戒野ミサキは歩きたい   作:ぞんぞりもす

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一七話

 校舎に向かっている途中に、姫たちがこちらに向かってきていることに気づいた。

 姫がミサキを、ハナコがリーダーを背に負い、ヒヨリは荷物を持っている。

 

 話を聞けば、二人は昇降口に放置されていただけらしかった。何をされたのかは分からないが、意識はないと。呼吸はしっかりとしていた。

 

 

「先生がみーちゃんを背負ってね」

 

 

 柔らかい笑顔にとてつもない圧力を感じ、俺は首を縦に振った。振らざるを得なかった。俺がこの中で最も非力である事実は、彼女も承知していただろう。

 姫からミサキを受け取り背負う。姫はハナコからリーダーを受け取ったようだった。

 

 

 先ほどとは異なる道を進んだ。アリウス生がまだいるかもしれないと話したわけではなく、これは何となくの雰囲気でそうなっていた。

 ときおりミサキの呼気にむずがると、姫やハナコが笑う気配がするだけの道中。……実際問題、呼気以外にも気になるところはあった。二人きりでいる時はあまり気にしていなかったが、まさかこんなところで、少しでも厚い背中武装(ジャケット)が欲しくなるとは思わなかった。

 俺はあえて三人と視線を合わせなかった。これは気恥ずかしさと、何とかなったという安堵感がもたらす疲労のためだった。

 

 

 カタコンベを抜けると、日はすっかり高いところまで昇っていた。

 

 

「先生のにおいがする」

 

 

 出し抜けに耳もとでされた囁きに、しがみつく力が強まった事実に、俺の背筋はぴんと伸びた。

 そしてその囁きは、荒涼とした無音の快晴に放たれてしまった。

 

 知らない。他の人たちの視線など。目が泳ぎ、俺はやっちまったときによくある盛大な苦笑いをしていた。

 ミサキも気づいたようで、そそくさと礼を言って、早く下りようとした。いたたまれない空気が漂う中、それでもミサキは俺の正面に立った。マスクをしようとしてつけていなかったために空振りし、目に見えて肩を落とした。次いで耳に触れた。

 

 

「……その、ありがとう」

「気にすることはないよ。まあ、うん、何だ、うん……」

「絶対気にしてる」

「気にしてはいない。あれだ、あれ、嬉しかった」

「ヤケになってるよね、それ」

 

 

 少しだけ距離を取っている四人からは、間に入ってくる気配を感じ取れない。

 目を横にやり、ミサキに向けるということを何度か繰り返す。ミサキと途中で目が合って、苦笑した。

 

 

「……まあ、よかったよ」

「うん、よかったね。ありがとう。先生」

 

 

 交わしたのはぎこちない笑みだった。けれどもそこには疑いようもない真心がこめられていたと思う。

 

 アリウススクワッドの四人は話したいことがあるようで、少し離れた場所に移っていった。その際、笑みをこらえきれていない姫から何度も視線を向けられたことは言うまでもない。

 楽しそうな姫と、なんと声をかければいいのか分からなそうなヒヨリやリーダーと一緒に離れていったミサキは俺よりも大変だったと思う。

 

 必然的に近くなったハナコに、話を振られる。

 

 

「お楽しみでしたね、先生」

「何とかなってよかったよ」

「あら、スルーですか? それはそれで醍醐味がありますけど、女の子の言葉には誠心誠意向き合わないと駄目なんですよ?」

「それだとお楽しみではないってことになるかな」

「嘘仰らないでください」

 

 

 ハナコの口調はきっぱりとしていた。不思議と攻撃的なニュアンスはなかった。ほほえみと、穏やかな声の調子だからだった。 

 

 

「……お楽しみ、に見えたのか」

「ええ、まぁ。……今度私もまぜてください♡ 三人で青空のもと――いいえ。女性が三人集まるからこそあの漢字が使えるのですよね。それでは女性二人と男性一人ですから……何と言えばよろしいのでしょう? ご存じないですか? 先生」

「存じ上げないな」

「教えてください♡ 私にあれもこれも」

「存じ上げないな」

 

 

 字の構造的には(なぶ)るだな、とは思っていたけれど。またハナコも思っていそうだけれど。そこに踏み込むことはしない。……いつか踏み込むまで執拗に話を振られ続けるかもしれない。その心労を思うと背筋に走るものがある。

