主従の間に芽生えてしまった歯止めの効かない愛情は光をも割断する 作:てりのとりやき
メフト……私がそう名付けた彼女は、生まれた瞬間から完ぺきな存在だった。
公用語の読み書きは一時間で私よりも上手になったし、家にある蔵書をすべて読み終えるのに3日も掛からなかった。暇を見つけてはここら一帯の動植物を観察していたらしく、生物の構造というものにも高名な学者さまよりも詳しくなっていた(今までの人生で学者さまと会ったことなんかないけど!)。
黒い髪は高級な絹糸みたいにつやつやしていてつるんとしているし、きめの細かい肌は白くて羨ましい。目鼻立ちはこれ以上ないほど精緻に整っていて、背も高い。
無理やりちょっと残念なところを粗探しするなら、少しだけ痩せすぎかも。
でもそれくらいしかないくらい、メフトという存在は完ぺきだった。
たぶんだけど……メフトは人間よりもすごく賢くて、完全なんだと思う。
私の限られた知識の中には、魔法を基として誕生した生命はいない。
私はきっと、とてつもない事をしたのだろう。……ただの思い付きで、何となくの行いだったのに。
そんなメフトは自身を人間とは認識していなかった。
『私は私をどう定義すべきかわからない。でも、あえて名称がいるとしたらそうね……魔法創造型魔法、という言葉が適当かもしれない』
『魔法創造型魔法……』
これはメフトと出会って数時間後の会話。そのすぐ後にメフトはこうも言った。
『これは相談ではなく事前連絡なんだけど、私はこれからあなた以外の者に強力な【認識阻害】魔法を展開し続けるから』
『えっなんで?』
【認識阻害】について私が知っていることは少ない。本でちょろっと読んだ程度の知識によればかなり高等な魔法らしい。……けど別に、小腹が空いて台所へこそっと侵入する時使うくらいの、なんてことない簡単な魔法だと思うんだけど。
『……断言してもいいけど、私みたいな存在はあまり公にならない方がいいでしょ』
『ふーん。ちなみに強力ってどれくらい? 私がおやつをくすねる時に使うみたいな聴覚・視覚の遮断とか?』
『私という存在を触覚・嗅覚・視覚・聴覚・味覚すべてにおいて認識不能になる程度』
『それつまりメフトのことが一切わからないってこと!?』
『ええ』
『そこまでする必要あるかなあ……』
『私にも分からない』
未だに私はああまでメフトが頑なに自身の存在を秘匿しようとする意味がわからない。
『でも……そうした方がいい気がするの』
だけど私は彼女を創ったとはいえ、彼女の親でもなければ血縁でもない。メフトに対してなんら強制力を持てるわけではなかった。
そして14歳の私は、メフトという存在を創り出した事実をどう受け取ればいいのか、まだよくわかっていなかった。私は思い付きで色んな魔法を使うし、『いける』と思ったことは大抵『できる』。かといってそれを見せる相手もいなければ、褒めてくれる相手もいない。
何はともあれメフトととの秘密の生活はこのようにして始まり──そして4か月が経ち、今に至る。
「んー!」
冬を今年も無事乗り越えて訪れた春先。午前中の畑仕事を終えた私は、大きく伸びをしてから畑の近くにある切り株に腰を下ろす。私がよく椅子代わりに使う切り株は年季が入っていて、とてもいい感じだ。昼食として用意していたサンドイッチを包みから取り出して食べつつ、それとなく辺りを見回した。
もともと人口の少ないこの土地では、人もまばらだ。だから領主の娘である私も自分の食い扶持を用意するために畑仕事をしているのだが……よし、周りに人はいない。
小さく咳払いをしてから、ぼそぼそと呟いた。
「メフトー……、いる?」
「いるけど」
「うわぁいた!」
いきなり耳元で囁かれて思わず飛び上がる。思いっきり奇行だが、幸い見ている人はいなかったらしい。呼びかけに応じて即座に姿を現した見目麗しい女──メフト以外。
メフトは私に対しても【認識阻害】を使うことがある。というかここ最近は用事がなければ姿を見せないことがほとんどだった。とはいえ名前を呼べばすぐこうして現れてくれるので、きっと傍にはいてくれるのだろう。だからさほど心配してないけど……。
ドキドキと高鳴っていた胸を撫でて落ち着けつつ、私はきわめて落ち着いた風を装い、もう一度切り株に座り直す。こうして私に対してその姿を見せてはいても、彼女の存在は【認識阻害】によって誰も分からないのだ。一人でぶつぶつと虚空の誰かに話しかけるやばい娘、みたいな噂は流れてほしくない。人の少ない土地だから余計に。
