かくして、シンボリルドルフとの覇道を歩み始めたトレーナー。
自慢のスーツは先日ボロボロになった為、クリーニングにへと出して今はクローゼットにしまってあったジャージを適当に引っ張って来ている。
眼鏡を掛けて目の前の書類を穴が開くほど見る。
「レース予定はこんなものか」
シンボリルドルフ曰く、彼女の使命を果たす為にはまず誰もがシンボリルドルフの力を疑わない絶対的な権威が必要となる。
つまりは冠。言い換えてしまえば皐月賞、日本ダービー、菊花賞の三冠だ。
そのレース三つを含めてトレーナーはどのレースに出走して貰うかを草稿したのだ。
しかし、これはただの草稿に過ぎない。条件によっては出れないレースもあるし、何よりシンボリルドルフの意思をまだ反映できていない。
「………と、そろそろ授業が終わってルドルフが来る頃か」
ルドルフ、そう呼ぶと自分があのシンボリルドルフのトレーナーなんだと言う自覚が出て一層身が引き締まっていく。
眼鏡を外したトレーナーは椅子から立ち上がると何も書かれていないホワイトボードに向かって口角を上げる。
ホワイトボードの溝にあったペンを手に取ってデカデカと豪快に黒い線を綺麗な白の中で走らせる。
『目指せ!!三冠達成!!!』
満足そうに頷きながら、トレーナーは更におまけと言わん限りに文字の周りに簡易的なシンボリルドルフや王冠を書き加えていく。
「随分たのしそうだね、トレーナー君」
「ほわぁ!?」
不意にかけられた声にトレーナーはホワイトボードを裏向けて振り返る。
そこには困り顔でテーブルに自身のスクールバッグを置くシンボリルドルフの姿があった。
「ルルルルドルフ!?」
「そこまで心慌意乱としなくてもいいだろ?それで、ホワイトボードに何を書いていたんだい?」
「あぁ、そうだ」
子供のようなことをしていたことを隠すために、トレーナーは思い出したかのようにデスクに置いていた出走するレースの予定表をシンボリルドルフに手渡す。
「一応、俺なりにレースの予定を立ててみた。確認しておいてくれ。走りたいレースがあるのなら遠慮なく言ってほしい」
「分かった。今日中に確認して要望もLANEに送っておこう」
こう言う事務連絡などは得意なのかスムーズに話が進んでいく。
「連絡は以上だ。………今日のトレーニングについてだが、ウェイトトレーニングをしようと思う」
トレーナーデスクに置いてあった仕事用の眼鏡を掛けて次は今日のトレーニングメニューを渡してジムに向かう準備を始める。
「トレーナー君。目が悪かったのかい?」
「書類を見たり確認する時は眼鏡を掛けるようにしてるんだよ。まぁ、目が悪いって言うのもそうだな。トレーナーになるための勉強で徹夜でずっとやってたら視力が落ちたんだ」
「そうか………。実は私も何だ。普段はコンタクトをしているが、休日に出かける時は眼鏡をしている」
へぇ〜、とトレーナーは眼鏡をデスクに置いてトレーナー室の窓を開ける。
ずっと部屋に篭りっぱなしだったため空気を変えたかったのだ。
「失礼します!」
それと同時にトレーナー室の扉が勢いよく開くと鹿毛のワンレングスボブカットの気品のあるウマ娘が焦ったように入ってきた。
まさに女帝と呼ばれるに相応しいウマ娘だとトレーナー自身も思う。
「どうした、エアグルーヴ?」
シンボリルドルフが彼女の名前を口にする。
女帝、エアグルーヴ。
それが生徒会副会長の一人の名前だ。
「ミーティング中に申し訳ありません。しかし、急な案件が出てきてしまいまして会長の力がどうしても………」
「分かった。直ぐに向かおう。すまないトレーナー君。少し外させて貰うよ」
「おう、行ってこい」
シンボリルドルフがトレーナーに会釈するエアグルーヴを連れ立って部屋を後にする。
さて、トレーナー室に一人となってしまったトレーナー。シンボリルドルフの用事が終わるまでしばらくは掛かるだろうと予想して学園内をあ 歩き回ることにする。
トレーナーが訪れたのはグラウンド。
色々なウマ娘の走りを見て、トレーナーと担当ウマ娘との絆とは何かと言うのを学ぶ。
これだってトレーナーの立派な勉強だ。
しかし、グラウンドに来てトレーナーは不思議な光景を目にする。
確かにウマ娘達がコースを走っている。
だが、何処を見渡してもトレーナーも教官も見当たらない。
「何だこりゃ………」
あまりに不思議な光景だがとりあえずトレーナーは様子を伺おうとそのまま黙ってウマ娘達のトレーニングを見る。
「ハァハァ………、やった!タイムが縮んだ!ありがとうございます!シリウス先輩のおかげっす!」
シリウスと呼ばれた腰まで伸びた鹿毛に大きな白い星のウマ娘にタイムが縮んで喜んでいるウマ娘が駆け寄っていく。
「ハッ、まだまだだな。まず踏み込みのタイミングが遅ェ。もう一ハロン早く踏み込め」
「はい!」
再び走り始めたウマ娘を見ながらシリウスシンボリが不敵な笑みを浮かべる。
シリウスシンボリのウマ娘に対するアドバイスを聞いてトレーナーは自分もこんな風にできるかな、等と考えながら他のウマ娘達の走りを見る。
