主従の間に芽生えてしまった歯止めの効かない愛情は光をも割断する   作:てりのとりやき

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「夜中なんだから騒がない」

 

 

 

 

 

 同日、夜。

 調印書入りの紙筒を抱えたローロは空中を滑走していた。

 高度にして3000m程度か。遮るものなど何もない暗夜の上空では常に強風が吹いている。自身の前面を覆う風防が風に押される感覚に、ローロは思わず目を瞑り、無色透明の操縦桿を握る手に力を込めた。

 少女が寝そべるような姿勢で体を預けているのは、魔力を【物質化】魔法で変換させた無色透明の物体だった。形状としては空気抵抗を丁寧に逃がす流線形の、鳥が翼を広げた姿に近い。実際ローロも空を飛ぶ鳥をイメージして【物質化】を展開した。厚みはほとんど無いに等しいが、ローロ・ワンの持つ魔力操作技術は少ない魔力放出であろうと堅牢な構造を作ることに成功していた。

【物質化】魔法は一度展開が終了すれば、自壊するまでその変換形状を維持する特性がある。長距離移動の際には一度高高度まで【強化】で到達してしまえば、後はこういった無動力での移動手段を用意できれば魔力を一々放出する必要もない。魔力放出はそれだけで監視網に検知される可能性が高い。高速で移動する必要がないのであれば適した手段だと言えよう。

 特に自分の場合は通常時に扱える魔力総量が極端に少ない。

 高高度までの上昇に必要な魔力を捻出するため、既に【質量転換】を使用していた。肉体を代償とする禁術は無駄打ちすべきではない──自己再生可能な部位を使い切れば、残るのは一度捨てれば二度と元には戻らない箇所ばかりだ。

 

「……城に戻る頃には深夜かな」

 

 口内でもごもごと呟くローロは、帰りを待っている者達の顔を思い浮かべる。──が、すぐに他事に思考を奪われた。

 今回の件は疑問点が多い。

『議国』が起こした条約破棄についてではない。

 ああいった事件というのは、この星ひとつに70億人が共に暮らしているのだから起こり得るものだろう。

 問題は突如介入してきた“騎士”3名と、彼らを支援した“魔法使い”1名だ。介入のタイミング自体はおかしなものではなかった。ローロも『国民なき国』の城から『議国』首都までの移動に極超音速級の大陸間弾道飛行を用いたのは事実だし、その速度がもたらす衝撃だけで『議国』の抗戦意志を挫く狙いもあった。──あれだけ派手な拠点攻撃をすれば、騎士がローロ・ワンを狙って接近して来ること自体は変ではない。

 奇妙だったのは、騎士達がローロ・ワンの出自を把握していたこと。

 そしてローロ・ワンが【質量転換(マスコンバート)】という禁術を持ち、その枷について理解していた事だ。

【質量転換】。時限的な魔力生成手段であり、使用時に魔力の放出時間を設定する必要がある魔法。彼らはローロの設定した600秒という消化時間を把握していた。

 

「盗聴。監視。まあ、ありえない話じゃない……」

 

 世界をメフィストフェレス条約で徹底的に縛り上げ支配下に置く『国民なき国』、その女王。そしてその女王に仕える騎士の少女。普段は気にも留めていないが、『国民なき国』唯一の領土である廃城は、遠方から常に監視されていると思った方がいいのだろう。……そう考えると、数か月前に自身が起こした戦闘は少しやりすぎだったのかもしれない。

 結局、『議国』国家代表の男が済ませたサインを確認している間に、“騎士”達は姿を消していた。だからローロは彼らの所属国を確認できていない。他国への“騎士”投入は明確なメフィストフェレス条約違反だ。所属さえ分かれば、今後の対処を練れたというのに。

 

「血を代償にするのはやりすぎかな」

 

 “騎士”を完全に無抵抗にするためとはいえ、血液500mlを一挙に魔力変換させたのは少し無茶が過ぎたかもしれない。人体が一度に失うことで致死量となる血液は1L程度だと士官学校時代に学んだ。血液は体内で作られる自己再生部位の一つだ。だから問題ないと思っていたが、こうして“騎士”を取り逃がしてしまうのであれば、今後は【質量転換】で使っていい部位というものも考えていく必要があるだろう。

 なんにせよローロ・ワンは貧血気味で、薄い目眩を引き連れている状態では思考を回すことは得策ではなかった。

 今は帰ることだけに集中しよう。

 私の主君が待つ城に。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 それから五時間後。

『国民なき国』の上空で、ローロは【物質化】にて形成した無色透明の翼状滑空機から飛び降りる。高度にして50mほどの高さがあったが、ローロは地面との衝突の瞬間に防護魔法を展開する事で何ら問題なく着地を終えた。

