江戸時代には各地域にお城が建っていまして、お殿様が住んでおりました。お殿様もずっとお城にいると退屈しますから、たまには家臣を連れ、馬に乗って遠くへ出かけたりしたものです。
今から二〇〇年ほど前の秋のことになりますか、ある国の殿さまが山奥のそのまた奥にある三隅郡羽生蛇村という地域にやってまいりました。お昼になり、さてここらでお弁当でも食べようかということになったのですが、家臣の者がヘマをいたしまして、お弁当を持ってくるのを忘れていたのです。殿さまはお腹が空いてたまりません。
すると、どこからともなく良いにおいが漂ってきます。
殿さまが誘われるようにそちらへ向かいますと、そこには大きな三角錐の岩があり、その側で一人の娘がなにやら魚のようなものを焼いております。においの元はそれのようです。
殿さまは家臣を呼びつけて言いました。「これ。あそこであの娘が焼いておるものはなんじゃ」
「はい。あれはさんまという魚でございます」
「さんまと申すか。初めて聞くな。なにやら
「しかし、さんまは下魚でして、殿がお口にするような魚ではございませぬ」
「そうはいっても空腹には耐えられぬ。構わぬから持って来るのじゃ」
殿さまがそう言うのであれば家臣の者も逆らうわけにはいきません。家臣は娘と交渉し、さんまを売ってもらいました。殿さまが焼きたてのさんまを頂きますと、秋が旬のさんまは脂がたっぷりとのっておりますから、これがまた今まで食べたこともないくらいの美味しさ。殿さまはさんまをぺろりと平らげ、満足してお城に帰って行きました。
さて、お城に戻った殿さまは、村で食べたさんまの味がどうにも忘れられません。しかし、あの日家臣が言った通りさんまは下魚ですから、殿さまの食事に出てきたりはしません。そこで、殿さまは家臣を呼びつけ、こう言いました。
「これ。今日の夕食には、さんまをもってまいれ」
「さんまでございますか。かしこまりました」
と、言って家臣は下がったものの。
「さて、さんまとは困ったものだ。城にさんまなどあるものか……これ、料理人」
「へい」
「殿が御膳にさんまを所望しておるが、あるか」
「へ? さんまですか? さんまは庶民が食う下魚。このようなところにあるはずもありません」
「さようでござろうな。仕方ない。では拙者が買って来よう」
そんなワケで家臣は城を出て行きました。現在では魚
「料理人。さんまを買って来たぞ。さっそく料理せよ」
「へえ。しかし、随分と脂がのったさんまですな。こう脂が多いと、殿の御体にさわります」
「しからばどうする?」
「一度蒸して、脂を落としましょう。それなら大丈夫です」
ということで、料理人はせっかく脂ののったさんまを蒸し機にかけてすっかり脂を落としてしまいました。
「うむ、脂はすっかり落ちたな」
「へい。しかし、まだ問題がございます」
「なんだ」
「さんまは小骨が多い魚です。このまま殿が食しますと、骨が喉に刺さる恐れがございます」
「ならば骨を抜いておかねば」
料理人は今度は骨を一本一本丁寧に抜いてまいります。もちろん時間がかかりますから蒸し上がったさんまもすっかり冷めてしまいました。
「よし、これですっかり大丈夫たな。では殿の元へお出ししろ」
「へい」
こうして料理人が殿さまの御膳に差し出したのは、脂がすっかり落ちて煮干しみたいになった貧相なさんまで、パッサパサのうえにすっかり冷めておりますから美味しくもなんともありません。
「なんだか
「はい。確かにさんまにございます」
「このようなさんま、いったいどこで手に入れた?」
「はい。日本橋の魚河岸にて手に入れてまいりました」
「なに? それはいかん。魚は羽生蛇村に限る」