良さ。可愛さ。ファッションセンス。好み。苦手。立ち姿。視線。歩幅。表情。指先。全てに興味を惹かれる。
絵本の世界を身にまとった王子様。それに憧れている女の子でありながら、彼女は王子様に見えた。
だから、もっと先が見てみたいだなんて、強欲がすぎるなんて分かっている。
ファンとして、瀬田薫を好いているのか。一人の女性として、彼女を好いているのか。
正直な所、今でも答えはわからない。都合の良い言い方をすれば、両方と答えたい。きっと、純愛と呼ぶには少しズレている。純粋な好意では無いんだ。それでも、こうした方が良い気がして、やるべき行動をいつの間にか決めていた。
今望んでいるものを手にして、何の得があろうか。
それは夢、瞬間の出来事、泡のように消えてしまう束の間の喜びでしかない。
ただの事実確認。それだけなのに、中々口からは出てこない。機会など幾らでもあるのに。これは、嗚呼、厄介だな。断られた時、彼女のそばに居られなくなるというのが、これ程までに怖いとは。優しい彼女なら、きっと隣に置いてくれるだろうから。何故か、それすらも怖い。
「キミは、何か私に隠し事をしている。問い詰めている訳ではないんだ。ただ、言いにくいことがあったら、抱え込まずに伝えてほしい……どうだろうか?」
生憎、彼女は観察眼に優れている。表に出しているつもりは無くても、どこかで気が付く。善人というのは、そう言う生き物らしい。
そうして、それが懐疑心から出てきた言葉ではないというのも、俺はわかってしまっていた。彼女を目で追ってしまっていたから。
「今はまだ、言えないかも」
きっと、高校三年生になったばかりの俺は、彼女から見れば違和感でしかなかったんだろう。今まで通りじゃない日常。何かが変わる日々というのは、それだけでストレスになる。いつも通りじゃないのは、案外辛い。
それでも彼女は、問い詰めたりはしなかった。
少し小首をかしげ、顎を触って、ほんの少しだけ考えるようなそぶりを見せる。そうして少し経ったら、彼女からキミに向けた言葉を伝えてくれる。
「かのシェイクスピアは、こう残している。言葉が役に立たないときには、純粋に真摯な沈黙がしばしば人を説得する。とね」
「……あのさ」
「焦ることじゃない。いつ何時も、言葉が全てを解決するとは限らない。何しろ、私はここにいる。今も、これからも。だから、キミが言いたくなるその時で良い。その時は……キミの口から私に聞かせて欲しいな」
それでも待っていてくれたのは、彼女が瀬田薫であり、今思えば、一人の女の子だったからだと思う。
何時かの、子猫に対して微笑んでいた時と全く同じような笑顔で、言葉通り、彼女は居てくれた。そんなに、怯えていたのかな。彼女の言う子猫ちゃんとやらに、あの頃は本当になっていたのかもしれない。今となっては、よくわからない。
そんな距離感が半年は続いた。
僕自身の大学受験もあり、連絡する機会も減り、ほんの少し、彼女とは疎遠になりかけたりもした。彼女の友達の助けも色々と借りた。時には、今でも夢なんじゃないかと思うような出来事さえもあった。
時間が、経験が、解決をしてくれた。
最後に俺の背中を押したのは、彼女の隣に居てみたい、居ていたい。結局というか、やっぱりというか。一番最初に抱いたその気持ちだった。我ながら、随分と遠回りした。
ただ、遠回りとは案外悪いものではない。歴史が定めた聖夜に、自然と照準は合わせられていた。
縋れるものには縋りたい。ありがちだね、なんて笑われても、僕たちはありがちな人間じゃない。君と二人なら、尚更。
「貴方を迎えに来ました。これからもずっと、僕の隣に居てくれないでしょうか」
粉雪が舞い散る二十四日、片膝をついて彼女に手を差し伸べる。
王子様を迎えに行く王子様だなんて、夢女子が喜ぶような真似をしてしまった。
クリスマスに片膝をついて、現代では誰も言わないような臭い台詞を吐いてしまった。
小さい子供が考えるような、絵にかいたような、僕のような人間にはきっと似合わない。そんな告白をしてしまった。
でも、みんなはきっと勘違いをしている。何もおかしなことをしている訳じゃない。
婚約のプロポーズには、薔薇の花束を贈ろう。
結婚式には、純白のウエディングドレスが似合う。
正真正銘。
だって彼女は王子様で、お姫様なんだから。