主従の間に芽生えてしまった歯止めの効かない愛情は光をも割断する   作:てりのとりやき

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「いつも……大抵のことが私の予定通りにはいかない」

 

 くすくすと女は笑う。

 夜の闇よりもなお濃い絶色の黒き瞳は、柔らかく緩むのだ。

 

「なーに? ローロあなた、その女になにかされたの? 私がいなかった数日間で?」

「違います。だけどティアレスさまを殺してほしくありません」

「ティアレス“さま”ね」

 

 殊更に強調する声音。鼻で笑って一瞬顔をローロの背後にいる女へ向けたメフトは、次いで顔を少女へと戻し。

 未だに目いっぱいに両手を広げる、ボロボロの少女へと声を上げて笑った。

 

「ローロ。こんなことはね、私が魔王になってから何回もあったの。五年の間にこの城へ一体何人が侵入してきて、そして殺されたか知ってる?」

「……わかりません」

「106人よ」

 

 その全員を私は殺してきたの。

 その全員が私を憎んでいたの。

 その全員は私の敵だったのよ。

 

「ティアレスは『敵』よ。

 殺すべき『敵』。

 敵は、徹底的に叩き潰し滅さなければならない。

 一片だろうと存在を許してはいけない」

 

 メフトの全身から溢れ出るものがあった。

 魔力ではない。そんな、生半可に彼女の精神状態を露わにするものではない。

 言動が。

 声音が。

 表情が。

 立ち振る舞いが。

 その肉体すべてから紡がれる、重圧が咆哮を上げているのだ。

 

「それでも殺すなと? ローロ、あなただって殺されかけたのよ?」

 

 『敵』を殺せと。

 『敵』を守る者を許すなと。

 何もかも、全ては、『敵』なのだと。

 

「はい」

「へーえ」

 

 ローロの即答に、ついにメフトは表情の一切を消し去った。 

 後に残るのはどこまでも虚ろな、無。

 女の瞳にはもはや光さえ映らない。 

 

「あ、そ」

 

 淡々とした言葉と共に、ローロは死を覚悟し。

 だが。

 

「私が一人で森に行った時、本当は熊に襲われかけました。死ぬかもしれなかったんです」

「――――な」

 

 少女の言葉は尖りなく、滑らかにメフトへと突き刺さる。

 明らかな動揺が、メフトの魔法発動の意思を小さく揺らしていた。ローロを殺すために放とうとした何らかの魔法は霧散し、女の戸惑いで揺れる声音だけが響く。

 

「そんな、だってローロは大丈夫って……」

「……たった二週間程度の付き合いの、主君と定めた相手だぞ」

 

 そこに、蹲って身動きがとれないでいるティアレスが冷ややかな言葉を重ねた。

 明らかな嘲笑を交えた言葉だった。

 

「言えない真実があることくらい……察してやれ」

「あなたは黙ってて!」

「……熊に襲われかけた私を、ティアレスさまは助けてくれました」

 

 ティアレスさま。教えてください。

 

「私を助けたあと、本名を教えてくれたのはなぜですか? 助けたこともそうです。私がすべてをメフトさまに報告するとは思わなかったんですか? なぜ、自ら何もかも台無しにするような行いをしたのですか?」

「……」

 

 今度は二人の視線がティアレスへと注がれた。

 侍従の格好をした騎士は、首だけを逸らして、褪せた笑い方をしている。

 

「いつも……大抵のことが私の予定通りにはいかない」

「……」

「メフトを殺すと決めるのに五年もかかったんだ。決めて、すぐこの城を目指して、たどり着いて…………だけど君が、ローロがいた。真っ直ぐにメフトを見上げる君を見て、その純粋な敬意を崩すことに躊躇いを覚えた。万が一、もし万が一にでも私がメフトを殺してしまったら、あの子はどんな顔をするのだろう。喋ったこともない君は泣くだろうか、怒るだろうか……はは、想像もできなかったな」

 

 苦く笑う女が、湿っぽい咳をして、共に少量の血を吐く。

 もはやティアレスに抗戦の意思はない。それどころか、致死の一歩手前で魔法を使い、肉体を支えているに過ぎない。 

 

