レース場に響き渡る歓声………。
ゴール板を目指して必死な顔で走る少女達。
それを見て、聞いて、少年はただ「すごい」と、そう思った。
それが、少年が小学生くらいの時のこと。
「おれのしょうらいのゆめはトレーナーになって、ウマ娘さんを勝たせてあげることです!」
学校の授業で将来の夢について発表した時に、少年は真っ先に手を挙げて発表した。
今に考えればものすごく無謀な夢を語っていたのだと自分でも思う。
それでも、懸命に勉強して試験を受けてなんとか合格することができて、今少年………否、青年はここ………日本ウマ娘トレーニングセンター学園、通称トレセン学園の大きな門の前にスーツを着て立っていた。
「き、緊張する………」
夢にまで見たトレセン学園。
青年は今日からトレーナーとして担当ウマ娘と切磋琢磨して行くのだ。
「おはようございます」
「ふぇ!?」
不意にかけられた挨拶に返事をできずに素っ頓狂な声を出しながら青年は挨拶をして来た本人に視線を向ける。
緑の帽子に緑のスーツを着た綺麗な女性だ。
「新人のトレーナーさんですよね?」
「あ、はい。新しく赴任して来ました。神門星です」
青年の名前は神門星。
歳は二十二歳。
彼女いない歴イコール年齢の何の面白みもないこれからトレーナーとなる男だ。
「私、理事長秘書の駿川たづなです。それでは先ずはトレセン学園を案内しましょう」
「よろしくお願いします」
「はい。では行きましょう」
まず訪れたのはカフェテリアや体育館、トレーナー室などの校舎内の設備だ。
「カフェテリアでは毎日料理人の方々が生徒さんや職員さんの為にたくさんのお料理を作ってくれています」
「何か、忙しそうですね………」
「生徒さんは皆たくさん食べますからね」
ふと、キッチンの方を見てみれば既に妊婦のようなお腹をした葦毛のウマ娘がおかわりを要求している。
「ここは体育館です。集会などもここで行われます」
「………体育館に似つかわしくないメカメカしい物がありますけど?」
「あれはVRウマレーターです。とある会社が提供してくれたんです。色んなトレーニングができるようになってるんですよ」
たづなはそう言ってはいるが、目に隈を作ったトレーナー達が何やら誰かの名前をブツブツと呟きながらウマレーターに入って行く。
………ゴドルフィンさんって誰?とトレーナーが思ったりもしたが放っておくことにした。
「ここがトレーナーさんのトレーナー室ですよ」
「ここが………」
中は至ってシンプルと言った感じだがそれでも必要最低限は揃っていると言った感じだ。
「書類などは机の中に入れておきましたので後で確認しておいてください」
「はい。ありがとうございます」
机を少し開けて書類が入っているのを見て、トレーナーは再び机をは閉める。
「次はグラウンドです。普段はトレーニングに使われているんですけど、今日は少し違うんです」
「何かあるんですか?」
トレーナーがたづなとグラウンドに来てみればたくさんの人が集まって何やらガヤガヤと話している。
「今日は選抜レースがあるんですよ」
「選抜レース………?」
選抜レースとはなんだ?と頭を悩んでいると、たづなが笑いながら話しかけてくる。
「まだデビューしていない生徒さんがトレーナーさんにアピールをするイベントです。よかったらトレーナーさんも見ていきますか?」
「良いんですか?」
「はい。案内はここで終わりなので」
たづなの許可もいただいたので、トレーナーは小走りに人だかりの最前列へと入り込む。
「ちょっとすいませんね」
最前列に辿り着いてコースを見てみればスタートしたばかりなのかパン!と言う音共に体操服姿のウマ娘達が走り出していた。
その中で、トレーナーを含めた周りのトレーナー達の目を見張るウマ娘が一人いた。
鹿毛のロングヘアーを靡かせて他の追随を許さないような圧倒的な走りを見せる彼女。
「やっぱりすごいな………、シンボリルドルフ」
「シンボリ、ルドルフ………!」
彼女の走りを見ていると、トレーナーは小学生の時に見た日本ダービーで走っていたウマ娘を思い出す。