 不満そうなハナコはをよそに、伝えておきたいことを伝えておく。

 

 

「近い内にもう一度、用事を作ってトリニティを訪れるかもしれない」

「……それは、彼女たちのことで?」

 

 

 雰囲気をまじめなものに変えたハナコ。そして、まとまって話をしている四人に目を向ける。

 彼女らのほうを一瞥して俺は頷いた。

 

 

「うまくいくかは分からないし、本人たちの希望も分からないがな。トリニティは騒動の後始末をしている真っ最中なんだ。もう一つねじこんだところで、騒ぎの大きさはさほど変わらないだろう」

「……まさか、そんなことを考えるお方だとは思いませんでした」

「自分でも驚いているよ」

 

 

 ちらりと見上げてくる彼女に肩を竦める。

 四人をもう一度流し見た。四人分の短い影が一つにまとまっているように見えた。

 

 分母の大きな学校なのだ。知らない人が一人や二人や三人、四人と増えてもまあ、まあ……。しれっとアリウスの子たちが入学していると噂を流してあらかじめ心構えをさせたり、噂を定着させたり。入学したあとで噂を流せば「あの子たちがそれっぽいんだけど悪いことそんなにしてない……?」となる可能性もある。

 春の入学のタイミングが合うように、秋から冬にかけて週に一回のペースで登校してもらってもいい。

 すべて希望的な観測だが、そしてトリニティの意向を無視しているが、やりようはある。

 

 内容を口にすれば、そこまで考えていたのですかと呆れられた。

 

 

「ゆくゆくはアリウス分校をトリニティに取り込んでもらおうとしている」

「なっ……薄々考えてはいましたが、口に出しますか、それを。アリウスとトリニティには覆せない確執があるのですよ。先生もご存知でしょう? 調印式の騒ぎを」

「確執や執念、怒りは一概に悪いものじゃない。人を成長させることにも作用する。簡単にはいかないだろうが、焚き付け方を考えて、カウンセリングや自己の内面を見つめ直す機会を作って、感情への接し方を変えるアプローチをすればやれると思う。傷を癒やすことは難しいが、傷を傷のまま、受け止めて生きていくことはできるさ」

 

 

 彼女たちに親がいるという話を、俺は聞いたことがなかった。両親がいるのに不健全な発達をしてしまう子たちが向こうにはいたのだ。いないのであればなおさら不健全になりやすいだろう。両親が健在か未知数な彼女たちはおそらく、愛情の感じ方や、頼ること、甘えることに問題を抱えやすい。人間関係の構築や愛着形成にも問題が生じているかもしれない。生きる模範がいないのは――たとえそれが毒物であるとしても――致命的すぎる。

 そしてその歪みのようなものを自覚させる教育カリキュラムは、整備されていないように感じる。

 

 

「……話しすぎた。すまない。どうにも考えていることを抑えるのが苦手で。それに話も広げすぎた」

 

 

 やってしまったと後悔する。ミサキと話すことがあまりにも多いせいで、頭の中身を話すときは相手が必ずミサキであると勘違いしている。

 ハナコは笑みを深めていた。そして深々とお辞儀をされた。

 

 

「何かをなさるときは、ぜひ、お誘いください。先生」

「待ってくれ。そんなに大層なことをしようとはしていないんだ」

「あら……♡ 男性に二言はないと私は知っていますよ。しっかりと責任を取ってくださいね、先生」

「――何の責任?」

「ふふ、人気者なのですね、先生は」

 

 

 

 

 わたわたと説明をする俺と仏頂面のミサキを先頭に、彼女たちの家を目指していた。もう襲われることはないだろうとはリーダーに伝えたが、やはり拠点の居場所がばれているのは避けたいらしかった。

 大人から言われたことは必ず守るだろうがな、とシニカルに笑うリーダーからは、環境の異質さを悔やんでいることを感じ取れない。

 

 

 街から遠ざかる。風景が(すさ)んでいく。カラフルな個人経営店や住宅の代わりに、色あせた構造物が広がっていった。

 道すがら汗に加えて冷や汗までだらだらと流しつつも、何とかミサキの誤解を解いた。拗ねたというか、あからさまに不機嫌なミサキは珍しいのか三人から「何やったの?」と目で尋ねられたが、俺は首を横に振るしかない。

 

