戒野ミサキは歩きたい   作:ぞんぞりもす

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一一話

 シャーレの一階で待ち合わせをして、最寄り駅までの道を歩く。こうして四ヶ月ぶりに並んで歩くことになったのは、必需品はある程度の備蓄があるので、嗜好品を見て回りたいという要望がミサキの口から出たためだった。

 そのために複数回の仕事の報酬をためて支払うことはできるかと質問されたことが、仕事と報酬の関係をとても重んじている彼女たちらしいと思った。

 

 

 俺は相変わらずアリウススクワッドの望むままをする心持ちでいる。しかし、もしかするとこれは、甘い両親とそれをうざがる子どものような関係なのかもしれない。翌日のことに思いを馳せていた昨日、浴槽の中でふと気づいた。

 そのときにじくっと胸が痛んだのはおそらく、両親と子どもという決して交わらない関係に俺とミサキを置いてしまったことと、自分の家族との記憶によるものだろう。

 

 

 今日は日暮れまで太陽が照りつける予報だった。

 ジャケットを着ていないおかげでごわごわせず動きやすい。半袖のシャツと夏用のスラックスで気持ち程度の防暑はしている。それでもなおごまかせない暑さのせいで、汗が頬を伝った。

 少しでも涼しくなるように木々の影を踏み、車や人の音にまざる葉擦れに耳をそばだてる。持っていないけれど、ビジネスシューズよりもスニーカーのほうがよかったと後悔する。

 ミサキは上着までがっちりと着込んでいるが、汗をかいているようにも暑そうにも見えなかった。

 

 

 ()から聞こえるブーツの音。

 

 

 感慨深いとは、この瞬間のことを指すのだろう。

 自分が思っていたよりも、ずっとずっと関係や物事が進んでいること。がむしゃらにやって、ふっと立ち止まって息抜きした瞬間に気づく、進んだ距離。

 

 

 往来が激しい道を一人で歩くときは何も考えないけれど、人と並んで歩くと、歩調だったり行き交う人のどの間を通ればいいか考えたりする。ミサキは俺に気にするなとでも言うように、人とすれ違うときはすっと俺に後ろに隠れ、すれ違ったあとにまた隣に並んだ。

 人と歩くことではなく、道の広さに対して窮屈だと感じたのは初めてだった。

 

 

 大型ショッピングモールに着いたミサキはまず、キャンプ用品を見たいと言った。道案内の電光掲示板を見て「店名が分からない……」と険しい顔をする彼女を案内。

 

 板張りの床が香りを放つ店内で、ミサキはロープを吟味していた。

 陳列棚の上下を占める緑色、黄色、黒色などのロープを前に、値段、素材、長さなどを、何度もパッケージを裏返して確認している。独り言ももらしている。無駄をしたくないという気持ちの表れなのは分かっているのだが、普段のミサキよりも動きがコミカルだ。

 

 幸せの定義は様々だが、何でもない日常を穏やかに笑えることも含まれているのだと実感した。

 

 口もとに手をやったところを目ざとく見つけられた。

 

 

「何?」

「いや。何でもないことはないんだが」

「……何?」

「そんなふうに、表情が変わるんだなあと思って」

 

 

 彼女はばっとマスクをつけた。白い目を俺に向ける。

 

 

「まじめに探してるから」

「それは分かるんだけど、俺はこういうの、詳しくないから。探すのを手伝えないと思ってさ。当てにならんよ」

 

 

 なんとなしに手近なパッケージに手をのばすも、興味や必要がない情報は入ってこない。首を傾げてそそくさとフックに掛け直した。

 

 

「……趣味とか、ないの?」

「ああ……俺の部屋、何もなかったもんな」

 

 

 何か話すたびに顔を向けてくれる律儀さに、今日は長くなるなと思う。

 ミサキは今度は商品に目を戻さずに、手に持ったビニールのパッケージもそのままに、体もあくまで商品に向けたまま、俺を横目で見上げ続けた。

 

 

「聞き……その。聞いても、いい?」

「構わんというか、ないんだよ。趣味」

「そうなの?」

 

 

 昔はゲームしたりアニメやドラマを見たりマンガを読んだり……人と合わせるためにいろいろやっていた。孤立を防ぐための知恵だった。大人になってからはめっきり減ってしまって、ぼーっとすることが休憩のようになっていった。

