戒野ミサキは歩きたい   作:ぞんぞりもす

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一六話

 意気揚々と仕事を始めた太陽から逃れ、廃墟の影に潜む。

 合流した姫とヒヨリは、まっさきに頭を下げた。何とかそれを宥めてから話を聞いてゆく。

 

 

「奇妙なの。()()()()()()()がいるのなら、血のために私を狙うはずなのに……。まるで誰でもいいみたいに連れ去っていった」

「ミサキとリーダーが帰っている途中じゃなくて、家で襲われたのか?」

「うん。それで、さっちゃんとみーちゃんが連れて行かれた」

 

 

 姫はもう一度頭を下げた。近くにいたヒヨリも慌ててまねをする。

 

 

「ごめんなさい、先生。駄目かもしれないって思ったときに、みーちゃんが私とひーちゃんに向かって、先生のところに向かってって……本当は、みーちゃんが一番行きたかったはずなのに」

 

 

 八月の朝というのが嘘のように重くて寒い。

 誰も悪くはないのに――強いて言えばアリウス生が悪いのかもしれないが、最も悪いのは裏にいる存在だろう――優しい子が自分を傷つけていることに、悔しさを覚える。

 俺は人生で初めて、他人にこの言葉を使った。それは滑らかに発音された。

 

 

「心配だよな。やれるだけのことをする。ミサキを助けるために、力を貸してくれ」

「……! はい、先生」

 

 

 アツコは目を見開き、笑っていた。

 トリニティ郊外で待機しているように二人に伝え、俺は一人でトリニティ総合学園に足を向けた。

 

 

 俺はミサキが、どうして彼女たち二人を俺のもとへ向かわせたのか分からなかった。戦闘能力が高いのがおそらく姫とリーダーで、自身はカタコンベでの戦闘に向かないからヒヨリを向かわせたなどだろうか。

 

 

 いずれにせよ彼女は、生きることを苦しいとは思っているが、死にたいとは思っていないように思う。

 だから、やれるだけのことをしたかった。歩くのはやっぱり苦しいと言っていたけれど、彼女はそれでも、歩こうとしている。俺と話したいと言ってくれたのは間違いなく、これからも歩いていきたいからだ。続けたいのだ。彼女は生きるという道を。

 

 

 浦和ハナコやシスターフッドが主体となってカタコンベの解析をしている――突入や制圧はおこなっていない――とミサキから聞いていた。エデン条約に関する騒動でほとんど何も協力していないが、それでも俺は、助けを求める厚顔無恥をはたらいた。

 女子寮の方向から歩いてくるハナコに、迷わず頭を下げる。モモトークで連絡してはいたが、既読はついていなかった。俺は片っ端から連絡をするのではなく、補習授業の一件で知り合った彼女のみを頼りとしていた。

 朝日を一身に受け、よこされる奇異の視線もなんのその。体裁を取り繕う暇も余裕もまったくない。すでに事は起きたのだ。であれば、動き、あとのことはあとのことで考えればいい。もしも命が絶たれていれば、そもそもあとすらないのだ。

 

 

 カタコンベのことを聞きたい。アリウス分校までの道を教えてほしい。

 

 

 聞いていて呆れてしまうほど無茶苦茶な要求は、存外あっさりと通った。俺にはその理由が分からなかった。ハナコがほほえみを浮かべているのが恐怖ですらあった。手間も、時間も、リスクも見合っていない。俺は報酬の話などをせずに頭を下げたのみ。

 しまいには、二つ返事で了承したハナコにこちらが理由を聞いていた。

 

 

「見違えるほど変わったからですよ。……もっと、なんというか、いえ。何でもありません。急ぎましょう」

 

 

 ハナコが調べてくれている間に、姫やヒヨリとやりとりをする。場所を聞いて突入するということで即座にまとまった。

 

 

 冷房が効いた涼しい環境でも、書物がある部屋特有の涼しさを肌で感じても、俺は汗をかいていた。普段は落ち着くはずの書物の香りが一切感じられないことに、俺は焦りを自覚する。それでも鼓動は収まらない。

 

 

 カタコンベの解明はかなり進んでいるようだった。俺はハナコの学力が高いことも何らかの事情があって隠していることも気づいていたし、彼女もまた、俺から気づかれていることを知っていただろう。

