「ミカさん、特級の就任おめでとうございます」
「ん?あー…ありがとう?」
トリニティの某所。
日頃から銃撃戦が繰り広げられ、特異現象がなくとも騒々しいキヴォトスにおいては珍しく穏やかで静かなカフェでのこと。
親友と言える程仲が言い訳ではないがそれなりに付き合いがあった、しかしここ数年の忙しさも相まって絡むことが減ってきた友人に久しぶりに呼び出されたと思えば、そんなことを言ってきたナギサにミカはこてんと首を傾げながらも一応礼で答えた。
「…え?それだけ?こんなところ呼んどいて?」
「こんなところ…私お勧めのカフェだったのですが…」
「いや確かに紅茶も付け合せのケーキも美味しいけど…じゃなくてさぁ」
「はい?」
不貞腐れるように言うミカにナギサも困惑を隠せないが、せっかくの場なのでこれ以上空気を悪くするのも良くないと気分を紛らわせるようにミカはケーキの切れ端を1つ頬張った。
「っていうか、特級就任ってそんなに嬉しいものじゃないんだけど」
「何故ですか?特異現象捜査部においての生徒に与えられる特級の区分といえば歴代でも数える程しか排出していませんし、長いこと特級の生徒が不在だったというのに、ミカさんは高等部1年にしてそれに認められているんです。とても凄いことだと思いますよ。ミカさんなら、いずれはキヴォトスを引っ張って行けるような存在に…」
「はぁ…ナギちゃんが知らない訳ないでしょ?特異現象捜査部の特記戦力って言えば聞こえは良いけど、実際は私のこと怖がった連邦生徒会が首輪付けに来てるだけ。私のところになんて連絡来たか分かる?『他の生徒が対応不可になるような脅威が現れた時に直ぐに対処出来るよう、連邦生徒会が指定した依頼以外を受けることを禁ずる』だってさ」
「っ…ですが…」
愚痴を零すミカに、ナギサも言わんとしていることを理解出来ない訳では無い。
それでもやはり、その実力がそれだけ高く認められているというのは事実だとも思っていた。
特異現象捜査部では、中等部の期間は基本は特異現象についての知識や対処法、任務をこなす為の結界術や監督オペレーターとの連携、その他諸々の訓練などを受けるのが主となり、安全面も考慮して原則任務に当たることが出来ない。
例外としては中等部時点で実力を評価され4級の資格を与えられれば様々な補助の元で任務に赴くことが出来る。
そしてミカはその特例で、ナギサ共々特異現象捜査部の者に才能を見出されスカウトされてからは早くに実力を認められ、中等部時点で幾つもの任務をこなしてやがて危険度の高い任務に当たって高等部1年の今までで7体の準1級特異体、2体の1級特異体、特異現象捜査部が存在を把握してはいたものの対処出来る者がおらず規制を敷くことしか出来なかった数有る特級特異体の内3体を鎮めるという実績を持っている。
危険な特異体や長年の障害となっていた特級特異体を鎮められたことは連邦生徒会も歓喜したことだろうが、同時にそれだけの実力を持つミカを危険視したのだろう。
そしてナギサの場合はそんなミカのことを大いに尊敬し、憧れを持っている。
逆に、そんな実績を誇ろうともせず背景はどうあれ認められた証である特級の称号をよく思わないミカに僅かばかりの嫉妬心があることも否めない。
「…ミカさん。最近楽しくなさそうですよ。中等部で特異現象捜査部に入った頃はもっと…」
「特異現象と関わるってそういうことじゃない?私はナギちゃんより実戦歴は長いからね。初めの頃の任務先で知り合ってお世話になった先輩がある日突然殉職してただなんてことも経験したし、危険な任務に行けば大勢死んでるような凄惨な現場だって見た。皆の為に戦って、皆の青春を守るこの活動にはやり甲斐を感じてるけどさ…それ以上になんていうか、やるせないんだよね」
「…」
「まあ、ナギちゃんもこの先活動を続けたり危険な任務に行くことになれば分かると思うよ。私と同じ景色を見たいなら、ナギちゃんももっと実力を付けなくちゃね」
「…そう、ですね…もっと精進して、ミカさんに追いついて…1人になんて、させませんから」
「…」
「ナギちゃんは見なくていいよ、こんな景色」
それから、ナギサとミカの交流はめっきりと減った。
ナギサはより高い実力を身に付けより危険な任務にも行けるように訓練や勉強にのめり込み、実戦も何度も経験しては時折怪我をするようにもなった。
ミカは逆に連邦生徒会からの圧力により余程切羽詰まったもの以外の任務に行くことは無くなり、そのセンスも実力も天性の才能によるものであり、努力をするような気質でも無いため暇な時間は寮で過ごす事が殆どでナギサとのすれ違いは加速することとなる。
ナギサが怪我をして帰ってきたと聞けばお見舞いに行くことはあるが、それ以外で顔を見せ合うことはほぼない。
モモトークや電話での連絡も次第に頻度が少なくなり、ある時からは特異現象捜査部の活動での事務的なものしか話すことは無くなった。
