戒野ミサキは歩きたい   作:ぞんぞりもす

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 ※ミサキ視点です。


三話

 重い器を引きずって歩く。

 夏でも秋でもないこの季節は虫が鳴いていることがない。だから、夜は寂しい。真っ暗闇が心を侵食して、私から明るい感情を奪い去っていく。

 体が揺れるたびにリュックサックから聞き慣れないビニール袋の音が聞こえて、私は今日変な人と会ったのだと実感する。そのおかげか今だけは気分が後ろ向きじゃなかった。

 

 

 月明かりにぼんやりと照らされる、緑にへばりつかれたビル。

 明かりのついていない電柱。

 街なか。

 夜に特有の透明な味がする空気が私の肺を痛めつけてくる。

 ところどころに亀裂がある酷道を、つまづかないように歩いた。小さな隙間に、ときおりたんぽぽが咲いていた。

 

 ライト代わりのスマホが振動した。初期設定のままのロック画面に通知が浮かぶ。画面の明るさに目が自然と細まった。

 

 

『ちゃんと帰れたか?』

 

 

 新しく追加した人からのメッセージだった。おそらく、昼の移動で所要時間を計って、そろそろ着いたかなというころに連絡してきたのだろう。あの先生の考えることは何となく読み取れる。

 

 私が疲れていたせいでまだ着いていないけれど。

 ……放置でいいや。まだ帰れていないし。

 

 

 変な人だった。

 

 

 何もかもどうでもいいと、思っていた。

 実際そこに――揺らぎはない。

 

 海面がいくら波打とうとも、底の海水は身じろぎをしない。どれだけ叫ばれようとも、私の根本は揺らがない。

 けれども一緒に海底をたゆたってくれそうな雰囲気が、先生にはあった。

 

 

 先生にとって最も近しい存在は、今のところ、おそらく私。申し訳なさと善意と自己否定をぐちゃぐちゃに混ぜた苦笑いを浮かべた先生を見て、根拠もなくそう思った。

 先生が私にひかれる理由は、何となく分かる。私も先生にひかれたからだ。生きるということに、人よりも多くのエネルギーが必要な感じ。

 そこが似ている。

 

 

 アツコは鋭い。似ている雰囲気を、言語化することなく嗅ぎ分けたのだろう。ときどきそういう人種がいる。

 気をつけないと。

 ……何を気をつけるんだろう。私。

 

 

 なんか、へんなかんじ。

 

 

 ため息が漏れた。

 過酷な生活が終わったと思ったら任務の銃撃戦で怪我しまくって、何もかもから追われて生活苦に逆戻り。

 トリニティの生徒やおそらく先生にも、多大な迷惑をかけた。私たちのしでかしたことはそれだけ重いから、末路の覚悟はできていた。

 

 

 その覚悟が揺れている。このままずっとこんな生活は嫌だと、心のどこかで思っていたことが熱を持っている。

 なぜ。

 それは先生と出会ったからに他ならない。

 

 ゆったりとした時間が過ぎるのを噛み締めても許されそうな情緒に当てられたのだろう。私にはそんな資格も気力も何もないのに。

 

 

 ……考えすぎてもしょうがないな。

 まだ初日だし。

 先生と会って自分が変わることがあれば、そのときに考えればいい。

 ――でもそうしたら、私は先生を引きずりこんでしまうのだろうか。

 

 

 駄目だ。

 駄目だ。

 よくないな。この思考は。

 堂々巡りを考え続けるのって、自分の尻尾を追いかけまわる犬みたいで滑稽。

 

 

「いらいらする……!」

「――大丈夫か!? ミサキ!」

 

 

 聞き慣れた低い声がした。最小限の音だけで駆け寄ってくるリーダーに、適当な返事をする。

 

 住処にしている廃墟まで歩くだけの数十メートルで、しつこいぐらいに「何もなかったのか」と確認をされた。

 何だと思われているのだろう。あの先生、そんなことできないよ。

 

 いらいらをぶつけるように大丈夫と言ったら、リーダーは少しだけ目線を落とした。「すまない。気が()いていた」「こっちこそ、ごめん」二人して何を言っているんだ。

 