しばらくするとシリウスシンボリにシンボリルドルフとエアグルーヴが歩み寄ってくる。
「少しいいかい、シリウス?」
「これはこれは………皇帝サマが何の用だ?」
ドスを効かせながらシリウスシンボリがシンボリルドルフを睨み付ける。
そんな中、エアグルーヴが前に出て口を開く。
「シリウス先輩、先程も言いましたが大勢を従え、不当にコースを占領していると苦情が入っています。つきましては、他の生徒に支障が出ぬよう場所をあけていただけませんか?」
「………なるほど。私が言ったようにちゃんと高みの見物を決め込んでる王様を連れて来たわけだ」
「シリウス」
ハッ、と笑いながらいい子だと笑うシリウスシンボリにシンボリルドルフがその笑いに待ったを掛ける。
「大体の話はエアグルーヴから聞いた。学校の規則に従うだけでは弾かれる者もいると言う君の主張は理解できる。しかし、それは他の生徒の成長を阻害する理由にはならない」
シリウスシンボリは笑みを崩さぬまま、まるでシンボリルドルフを挑発するかのようにメンチを切る。
「皇帝サマの言うやり方で溢れた奴はどうなる?全員が優等生のアンタとは違う。アイツらには『次』なんて物はねぇんだ。見るべきは『今』だ。そして『今』を見るには個々を見るしかねぇ」
「………個々に応じた対応策を取るべきと言う君の主張は一理ある。だが、現実的ではない」
バチバチと討論するシンボリルドルフとシリウスシンボリ。蚊帳の外のエアグルーヴとコースを走っていたウマ娘達。
中々に険悪なムードになってきた事にそろそろ介入した方がいいのか、と悩みながらもトレーナーは流れに身を任せる事にする。
「………アンタと話したところで平行線だ。なら、さっきからずっとこっちを覗いてるアンタのトレーナーに話を聞いてみるか?」
「トレーナー君?」
「少なくとも皇帝サマよりはマシな意見出すだろからな」
ふと、自分が見られていると感じたトレーナーが右頬を掻きながらえーと、と気まずさのあまり目を逸らす。
「おい。話は聞いてたんだろ?」
確かにトレーナーは二人の話を聞いてはいたが正直に言ってしまえばどちらの意見にも共感してしまっている。
だから、トレーナーは答えを出せずにいた。
「そんな難しそうな顔をすんじゃねぇよ。アンタはただ、自分の意見を口に出せばいい」
シリウスシンボリがトレーナーにそう言うと、トレーナーも少しだけ悩みながらも口を開く。
「………シリウスシンボリ。君の言う事は尤もだと思う」
「トレーナー君………」
ほらな、と言った感じでシリウスシンボリはシンボリルドルフを見つめる。
「でもやっぱり俺ってば大人だからさ、ルドルフの合理的な考えを支持するかな」
笑顔で言ってのけたトレーナーに、シリウスシンボリがまるで信じられない物を見たかのように目を丸くする。
「アンタは、私の考えが子供って言いたいのか?」
「別にそんなことは言ってないよ。個人に目を向けて今を見るのは大事だと思う。でもそれをすると膨大な時間が掛かってしまう」
「なら、溢れた奴はどうする?切り捨てるのか?」
「………ちゃんと掬い上げるよ。俺は、ルドルフのトレーナーで、ルドルフの走りに魅了されて、ルドルフの夢の手助けをしたいと思ったんだから」
それに、とトレーナーは心の中でシリウスシンボリと言うウマ娘について考える。
シンボリルドルフが水だとするならば、シリウスシンボリはきっと油だ。
しかし、彼女はおそらくシンボリルドルフを嫌っていることはないだろう。
彼女がやっていることはシンボリルドルフと言う大きな器から溢れた水の受け皿だ。
「君のやっていることは、俺はすごいいい事だと思う。だから、力が必要なら俺はいくらでも貸す」
その行動がシンボリルドルフの夢に繋がるのだからトレーナーは止めるつもりもない。
寧ろ協力だって惜しまないつもりでいる。
「でも、『個』見るだけじゃなくて少しは『全』を見てほしいかな」
エアグルーヴはシリウスシンボリを説得するトレーナーに目を丸くする。
正直に言って、エアグルーヴはトレーナーの事をみくびっていた。
彼女のトレーナー、通称たわけを手伝いに来た時の彼の動きは正しく新人に他ならなかった。
だから、シンボリルドルフのことを聞かれた時も選ばれる事はないだろうと思いながらも教えた。
だが、実際シンボリルドルフはトレーナーを選んだ。
だとするならばきっとこのトレーナーにはシンボリルドルフに通ずる何かがあるのだろう、と今のトレーナーを見て思う。
「………場所はあける。それで文句はねぇだろ」
「あぁ。ありがとう」
トレーナーがシリウスシンボリに礼を言うと頭を掻きながらその場を立ち去ろうとする。
「トレーナー君………」
シンボリルドルフがボソリとそう呟くとトレーナーは立ち止まって今日一番の笑顔を覗かせる。
「道は長いぜ、ルドルフ」
「あぁ。委細承知しているよ」
その笑顔にシンボリルドルフも笑顔を返したのだった。