「何してたの? 今朝からいなかったけど」
4か月前に生まれてからずっと、メフトは私の部屋に寝泊まりしている(寝る前の挨拶の時だけは必ず姿を現す)。
「今日はね、ヤギの世話をする人を観察してた。彼らの朝はとても早いわ、マギアよりもずっとね」
「へーえ。どうだった?」
「結論から言えば──あなた達がミルクと呼ぶものの正体はヤギの血液よ」
「そうなの!?」
同じ家に住んでいるのに、父も母もメフトを認識できなかった。隣家の老夫婦も、牧場でヤギの世話をしている一家も、時折訪れる行商人のおじさんやほかの人もそう。恐らくメフトは索敵魔法の類を常時展開していて、周辺で何が起きているかをいつも把握している。
まるで本を読むみたいにこの土地一帯を観察して、興味のあるものに対しては自身の五感で、より近いところから観察する……という生活を送っていた。
今もそう。
私がもぐもぐと会話の合間に食べるサンドイッチへと興味深そうに目線を向ける。
……向けるけど、向けるだけだ。
「よかったらこれ食べる?」
「いいえ、いらない」
「美味しいのに……」
「私は外界から栄養を摂取せずとも存在できるから」
だから要らない、とメフトは言外の意思をその黒い目にこめる。4か月前から何一つ変わらない、無感動な瞳に。
彼女は生まれた瞬間から理性の塊だった。
その場その場の雰囲気で行動してる私とは大違いだ。
「メフトはすごいねー。なんかこう、自分をしっかり持ってる感じがするよ」
「そう?」
そうそう。と、二度頷く。
「そろそろ【認識阻害】を解いてもいいんじゃないの?」
「……気が向いたらね」
相変わらず、メフトにはメフトなりの考えがあるらしかった。四か月前から一貫した態度にはいつも疑問が残る。
「それこそメフトなら、元々ここで暮らしていた人、みたいな認識を皆に持たせることが出来るんじゃないの?」
「さほど難しいことでもないと思う」
『さほど難しいことでもないと思う』……。
それはつまり『出来るけどやらない』と言っているのと同じだ。
──ふう、とメフトが小さく息を吐いた。
溜息にも似た会話の間。メフトがその長くて綺麗な黒髪をさらりと払う。
「マギアがどうしてそこまで私に他人と接する機会を持たせようとするのかが分からない」
「私とだけ話しててもつまんないでしょ」
「そんなことないけど……」
そ、そんなことないのか。そっかー……そうか……。
などと嬉しがっている場合じゃない。
「でも……でもさー。なんか。なんかその、もったいないよ、そんなの」
「もったいない」
「そりゃあつまんない土地だよ? まともな街は遠いし、店もないし、何から何までだいたい自給自足だし、みんな貧乏だし、毎年毎年冬の事を考えるだけで憂鬱だし、年頃の近い子は一人もいないし……。……あれ、なんかほんとに良いとこないなここ」
「……」
「──とにかく! そんなトコだけど、新しく生まれるヤギの赤ちゃんは可愛いし、畑いっぱいの麦が風に揺れる光景はいつ見ても綺麗だし、自分とこで作った焼き立てのパンは美味しいんだよメフト!」
「ヤギ、パン、麦」
「ってことではいこれ! 食べてみて!」
「ん」
勢いのまままくし立てて、まだ口を付けていなかったサンドイッチをメフトに押し付けた。身を引きながらも両手で一切れ受け取ったメフトは、パンと、野菜と、少しの肉の陳列をじっと眺める。
恐る恐るといった様子で、だけど両手の指すべてでちょこんと摘み続けるメフトは、ややあってから。
「味覚はあるけど、味覚を使いたいとは思わない」
「……」
「触覚はあるけど、触覚がいるとは思えない」
「……」
「視覚と聴覚と嗅覚はたくさんの情報を寄こすけど、すべてが私には果てしない」
「メフトは幽霊にでもなりたいの?」
「ゆうれい?」
「霧とか、空気とか、なんかそういう感じの軽くて薄いやつ!」
「……そうね。そういう在り方が出来たなら、そうしているかもしれない」
「だけど私はそういう風には生まれなかった」と、メフトは静かに付け足す。
私を、──メフトという存在を創り出した私を、詰るような口調ではなかった。そこにあったのはひたすらに淡々とした事実の羅列だ。
「ねえマギア、この世界がどれだけの完成度か考えたことはある?」
急にメフトは質問してきた。
