主従の間に芽生えてしまった歯止めの効かない愛情は光をも割断する   作:てりのとりやき

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「……きっと何が起きても大丈夫ですよね」

 

 

 雨が止むことはない。

 

 

 自分でも、自分が今やっていることの意味が分かっていない。

 屋敷を出て、アルの家とも違う方向へと歩いて。それから頃合いを見計らってゆっくりとアルの家へとまた歩き出す。のろのろと歩けば、屋敷から出てきたメフトとばったり出くわしたかのように演出できた。

 

「メフトさま」

 

 偶然顔を合わせることになったのだと、ローロはそんな印象を与えられるよう適切な声音を出す。

 

「ローロ」

 

 屋敷の庭を出たメフトの目を丸くした表情は、紺色の傘に隠れて良く見えない。けれどそれは彼女が見つめる先のローロ・ワンとて同じことだろう。傘の中で驚いたと言わんばかりに取り繕う微笑みには、普段通りの穏やかさと余裕があった。

 

「散歩帰り? 書置きあったけど」

「はい。メフトさまもですか?」

「ええ。早い時間に起きて、二度寝する気にもなれなくて。ちょっとだけ屋敷を外から眺めていたの」

 

 ……嘘だ。メフトは今、何てことないように嘘をついた。

 嘘を吐かなければならないと彼女は考えたのだ。ローロに対して、母マギアニクス・ファウストの書斎に忍び込んだことを明かすべきではないと。

 その事実が少女の淡い紫の瞳に小さな小さな影を落とす。だが明確に俯いてしまえばメフトは何か勘付くかもしれない。ローロは冷えた判断機能で、メフトへと口を開いた。

 

「よかったら──」

「一緒に──」

 

 同時に喋り出してしまい、慌てて同時に口の動きを止めること。

 

「……」

「……」

 

 おかしな無言の時間が数秒流れたこと。どちらともなく笑い声をあげて、やがてメフトが空いた片手を差し出してくれること。

 

「もう少しだけ散歩、続けましょうか」

「はい!」

 

 たったそれだけの時間でローロはメフトの嘘を許せた(・・・)。彼女の中でローロ・ワンという少女が確かに大事な存在なのだとわかったから、それで十分だと。

 二人で並んで歩く。行き先は特に決めていないが、アルの家とは反対方向に進んだ。それぞれ傘を差しているから二人の距離は普段よりも離れていた。

 

「天気が良ければきっと素敵な土地なのでしょうね」

「そうでもありませんよ。痩せていて、あまり作物も育たなかったはずです」

「そーお?」

 

 小雨が街路の土を叩く音。湿った風が草木を揺らす低いうなり声。相変わらず黒いばかりの曇天。そんな中でもメフトの声音は澄み切って美しく、その横顔は滑らかだ。

 

「静かで……私は好きよ」

「そ、そうですか」

 

 真っすぐに歩き続けるだけで目的地もない時間はひどく緩やかに進行する。

 街路を挟む形で闇の中に乱立する木々さえ今は揺れることしかできない。

 

「帰りはゆっくり戻りましょう」

「はい」

「行きとは違う街へ寄ってみて、そうね、城では食べられないような料理でもあるといいわね」

「はい」

「これから夏が始まるし、せっかくだから服も買いましょうか?」

「はい」

「……ローロ? さっきからどうしたの?」

「…………」

 

 立ち止ったローロに合わせ、メフトも隣で動きを止める。

 道は真っすぐ伸びていて、側にはメフト以外の誰もいなかった。普段ならばいつも側にいるアルも、用事がある時にひょっこり姿を現すティアレスもいない。

 もう間もなく光を取り戻す陰の中で、だけど今は、今だけは世界で二人きりだ。

 ただただ二人だけの時間がローロにはひどく懐かしいものに思えて──今しかない、と。 

 

「あの、……を……でも……」

「? ごめんなさい。雨音でよく聞こえなかった」

 

 蚊の鳴くような声音に、メフトが傘を持ち上げる。隠れていた彼女の黒い瞳がローロを見下ろす。

 薄明の闇よりも濃密な黒い瞳の中には頬を赤くした少女がいた。

 

「手を……繋いでもいいですか?」

 

 言って、メフトが何かしらの反応を見せるよりも先にローロは彼女の手指を取った。恐る恐る、だけど迷うことなく。

 細い手指。柔らかな感触。すべすべとした冷えた肌熱にローロ・ワンの心臓は確かに強く跳ね──それでも私は今、ひたすらに彼女との繋がりが欲しいから。

 