 彼女は自身の能力を隠さなくなり、俺は人に頼れるようになった。違う道を、まったく違う成長の仕方で進んでいる。

 忙しなくページを捲る音だけが響いていた空間に一筋の声が通る。

 

 

「――先生。本日の入り口を特定しました」

「ありがとう。どこに向かえばいい?」

「ご案内します。私についてきてください」

「え?」

 

 

 入口まで歩いていったハナコが、足を止めて俺を振り返る。

 ただでさえ一限をサボらせているのだ。これ以上は申し訳ない。しかし、彼女はほほえんで俺の言葉を否定した。

 

 

「乗りかかった船ですから、最後まで手助けいたします。毒を食らわば皿まで、()れたなら最後までと言うでしょう?」

「最後のは絶対に違う」

「始めたことは最後までやりきれという教えに間違いなどありませんよ、先生」

「拡大解釈に曲解を重ねて詭弁で殴りつけるのはよくないと思うよ、ハナコ」

「あら……いい突っ込み方をされるのですね。もっと早くに先生の本性を知ることができていたら……悔やまれます。ゆっくりとお楽しみをしたいところですが、時間がありません。行きましょう、先生」

 

 

 あげく手を引かれ、校門まで引っ張られる。教室の窓から見られていたらどうしようかと、臆病者ゆえの心が警鐘を鳴らしていた。同時に、ミサキへの言い訳の言葉も考えようとしていた。

 

 

 姫とヒヨリに連絡して合流し、奇妙な四人でカタコンベを目指す。

 ハナコは出会ってそうそう「大切なお友だちを助けるお手伝いをしに来ました」と笑顔で言ってのけ、二人の心をがっちりと掴んだようだった。

 

 

 強い太陽の光が、目の届く限り街も住宅も廃墟も照らしていた。歩き続け、俺たちはその入口にたどり着いた。誰も警備をしていなかった。

 突入の前にウエストポーチに触れ、シッテムの箱があることを確認する。これは最終手段だ。俺は自分のわがままで動いている。ここ最近言葉の端々にエクスクラメーションマークがつくような勢いで話すようになった彼女は、眠ったままでいい。そして俺は、すぐに取り出せるよう、ワイシャツの胸ポケットに大人のカードを仕込んでいた。

 

 

 狭い通路は、朝と夜から外れた世界だった。闇というには粘っこい、無力感の味がするふわふわでどろどろのワタアメみたいな空気が漂っている。

 太陽という問答無用の光が届かない場所。天井も壁も近い。カタコンベは俺が思っていたよりもずっと、気が狂いそうになるほど鬱屈としていた。

 ここを抜ければミサキの故郷を見ることになる。俺は悲しくも嬉しくも焦ってもいた。

 

 

 道中誰とも遭遇せずにアリウス自治区の街の通りまで出る。

 トリニティに縁故の深そうな石畳の床はぼろぼろだった。

 電気は通っているらしい。等間隔に設置されている街灯と、しかしまばらな間隔の明かり。

 地下都市のように感じられた。天井が真っ暗で見えないことに、この場所の深さを思い知らされる。けれど大して歩いたようには思えなかったし、下っていたとも思わなかった。不思議な感覚だった。

 

 

 前方の廃墟と廃墟の間、通路や路地と呼べるのか不明な場所からアリウス生は現れた。少し足を止めただけで、後方からもやってきた連中にあっという間に包囲される。必要だったのはわずかな時間と足音のみ。少女たちは、統率された部隊だった。

 

 

 みな同じような髪型――ツインテール――で、小柄というよりも不健康で、その矮躯に不釣り合いなガスマスクをしている。ロボットのようだと思った。

 彼女らは整然としていた。

 またこちらも、三人が臨戦態勢に入っていた。俺はポケットのカードを指で挟んだ。

 互いに言葉を発しない。

 

 耳鳴りのように、じりじりと導火線が短くなる音が聞こえてくる。

 俺は一歩前に出た。守るように、姫も前に出た。

 

 

「ミサキとサオリはどこに?」

 

 

 隊長らしき人物は首だけ動かして後ろだと示す。彼女の背後、そして俺たちの前面には、幽霊屋敷と呼べる校舎がある。アビドスとは別の意味で、ひどい。機能していないのは明白だった。