 城の庭に降り立てば『ば──ふ』と土煙が辺りに舞う。既に城の窓に灯りはない。きっと誰も彼も眠っているのだろう……と思った矢先。

 

「けほっ、けほ」

 

 乾いた咳の音に、ローロは思わず音源へと体の向きを変えた。その声質を聞き間違えることなどあり得なかったから大慌てに近づいた。 

 

「メフトさま!」

「おかえりなさい、ローロ。……ずいぶん格好いい帰還の仕方ね」

「すみません。まさか近くに人がいるなんて思いませんでした」

「いーの。気にしないで」

 

 砂埃をもろに受けたメフトが、目端に涙を浮かべて眼前の砂埃を手で払いつつ、あくまで穏やかにそう言った。

 つるんとした真っ直ぐな黒髪はいつも通り艶めいていて。その細いあごの流麗な線も、意思を伝えやすいくっきりした二重瞼も、その下で輝く黒い宝石のような瞳も、血管が透けて見えるほどに白い肌も、何一つ変わらない。

 変わらず彼女は美しい。

 夜の闇さえ付き従えていると、錯覚する。

 

「なーに? そんなにパチパチ瞬きなんかしちゃって」

「てっきり眠っているものだとばかり……」

 

 時刻で言えば恐らく深夜3時を回った頃だろう。メフトは滅多に夜更かしなどしない。現在も城に住む幼馴染──アルも、森の野営地で暮らすティアレスもそうだ。

 この城は電気が通っていない。夜中に起きるということは蝋燭やランプに火を灯す必要がある。歩いて二日は掛かる街へ行かなければ買い足せない物を無駄遣いする者はここには居ない。誰も彼も寝るのは早かった。

 

「ローロがいつ帰ってくるか分からないもの」

「せめて室内で待っていてください。メフトさまが風邪を引いてしまいます」

「なーに? 私の心配をしてくれるの? ありがとう」

 

 くすくすと微かに笑ったメフトに、ローロは思い出したように紙筒を差し出す。これが今日、ローロ・ワンが“魔王の騎士”として成した結果になるからだ。

 

「無事、条約の執行を完遂しました。ただ少し問題があって……」

「待って」

 

 ──ひたり、と。

 己の手首に触れる冷たい指先。

 細い手。しっとりとした感触。普段は暖かい体温はだけど春の夜半で凍えていて、だからどれだけ彼女がここに……庭で独り帰りを待っていたかが分かってしまう。

 情動の熱。

 メフトの思いが、その冷気を熱量に変えていく。

 

「今はあなたの爪の手当てをしましょう」

 

 女の黒い瞳には、ローロ・ワンの小さな手指が──厳密に言えば爪が完全に剥がれきった指先が映っていた。【質量転換】によって莫大な魔力を得る代償にローロが選択し消費した肉体の一部。

 既に爪の剥がれた跡は瘡蓋(かさぶた)になっており、出血は止まっている。

 しかし滑らかな形状の手指には不似合いな、醜い赤黒い傷跡が生まれていた。

 

「足の爪もすべて使ったんでしょう。雑菌で化膿させるわけにはいかない」

「……えと」

 

 メフトの片手は頑なで決して離れようとしない。手首を掴まれていると奇妙な気持ちになってしまう。背筋が震えるような、抗いがたい力強さに鼓動が早鐘を打つような。

 ──私の主君は意外と力が強い。【強化】を使わない限り、きっとローロ・ワンよりも。

 だから。

 

「以前手の指の爪はすべて剥がしてしまいました。あれから生えた爪も、以前ほど整った形ではありません」

 

 ……なのかは分からないが、気付けば俯いてぼそぼそと言い訳じみたことを口走っていた。

 けれど事実でもある。数か月前、ローロが自身の手で幼馴染を救出した時にも両手の爪すべてを魔力に変換した。その際に剥がれた爪は再生したものの、以前ほどの形状ではもとに戻らなかった。

 火傷を負った皮膚と一緒だ。皮膚を抉るような怪我の痕と一緒だ。

 完全に治ることはないのだろう。禁術で肉体を代償にするとはこういう事だ。今更メフトが心配する必要は、きっと無い。

 

「だから別に、メフトさまの手を煩わせることは……」

「ローロ。いーい?」

 

 有無を言わせぬ口調が深夜の空気に溶けていく。

 

「あなたの努力とその成果に、私は報いたい。ね、私のわがままを聞いてくれる?」

 

 それほどに優しくて、穏やかで密やかで、──力に満ちている。

 主君であろうとする女に真っ直ぐ見つめられてしまっては、ローロは頷く他なかった。

 

