三途の川に佇んでいそうな子に会ったのは、ふらふらと、トリニティ自治区にある廃墟群を歩いていたときのことだった。
鉛色の空に、似たような色合いのビルが続く。ミレニアムの廃墟のように謎の機械が徘徊していない分だけ安全なそこは、けれども一般人が歩くところではない。ビルの間を縫って吹く重い風は、春とは思えないほど冷たかった。
俺は、百合の花びらが重力に引かれて落ちるのと同じ理由で、つまるところ自然の法則の一部としてこの場所をうろついていた。
その最中の、出会い。
「――誰だ」
警戒の声。低い声。
足を止めると、少女が四人、右手側の物陰から現れた。武装しており、こちらに銃口を向けている。
スポーツキャップに黒いマスクの人がリーダーと思われた。
丸腰の俺は、迷わず両手を上にやった。
馴染みの挨拶。愛想笑い。
「敵意はないよ。シャーレの先生です。初めまして」
「……シャーレ?」
別の女子の、けれども同じく低い声。こちらは気力が薄かった。
「リーダー、知ってるよね」
「ああ。話には聞いている」
二人に目を向けられ「たぶんそのシャーレで合ってるよ」と返す。
「……まあ、そうだろうな。それで、シャーレの先生がここにか」
笑みを向けても、警戒はとかれない。下から上に値踏みの視線を向けられただけ。
リーダーの声はシャーレの先生であるかを疑っているのではなく、そのような人間がなぜここに来たのかを問うものだったように思う。
ティーパーティーから軽く聞いた、各方面のお尋ね者となった生徒たち――アリウススクワッドが彼女らだろうか。
ゲヘナやブラックマーケット近郊ならともかくとして、平日の昼間にこのあたりにいる少女は少ない。
「なぜ、ここにいる」
「なぜと言われても……。理由がないことが理由というか」
「ふざけているのか?」
仕事をほっぽりだして気の赴くまま歩いていたなどと言えるわけもなく。俺はコミュニケーションが苦手なものに特有の、へらへらとした苦笑いを浮かべることしかできない。
キヴォトスで過ごすうちに、銃を向けられることには慣れた。むしろその銃口に自然と引き寄せられそうになってしまうのを堪えることのほうが、恐怖に打ち勝つことよりも俺には難しくなっていた。
ふらふら足を踏み出したせいで、リーダーの照準が俺の頭に移った。
「敵意はないんだ」
「それならなぜ動いた」
「ひ、引き寄せられたから?」
「……ふざけているのか?」
二度目の問い。
鋭い視線を向けるリーダーに、静止の声がかけられた。
「リーダー、撃つのはまずい」
「しかし、姿を見られた」
「それでもだよ。シャーレは特別な地位にある。今はもう狙う必要がない相手。さらに敵を増やしてどうするの? これから先も、私たちは逃げ続けなきゃいけない。撃ったら逃走に有利に働くことがないなんて、考えれば分かる」
彼女らが話しているうちに、俺は三人を観察していた。
陰気な初音ミクのような少女、ガスマスクの少女、そして今リーダーと話している――同族のような少女。
三途の川に立って、足の半ばまでをその水で濡らしながら向こう岸を眺める姿がよく似合う、世を嫌うためだけに生まれ落ちたような少女。
思わずじっと見つめて、
「……さっきからじろじろ見て、何?」
「え? ああいや、何でもない。似てるな、と思って」
「何と?」
また、俺は彼女らを困惑させたようだった。
ここで「生き別れの妹と」なんて言えれば悪い雰囲気にならないのだろうが、俺はデッドボールをするのが得意な人間だった。
ボールが打ち返されることを想定せずに話して、もし打ち返されたら見送るだけのピッチャー。何ならキャッチャーとの意思疎通も困難。
総評。チームプレイをさせてはならない人種。
向こうにいたときは気をつけていたのだが、ここで過ごすうちに、頭の中を一足飛びに話してしまう癖が戻ってきている。
「いや、本当に何でもないんだ。それより、君たちはアリウススクワッドなのか?」
「――っ」
視線でめった刺しにされ、慌てて続ける。