話題を逸らすことが目的でないことは何となくわかった。
「恒星とこの星との距離がどれほどの奇跡的確率によるものか知ってる? この星がこれほど豊富な水をどのようにして得たか分かる? あなた達炭素を基調とするモノ……生命がこうも多様性を持って誕生する基盤を備えられた星がこの宇宙に一体いくつ存在できるか、思案したことは?」
「か、完成度? 宇宙? こうせい? たんそ???」
「多数の色を用いて描かれた絵画が一枚あったとして、それがあなた達の社会上重要な価値を認められていたとして、そこに何かを描き足そうとする行いはやはり罪であり到底許されることじゃない。私は黒い絵の具のようなものだから」
メフトがそっと、サンドイッチを差し出す。
受け取ったままの両手の形で。触れるのも申し訳ないと。自分には似つかわしくないと。少しだけ強張る両肩の震えがそう言いたげで。
「思うに」
……受け取るしかなくなったサンドイッチを、私は食べる。
今日の具材は酢漬けのキャベツにそろそろ傷んでダメになりそうなソーセージ。パンはといえばいつもの硬くて味気ない黒パン。
だけど美味しいと思う。塩気と酸味のバランスはいい感じで、しなびた黒パンだっていい感じにしてくれる。私はこういう味付けが好きだから、メフトも気に入ると思った。
「私はこの世界にとっての異物で、だからこれ以上干渉すべきではないと──」
メフトは私の傍らでぼんやりと眼下の畑を見つめる。
私が耕した畑だ。冬の間から灰を撒いたりして育てた土壌だ。きっと今年はたくさんの作物を実らせる。少しずつでも豊かになっていくのなら、なにも無駄なことなんてない。
「眺めているだけできっと十分なのよ」
まるで生きていないかのようなことをあなたは言う。いつも。
◇
父さんはいつも私にうるさい。あまり笑わない人で、小言ばかりを繰り返す。やれ本を読め、やれ領主の跡継ぎである自覚を持て、だの……。
母さんはいつも私にうるさい。いつも家のことを心配していて、私がちょろっと台所のおかずを盗み食いするとすぐふくれっ面になる。怒ることはないが、怒っている時ほど手芸の手が早くなる。自己主張は控えめだけど、私が森で掴まえた甲虫を見せると盛大な溜息を吐く。
とにかく二人は私にうるさい。物理的な『うるさい』と、精神的な『うるさい』だ。
「メフト、いる?」
むかついた私は二年前から自分の畑を持つことにした。空いている土地なんて幾らでもあるから、好きに使ったって構わないはずだった。
日々の仕事をこなしながらも、自分の欲しいものを自分で得ようとする姿勢には父さんも母さんもうるさくなかった。──少し不思議で、だけど今ならその理由が分かる気がする。
「なあに?」
夜。狭い私室の中、忽然とメフトは顕現する。
最初からそこに居たかのように。ううん、ずっと居るから。
「あのね、ちょっと大事な話」
「……」
ベッドの上でひざを突き合わせて座る私の前で、メフトはそっと縁に腰かける。首だけをわずかに巡らせた彼女の瞳は問うている。静かな声は言葉などなくても耳が捉えた。
「メフト、園芸って知ってる?」
「園芸?」
「うん。父さんがね、そういう本を借りてきてくれたことがあったんだ。その辺の森とか山に咲いてるのとは違って、人の手で育てた花ってすごいこう……華やかでいい香り、なんだって!」
「へえ」
私は薔薇について語った。牡丹や、
「とても綺麗なものがあるのね」
「うん! って私も本で読んだだけなんだけどね……へへ」
この土地にそんな素敵なものはない。誰もが生きるために生きている、ただそれだけの世界だ。だから私は現実に存在する華やかな花々を想うことしかできない。
「でもねメフト、今年こそ私の畑はそれなりの収穫を迎えられるはずだし、その実りをお金に変えれば街で種を買うことだってできるんだ!」
「種を買って、また育てるの? 今日の畑みたいに?」
「ううん。畑じゃないよ。この家に、この家の庭に花壇を作る!」
「花壇」
そう。花を、育てるんだ。たくさんの花を。
私は私一人のためのそんな計画を二年前に立てて、一人で全てを成し遂げるつもりでいた。それはいつも煩いばかりの両親への当てつけも確かにあって。
だけど今私は、あなたという不思議な存在と共にいる。誰とも触れ合おうとせず、誰にも理解されようとしない美しい人と。
メフト。あなたが明日目覚めた時、庭中で咲き誇る色とりどりの花々を見たらどんな顔をする?
