SIREN落語   作:ドラ麦茶

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時そば

 今から二〇〇年ほど前の江戸時代にも夜更かしをする人はいるもんで、そんな人たちを相手に屋台で食べ物を出す商売をする人もたくさんおりました。中でも凍えるような冬の夜に人気だったのがそばの屋台。かけそば一杯十六文で売っていたりなんかしています。

 

「――おう、やってるかい?」

 

「へい、いらっしゃいませ」

 

「今夜は冷えるねぇ。どれ。かけそばを一杯貰おうか」

 

「へい。少々お待ちを」

 

「へへ。こう冷える日には温かーいそばに限るね。儲かってるんだろ? なに? ぱっとしない? そりゃ仕方ねぇや。まあ、商売なんて地道にコツコツとやるもんだ。飽きずにやるから()()と言うくらいだからな」

 

「お客さんなかなかうまいこと言いますね……へいお待ち」

 

「お? 随分と早いね。こちとら江戸っ子、気が短けぇから遅いとイライラしてくるんだ。うーん。いい香りだ。出汁はかつお節と昆布の他にシイタケも使ってるね? ……うん。屋台のそばの出汁はやたらと塩っ辛いのが多いが、ここの出汁は実にちょうどいい塩加減だね。そばの方もコシがあって良い。コシの無いそばなんか食いたかねぇからな。ちくわも厚く切ってあって豪勢じゃねぇか。薄いと噛み応えがねぇもんな。それどころか、店によっちゃちくわじゃなくて()を使ってごまかすけしからん店もありやがる。んん……ああ、美味かった。あんまり美味いもんだから、つゆの一滴も残さず飲んじまった。ごちそうさん。いくらだい?」

 

「十六文いただきます」

 

「この美味さで十六文とは恐れ入ったね。一両払っても惜しくねぇや。まあ今は細かいのしか持ってねぇから、これで勘弁してくれや。どれ、小銭だから間違えるといけねぇ。手を出してくれ。数えながら渡すからよ」

 

「へい」

 

「いいかい? それ、ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、いつつ、むっつ、ななつ、やっつ、いま何どきだい?」

 

「へぇ、九刻(ここのつ)です」

 

「とう、十一、十二、十三、十四、十五、十六、と。じゃあ、ごちそうさん」

 

「へい。ありがとうございます」

 

 こうして客は勘定を済ませてさっさと行ってしまいました。

 

 これを近くで見ていたのが世の中をついでに生きているようなぼーっとした男で。

 

「……あの野郎、なんだかうまいことやりやがったね。勘定を渡す時、『ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、いつつ、むっつ、ななつ、やっつ、いま何どきだい?』と訊いて、店のモンが『へぇ、九刻(ここのつ)です』と答えたら、『とう、十一、十二、十三、十四、十五、十六、と。じゃあ、ごちそさん』ときたもんだ。こりゃ一文ごまかしてるよ。よく考えたもんだな。よし。俺もやってみよう」

 

 てなわけでさっそく真似をしてやろうとしたんですが、あいにくその日は持ち合わせがなく、帰るしかありませんでした。

 

 翌日、さあ今度こそと思って家を出ましたが、なにせぼーっとした男ですからその日はそば屋によるのも忘れて家に帰ってしまいました。次の日も、そのまた次の日も忘れて帰ってしまい、そんなことが続いて月日はあっという間に流れ、冬は終わって春が来て、夏も暑い盛りになった頃、ようやく思い出した男は夜中の帰り道に一軒のそばの屋台を見つけて立ち寄りました。

 

「――おう、やってるかい?」

 

「へい、いらっしゃいませ」

 

「今夜は冷えるねぇ」

 

「……今は夏ですぜ? この時間でも暑いくらいでさ」

 

「ああ、そうか。まあ、暑さ寒さなんてどうでもいいじゃねぇか。どれ。かけそばを一杯貰おうか」

 

「申し訳ありません。ウチはかけそばはやってないんです」

 

「なに? かけそばをやってない? そりゃ変わったお店だね。まあなんでもいいからそばをくれ」

 

「へい。少々お待ちを」

 

「へへ。こう冷える日には温かーいそばに限るね。なに? 暑いから冷たいそばだって? そりゃそうか。こんな暑い日に熱いそばなんて食べたらゆであがっちまうもんな。どうだい? 儲かってるんだろ? なに? うまく行ってる? そいつは困ったな。飽きずにやるから商いってのができねぇじゃねぇか。いやこっちの話だよ。……しかし遅いね。そば一杯出すのにどれだけ待たせるってんだ。こちとら江戸っ子なんだから気がみじけぇんだ。なに? かけそばじゃないから時間がかかる? そりゃしかたねぇや。まあ時間なんて気にしねぇから、ゆっくりやってくんな。……ああ、やっときたよ。うーん、なんだか変な匂いだね。こりゃあ出汁はなんだい? なに? 出汁じゃなくて、酢とごま油と砂糖とコチュジャンを混ぜたタレだって? 随分と変わったそばだね。まあタレはいいんだが、この赤くてドロドロしたモノはなんだい? イチゴジャム? また変わったモノを入れたもんだね。よーくかき混ぜて食べるってのか? とりあえずやってみるか……ああ、こりゃまた器の中が真っ赤だよ。まるで血の海だね。地獄絵図とはこのことだ。まあ、そばなんてタレがどうだろうと麺がしっかりしてりゃなんとかなるもんだ。……しかしこの麺は固いね。固くて噛み切れやしねぇ。まるで輪ゴムを噛んでるようだよ。そんでまたタレとの相性が最悪だね。酢の酸っぱさとコチュジャンの辛味とイチゴジャムの甘さが口の中で見事にケンカしてるよ。こんなものは早く飲み込んじまうに限るが、麺が固くて飲み込めやしねぇ。……ああ、不味い。不味いねこりゃ。不味くても食べてる間にクセになってくるなんてこともないね。最後まで不味いままだよ。よくこんな不味いそばを売ってるもんだね。食べるヤツの気が知れないよ。……ん、ごちそうさん。いくらだい?」

 

「十六文いただきます」

 

「今は小銭しか持ってねぇから、間違えるといけねぇ。手を出してくれ。数えながら渡すからよ」

 

「へい」

 

「いいかい? それ、ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、いつつ、むっつ、ななつ、やっつ、いま何どきだい?」

 

「へぇ。前日/23時11分03秒です」

 

「……04……05……06……07……08……」

 

 

 

 

 

 

 

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