 その弁明の流れの中でトリニティに通う話を四人にできたことは僥倖だった。何が資格にあたるのか俺は把握できていないが、アリウス生はもともとトリニティに通う資格を持っているはずなのだ。

 彼女たちの葛藤を考慮しなければ、物理的には可能だろう。

 

 

 話している最中の感触から姫とヒヨリは肯定的だったし、実際にそのとおりの返答だった。

 リーダーとミサキは、うまくいかないと俺は踏んでいた。また、通わないとも。

 

 

「……私は、トリニティがそれでもいいと言うのならば、通い、卒業したい。先生の考えていることがそのとおりになれば、私たちやアズサが第一の卒業生になり、アリウス分校の生徒も少しずつ受け入れが始まるのだろう? 少しでも、罪滅ぼしになるのなら。しかしトリニティが駄目だと言えば、それはしない」

 

 

 白昼には似合わない調子の声だった。五人で固まって動いてはいるが、変わらず先頭は俺とミサキ。

 足音と一緒に聞こえてくる沈んだ声音は、続きを話した。

 

 

「三人にはできれば通ってほしい。私一人の命令に逆らえなかったことにすれば、多少は融通も利くだろう。最初から私一人を悪役にしてもらっても構わないからな、先生。未来のアリウスのためと思えば、この程度」

 

 

 やはり彼女は、シニカルに笑う。自分の未来に希望が持てていないのかもしれない。罪を償うということに、彼女は固執している。自己犠牲というよりは、自己満足に酔っている感じがした。染みついた考え方の癖を変えるのは、一朝一夕でできることではない。

 一番うまくいきそうな提案をしてくれ。そのために身を切られるなら本望。言外にリーダーはそう語った。

 

 晴れた空に響いた独白は、誰に向けられたものかは分からない。

 

 

「戯れ言だと、思っていたんだがな」

 

 

 俺は入学してもらうなら四人で一緒にと考えている。トリニティが受け入れを拒んでも、たとえば他の学校を探したり、ミレニアムと協力してメタバースの学校を作ることもいいかもしれないと思っていた。

 そもそもこれまで四人で生きてきたのだ。いきなり家族を一人減らされる苦痛をリーダーは考慮していないし、それをする人間を信用できるのかも彼女は今のところ考えられていない。長期的な視点を持つことは、それが過酷な環境であればあるほど、難しい。

 

 

 多方面に影響を及ぼそうと考えてしまうのは、彼女たちと俺を繋いだ、降って湧いた勇気なのだろう。けれども今まで決して見ることをしてこなかった世界に、俺と出会えなかったミサキがいると思った。

 

 

「ミサキはどうする?」

「……私がもしも行きたくないと言ったら、先生はどうする?」

「考え直すように一回だけ頼んでみるかな……それでも無理そうなら、無理でいいんじゃないかな。他にも道は考えついてるから」

「他の道って、どのくらい大変?」

「未知数だな。向こうでの話だが。俺が知っている限りでは、数千って学校がある中で、片手で数えられるくらいの学校がそれの実施を始めたはず」

「…………考え直してみる」

 

 

 ミサキは許してほしそうだった。その選択をとってしまう自分自身を情けなく思っていることが、先ほどとはまったく異なる表情から見て取れた。声も心も表情も沈んでいる。

 思い切って頭を撫でたらくすぐったそうに首を動かした。後ろにいる三人のことは、考えないこととした。

 

 

 歩いているうちに家に着いた。何ヶ月も住んでいた場所にはやはり愛着があるようで、姫は「荷物をまとめるのとは別に少しだけ時間がほしい」と伝えてきた。

 思い入れのある場所を掃除したり、見て回りたいのかもしれない。

 

 

 俺は彼女たちが感傷に浸るにはノイズになってしまいそうだったから、木陰でアロナと話していた。木に寄りかかってタブレットをスクロールしたり拡大縮小の操作をしたり――各校のカウンセリングの体制、ティーパーティやハナコへの連絡、資料漁りなど、思いついたタスクを一つずつこなしていく。

 

 

「真面目な顔してる」

「ん?」

 

 

 目と鼻の先にいたミサキは、何でもないことのように「見惚れてた」とほほえんだ。

 

 

「もしかしてけっこう長い間ここにいたのか?」

「うん。話してもいいのか分からなくて」

「……すまない」

「いいよ。パソコンいじってるときとか、そういうことあったし」

「その話もすまん……知らなかった」

「ああいや、そういうことを言いたいんじゃなくて。なんて言えばいいのかな」

 