「君が森に入った時からその存在には気付いていた。接触するつもりもなかったが……」

 

 荒い吐息の最中に紡ぐ、ざらついた言葉。

 弱り切った声音とは裏腹に――ティアレスは、その上体をゆっくりと起こし始めていた。

 全身の、骨という骨が折れ砕けても。左手五指が手の甲と触れるほどに捻じ曲がっていても。

 砕け散った右腕が、肉の塊として柔らかく揺れるだけだったとしても。

 

「目の前に……私の手で救える命があったんだ。

 躊躇う理由なんてないし、今でも君を救えたことを誇りに思うよ」

 

 ティアレス・ティアラ・ホルルは、立っていた。

 その背筋は、ひたすらに真っ直ぐに伸びきっている。

 彼女の蒼穹色をした瞳は闇夜の中であっても光を灯す。その手が剣を握れなくとも、行いの全てが彼女の騎士たる所以を示すのだ。

 

「ローロを助けた理由なんてそれだけだ――その後のことは、……はは、気が動転していたなあ」

「であればティアレスさまは悪い人ではありません。いい人です」

 

 少女は思う。

 きっと騎士の理想はティアレスだと。

 

「私は。」

 

 ――私はティアレスさまのような、騎士になりたい。

 

「私は、私の主君に、いい人を殺すような悪い人になってほしくないだけです」

「……無理よ。私はもう、十分に悪事をなした。取り返しのつかないことばかり積み重ねてきたわ。今更たかだか一人生かしたところで何も変わらない」

「そんなこと私は知りません。私の知ってるメフトさまは、毎日を懸命に生きる立派な人です。ちょっとしたことで笑って、お風呂場では気分がいい時は鼻歌を歌って、困り事があるとしっかりと顔に出せるそういう人です」

「……」

 

 ローロが真っ直ぐに見上げる先。メフトの表情から歪んだものは失せていた。

 あるのは、少女の純粋さに当てられた者が見せる、苦渋の表情。

 苦虫でも噛み潰したような顔で、やがてゆっくりとメフトは語りだす。 

 それは無垢な少女へと諭すような言葉遣いだった。

 

「……誰かに情けをかけると、それは憎悪となって数万倍にもなって返ってくるの。思いがけない時に、思いがけない恩讐は現れる。例え果てにあるのがよりよい未来なのだとしても、私にはもう……耐えきれるものじゃない」

 

 少女には分からなかった。

 メフトの言葉、その言外に潜む絶望が。すべてを拒絶させるに至った出来事が。 

 一体どれだけの出来事が彼女を魔王へと至らせたのだろう。

 

「ほんの一時の悲しみで終わらせられる絶望があるなら、私は――抗いたくなんか、ない」

 

 沢山間違えてしまったのだと魔王は叫ぶ。言葉をなくした絶叫を繰り返す。

 ローロには見える。

 見えた気がした。

 メフトという女性を……日々生きるための仕事をして、ただひたすらに毎日を生きようとすることが出来る彼女を、魔王にさえさせてしまった『何か』を。

 

「明日、きっとおいしいお肉が食べられます」

「――?」

 

 メフトが、唐突なローロの言葉に首を傾げた。

 純粋な疑問に少女の口元は緩む。

 ……そうですよね。

 ティアレスさまが狩ってきた鹿のお肉は、まだ、知りませんよね。

 

「明日。私はメフトさまより早く起きるはずです。あなたを起こすためです」

 

 陽は昇る。

 そして沈みゆく。

 繰り返す日々の中で、小さな喜びが無数にあることをローロは知っている。

 例えば寝起きのメフトが、そのつるんとした艶のある黒髪を自由奔放な寝ぐせで暴れさせていること。

 彼女の、ぼんやりとした瞳の可愛らしさ。

 

「明日……私はメフトさまとまた畑仕事をするんだと思います」

 

 そろそろ収獲時を迎える野菜が幾つかある。戦闘に巻き込まれて駄目になった畑もあるかもしれないが、それでもきっと日々の実りは確実に残っているはずだ。

 スープを作ろう。

 ううん。お肉があるから、シチューにしよう。

 美味しい食事を、二人で――叶うならティアレスとも! 