「トリニティから、アリウス分校を追われた生徒たちのことを聞いていて。それで――」
「私たちを追っているのか?」
「いいや、そんなわけない。ただ、知ってるってだけだ。トリニティももう追うのはやめにしたようだよ」
アリウス分校からの追手でも、トリニティからの刺客でもない。とにかく人畜無害であること。俺はそれをアピールした。
けれども、すべてを警戒する野良猫のようなアリウススクワッドに効果があったのかは分からない。
「トリニティは追うのをやめたのか」
「確か、少なくとも犠牲者は出ていないから、絶対に許せないわけではないと。それに他に、派閥争いとか内部での話し合いのほうが重要だからと」
「……そうか。そう、だったのか」
リーダーのため息交じりの言葉で、場の空気が柔らかくなった。俺のあたふたよりも彼女らを安心させたトリニティの動向は、アリウススクワッドの立場の危うさを説明しているような気がした。
俺自身あまり深くは関わっていないから、事情は知らない。アビドスやゲーム開発部のときのように、シャーレに届いた頼みごととして適当な関与で解決となっていた。
それで、と。俺は、表情を柔らかくして――一人を除いてマスクだが――うなづき合うアリウススクワッドに向けて口を開いた。
「あなたたちは追われる身となり、逃亡生活をしていると見た。それでなんだが、提案がある」
このとき、俺は自分の行動に困惑していた。合コンで「このあと二人きりで飲みませんか?」なんて提案ができない人間が、こんなときに限って、よく分からない大きなものに突き動かされていた。
勇気。
頭に浮かんだ熟語は、俺とは対照的なもので。
目をまん丸にしていたであろう俺は、アリウススクワッドの空気が締まったことによって我に返った。ジェットコースターみたいに空気が乱高下している。
緊張と緩和を繰り返して疲れないのかと思ったが、彼女たちは常に緊張を強いられる環境を過ごしていたのかもしれない。ならば、この程度は問題ないのだろう。
俺は緊張が続く環境が嫌いだった。
人間関係は特に嫌いだった。気を遣っても、途中からボロが出て最終的に破綻する。それを築くことは、ファンタジーの長編小説を書くみたいな、夢と挫折と苦悩に満ちていた。
四人分の視線を受けて、明後日の方向に考えを向かわせていた頭で言葉を絞り出した。
「俺はあなたたちに、居場所を提供する用意がある。先生として、苦労する生徒をほうっておくことはしたくない。しかし居場所がばれたら危険な目に遭うから、それは避けたほうがよくて。代わりとして物資とかの供給を――」
俺はそのあとつらつらと、頭の中身をぶちまけた。会社でこれをやると必ず上司に「それで何が言いたい?」と問われた、愚行。
頑張ってまとめて話そうとするけれど、できないのだ。言葉が飛んで、説明しようとして前後に言ったり来たりして、ひとりでに混乱する。
ダチョウは飛ぶことができない。その能力が失われている。俺も同じように、他のホモ・サピエンスが持っている能力が失われていた。
たったそれだけのことで、ヒトの俺はどうしようもない生きづらさを抱えている。ダチョウはあんなに、走っているだけで楽しそうなのに。
すべてを話し終えた俺を迎えたのは沈黙だった。学校のトイレで親しくないクラスメートと鉢合わせたような、人類しか生み出すことのできない、得も言われぬ地獄。
冷たい風が、言葉の代わりに俺を刺す。
やっとリーダーが口を開いた。
「……すまない。言っていることが、よく分からなかったのだが」
気づけば銃口が下がっている。彼女たちの敵意はすっかり薄れていた。
俺は藁にも縋る思いで厭世の少女を見た。
「……私を見られても、何も言えないよ」
俺はがっくりとうなだれてしまって、それから、ああここは人前なのだと思い出して、愛想笑いを貼りつけた。
視線をさまよわせ、最終的に厭世の少女を見る。
「ええと、そうだな……」
「先生がどんな立場で、私たちがどんな状況でっていうのは、お互いに何となく分かってると思う。だから、先生の提案っていうの? 何か手伝えることがあるって言ってたよね。それを伝えたらいいと思う」
