戒野ミサキは歩きたい   作:ぞんぞりもす

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二話

 斜め後ろから一定のリズムで、厚底ブーツが床を打つ音がついてきていた。歩き、電車に乗ってもなお、俺とミサキは話さなかった。

 最寄り駅で降りて、人を嫌うように構内の端を歩く。

 

 

 青空が見え始めた午後の空に、尖塔と鮮やかな水色の円環が見える。

 背の高いビルとビルの間の大通り。

 あからさまに人の手が入っている規則的に並んだ樹木。

 肺を刺す冷たい空気に葉っぱが揺れ、車の往来の音とまざる。

 商店街の犬のおっちゃんたちや数人で歩く生徒のほうが、俺たちよりも活気があった。

 

 

 シャーレのビルに着いてエレベーターを待っているときに初めて、言葉をかわした。俺がミサキの腰をじっと見ていたせいだった。

 

 

「何?」

 

 

 すぐさまスマホを触りたがる現代人とは正反対で、ミサキは何もせずに立っていた。

 慌てて顔を上げ、黒茶の半眼が俺を見上げていることを知った。

 

 

「腰の位置が、俺と全然違ってたから。足が長いと思って」

 

 

 俺のほうが身長は少しだけ高いけれども、腰の位置はミサキのほうが高かった。モデルみたいだと考えていたから、凝視してしまったのだろう。

 「そう」とだけ返して、ミサキはエレベーターに乗り込んだ。慌てて続いて、階を押す。

 「何階ですか?」「押してるので大丈夫ですよ」愛想よく笑って声かけできる場所が、俺の定位置だった。

 後ろから声がする。

 

 

「じっと見てるから、セクハラかと思った」

「そんなことをしているつもりはなかったんだけどな……すまない。不快だったか」

「いいよ。欠陥品の器にも使()()()があるのなら。それで、どうすればいい?」

「まずは……そうだな。書類整理を頼んでもいいか?」

 

 

 一回も止まることなく目的の階に着いた。

 開くボタンを押し続ける俺の顔をまじまじと見るミサキ。「変な人」と言いながら廊下に出ていった。

 

 そうしてオフィスに案内しての、頭痛を隠しもしない一言だった。

 

 

 有り体に言って惨状。けれども、ここで働いている俺からすれば日常と呼べる光景。

 無数の机に、果てはソファや給湯のスペースにまで及ぶ書類の山。俺がパソコン業務をしている机以外、白一色だった。

 

 ジト目に対して、言い訳をする。

 

 

「業務はしている。紙でなくてパソコンで処理できるものは、全部ちゃんとやっている」

「紙の業務は? …………まあ。目をそらした時点で察したから、答えなくていいよ」

 

 

 眉根を寄せて目を閉じ、苦りきった表情のミサキ。

 入口近くの壁に荷物を置いたミサキに分け方を指示して、オフィス掃除が始められた。俺も手伝おうとしたけれど手際の悪さに苦い顔をされて、パソコン業務の担当となった。

 

 

 ユウカやカズサなどから小言をもらう機会はあったし、片付けてもらうことだってあった。ただ、俺が惨状を作り出すペースのほうが早かった。みんな困った笑顔をしていたけれど、それでも毎回やってくれた。

 その困った笑顔が、小学中学のクラスメートや元恋人を連想させて、愛想を尽かされた経験を呼び起こす。

 俺のほうが申し訳なさと恐怖に耐えられなくって、ここ一ヶ月、呼んでいない。

 

 片付けてくれる人がいることと呼んでいないことだけをミサキに説明して、ため息をもらう。

 

 

「何で一ヶ月も呼んでないの?」

「な、なんとなく?」

「それさ、絶対嘘でしょ」

 

 

 ミサキは手を止めない。文章を読みながら、期日がすぎたものやパソコンで片付けたものを重ねていく。すでに二つもの山が紙紐で止められていた。

 

 しゃがんだミサキは三つ目のそれを結び始めた。

 

 

「反面教師にしてほしいんでしょ? それなら教えてもらわないと、私は参考にできない」

「気を遣ってしまって、人といると疲れてしまってな。少しでも、人から遠ざかりたかった」

「ふうん」

 