「…………わかりました。傷の手当てをお願いします」

「ええ。まかせて」

 

 そのままメフトがローロの手首を掴んだまま歩き出す。いや、『掴む』のではなく『触れる』程度の力に変えて。

 強引に引き連れる従者ではなく、共に行く主従であるとメフトの立ち振る舞いが告げている。

 これが私の主君……。

 ローロは促されるまま手を振り解くこともせず、どこかうっとりとした表情で主君の隣に並ぼうとして。

 

「あっ」

「あら」

 

 唐突な目眩。突然ぬかるんだ泥に足を取られたみたいに体がもつれ、そのままローロ・ワンの肉体はメフトの背中にもたれかかってしまった。

 そっと振り向いたメフトに慌てて言い繕う。

 

「ご、ごめんなさい。その、追加の魔力用に血を使ったんです」

「血を。……どれくらい?」

「500ml」

「……」

「自分でも体調は把握できているつもりです。命に別状はありません」

「怪我による出血ではないから問題はないとは思うけど……」

 

 女の空いた片手が、その掌が、ローロの首筋に遠慮なく触れる。撫でられる。耳朶をかすめる爪先の感触がこそばゆくて、ローロは思わず目を瞑った。

 

「でもローロ、あまり無理はしないで。私はあなたに、命を削り捨てるような真似をしてほしくてその禁術を託したわけじゃない」

「ですが私はメフトさまの騎士です。これくらいは当然です」

「……ふーん」

 

 つい反射的に言い返すと、瞼を閉じることで生まれた暗闇の中でもはっきりと分かるほど、メフトの雰囲気が変わった。

 

「そーね」

 

 簡単な言葉で表現するなら『かちん』と来た、と言いたげなその声音。

 首に触れていた手が外れる。

 何か癪に触ってしまっただろうか。目を開、

 

「──な。わ」

 

 突如腰下に回り込んだメフトの片腕が、そのまま滑るようにして膝裏までを流れていった。腰を折る彼女が小さく息を吸うのと、ローロ・ワンの体がメフトによって抱え込まれるのは同時のことで。

 

「めっ、メフトさま!」

「私の大事な騎士は、今はおとなしく抱えられているべきね」

「これはよくありません。これはよくないと思います。これは……これはとてもよくありません!」

「夜中なんだから騒がない」

「はい……」

 

 女の腕の中、得意げな顔のメフトを見上げることしかできない。

 強張り縮こまる体を女は微笑ましそうに眦を緩めて見つめ、やがてゆっくりと歩き出す。

 

「本当はね」

 

 腕に触れるメフトの胸から、彼女の鼓動を確かに感じた。

 揺れる体。なのに歩いていない不思議な時間。主君の熱ばかりが空間を膨らませていく。時間を甘い甘い砂糖菓子のように形作る。

 

「本当は、あなたを一番に出迎えるのが私でありたかったの」

 

 言葉に。頷いて、俯いて、黙りこくって。

 後は静かな夜だけが世界を満たす。

 不思議な緊張とだけど嬉しいと素直に踊る心臓。そして同時に、私は思う。

 

 

 

 本当(・・)に貧(・・)血だ(・・)から(・・)倒れ(・・)込ん(・・)だのか(・・・)? 

 

 

 

『ローロ・ワン』は時折、自分の行いだというのに説明不可能な強引さを見せる時がある。それは主にメフトに対してのみ発揮される不気味なもの。

 自分の行いに説得力を持たせることがどうしても出来ない。

 ここには何かが潜んでいる。

 潜んでいるはずなのに、何が潜んでいるのか、自分でも分からない。

 嬉しいはずだ。だがその喜びさえも自身の胸の内から沸き起こるものなのか──。

 

「私も……メフトさまのお顔を一番に見れて、嬉しいです」

 

 この、抑えようのない情動は、行動は、本当に自分のものだと断言して良いのか。

 ローロは分からないことを考えようとして。

 

『世界を支配する側には、わかるまい』

 

 ふと。

 調印書にサインを終えた『議国』国家代表者の言葉を思い出す。

 

『……いつ空から魔法が飛んでくるかわからないのでは、その青さを落ち着いて眺めることもできない』

 

 義憤だった。

 怒りだった。 

 魔王の被支配を到底受け入れられないと男はその言葉以上に声音だけで語っていた。

 

『自分達の居場所を勝ち取るためなら、戦うことを選ぶべきだとした判断を……間違いだとは思わない』

 

 居場所。己の。勝ち取る……。

 あの時自分は何と言い返したのだったか。

 思い出そうとして、やめた。

 変えるべき場所はすでに見定めた。ここが、この国が、この城が──メフトのいる場所に居られたら、それで良い。 

 

 

 

 

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