「俺は、シャーレにアリウススクワッドを迎え入れて任務や仕事を手伝ってもらう代わりに、報酬として食べ物などを渡すことができる」
住居は厳しい。けれども、食べ物や衣服、医療キットなどであれば用意できる。
ガスマスクの少女と初音ミクは喜ぶような反応を見せた。あとの二人は険しい表情だ。
「いいよ、私が話す」と、厭世の少女はリーダーを見たのち、俺を見た。
「施しは受けない」
「施しではなく、報酬だ。言葉が違えば意味も違ってくる。あなたたちにも生活があるだろう?」
「……そんなことをする先生のメリットは何? 私たちじゃなくて、他の人に手伝ってもらえば解決する。それに、報酬として何かを渡す必要もない。あなたが不利益なだけ」
俺は黙り込んだ。
一目惚れは性欲という研究があるけれども、この思いはきっと違う。
同類。あるいは過去の自分。
彼女に己を見せることで、こうなってしまっては駄目だよと示したいだけなのだ。それを参考にして、俺は彼女に真っ当に歩いてほしいのだろう。先ほどの降って湧いた勇気に、俺はそうやって言い訳をした。
「大人は信用できない」
「俺は、あなたを見た瞬間に、同類だと思った。世界を嫌っていそうな部分が特に。だから、反面教師にしてもらうために、この提案をした。似ているからこそ、俺のような人になってほしくない」
「……何それ。仮にもそれが、先生としての言葉?」
人と話すことも、自分の感性を話すことも嫌いで。けれどもなぜか、ミサキにはすっと言葉が出てきた。
話し相手の少女は怪しいものを見る目で俺を見て、ハイライトの薄い瞳を下に向けて考えこみ、つぶやいた。
「さっきの似ているっていうのは、そういうことか」
もう一度俺の顔を見て「まあ、確かに」と抑揚のない声で続けた。
何が彼女を喜ばせたのかは分からなかったけれども、表情が少し柔らかくなっていた。
「分かった。ひとまず私だけ協力する。反面教師にしてほしいのなら、私だけが手伝いに入っても問題ないでしょ」
「――ミサキ」
「リーダー。私たちは八方塞がりになりうる。伝手はあったほうがいい。それに食料も含めていろいろな物資が手に入る。この四人で、やっていくしかないんでしょ」
「それはそうだが、それなら私が――」
早速行くの、とリーダーを無視して俺に歩いてきたミサキ。俺は曖昧にうなづいた。
と、追いついたリーダーがミサキの肩を掴んだ。
「私が代わりに行く。何をされるか分からない」
「別に大丈夫」
仲間思いなのだな。特にリーダーは、責任感もある。
押し問答の間、俺は黙って行く末を見守っていた。ミサキに来てほしかったが、それを強制しようとは思わなかったし、まずこの子たちに食料を渡せれば誰でもよいという気持ちもあった。いつの間にか勇気は凪いでいた。
むしろ、自分は衝動に任せて何をしてしまったのだろうという恐怖が、今度は芽を出し始めていた。
しばらく続いたやり取りは、ミサキのため息によって終結となったように思われた。
「いいよ。それならリーダーが行けば。先生もそれでいい?」
けれども後ろから発せられたくぐもった声によって、なぜだかその日、ミサキが来ることになったのだ。
「さっちゃん。みーちゃんが行ったほうがいいよ。きっと」
「なぜだ、姫」
「二人が似てるっていうの、私、分かる気がするから。それに、みーちゃんと似ているってことは、むやみに危害を加えないってことでしょ? だから、きっと無事。いってらっしゃい」
明確な思いやりと信頼が、少ない抑揚に乗っていた。
釈然としなそうなリーダーを残して、ミサキはさっさと歩き始める。
雲の切れ間から太陽が覗いている。そういえば今日は、午後から晴れの予報だった。
オフィスに足を踏み入れたミサキは「リーダーはたいがい力で片付けようとするけど、これはなんていうか、そもそも片付ける気がないじゃん……」と頭が痛そうな顔をしていた。
ミサキは意外と、感情豊かな少女のようだった。