革財布 眞魚岩 天武12年/11時59分57秒
村を、酷い飢饉が襲っていた。
春から、ずっと、雨が降らない。もう、一〇〇日を超える。村に蓄えていた食料はとうに底をつき、田畑で育てていた作物は枯れ、家畜は死に、山や森の木々も枯れ、川は干上がり、熊も、鹿も、猪も、兎も、魚も、全て、死に絶えた。
村人も死んだ。わずかばかりの食料を奪い合って死に、食料とも言えぬ枯草や腐臭を放つ死骸のために争って死に、そして、村人の死体すらも奪い合って、死んだ。食べられるものは全て食べた。それでも、雨は降らない。
多くの人々が暮らしていた村は、今や、二人の男と、一人の男だけとなった。
天から、巨大な三角錐の岩と共に、革財布に入った異形の金が降ってきたのは、そんな時だった――。
男の一人は、神の恵みだ、と言った。天の神が、我らを救うために金を授けてくれたのだ。この金を使って食糧を買うべきだ、と。
もう一人の男は、この異形の金は神の持ち物だ、と言った。神が、天界から落としてしまったのだ。神の持ち物に手を付けるなど、とんでもない、と。
男は何も言わず、ただ、異形の金を見つめた。
全体が、まるで秋の山吹の花のごとく美しい光で輝いていた。この世の物とは思えない美しさだ。放っておくと、その輝きが失われるかもしれない。
街へ持って行って使うべきだ、と、一人は言う。
きちんと役所に届けるべきだ、と、もう一人は言う。
男は――。
どちらでもなかった。使うべきかもしれないし、届けるべきかもしれない。どちらであろうと関係ない。ただ、使わなければいけないと思った。使うしかないと思った。自分
男は、革財布の中に手を入れると。
異形の金を、掴んで取り出した。
金が、ちゃりんと音を鳴らす。
構わず、男はさらに手を伸ばす。左手にも掴み、袋の中からを引きずり出し、そして、懐に入れた。
言い争っていた男たちも、男が手を付けると、先を争って、異形の金に手を付け始めた。一度手を付けたら、もう、神の持ち物であろうとなかろうと、どうでも良かった。
掴んでは懐に入れ、掴んでは懐に入れ、さらに掴んでは、懐に入れた。
異形の金が、ひときわ高い音を鳴らした。
一人の男が、頭をおさえ、うめき声を上げた。
もう一人の男も、同じように苦しみ始める。
頭が痛い、割れる、悲鳴を上げる。
最初に金に手を付けた男も、頭を引き裂かれるような痛みに襲われた。
やがて、ふたりの男たちは、目から、鼻から、耳から、口から、血を吹き出し、息絶えた。
残りの男は――。
それでも、異形の金を懐に入れ続けた。死ぬことはなかった。死ぬわけにはいかなかった。
ただ、金を盗まなければいけなかった。
愛する者を、護るために。
生まれてくる者と、生きるために。
☆
――――。
――ああ。
神よ。お許しください。
罪深き私を、お許しください。
天から降臨されたこのお金は、まぎれもなく、神の持ち物。
神の持ち物に、我々下賤の者が手を付ける。なんと罪深いことでしょう。
ですが、お許しください。
私は、死ぬわけにはいかないのです。
我が女房の腹に宿った、新たな命のために。
生まれてくる、その子のために。
私は、生きなければなりません。
だから、お許しください。
あなたの持ち物に手を付けることを、お許しください。
それがどんなに罪深いことでも、許されないことでも。
私は、父として、その罪を犯さなければなりません。
私は、あなたの金を使わなければなりません。
例え、神の金に手を付けてでも。
私は、生きなければなりません。
――その代わり。
もし、無事に、我が子が生まれ、育ち、私の手を離れたら。
神よ。私はその後、あなたのために生きましょう。
神よ。私は、残りの命を、あなたのために捧げます。
私は、ご恩を忘れません。
我が子を救ってくれたご恩を、決して、忘れません
だから、私は、あなたのために生きましょう。
あなたの恩に報いるために
あなたの偉業を称えるために。
あなたのお金を返すために。
この罪を、償うために。
私は、あなたのために、生きていきます。
命が続く限り、この罪を償い続けます。
犯した罪の大きさは、私のような短い命では、償いきれないかもしれません。
私の命で足りぬのならば、私の子孫の命も捧げます。
たとえ何十年、何百年、何千年かかろうとも、この罪を償い続けます。
私は、今日、あなたから頂いた恩を、決して忘れない。
我が子を救ってくれた恩を、決して忘れない。
ああ、神よ。
ありがとうございます――。
☆
男は盗む。
神の金を。
生きるために。
我が子のために。
神に、感謝の祈りを捧げながら。
神の金が悲鳴を上げた。命が尽きる時の、最後の叫び。断末魔の悲鳴が、空に響き渡る。
☆
村に、鐘の音が鳴り響く――。
え? どゆこと?