 

 私たちはわずかの月明かりから逃れるように家に入った。懐中電灯やスマホがないとかなり暗い廃墟だ。

 

 床にはひびが入り、そこから一生懸命に生きる草が見える。壁も同様。ガラスも蛍光灯もだいたい割れている。

 重いリュックを床に置いてビニール袋を取り出す。響くかさかさ音が重い空気の調和を乱した。作戦会議中にダジャレを言うようなふざけた感じがした。

 

 

「これ、今日の分。みんなで適当に分けて」

「……助かった。これでしばらくは凌げるな。飲み水もあるのか……ありがたい」

 

 

 私は言葉も返さずに自室へ向かった。

 足音が近づいてくる。

 

 

「休むのか?」

「うん」

「少しは食べたらどうだ? 何も食べていないだろう」

「いい。休ませて」

「そうか。……今夜は私が不寝番だ。ゆっくり休むといい」

「うん」

 

 

 私たちはチームと言いながらも、孤独に日々を生きている。

 足音が遠ざかった。

 代わりに私が足を止める。

 

 

「無理しないでよ」

 

 

 小さな声で言ったのに、夜だったから妙に響いた。密閉された建物じゃないから何度も反響しなかったのはよかった。

 私は意味もなくマスクを付けた。歩きだしても、歩調がさっきまでと違う気がした。

 これは、気まぐれ。イレギュラーが引き起こした私の誤作動に過ぎない。

 

 

「ミサキのおかげで私たちは今日も生きている。その、何だ……ありがとう」

 

 

 背後からの返答に、さらに歩調が乱れる。聞き慣れない声音だった。

 何なんだ。何をしているんだ。私たちは。

 先ほどと思ったことは同じでも、胸の内はまったく異なっていた。それは、不快じゃなかった。

 

 

 

 

 自室に戻って、割れた窓の近くで頭を冷やしていた。月明かりと廊下からの明かり――なぜ電気が通っているのかは知らないが――が入っているから、部屋はそこまで暗くない。壁に寄りかかって深呼吸しながら、この世界の何よりも明るい四角を見る。

 

 

『帰った』

 

 

 すぐに既読がついた。先生からの返信が来る前に、聞きたかったことを聞く。

 

 

『ファイルってオフィスにあるの?』

『ファイル? 何の?』

『紙をまとめられるようなやつ。

 各学園ごとに資料をまとめたほうが、たぶんいい』

『あ~。確かあったはず。

 次来るときまでに用意しておく』

『あとラックってあった? そこに並べたほうがいいと思ったから』

『使えない状態だけどあるよ』

『それは紙で使えないってこと?

 それとも物理的に壊れてて使用できないってこと?』

 

 

 少し間が空いた。これはおそらく、正直に言うか悩んでいる。

 

 

『ぜ、前者です……』

『そう。

 それなら、次行ったときに整理するからそのままにしておいて』

『ありがとうございます……』

『いい。

 もらうものもらってるから。

 頼まれたことはちゃんとやりたいだけ』

 

 

 これで終わりかな。

 一つ息を吐いて顔を上げると、部屋に姫がいた。最近ではガスマスクを外していることが多く、ころころと表情が変わるさまを見ることができる。意外と茶目っ気があって活動的な姫は、少しだけ口角を上げている。

 

 

「どうしたの? 姫」

「何だか楽しそうなみーちゃんがいたから。見てた」

「……楽しくない。何で起きてるの? あとみーちゃんって呼ばないで」

 

 

 勝手に部屋に入られたことには何も言わない。ドアなんてそもそも取り付けられていないし、窓も割れている。自室とは名ばかりの、プライバシー皆無の直方体。

 あるのは、勉強したら手が傷だらけになりそうな木の机と、かろうじて生きているコンセントと、柔らかそうなものを集めて完成したぼろぼろの寝床のみ。

 

 入口からすすすっと近づいてきた姫。私は思わずスマホの画面を胸に押しつけた。姫と話しているうちにポケットに忍ばせよう。

 

 

「何だか寝つけなくて。二階で外の空気を吸ってたの」

「そう。早く寝たほうがいいよ」

「うん」

 

 