 

 

「俺はあなた方と話がしたい」

「大人と話すことなどない」

 

 

 俺は、二人の安否が知りたかった。彼女たちは答える気がないらしい。

 膠着状態だった。

 

 一つ、気づいたことがある。

 ベアトリーチェはもともと姫の血を狙っていたと聞く。だから俺はてっきり、姫を差し出せば二人が開放されると思っていた。けれど実際には、その交渉は成されていない。その提案ですら。

 

 

()()()()と槌永ヒヨリを置いていけ。我々は彼女らに用がある」

 

 

 少しだけ顔を動かしてアツコが俺を見上げた。敵と相対しているのだ。実際には見えていないだろうが、それでも『どうする?』と伝えてきた。

 後ろで息を呑む音が聞こえたのはヒヨリだろうか。

 

 彼女たちは目的を語れど理由は明かさない。

 こちらはそもそも説明することがない。

 俺は焦っていた。長引けば長引くほどに、絶望に取りこまれそうになる。

 アリウス生よりも大事なもののために、俺は火蓋を切って落とした。

 

 

「ベアトリーチェはいなくなったのか?」

 

 

 何気ない問いかけ。聞いたアリウス生の何人かの肩が動く。大多数は銃器の照準をアツコと俺に瞬時に合わせた。

 何が逆鱗に触れたのかは無粋なマスクに隠されて読み取れない。

 けれど本能が言っていた。戦闘開始だと。

 

 

 大人のカードを取り出し、念じる。

 瞬間にまばゆい光が放たれた。

 振りかざすは無形の暴力。

 対価と引き換えに起こす超常現象。

 抗うことが許されない一方的で圧倒的な決定。

 

 

 その光が収まるころには、アリウス生はすべて床に膝をつけていた。

 

 

「姫、ヒヨリ、ハナコ。先に進んでいてくれるか? 校舎内のアリウス生もすべて気絶しているはずだから。俺はちょっとここに残るよ。用事がある」

 

 

 隊長格の子はもしかしたら意識があるかもしれないと注意し、戸惑う彼女らに笑いかける。ちゃんと目を見て、一人ひとりに。

 

 

「俺は二人が無事かどうか知りたい。時間が惜しいんだ。でもな、彼女たちに少しだけ話したいことがあるんだ。だから、俺の代わりに、無事を確認してもらえるか? お願いします」

 

 

 頭を下げたところでようやく三人は走り出した。遠くの闇に飲まれるまで途中で何度か振り返っていた。

 

 さて。

 

 ビジネスシューズが石畳を打つ音が静寂を壊す。隊長格の子には、やはりまだ意識があった。ガスマスク越しに視線が交錯したと感じた。

 かがみ、問う。

 

 

「どうして、まだアリウススクワッドを追っている?」

 

 

 しばらく無言だった。俺は怒っているわけではなかった。笑っているわけでもなかった。丁寧に、そして真摯に、彼女の話を聞こうとしていた。

 弱々しく首を振った彼女は、分からない、とだけ答えた。くぐもった声が虚しさを増長させている。

 

 

「ベアトリーチェがいないという読みは、当たっていたのか」

 

 

 自分たちしか知らないはずの情報を俺が口にしたからこそ、警戒のレベルが跳ね上がり戦闘になったのだろう。

 では、ベアトリーチェがいないのにもかかわらず、なぜアリウススクワッドを追っていた?

 

 復讐のためでも何でもなく、ただ、いなくなったベアトリーチェが以前から言っていたことだから? 習慣になっていたような。

 

 自分たちは何をやっているのかと、誰も疑問に思わなかったのだろうか。

 いいや。おそらく、いることにはいたはずだ。しかし言い出せなかったのだろう。そもそも疑問に思うという選択肢がない子だっていたかもしれない。ここは、そういう教育を施してきた場所だ。

 

 俺を現実に引き戻したのは、昔の彼女のような声だった。

 

 

「我々がエデン条約の調印の阻止に失敗してから、そして秤アツコが離反してから、()()()()()()()はいなくなった。最初は探せと命令したが、何の成果も挙げられなかったからかついに見限られた。指導にあたっていた大人もまた消えた」