「すみません。嫌ならすぐ止めます」

「……大丈夫。急なことで驚いただけだから」

 

 ローロがかちかちに硬くなった首で前だけを見ていると、その強張りを解すようにメフトの声は優しげだ。

 傘と傘の間で生まれた繋がりの形は、ローロの手が覆い被さってメフトの手指を掴むというものだった。が、歩くうちにメフトの手がくるりと翻ったかと思うと。

 少女の手指を女の細く長い指先が絡め捕り、指と指を隙間なく埋める形で繋げ直す。俗にいう恋人つなぎ──。

 

「ほら。雨でローロが濡れてしまうから、もっと寄って」

「うぇっ」

 

 戸惑いの声をローロが上げるのと同時、メフトは繋いだ手を自身へと引き寄せた。

 

「で、ですがそれでは……」

「いいから。ほら」

 

 そのまま言われるがままの形でローロは自身の傘を畳み、メフトと肩が触れるほどの位置に並ぶ。ぴたりと服越しに感じる彼女の二の腕、その細さに、更に跳ね上がる鼓動。

 先ほどからきっと顔は赤いままだ。今は耳さえ熱を持っている気がする。恥ずかしくて、繋いだ手から緊張の汗がメフトに伝わらないか少し怖い。

 

「歩きにくくないですか……?」

「全然」

 

 そして、同じ傘の中に入ることで明らかになる主君の顔には……頬を染める朱があった。

 彼女の透き通るような白い肌色は紅潮を分かりやすく伝えてくれる。その身体変化をもたらす情動に気付けないローロではない。

 

「……どのような形であったとしても」

 

 心臓の音が、彼女の赤くなった顔を見ることできつくて苦しい早鐘から変わっていく。穏やかで、高い鼓動だというのに心地よい熱に。

 これは。 

 この熱は、きっと幸福と呼ぶのだ……。

 同じものを同じ時間、同じ場所で抱えていられるという幸せ。

 それがどのような形をしていたとしても──不幸や絶望、破滅に繋がる悪しきものだったとしても。 

 

「ローロ。あなたの生まれ故郷に来れて、私は嬉しい」

 

 メフトが笑う。傘の中にいるローロにだけつまびらかな情動の表れを教えてくれる。

 

「……きっと何が起きても大丈夫ですよね」

 

 二人で肩を寄せ合い歩く時間は無限に等しいほどに長く、永劫の闇の中にあった。

 ──月さえ今は二人を見下ろすことが出来ない。

 獣も、虫も、鳥も、木々も、私達を私達だけにしてくれる。

 

「メフトさまが居るならきっと私は何だって乗り越えられると思います。……そう思いたいんです」

 

 大丈夫……大丈夫だから。

 これは、私の情動。私の幸福。私が私だからこそ得られた絶対の精度。

 私の五感が──触覚が得た彼女の熱が。

 嗅覚が得た彼女の甘い花の匂いが。

 視覚が得た彼女の笑顔が。

 聴覚が得た彼女の足音が。

 味覚さえ錯覚した彼女の存在が。

 何もかもがそれらメフトという女性に対して反応する結果生まれる、私だけの感情なのだから。

 ……私は。

 

 

 

 彼女を愛している。間違いなく。

 

 

 

 だから、これは誰に強制された感情でもないはずで。

 

 

 ◇

 

 

 ──・条件の達成を確認

 ──・強制:屋敷の地下室へ向かえ

 

 

 

 ◇

 

 

 

 ここ(・・)には(・・)二人(・・)しか(・・)居な(・・)いは(・・)ずだ(・・)った(・・)

 二人(・・)だけ(・・)の時(・・)間を(・・)秘さ(・・)れた(・・)空間(・・)()もう(・・)目の(・・)前に(・・)ある(・・)アル(・・)の家(・・)にた(・・)どり(・・)着く(・・)まで(・・)噛み(・・)締め(・・)るこ(・・)とが(・・)でき(・・)たは(・・)ずだ(・・)った(・・)

 

 

 

 

 地下室へ、行こう。

 私は行かなければならない。

 

 

 

 

 

 突如湧いてきた、この理解不能な意志はなんだ? 

 私は誰によってこの肉体を操作している? 

 だけど、だけど地下室へ行かなければいけない。そこには処分に困る母親の遺品があるのだから。

 

 

 

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