 

 それも嘘。ハイライトの薄い目は俺を見上げ、的確に本心を照らそうとする。

 俺は逃げるようにパソコンの画面を見始めたが、ミサキは俺を見上げたまま黙っていた。

 

 

「…………家庭教師とかに、勉強を教えてもらったとしよう。それで分かったんだ。勉強が」

「うん」

「翌日。復習しようと言って、その家庭教師はプリントを持ってくる。そこで、一問も解けなかった。丸付けが終わった家庭教師は、全て『×(ばってん)』の答案用紙を見てどんな気持ちになるだろうな」

 

 

 ミサキは答えた。失望を覚えると。

 

 

「俺がされたのは下手な気遣いだったよ。それも両親からされた。……片付けのやり方を教えてもらった翌日のことだったな」

 

 

 俺は自分自身を鼻で笑った。ミサキは反応を返してこなかった。

 

 

 失敗したっていいじゃない。人間だもの。

 

 

 笑い飛ばせたらよかった。最初は許してくれたけど、歳が上がるにつれて対応は変わってきて、ちょうど小学四年――二分の一成人しているんだからとかいう訳の分からない理屈でいつも怒鳴られるようになった。

 片付けないと怒られたから、下手くそに適当にやって。親や先生に出さなきゃいけないものだったり、満点だったり、乱雑な字が隅々まで書かれているプリントをばらまいて、ごめんなさいを積み重ねた。

 

 成功の代わりに積もり積もったいろんな言葉が、俺の人生の肉付けをしてくれた。何でこんなこともできないのって言葉が、心臓に深く食いこんでいる。抜いたら血があふれて死んでしまうから、激しい動きをしたら痛んでしまうから、びくびくと杭を刺したまま生きている。

 

 

 蘇ってきた光景に大きな息で蓋をする。ミサキは四つ目の山を作り始めている。パソコンでできることは完璧にやっていたため、また期日を過ぎたものが多かったため、捨てる紙のほうが圧倒的に多かった。

 

 

「私はそこから、何を学べばいい?」

「……さあ。紙の整理も、人ができないことを非難しないってことも、できてるしなあ」

「何もないの? まあいいや。業務の手伝いだったらこれからもするよ。食料とか、もらえるんでしょ?」

「まあな」

 

 

 相槌を打ちながらミサキの動きを見る。淡白な少女を見たとて、沈んだ気持ちは平常運転に戻らない。

 

 

「今度は何?」

「……すまない」

「うん」

 

 

 これで話は終わりだと思った。けれども部屋にはクリック音とキーボード音が響くばかりだった。

 太陽は平等に人を照らす。雲の間から息苦しそうに差し込んだ日はオフィスにも注ぎ、電気をつける必要はない。ジャケットから出ている手先が冷えていた。 

 

 

 ソファは片付き、ガラスのローテーブルにはコーヒーが飲めそうな隙間ができていた。今度は凝視しないように、意識した。

 

 

「先生はさっき謝ったとき、何を考えてたの」

 

 

 顔を上げて反射的に答える前に「何も考えてないとかは言わないよね」と先回りをされた。

 

 顔が中途半端な高さで止まる。机の端を見ながら黙考する。ミサキは、反面教師というワードに引っかかっているように思う。

 

 

「考え事はしていたが、それは話すほど重要なことではないな。今後きっと役に立ちそうにないものだから」

 

 

 本当は、紙の重要性って分からないよなあと考えていて。

 教科書はたくさんのものが束ねられているから、重みがあって、捨てちゃいけなそうな圧がある。

 

 けれどもたった一枚の紙切れは。こんな薄っぺらい物の何が重要なのか分からなくって、雑に扱ってしまう。きっと普通の人は重みとか圧とか重要とかを考えることもなく、整頓できるのだろう。

 

 

 ミサキがどんな顔をしているのかは見えなかった。

 そう。死んだような声で返答して、再びぺらぺらとした音が聞こえ始めた。

 