圧倒的な速さでゴール板を切ったシンボリルドルフに何人かが彼女に向かって行く。
きっと勧誘しているのだろう。
「どうしましたか?」
追いついて来たたづなの方を見て俺は笑ってみせる。
「………いえ、素晴らしいレースだと思いまして」
「あぁ、シンボリルドルフさんですね。トレセン学園の生徒会長もされているんですよ」
「それはそれは………」
そろそろ時間です、とトレーナーはたづなさんとレース場を後にするのだった。
◇◆◇◆
「歓迎ッ!よく来てくれた!」
理事長室。
トレーナーの目の前には扇子を持った幼女が一人、笑顔で立っている。
一見みれば彼女は学校に迷い込んだただの幼女と勘違いされてしまっても仕方がないだろう。
だがトレーナーは知っている。
彼女が………この頭に猫を乗せた可憐な幼女が理事長なのだと言うことを。
秋川やよい。紛れもなく幼女である。
「いえ。こちらこそ………」
なんて言ったらいいのか分からなかったのでとりあえず適当に挨拶をしてみたがトレーナーもやはり幼女に敬語を使う違和感は拭うことができない。
「誰か気になるウマ娘は居たかな?」
「………えぇ、まぁ」
「ほう!期待ッ!これからの活躍を楽しみにしている!」
秋川理事長とたづなに頭を探れる下げて挨拶をしてからトレーナーは理事長室を後にするのだった。
◇◆◇◆
自身のトレーナー室。
とにかく今日渡された書類を片付けてしまおうと椅子に座り書類に向き合いながら頭を掻きむしっていた。
「えーと………。これはこっちをこうして………あれ?今何時だっけ?」
トレーナーがふと机の上のデジタル時計を覗いてみれば既に下校時間は過ぎていて何なら外は春先なのにもう真っ暗だ。
「初日から………、しかもウマ娘に関わらない仕事でこれか………。先が思いやられるぜ」
最後の書類を片付けて机の中に保管して鞄を弄り帰り支度を始める。
そんな中、部屋の扉がコンコンと部屋の中に響く。
「失礼するよ」
聞き覚えのある声が聞こえたと思えばいきなり扉が開きこれまた見覚えのある少女が姿を現す。
「シンボリ………ルドルフ?」
トレーナーは信じられないような物を見たかのような目を丸くしてシンボリルドルフを見る。
だが、気持ちをなんとか落ち着けたトレーナーが一呼吸置いて話し出す。
「………もう下校時間はとっくに過ぎてる。寮の門限だって………」
「心配無用。ヒシアマゾンには既に断っているよ。今日は月に一度の見回りさ」
ゆっくりとトレーナーを見定めようにシンボリルドルフが近付いて行く。
トレーナーもシンボリルドルフから離れるように後ずさって離れようとする。
「………そのスーツ」
シンボリルドルフの視線の先、トレーナーの黒いシワひとつないスーツを見ながらトレーナーは恥ずかしそうに頬を掻く。
「これか?別に気にするようなこともないだろ?ごく普通のスーツだよ」
「………そうだね」
何やら悲しそうな顔を浮かべるシンボリルドルフに眉を顰めたトレーナーが話題を変えようと手で顎を弄る。
髭は毎日剃っては居るが既に無精髭が生えて来ている。
「今日のレース、凄かったな」
「………あぁ、見に来てくれたのか」
「まさに唯一抜きん出て並ぶ物無しって感じだったぜ」
Eclipse first, the rest nowhere。
この学園の校訓とも言える言葉。今日のシンボリルドルフの走りはまさにこの言葉が相応しいだろうとトレーナーは頷きながら思う。
「私などまだまだ浅学菲才だよ」
「謙遜することもないと思うがね………」
トレーナーがそう言いながら自身のスマホを確認して目を丸くする。
「おっと………、もうこんな時間か。悪いね、この後俺用事があるからもう行かせて貰うよ」
「いや、こちらこそ引き留めてしまってすまなかったね」
トレーナーは話しながらもずっと弄っていた鞄を持つと小走りにシンボリルドルフの横を通り過ぎる。
そんなトレーナーの背中を見えなくなるまで眺めたシンボリルドルフもトレーナーが忘れていった部屋の戸締りと消灯を済ませて再び見回りのために暗い廊下に消えていった。