「……うん。私はやっぱりあなたに色んなことを経験してもらいたいな」
「今でも十分してるけど」
「ううん。そうじゃない、そうじゃないんだメフト」
私には言葉が足りない。あなたより賢くない。どこにでもいる普通の14歳で、胸を張ってこれだと言える得意なこともない。
だけど私はマギアニクス・ファウストとして生まれたし、そんな私がいたからメフト、あなたは生まれた。
あなたは文字を覚えた。
あなたは本を読んだ。
あなたは私達の社会を知った。
あなたは私と言葉を重ねた。
あなたは私以外の誰とも触れ合おうとしなかった。
あなたは何もかもを静かに観察するだけだった。
「あなたはまだ、きっと、一度も笑ったことがない」
父と母の目に私はどのように映っているのだろう。
分かちがたい、自身を継ぐ者。
彼らは私に望む姿があり、こうあってほしいと願う幸福がある。そんな視点をメフトは私にくれた。
私は。
──私は、あなたを導かなければならない。
正しい方向に。
より良い未来へと。
「花を育てよう、メフト!」
……うん。そう。だから、私はあなたと向き合うよ。
世界で私しか知らないあなたと。
私なりのやり方で。
「花を? 私が?」
「……ううん。花じゃなくたっていい。自分で、あなた自身の手で、何かを育てよう。麦や、野菜や、果実を」
「育てる。……そんなことしなくても、きっと魔法でなんとかしてしまえるのに?」
そこに意味なんかないって顔をあなたはする。
私はそんなあなたに向けて、精一杯の優しさを顔にする。
「実りを育て、自分の糧にすることは、きっとあなたの心を豊かにするから」
「豊かさ」
私の紡いだ言葉をそっくりそのままの響きで呟いたメフトが、こてんと首を傾げた。言葉の歯触り、舌触りを確かめるようにじっくりと時間をかけ、ややあってからぽつりと。
「私には…………遠い言葉だと思う」
その言葉にあなたはどれだけの思いを乗せたのだろう。曖昧に揺れ、焦点をぼやけさせた黒い瞳はどこを見つめているのだろう。
私は若く、幼く、生まれ故郷であるこの土地から出た事さえない。だからあなたの心を細部までくみ取ることは出来ない。
「いーえ。きっとすぐ近くなるよ! 幸せはすぐそばにあるんだ!」
だけど断言できる。
「メフト。生きることを私と二人でやってみようよ」
「──」
「少しずつでいいんだ。ちょっとずつでも、きっと意味のないことなんてどこにもないよ!」
目を瞠ったメフトが、そのままぱちぱちと瞬きをする。重なる事の無かった眼差しはようやく私を見つめる。
彼女の黒い双眸はどこまでも澄み切って、青空よりも晴れ晴れとした夜空を思わせる。
しばらくして、メフトは小さく頷いた。
「……うん。わかった。マギアが言うなら、きっと正しいことね」
◇
私に死はなく、かといって生もない。
生まれ落ちたことに意味はないのだろう。
マギア。あなたの言動の節々からそう感じ取れる。
マギアニクス・ファウスト。
14歳で、よく働き、よく不満を漏らし、よく寝て、よく笑う少女。
あなたは私の親ではない。
神でもない。
意味のない行いをだけどあなたは常に行う。
苛立ちを覚えたら地団駄を踏み、
生存に必ずしも必要でないことを頻繁にして、
空腹でもないのに、すぐに何かを食べようとする。
いいえ、あなただけではない。あなたの遺伝子上の関係者である男女もそう。
人。いのち。
炭素を基調とするあなたたち。
あなたたちをしばらく観察してわかったのは、増えることを至上命題として生殖を繰り返す形態の群体だということ。けれどその意味を誰も求めていないし、真に理解する者は私も含めてどこにもいない。
外見だけを寄せた私はだけどあなたたちのように番を得る機会はない。
なぜなら私の本質は魔法であり魔力だから。
メフトというモノは、この世界にとってどうしようもないほどに異物だった。
私は何者にもなれないし、何物であることもできない。
ここにいる意味も。
ここにいていい理由も。
私には何一つ無くて……だけど。
花に、作物に、動植物すべてに恒星の祝福が必要なことと同じ。
星の何もかもは遥か先の輝きに依って立つ。
自らの腕を届かないと知っても尚伸ばすことを、誰もが止められない。
あなたは恐らく私の光。
私が今ここにいたいのは、居てもいいと思えるのは、あなたの善性にきっと惹かれているから。あなたの輝くような笑顔から目を離せないから。
私達の出会いはきっといつかのどこかに、何か、……そう、何かしらの確かなものを結実させるためにあるのでしょう。
今──そう確信して、だから。
マギア。……私達は私達で「幸せ」に近づける?
そもそも幸せというものが何か、まだ私にはわからないけど。
でも、良い舌触りの言葉だと思ったの。
幸せ。
しあわせ。
し、
あ、
わ、
せ。
うん。とても素敵な響きね。
私はあなたとは違う。マギアのように身の詰まった生き方はきっとできない。
私は私が行くべき所に向かうのだ。
だから、あなたの行く先へ行こう。
幸せへ。より良い未来へと。
私はマギアと生きてみたいと思った。
マギアが感じ、接している世界に、私も触れてみたいと願ったのだ。
思うことは、願うことは、罪ではないから。
間違いを起こすほどに触れなければきっと……大丈夫。
大丈夫だと信じて。
今、前へ、手を。