 

 

 顔を上げる。その子と正面から見つめ合った。

 

 

「我々は彼女がいなくなってからすぐに捨てられたのだと気づいた。――なぜ、従い続けた我々がそんな目にあう?」

 

 

 憐れだった。ガスマスクの裏に、涙の気配がした。

 親が敷いた整備もろくにされていないレールの上を必死で進んだのに、アリウス分校は捨てられた。自分でレールを敷くことを学べず、脱線したまま立ち往生している。

 アリウススクワッドを探していたことから、間違えていても動こうとしたことは分かった。けれども、四則演算を習っていない子は分数や小数の計算ができない。基礎工事がされていない場所に家は建たない。

 

 

「大人の言うことを聞かなかったのに。我々を裏切ったのに。教えに背いたのに。……なぜ、救われている?」

 

 

 静かな問いだった。そして、最後の言葉にこもっていたのは凪いだ怒りではなく、悲哀。彼女たちも救われたいのだと思った。アリウススクワッドを探していたのは、もしかしたら、彼女たちが救われているのかもしれないと考え、すがりたかったからかもしれない。もしくは、救われていることが許せなかったから()()()()に戻そうとしたか。

 

 

「傷つけることを学び、虐げられることに慣れ、必死に生きてもなお……!」

 

 

 泣くことをこらえる声。銃を落とした手を握り込み、不条理を飲みこまんと声を発する。

 昏い。まとわりついてくる重い空気に、その声は虚しく響く。

 

 

「なぜ、私たちは救われない?」

 

 

 Vanitas vanitatum et omnia vanitas.

 

 

 すべて虚しい。

 もとの意味とは違うけれど、額面通りの意味を考えれば正しいのかもしれない。

 

 

 俺はアリウス生の悲痛な声を聞いて、泣くことができなかった。共感はした。けれどそこには、ミサキを想うような何かがない。

 そして俺に湧いたのは、それを俺だけに話してくれて『ありがとう』という感謝の念だった。俺は、涙をこらえて叫ぶ目の前の子に寄り添うことよりも、親しくなった子が傷つかなかったことを喜んだ。自分の下劣な人間性を思い知った。

 

 

「――スクワッドは運がよかっただけだッ! そんなことは、許されないッ!」

 

 

 突如として叫びだした彼女に、思わずしまっていた大人のカードを取り出す。

 その子は途端に身を縮こまらせた。

 その勢いに俺まで気圧された。

 

 謝ることは、できなかった。

 話を聞いてくれそうな彼女に、醜い自分を隠したまま、俺は語りかける。

 

 

「そうかもしれない。運がよかっただけなのかもしれない。救われているかどうかは、俺には分からないけれど」

 

 

 もしもこの中にミサキのような子がいると思ったら、黙って通り過ぎることはできなかった。こんなものは偽善だ。たまたま手が届きそうな場所に、親しい子と似た境遇の子がいる。それだけで勝手に共感して、厚かましい行いをする。

 調べてみると、彼女たちの武器には空のマガジンがセットされているだけだった。

 

 一方的にその子と連絡先を交換し、物資の支援を提案した。彼女は返事をよこさなかった。

 

 

「大人のことは信じなくてもいい。俺はあなたたちアリウス生を、自分の意思で傷つけた。だから、信じるな。ただ、アリウススクワッドがたとえ途中で裏切ったメンバーだとしても。彼女たちが信じているから信じるという理屈で連絡をしてくれればと思う。彼女たちが助けを求めることで救われたと考えるのならば、今はそのときだと俺は思うよ」

 

 

 別れ際に、大事だと思ったことを伝えた。

 

 

「あとは……頼む。もう、アリウススクワッドを追わないでくれ。敵対するのなら、もう一度俺は、大人のカードで対抗するだろう」

 

 

 社会的正義の名のもとに、俺は裁かれるべき存在だろう。自分自身の意思で、わがままで、生徒に危害を加えたのだから。予告をしたのだから。

 俺が支援の提案をしたのは、半ば自分の罪滅ぼしのためなのかもしれない。靴の音だけが虚空に溶けていった。

 

 校舎に向かう道中で振り返っても、彼女たちは動く能力を失ったままだった。

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