翌日。トレーナーは処理した書類をたづなに渡し終えて手持ち無沙汰となり、今日もグラウンドのコースで走るウマ娘達を眺めていた。
中央のトレセン学園に在籍しているだけあって皆いい走りを見せるな………、とトレーナーが思っているとふと、観戦席の遠巻きに見覚えのある姿が目に入る。
昨日も会ったシンボリルドルフだ。
シンボリ………。そう、シンボリだ。
この家名にトレーナーは覚えがあった。………と、言うよりはトレーナーならば知っていて当たり前と言うべきだろう。
メジロ家やサトノ家、秋川家等々上げていけばキリが無いがいずれもレース業界に多大な貢献や歴史に名を刻む名ウマ娘を排出している。
シンボリ家もその一つだ。
「やあ、今日もトレーナーとして力戦奮闘しているね」
しばらくしてトレーナーがいることに気付いたのか、シンボリルドルフがトレーナーに近付いて話しかける。
「俺はここに来て二日目だからな………。手持ち無沙汰なだけだよ」
トレーナーも眠そうに欠伸をしながらもその目はトレーニングをするウマ娘から離すことはない。
「………ところで、今度またウマ娘達が自分をトレーナーにアピールするレースがあるのだが君にも来てほしい」
「昨日選抜レースをしたばかりなのに?」
「こう言う場はいくらあってもいいからね」
ふむ………、とトレーナーはトレーニングも終わり教官と話し込んでいるウマ娘達を見ながら考え込む。
「………まぁ、俺だって新人とは言えトレーナーだからな。もちろん見に行かせては貰う」
問題は新人トレーナーのスカウトを受け入れてくれるかどうか、なのだがこのトレーナーは呑気なあまりそのことには気付いていないようで授業に向かうウマ娘から視線を離して空をぼけっと見ている。
「実は私も出走することになっていてね、君にも見てもらいたいって言うのが正直なところだ」
「おう、いきなりどうした?」
いきなりの自分語りにトレーナーも空からシンボリルドルフに視線を移す。
「昨日あんなにスカウトされてただろ?」
「彼らには悪いが断らせてもらったよ」
なぜ?などとトレーナーは聞いたりはしなかったが、何故か少しだけ安堵してしまった。
「それじゃあ私もそろそろお暇させてもらうよ。雪案蛍窓も学生の本文だからね」
そう言うとシンボリルドルフはその場を立ち去って、その場にはトレーナーがポツンと一人だけで立ちすくむのだった。
◇◆◇◆
それから一週間………。
トレーナーは教官の手伝いや、他のトレーナーの手伝いをしながら、シンボリルドルフと言うウマ娘について調べていた。
先ずはトレセン学園の副生徒会長であるエアグルーヴのトレーナー、通称たわけの手伝いをしている時に聞いた話。
エアグルーヴ曰く、シンボリルドルフと言うウマ娘は全てのウマ娘が幸せに暮らせる世の中を創ることを自分自身に使命として課している、と。
初めに聞いた時トレーナーは何とも傲慢で漠然とした夢だろうか、とその絵空事に目を丸くした。
また、シンボリルドルフが何でもできてしまう性質故か、何でもかんでも仕事を請け負って手を焼いているのだとか。
次に話を聞いたのは同じ副会長のナリタブライアンからだ。
学園に植えられてある木の枝で昼寝をしているのを偶然見かけて春限定の厚肉人参ステーキを奢ることを条件に話を聞いてもらうことに成功した。
ナリタブライアン曰く、愉快好きなのだとか。
あの堅物そうなシンボリルドルフが愉快好きなのか?、と疑問に思ったトレーナーではあったがすぐにその疑問は解消した。
トレーナーが仕事で生徒会に書類を持ち込もうとした時のこと。
ふと中から話し声が聞こえて扉に耳をすませてみればなんとあのシンボリルドルフが一昔前のオヤジですら笑わないであろうオヤジギャグを延々と考えていたのだ。
結局、時間を置いて出直してしまったが、確かに愉快好きなのかもしれないとトレーナーは思った。
そして手伝いをしながらシンボリルドルフの情報を集めること一週間。
ついに、レースの当日が訪れた。
「すいません、ちょっと通りますよ」
いつものように人混みをかき分けて最前列へと向かう。
何とか最前列へと辿り着いたトレーナーは出走表を見ながら次のシンボリルドルフの出走を待つ。
「やっぱり、皆さんシンボリルドルフさんが目当て見たいですね」
すぐ横からそんな声が聞こえてトレーナーが振り向いてみるとそこにはボブカットの黒髪にポニーテールのスーツを着た女性と無表情の白毛のウマ娘がいた。
「桐生院さんは応援ですか?」
彼女の名前は桐生院葵。トレーナーと同期だ。
彼女には既に担当ウマ娘が居てハッピーミークと言う。
「今日はレースを見学してトレーニングの参考にしようかと思いまして」
「そうですか………」
本当に何を考えているのか分からないハッピーミークの顔を見ながら苦笑いを浮かべる。
この満面の笑みで笑っている彼女が一番人間離れしているのだから本当に笑えない。
トレーナーがこの前手伝った時にはハッピーミークに付き添ってタイヤ引きを行っていた。