 彼女はもしかしたら、俺の話を聞きたかったのかもしれない。でなければ、質問したりはしないはずだ。

 気づいたときには時期を逃してしまっていて、ミサキの様子をうかがうばかりで言葉にすることは叶わなかった。

 

 

 

 

 紙の山を持ってオフィスとゴミ捨て場を十何往復したころには、すっかり太陽は仕事を終えていた。

 心もとない月明かりの仕事を奪って、蛍光灯がオフィスを照らしている。数を減らした山に寒々しいと感じてしまった。

 

 

「人を頼ること」

 

 

 片付いたソファに座りながら二人でコーヒーを飲んでいた中での、出し抜けの一言。作業中にミサキの首に巻かれている包帯に気づいて、もしやと思って、読み取られないように気遣いのセリフを投げた。

 じっとミサキと見つめ合う。

 

 

「いきなり何?」

「反面教師にしたほうがいいっていうの。そういえば、人を頼ったほうがいいよって」

 

 

 電子機器があふれた世界では珍しくなった無音の空間。マグカップを置く音と話し声だけがオフィスに染み入る。

 澄んだ空気と光景が寒くて、余計にコーヒーの温かさを感じた。

 

 

「頼れる人なんていない。それに、スクワッドはただ部隊の仲間ってだけ」

「寂しくないのか?」

 

 

 ミサキの答えが気になって、考えるよりも先に疑問が口をついた。

 これもきっと、降って湧いた勇気だ。あとの関係がどうなるかを考えない衝動的な愚かさが、ミサキを知りたがる心を音にする。

 たとえ近づいたとしても、結局は、全部駄目になってきたのに。

 

 マグカップを傾けていた彼女はぴたりと動きを止めて、口から離す。彼女が両手で包んでいるコーヒーは、すでに冷えてしまっただろうか。

 

 

「へいき」

 

 

 耐えられる。そういう意味だと思った。他者に踏みこんでほしくない俺は、他者に踏みこみたくない。

 散々ミサキに興味を持っておきながら、最後には、臆病者の性分が俺を支配した。

 

 

「そうか。まあ、何かあったら頼ってくれ」

「頼らないと思う。返せるものが何もないから。貸し借りも嫌い」

 

 

 何だ。じゃあ、本当に業務を手伝って報酬をもらうだけの関係か。

 言おうとして、やめた。口に出してしまったら呪いみたいに行動を縛ってしまいそうだった。代わりに共感できそうな感想を投げて、無難に会話を終える。

 

 

「借りがあるって思うと、何か、すり減るよな」

「……うん」

 

 

 また少しだけ作業をして、その日は解散になった。

 

 

「そういえば、連絡先を知ってたほうが便利でしょ。いちいちあそこまで呼ばれても面倒。だから、教えとく。私から連絡することはないと思う。それじゃ」

 

 

 それだけを言って、ミサキはオフィスを出た。彼女のおかげでかなり片付いたが、それでも近くの机は未だに使えない。

 窓から見下ろすと、等間隔で並ぶ街灯の下、それも道の端をミサキらしき人が歩いていくのが見えた。それはすぐさま、夜を知らないようなキヴォトスの光景に溶けていく。

 見上げると月明かりが申し訳なさそうに、穏やかな光を放っていた。

 

 

 しばらくパソコンと睨み合ってからモモトークを開く。

 新しく追加された人に一言。

 

 そうして、メッセージの最新順に並べられた一覧画面に戻る。

 そこには、自分の愚かさを忘れるなとでも言うように、ユウカやカズサなどに送った履歴が残っていた。

 

 

『シャーレの当番をランダムで決めて手伝ってもらってるよ』

『やばくなったら呼ぶよ』

『紙の資料が減ってきたからまだ大丈夫。実はそんなに溜まってない』

 

 

 ミサキがどうか、人を頼ることに申し訳なさを覚えない人でありますように。

 俺は願うことしかできない。

 

 人に撫でられただけで傷ついてしまうから、俺は極力、人の深い部分に踏みこみたくない。けれども、人に何かを伝えるには、そこに踏みこむしかなくて。無防備をさらすしか方法はなくて。

 しばらく、返信のこない一覧を俺は見つめていた。

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