 要点のない話を、ミサキの相槌に任せてゆらゆらと続ける。うん、ふうん、そうなんだ、そうなの、目で合図をよこすだけと、様々な相槌を打ってくれるので話しやすい。

 

 

「明確な弱点があるから、孤立できなかったんだよ。したらそこを攻撃されて、手に負えない事態になると思った。それで人にできるだけ合わせようとして、自分の時間がなくなっていったんだ。趣味って自分の時間を使うものだろう? だから」

 

 

 なくなってしまった。音に出さず、肩を竦めてミサキに伝える。

 ミサキは目尻を下げるだけで何も言わなかった。マスクを外していれば、口もとをきゅっとさせているのだと想像できる。それは彼女が悲しむときの仕草だった。

 

 けれど俺は何でもないことのように話したし、実際何でもないと考えていた。傷はついたし、臆病にもなってしまったけれど、自分が傷ついたがゆえにそれを相手にしたくなくて考えすぎる性格になれたと考えれば、プラスだ。その性分でミサキと関われたのであれば、お釣りが来るとさえ言える。

 

 

 そこまでの感情をミサキに抱いているのだと気づいて、それほどのものを他人に抱けるのかと感心して、そして俺は、人間関係に対して『どうせ失敗するから』と諦めを滲ませていたことを自覚した。

 

 

「もしも自分の時間があったら、今は何をしたいの?」

「なんだろうな……思い浮かばん。そもそも業務が多すぎてなあ……ときどき息抜きに考え事をする今のままでもいいかと思ってる」

「何を、考えているの?」

 

 

 間と表情。一歩分。おそらく想像がついている内容。

 思わず自分の表情が消えたことに気づいて、息を吐いて首を振る。穏やかな空気に重い帳をおろしてしまった。

 

 

「すまない。警戒してしまった」

「それくらいのことだっていうのは、知ってるから」

 

 

 誰かを懐に入れようとしたのは、大学三年のころ以来だったと思う。一度自分の肉体を軽く切って見せた当時の恋人に否定され、やがて上っ面の関係は終わりを迎えた。

 向こうにいたときのことを思い出して気分が沈むことがある。

 もっとまともな人間になりたいと今でも思っている。

 けれどミサキとの出会いにより、拘泥しすぎることもないんじゃないかと思い始めたこともまた事実だった。

 

 

「いろいろだよ。前に話したことで言えば、嘘と裏切りって何が違ってるんだろうなってのを頭の中でひたすらこねくり回すみたいな。ああ――あとは」

 

 

 生死の天秤が傾くままに。とは、言えない。これまで誰にも言わなかった部分だ。

 ミサキは俺が何かを言いかけたことを察したようだった。眉を寄せて、目を細めて、おそらく唇を軽く噛んで、首を傾ける。どれも、気づかない人のほうが多いような些細な変化だ。

 そして俺たちは、その塵を積もらせて山にした。

 

 

「――今日中に話すよ。今はほら、人混みも、あれだから。まずは買い物しよう」

「待ってる。無理そうなら、今日中じゃなくてもいい」

「俺はショートケーキの上のイチゴを先に食べるタイプだよ」

「……それ、分からない」

「えっ?」

「何、その顔」

 

 

 いたたまれない気持ちで『イチゴをいつ食べるかはけっこう空気を読むけど、本音を言えば先に食べたいのだ。楽しみを前と後のどちらに持ってくるかの比喩でよく使われる』と説明し、機会があればイチゴのショートケーキを食べてもらおうと決めた。

 ミサキはまたしばらく、陳列棚の前から動かなかった。

 

 

 ミサキの雰囲気が変わったのは、雑誌に弾薬、銃の整備に必要な工具を買って、吹き抜けに出たときだった。

 高い天井から照明が降り注ぎ、運動場のトラックのような形に沿ってテナントが並ぶ。上の階からの眺めはオフィスにいるときとまったく異なっていた。

 夏休みなのだろう。私服の女子高生が多く見受けられる。

 冷房の乾いた風にのって香水のような甘い香りがそこかしこからしていて、テナントそれぞれの店内BGMや笑い声が競合する。

 