それもハッピーミークの何倍もの重さのタイヤだ。
これにはトレーナーも言葉を失った。
さて、信じられないものをトレーナーが思い出している間にゲートが開き、一斉に駆け出して行く。
トレーナーが調べた限りシンボリルドルフの脚質は先行と言った所だろうか。
差しも行けそうだが、先行の方が多いイメージだ。
適正距離はおそらく中距離と長距離だろうと予想を立ててトレーナーは序盤のシンボリルドルフの動きを見る。
案の定、シンボリルドルフは先行策を取るようで4位の位置を陣取りながら虎視眈々と抜け出す機会を狙っている。
「今回のコースは芝2000メートルの右回り。シンボリルドルフが得意とするコースだな」
「どうしたんですか、いきなり?」
トレーナーの呟きに桐生院が小首を傾げる。
「いえ、ちょっと言ってみたくなっただけで………」
バ群が第二コーナーを通り越して直線に入る。
一方、1位と2位を走っていた逃げウマ娘もそろそろ疲れてきたの向こう正面の真ん中辺りでスピードを落としている。
そして次の瞬間、シンボリルドルフが一息入れると3位のウマ娘を抜き去り、先頭との距離を詰める。
「中盤で仕掛けにいった!?」
桐生院が目を丸くして驚いた声を上げる。
確かに、彼女だけでなくその場の誰しもが仕掛けるには早すぎると感じたことは確かだ。
しかし、シンボリルドルフと言うウマ娘は自分のスタミナ配分を誤った訳でも、ましては掛かってしまった訳でも無い。
ちゃんと勝算があるからこそ、今ここで仕掛けに行ったのだ。
シンボリルドルフの予想通り、3位へと躍り出て二位のウマ娘との距離もどんどん無くなっていく。
コーナーに差し掛かる辺りで2位を抜き去り、遂には一馬身差の1位をも抜き去って堂々と1位へと躍り出る。
シンボリルドルフの予想外の仕掛けに後続のウマ娘もペースを崩されてその差は先ほどと打って変わってどんどん開いていく。
第四コーナーを超えて最終直線。
なんとシンボリルドルフはさらに加速したのだ。
もはや独創状態。これぞ皇帝と言わしめるようは走りを見せるシンボリルドルフにトレーナーは心を奪われた。
ゴール板を誰よりも早く走り抜けたシンボリルドルフはそのままコースを離れていく。
「………」
「やっぱりシンボリルドルフさん、凄いですね!」
「………俺、ちょっと行ってきます!」
次々と他のウマ娘がゴールしていく中、トレーナーは人混みをかき分けてシンボリルドルフの元へと走って向かう。
何度か転けはしたものの何とかシンボリルドルフの前に出る。
今のレースを見てなのか、それとも元々そのつもりだったのか、何人かのトレーナーがシンボリルドルフをスカウトしている最中だった。
「ど、どうしたんだい?ボロボロしゃないか」
「シンボリルドルフ!」
息を整えながらシンボリルドルフを見据えてトレーナーはシンボリルドルフと大して変わらない背を正す。
フッと一息入れてトレーナーは覚悟を決める。
「………何だい?」
トレーナーの覚悟が決まったのか、シンボリルドルフも先ほどの困り顔ではなく真面目な顔でトレーナーを見据える。
「君の夢をエアグルーヴから聞いた。正直に言って、荒唐無稽な話だと思った」
「………それで?」
トレーナーの話に怒るでも無く、シンボリルドルフはトレーナーから紡がれる言葉をゆっくりと待つ。
「でも、君のその夢を聞いて、俺もその夢の先を見てみたくなった!ほんと、新人が何言ってんだって感じだけどさ」
トレーナーが自身のスーツの襟でキラリと光るトレーナーバッチを取るとそれをシンボリルドルフに手渡す。
「もし、俺が君のトレーナーになって、君が夢を諦めるようなことになったなら、俺はトレーナーを辞める」
シンボリルドルフが目を丸くしてトレーナーとトレーナーバッチを交互に見る。
自分のトレーナー人生をシンボリルドルフに捧げると暗に言ってのけたこの新人トレーナーに周りのトレーナーも、シンボリルドルフ自身も驚いた。
「………このバッチは、君の襟に付けておいてくれ」
………振られた。
トレーナーはその事実に打ちひしがれ、呆然と立ちすくむ。
トレーナーにバッチを返したシンボリルドルフは他のトレーナーからトレーニングの計画書や自身を研究してまとめ上げらた書類に時間をかけて目を通していく。
「………どれも老成円熟の素晴らしいものだ。だから、これは貴方達の担当するウマ娘の為に取っておいてほしい」
「………そうか、残念だよ」
一人のトレーナーがそう言って返された書類を受け取り去っていくのを皮切りに他のトレーナーも自身が作った書類を手に去っていく。
誰も彼もスッキリとしたような顔で。
「………さて、トレーナー君」
最後にその場を去ろうとした俺にシンボリルドルフが声をかける。
「君に帰られては困る。これから一連托生で歩むのだから」
「じゃ、じゃあ………!」
「これから、よろしく頼むよ。トレーナー君」
「あ、あぁ!」
こうして、皇帝と呼ばれるウマ娘と新人トレーナーは夢に向かって覇道の道を歩み始めた。