そんな日常に、ミカはこれで良いのかもと考えるようになる。
そこまで親しいという訳ではないが、情を持ち過ぎるといざと言う時の別れが辛くなるだろうから。
そんな毎日に、ナギサはもっと励まなければと考えた。
遠目に見えたミカの姿がまたつまらなそうで、退屈そうで…寂しそうだったから。
トリニティ支部に所属する2人だが、トリニティでは特異現象捜査部の存在を把握しているのは各組織の幹部や生徒会であるティーパーティーのホスト、または上級役員のみに限られる。
故に特異現象捜査部の部員を増やそうとすると関係者からスカウトしなければ行けないのだが…それはともかくとして、特異現象捜査部に所属しているというだけで低級の生徒でも生徒会組織とはある程度の繋がりを持てる。
その中で暇を持て余していたミカはそのコネを使って2年頃からティーパーティーも兼任するようになったのだが…何を思ったのか同じくしてナギサも特異現象捜査部とティーパーティーを兼任し始めた。
ある時ミカが問い質した時は『情報がより集まってくる』や『ティーパーティにしか伝わっていない秘伝の技術もある』との事で、どうやら同時期での加入は本当に偶然だったとか。
そんなこんなで2人が高等部3年になった頃。
特異現象捜査部としてもティーパーティーの行政官としても高い成績を残したナギサはティーパーティーの3人いる内のホストの1人…実質的なトリニティの生徒会長に任命、そして特異現象捜査部トリニティ支部の部長も務めることになった。
そんなナギサの躍進に、久しぶりにミカがお茶会に誘えばこれまでの疎遠が嘘のようにナギサはその誘いに乗った。
ホスト用の巨大なティーテーブルを挟んで向かい合った2人は、初めは何を話そうかと気まずそうにしていたが、誘った側としてミカが切り出すことを決める。
「えっと…ナギちゃん…色々とおめでとう…?」
「何故疑問形なのですか…素直に褒めていただいても構いませんよ」
「なんにせよ、凄く忙しいでしょ?ちょっと背負いすぎじゃない?重職を兼任するなんて…」
「ではどちらかをミカさんがやりますか?私としてはミカさんが代わるというのなら文句はありませんよ」
「…無理無理、私にそんな責任ある立場なんて。私なんて上に立つような人間じゃないのにさ。その癖特級なんてお飾りを貰ったせいで好きに動くことも出来ないし」
「そうですか…それは、残念です…」
「…ねぇ、最近任務はどう?1級の資格まで上がったってのは聞いてるけど、部長にまでなれたってことは…特級案件?」
「はい。これでミカさんに少しは近付けたかと思いますが…」
「はぁ〜…私の気持ち分かった?」
「…確かに、これまでの活動を通して精神が擦り切れるのを感じています。仲間の死というものも悲惨な現場というものも見てきました。ですが…それでも私は、ミカさんと同じ景色を…!」
「もういいよ」
「…え…?」
「もういい、そっか。ナギちゃんがそれを望んだならさ。自分で言うのもあれだけど、楽観的な私でさえあんなに堪えたんだから…真面目なナギちゃんが耐えられる筈が無かったんだよ」
「何を…ミカさん…?」
「でも、そんなナギちゃんも嫌いじゃないよ。凄く頑張ってるのは知ってるし、それを否定するつもりなんてないから。でも…寂しいな」
「…」
そう言うとミカは紅茶をひと啜りすると、「美味しかったよ」と言い残して席を立った。
残されたナギサはしばらく呆然としていたが、手に持った紅茶…その震える水面に映る自分の表情を見て動悸が激しくなるのを感じた。
その次の日、ミカは仕事も立場も放り出して一人旅に出たという。
後にナギサがミカの姿を見ることはなかった。
(結局私は、ミカさんを1人にしてしまった…最後まで、その気持ちを理解することが出来なかった)
ナギサは考える。
どこからすれ違いがあったのか。
ターニングポイントはきっと特異現象捜査部に入ったことだろう。
だがそれだけではなかった筈だ。
もっと別の…いや、或いは…
(最初から…最初から私はミカさんのことを何も知らなかったのかもしれませんね)
ナギサは考える。
そして自分なりの解釈と推測をもって、そう結論を出した。
すれ違ったのではない。
そもそも初めから道は交わっていなかったのだと。
ミカに追いつくために血を吐くような努力をした。
訓練も、勉強も、実戦も積み重ね、自分の秘儀と向き合ってそれを昇華させ、足りないものは工夫で補い、如何なる状況にも対応できるよう頭脳を磨き、経験に裏打ちされた判断力をも手に入れた。
ここまでやって、ミカに追いつけなかったと思っていた。
だが実際は…ミカはナギサのずっと後ろからその背中を寂しげに見つめていたのだ。
(最期に…それに気付けたことだけは私なりの成長と言えるのでしょうか…)
苦痛を紛らわせるために頭だけはよく周り、今際の際に至った答え。