 

 俺はポジション調整にウエストポーチを動かして、紙袋をがさごそいわせながら、次はどこに行くんだと隣を見た。ミサキの表情が強張っているのが横顔からでも分かった。

 

 

「服」

 

 

 ミサキにぎろりと睨まれる。

 

 

「俺は何も言ってない」

「顔が言ってる」

「マスク買ってきてもいいか?」

「……認めてるじゃん。表情が変わったって。あと、先生の表情ならマスクしてても分かるから無駄」

 

 

 お互いに雰囲気で察している部分は確かにあるけれども、それをはっきりと言葉に出してしまうと、それくらいよく見てますよと自白していることになる。

 最近、こんな空気になることがある。

 毎回どうしたものかなと首をひねって考えるのだが、名案が浮かんだことは一度もなかった。

 

 とりなすように息を吐いたミサキが渋々話しだした。

 

 

「姫の分だよ。姫、欲しがってたから」

 

 

 

 

 とても気難しい様子で、ミサキは半袖やワンピース、ショートパンツなどを眺めていた。ハンガーを手にとっては首を傾ける彼女は、決して自分の体に服をあてがわなかった。

 

 

「姫からは好みとか、こういうのがいいとかは聞いていないのか?」

「聞いたんだけど、私に任せるって言われた」

「……最近聞いていて思うんだが、姫はだいぶ自由だよな」

「うん。元気だよ。溌剌」

 

 

 裏には親愛が感じられる、溌剌としていない声音。短いやり取りで感情の深さが伝わってくる。俺はしばらく何も言わずにミサキのあとをついて歩いた。

 

 彼女の包帯に気がついているから、安易にミサキも夏物買うかなんて聞けない。俺の視線を受けて、やはりミサキはそのように語ってくれた。

 だから俺は、彼女が察してくれると信じて言葉を投げる。

 

 

「また秋とか冬に来てもいいかもしれないな」

 

 

 ハンガーを持つミサキと目配せをする。この先も一緒にいることを考えていると。

 そして視線を風景に戻した俺は人知れず笑む。

 

 

 ……これからのことを考えて、気づく。当たり前のように一緒にいるけれど、彼女たちはいつまで避難生活をしているのだろう。

 今までは将来を意識することすらままならなかった。それが、ある程度の生活水準を維持するに至っている。そうすると今度は、現在の不安が解決することで、この先どうなるんだろうという将来への不安に繋がり始める。

 年ごろの多感な女の子が未来の見えない環境で生活するというのは、きっと苦しい。それでも彼女たちは、自分の決めたことだから、大きなことをしたからと耐えるのだろう。

 俺が独りよがりで悲しくなるのは違う。

 

 

「ジーンズはどうなんだ? もう一着くらい」

「どうせまた破けるだろうから。それをするくらいなら、今のままでもいい」

 

 

 俺の表情を見たミサキが不思議そうな顔をする。もしかすると俺は、自分が想像していないほどに表情が変わりやすいのかもしれない。

 そしてミサキはおそらく俺の悲しい表情を、提案を断られて悲しんでいると解釈した。生きている当人には、まだ将来のことを考える余裕がないか、このままなのだろうという諦めがあるのかもしれない。

 

 

「あなたと一緒に買ったり使っているものを、壊したり、破いたりするのって、なんだろうな。粗末にしている感じがして、嫌だから」

 

 

 ミサキはこうして分解した感情を言葉にしてくれるようになっていた。彼女は笑顔でも穏やかでも悲しんでもいない、丁寧な表情でそういう話をしてくれる。

 ちゃんと笑えたかは分からなかったが、精いっぱいのほほえみを貼りつけてミサキを見る。

 

 

「……そんなふうに正直に話してくれてありがとうな」

 

 

 目線を交換し、ミサキの目は俺の手を見たあとに商品に戻った。

 特段手に変なものがついていないことを確認してからまた話す。

 

 

「少し、考え事をしていて、それでたぶん、表情が曇ってしまったんだ」

「……そっちも、いつか」

「話すよ。いずれ」

 

 

 ラジオの周波数を手探りで合わせるように少しずつ変わっていく距離が、俺にとってはとても大切なものになっていた。

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