 返事をしながら姫は、窓を挟んで私の隣に背を預けた。射撃訓練であれば、二人で一つの窓から攻撃する場面だろう。今はそんなことをする必要はない。

 

 

「大丈夫だった?」

「うん。それ、リーダーから何度も確認された」

「さっちゃんは優しいからね。その話、外にいても聞こえてきたよ」

「じゃあ何で確認したの……?」

「みーちゃんの口から聞きたかったから」

 

 

 思わずため息。姫の行動に何かを言っても仕方がないか。どんなときでも、姫は姫だった。優しくて強い。私よりもずっとずっと、生きているだけで価値があるようないい子。

 

 スマホが振動した。心当たりはあった。

 ポケットに手を入れるだけで画面を確認しない私に視線を向けて、姫はくすりと笑う。

 

 

「見ないの?」

「後でいい」

「せっかくだから、見てよ。楽しそうなみーちゃんが見たいな」

「……何で?」

 

 

 私の前まで歩いてきた姫が手話で「見て」と言ってくる。立ったまま楽しそうに上体を左右に振って、手話を繰り返す。

 おさげにしているさらさらの髪が揺れ、夜の澄んだ空気に花の香りが満ちる。楽しそうなのは私じゃなくて、姫だ。

 

 

『次の日程のことなんだけど。いつなら来れそう?』

「私も見てもいい?」

「いいよ。隠すようなものでもないし」

「最初隠してたよ」

 

 

 姫と話しているとため息が自然と出てしまう。

 窓側じゃないほうの隣に並んだ姫が、くっつくくらいに体を寄せてきた。私の肩に頭を預けるように、左腕を姫が両腕で抱きしめるように。私よりもずっと柔らかい肢体だ。

 

 

「何て返すの?」

「日程を返すだけだよ」

『明々後日なら大丈夫。

 食料を探したりとか電気水道の確認をしなきゃいけないから、少し日を空けてほしい』

 

 

 また、すぐに既読がつく。暇なのかな。先生。

 今はあまり既読がついてほしくなかった。こんなふうに落ち着かない感じは初めてだった。

 

 

『分かった。

 何か必要なものがあったら教えてくれ。可能な限りは用意するから』

『うん』

 

 

 これでおしまいだ。スリープにしたスマホをそそくさとポケットに押しこんだら、姫が不思議そうに私を見る。

 

 

「おやすみは言わなくていいの?」

「別にそんな仲じゃないから。勝手に寝て、勝手に起きるでしょ」

 

 

 スマホの振動音に姫が笑う。その振動が響くということが、夜の沈黙を濃密にしている気がした。今日は何だか調子が狂いっぱなしだ。

 先生におやすみを返して、姫ともその言葉をかわした。

 

 

「今日一日だけで、みーちゃんの雰囲気が何だかすごく変わった気がする」

 

 

 そうほほえんだ姫に、私はそんなことないと返せなかった。すでに姫は私の自室を出てしまっている。

 今ごろ隣の部屋で寝じたくを進めているだろう。

 

 

 先生には、教科書が押しつけてくる徳ではなく、様々なものを寄せつけて受け入れる親しみやすい徳があるような気がした。

 

 ピラミッドの最下層のさらに下。コマみたいに尖っている最下層のような。

 自分は世界で一番弱いから、あなたたちはきっと大丈夫だよと優越感を味わわせてくれるような。

 自分という生命を否定したいと思っているところも、もしかしたら似ているのだろうか。価値観が似ている人は、仲よくなりやすいと思う。だから私はほとんど一人だった。

 

 

 どうでもいいけど、先生を見れるなら見たい。どうでもいいの次の価値観が生まれた瞬間だった。

 私の狭い世界に、あんな大人はいなかった。きっとこの広い世界にも、珍しいように感じる。

 

 

 私はもう一度ブルーライトを浴びた。既読のついた、私のおやすみ。

 ……分かるんだ。先生がどんな気持ちでおやすみを言ってきたのか。きっと、怖かったんだよね。

 

 姫から催促されなくとも、一人になってから返信をするつもりでいた。自分のこととはいえ意外だった。

 私は寝じたくを進めた。

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