それにもっと早く気付けたのなら…余計な雑念もなく、このことだけを考えられるような余裕を持てたのなら…
(結局、私は何も成せなかった。友達を理解することも、何かを残すことも…)
薄れゆく意識の中、遠ざかっていく赤いアウトローの姿を見ることしか出来ず、ナギサの思考は閉じていった。
(昔から、ナギちゃんは真面目だった。馬鹿正直でひたむきで…そんなナギちゃんが大好きだった。でも、同時にそんなナギちゃんを恨んだ。なんでもっと不真面目にならないんだろうって)
ミカは考える。
いつから自分は勘違いしていたのだろうと。
決して悪い仲ではなかった筈だ。
何故あんな終わり方になってしまったのか…
いや、理由は明白だった。
(ナギちゃんは私を理解してくれないと思ってた。でも、私だってナギちゃんを理解してなかった)
ミカは考える。
自分の中の偏見を、決めつけを取り払い、目を背けていた真実に向き合う。
ナギサに辛い目にあって欲しくなかった。
だから特異現象捜査部なんてやめて欲しかった。
正義感の強さもあの真面目さも美徳だが、それに拘ってナギサが傷付くのが嫌だった。
でも、それを否定することもナギサを傷付けると思って、口に出すことが出来なかった。
全ては、理解してもらうことばかり考えて自分から答えを明かさず、意地を張った自分の責任なのだとミカは初めて気が付いた。
(やっぱり、やるせないよ…特異現象捜査部なんて。こんなところにいたら、ろくなことにならないや…)
自らの内でとてつもない神秘と秘儀が荒れ狂っているのを感じながら、目まぐるしく移り変わる状況の中不思議と走馬灯のようにゆっくりと思い出が蘇る。
今思えば、キヴォトスから特異現象を無くすことを目指したのもナギサの為だったのかもしれないとミカは自分の信念さえ邪推してしまう。
もっと早く、ナギサと向き合えたのなら…もっと真面目に考えていればと、思わずにはいられない。
(…私が何を残せるのかは分からない…モモイちゃんを送り出しても、状況は好転しないかもしれない…頑張ってきたことが、全部無駄になるかもしれないのに…)
責任から逃げ続けたことが仇となり、ミカは今初めてその重さを噛み締める。
消え行く意識の中、無限に圧縮されたような闇の中…全てを投げ打った必殺の切り札にさえ抗うどこまでも純粋な悪意を持った諸悪の根源の黒く煌めく命の輝きを見て、ミカは自分はなんて役立たずなのだと自嘲した。
「どうかしましたか?ミカさん」
「…よりによってここを選ぶなんて趣味が悪いね」
いつか、2人が集まったあのカフェの景色。
向かいで優雅に紅茶を啜るナギサの姿に何故か安心を覚えたミカはだらしなく椅子の背もたれに体重を預け、フォークでケーキの切れ端を取って頬張った。
「お行儀が悪いですよ」
「いいよ今更。誰も見てないんだしね」
「…私がいるじゃないですか」
「ナギちゃんなら良いよ、どうせ今更取り繕っても私がどんな人かなんて分かってるでしょ?」
「…それに気付けたのは、つい最近のことですけどね」
「…ねぇ、ナギちゃん。レンゲちゃんって子助けたのナギちゃんでしょ?あの子すっごい強くなって、ナギちゃんが長年手をこまねいてた魑魅一座を壊滅させちゃったんだ。凄くない?」
「レンゲさん…?そうですか、生きていたのですか…」
「ナギちゃんはさ、凄いよ。ナギちゃんの頑張りは、確かに後に繋がってるんだから。正直、そうやってコツコツ積み重ねて形にして残せるナギちゃんに憧れてるよ」
「…ミカさんだって、特異現象と戦い続けて、それらを打ち倒して…キヴォトスの皆さんを守っていました。私は、そんなミカさんの優しさを大変尊敬しています」
「…」
「…」
互いの胸の内を打ち明け合い、見つめ合う2人は遂にそんな空気に耐え切れず小さく吹き出した。
あまりにも、らしくない話をしているのだと。
「あっはは!いやぁさ、私達ってほんっと馬鹿だよね!」
「全くです…大人になったつもりでいましたが、まだまだ子供だったということですね」
「でも…それでいいんじゃない?きっと子供の頃の方が楽しかったよ」
「そうですね…戻れるなら、ずっと昔に…」
「…戻れないよ。それでも私達は大人だもん。この先のキヴォトスの未来を切り開いてくのは、未来明るい子供達の権利なんだから。だからせめて…私達の頑張りがその支えになれたんだって、信じよう?」
「…はい。そうしましょう。私達の役目が、もう終わったのなら…」
トリニティの某所。
日頃から銃撃戦が繰り広げられ、特異現象がなくとも騒々しいキヴォトスにおいては珍しく穏やかで静かなカフェ。
いや、最近の騒動ですっかり人がいなくなり廃墟となっているのだから静かなのは当然だろう。
そんな寂れたカフェのテーブルの上で、カチャリと甲高い音が鳴る。
テーブルの上では、直前まで誰かがいたような…食べかけのケーキと飲みかけの紅茶が残されていた。