 

「働いて、ごはんを食べます。お風呂にまた一緒に入るんです。私はメフトさまの鼻歌が好きです。明日は晴れるはずです。素敵な風が吹きます。もうすぐ春です」

 

 冬はもうじき終わる。

 寒いばかりの風にはようやく暖かな匂いが交り始めた。

 熊だって冬眠から目覚めるだろう。森には豊穣がまた実り始めるだろう。

 私には、きっとそれが嬉しいのだ。

 

「きっと素敵な一日が明日からも続くのに、私達は誰かを殺した罪悪感で台無しにしなければなりませんか?」

「――」

 

 ――日々を。

 明日も明後日も明々後日も続いていく世界を、ローロは出会って二週間の主君と過ごしていきたいと、本気で願う。

 わからない。

 この、胸の奥から沸き起こる情動が何なのか、少女には把握ができない。

 

「――私には義務があります。

 騎士であるがための義務です。

 ――私の主君は私に命じました。

 私達の日常を守ってほしいと」

 

 それでも断言したってよかった。

 ローロ・ワンは、ここでの生活が、気に入っていると。

 

「私は、メフトさまと、より良い明日がほしい。だからティアレスさまを殺させません。だからメフトさまに人殺しなんかさせません。そこに私たちの日常は息づいていません!」

「……」

 

 ついにメフトは黙りこくる。

 俯いた彼女へと、月光はその表情を隠してしまう。だが、やがて。

 

「……いつか」

 

 ぽつりと。

 

「いつか後悔するときがくる。ティアレスのことだけじゃない。……誰かの憎悪を許すという行いが、その甘えが、苦しみを伴って取り返しのつかない間違いだったと気付かされる時が必ず来る」

 

 顔を上げ、黒いばかりの瞳に月明りを照らす魔王は。

 

「それでも、ローロは望むのね? 苦しみばかりが待ち構える、最期にしか救いのない道を」

「はい」

 

 ローロの頷きにくすくすと笑う。

 

「私はもう後戻りできない所まで来てしまったの。そんな私に、ローロはひたすらに辛苦で満ち満ちた道を行けと言う」

「……はい」

「そう。怖い子」

 

 騎士見習いの躊躇いない首肯に、穏やかな眼差しをする。

 

「ねえローロ。……ねえ、約束して」

「――何をですか?」

 

 少女の、全幅の信頼を寄せた眼差しに、祈るような縋るような脆い顔をして。

 

 

 

 

 

「私が迎える最後まで、あなたは傍にいてくれる?」

「それがメフトさまの望みなら――いつまでも共に」

 

 

 

 

 

 きっと。

 この時だ。

 

「……ありがとう」

 

 この時、ローロは本当の意味でメフトの従者となれた。魔王は本当の意味でローロの顔を見定めた。

 メフトはついにティアレスへと視線を移す。その、普段通りの彼女がしている、粛々と日々をこなす者の目つきで。

 

「ローロに感謝することね。ティアレスあなた、命拾いしたのよ」

「……ああ。そうだな。私の完膚なきまでの負けだよ」

 

 両者の間には既に殺意も敵意もなかった。

 両者の間に立つ、少女がすべてを中和していた。

 

「――メフィストフェレス。それでも私は、お前を許さない」

「――ティアレス・ティアラ・ホルル。私はあなたを、それでも殺さない」

 

 騎士はローロに一瞥を送ると、ゆっくりと傷だらけの背中を見せた。

 足を引きずりつつも城の外へと歩いて行く。

 

「ティアレスさま、せめて怪我の手当てを!」

「よしてくれローロ。……これ以上惨めな思いをすると、こんな私でも泣くんだぞ?」

 

 冗談めかした言葉と共に――轟音。

 土煙が辺り一面に舞い、それが晴れた頃にはティアレスの姿はなかった。

 【強化】魔法で跳躍したのだ。瞬間的に。

 全身の骨という骨が砕けても尚、騎士は十分な活動ができるということ。

 まず間違いなく当代最強の騎士たる力量に、ローロは空を見上げることしかできなかった。

 姿を消したティアレスの行方を探すように。

 ただひたすらに。

 

 

 

 

 

 

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