 

 集中していないときは周りを見るようにしているのだが、集中しすぎると周りが見えなくなってしまう。

 俺の表情が沈んでいたのかもしれない。ミサキはあやすように笑う。

 

 

「これからは話しかけるようにしてもいい?」

「大丈夫だよ。……頭の中を整理するためにメモ帳とかに走り書きする時間をもらえると嬉しい」

「じゃあメモとペンも一緒に差し出すよ」

「その光景ちょっと面白いな……ただな、パソコンかケータイのメモ帳を使わせてほしいんだ」

「……ああ、そうか。そうだね。ごめんなさい」

「こっちも走り書きとか言ったから紛らわしかったな。というか、それを意識しなくなるくらい全部ミサキ任せだったんだな、俺」

 

 

 一度表情に影が差しても、笑いかければ穏やかな空気になる。「校内機密とかかなり知っているからスパイになれるかもしれない」と彼女は神妙な面持ちで話した。

 

 話の終わりによくある、次の話はどうしようかなと考える一幕が降りる。前の内容を受けて続けてもよし、脈絡のない話を続けてもよしな沈黙。

 対面しているのがミサキでなかったら、風になびく葉の音すら無音を破ってくれる舞台装置として重宝していたかもしれない。上を見て、ちょうど肌を撫でていった熱い風の感触と葉擦れの音に思う。

 

 

 視線を下げると、ちょうどミサキと目が合った。何かを話したそうに口を動かした彼女にほほえむ。彼女は目をつむって細い息を吐いた。

 

 

「怖いんだ。先生が話を進めていろんなことをしてくれることも、それで先生が無理をしていないのかも、新しい学校に行くことも、馴染めるかも含めて全部。それで……。先生なら、この気持ちを説明してくれるのかもしれないって思って」

「思い当たる考えみたいなものは、あるけれども」

「うん」

 

 

 その相槌は、語尾が下がるのではなく上がっていた。

 

 

「サイコパスっていう共感能力が低い人たちを除いて、新しいことをするときって必ず不安になるんだよ。人って。今のままでも十分に生活できているから、それを崩さないようにしようって心理が働く。不安として。人間って本能的にネガティブな生き物だから、新しいことをしよう、失敗したらどうしようって思考がデフォルトって言えばいいのかな」

 

 

 経験から、こういった話をしたところで無駄だと学んでいたから、一切考えないようにしていた事柄だった。

 人を動かすのは理論的に説明した感情ではなく、本能に近いような感情。

 

 言ったところで変わらない人は変わらないし、自分もまた同じだった。そんな体たらくで他者に自身の理解を求めた過去は、苦い記憶だ。ミサキと話すことで、過去をそう思い返すようになっていた。

 

 ミサキは視線を落としている。意味を自分なりに咀嚼していると思った。

 俺が発したのは、二人に向けた言葉だった。

 

 

「……でも。不安の先にしか成長も後退もないんだよな」

 

 

 降って湧いた勇気は、不安を払ってくれるには適任だった。だから今こうして、俺たち二人は一緒にいられるのだろう。

 言外の本心はミサキに伝わるか分からなかった。伝わってほしかったけれど、明言してしまったら、前に進むことを強制してしまう気がした。重みづけの意味を、俺もミサキも知っている。だから言わない。立ち止まってもいいと思うし、進むペースも進み方も人それぞれだ。

 

 顔を上げたミサキはふんわりと笑っていた。

 

 

「私たちの関係は、前までよりもずっと進んだね」

「乗り越えてきたからな」

「先生のおかげだよ」

「俺とミサキだったからこそだと思ってるよ。一人じゃできんさ」

 

 

 ちょうどよく三人の話し声が聞こえてきた。長らく住んでいた家に別れを告げて、彼女たちは新しい場所を探さなければならない。

 見つかるまではシャーレにいると言っていたけれど、それは一日二日だけとも言っていた。甘えすぎてしまうから、と。

 

 

 タブレットをしまって木から離れる。ミサキが背中を軽くはたいてくれた。無言じゃなくて「ついてるよ」と柔らかい声音で言いながら。

 振り返って礼を言う前に、後ろから抱きしめられて「ありがとう」と言われた。「少しだけ、やってみる」とも。

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