主従の間に芽生えてしまった歯止めの効かない愛情は光をも割断する   作:てりのとりやき

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「1321垓96京84兆9011億8個の増減連環魔法群による直径23ナノミリメートル実体化魔力塊」

 

 

 

 それらは決して饒舌な語り口ではなかったのだ。

 重く、血反吐じみた澱の混ざる声音で、それでもメフトは言い切った。

 

「──1896年。私は生まれ、マギアが触れる世界に触れてみたいと願った」

 

 ベッドの上、上体を起こしたメフトの背は普段よりも陰りを帯びて丸い。

 

「あの頃の私達にとって世界というものは酷く小さくて、ここら一帯の土地だけでしかなかった。だけどここには全てがあったの。花も、森も、土も、命も……」

 

 艶やかな黒髪で覆われた彼女の表情を探るようにベッドを囲う三名……ローロ、アル、ティアレスの内、最初に口を開いたのはティアレスだった。

 

「……つまりお前はローロの母親に作られたのか?」

「ええ」

「お前、そんなこと一言も言わなかったじゃないか」

「言ったところで信じないでしょ」

 

 まあ確かにな、とティアレスは小さく頷く。ローロの母親──マギアニクス・ファウストとの先の戦闘で両腕を故障していなければ、今頃頭を掻いていそうな納得のいっていない表情ではあったが。

 

「話を聞く限り、メフトさまは今のお姿から何一つ変わっていないように思えます」

「その通りよ。私の肉体は生理機能の大半を不要とする依代に近い」

「……魔王さまの本質は魔力なんだよね」

 

 アル・ルールの呟いた一言をメフトは首肯する。ローロより二つ年上の幼馴染であるアルは、かつてマギアニクス・ファウストと協力関係にあった。この場ではメフトの次に事情に詳しい。

 

「質量を持たずそれ単体では物理法則さえ適用されない魔力。次元の裏側を満たす原始魔力だって光の屈折現象を拒絶する。だけどそんな魔力が、魔力自身が(・・・・・)意思を持ったら? 人でないはずの存在が人によって定義され、あまつさえ人を模倣した論理の基盤を得てしまったら?」

 

 ゆっくりと。

 静かに言葉を紡ぎながら、メフトの黒い瞳は一人の少女へと向かう。柔らかく、微かに笑う。

 淡紫の瞳。白銀の髪。母親からの形質を確かに継いだローロ・ワンは静謐な表情を保ったまま、メフトと視線を交わした。

 

「私たちはそれがどれほどの奇跡を起こすのか、もう知ってる」

魔力(・・)とい(・・)う現(・・)象の(・・)物質化(・・・)

 

 少女が発した言葉の意味を類推できない者は、この場には居ない。

 ティアレスも、アルも、メフトも確かに目の当たりにしたのだ。人体認知不可能な速度で母親を叩き斬ったローロを──彼女が変質させた一振りの剣を。それに等しい奇跡の御業の賜物なのだと、メフトは頷き。

 ややあってから。

 そっと、片手を広げて見せる。その手の内に何もない事を知らしめるように。

 ……だが、何一つ予兆はなかったというのに、気付けばメフトの掌の上にはきわめて小さな『光』が浮かんでいた。

 実体を持たない発光現象。

 ぼんやりと彼女の手のひらだけを照らす灯火。

 ひどく違和感を覚えるほどに白く、ひたすらな輝き──。

 

「これが、私」

「……え?」

 

 疑問は誰のものだったのか。

 メフトは流暢に続ける。

 

「1321垓96京84兆9011億8個の増減連環魔法群による直径23ナノミリメートル実体化魔力塊」

 

 それは、そこにあるのは、肉眼で視認不可能なほどに微小な、光を伴う「物質」だった。

 光があるのではない。

 メフトそのものが在るのだ。

 

「………………」

 

 女が明かした自身の核たるものに、誰もが口を噤む他を知らなかった。

 その沈黙は重苦しいものではなかったが、しかし、現実離れした光景に対して思考が追い付いていないからこそだ。

 

「これが私の核に近いもの、そうね、魂と呼んでもいいのかもしれない」

 

 ……三人が言葉の意味を理解するのに、数秒を要した。

 彼女たちの呆然とした様子を尻目に、メフトはゆっくりとかざした手のひらを握りしめる。

 光の粒が姿を消し、それでも幻想的な真実の残滓が室内を満たしていた。

 

「喉が……渇いたわね」

 

 静寂を縫うようにメフトは呟く。ローロが立ちあがろうとするのを制止したメフトの手には、それまで無かったはずのコップが握られていた。

 

「1896年までは決して存在する事のなかった魔法創造型魔法。それはね、自らを展開・維持し続ける知能化魔法よ。魔法であるからこそあらゆる魔法への理解を持ち、凡そ人知を超えた処理能力と智慧を持つ」

 

 一切の魔力放出をせずに成された物質化魔法。コップの中では気付けば澄み切った水が満たされ、それをメフトは飲み干す。湿らせた唇が開いた頃にはそのコップは姿を消していた。

 

「おおよそ全ての事象を生み出せるわ。ありとあらゆる事柄が即座に理解できるし、それらをすぐさま応用することだって。天と地の理……宇宙を支配する物理という名の法則、そしてその裏側に潜む魔法。その全てを私は知っている、見通せる」

 

 窓の外へメフトが視線を投げるだけで、荒れ果てた土ばかりの庭には瞬時に花畑が作られた。

 花畑すべての花々が一斉に育ち、そして枯れ行き、種をつける。種……それは通常の花が残すような種子ではなく、黄金だった。色とりどりの宝石だった。果ては近隣国で流通する貨幣まで実っていた。

 

「私にできない事は何一つ無く、だけど私は過去の失敗から多くを学び、そしてかつてあったはずの全能性を失った」

 

 黄金も。

 宝石も。

 貨幣も。

 花々も。

 例え生きとし生けるもの全てだろうと。

 

「多く?」

「端的に言えば、痛み」

 

 メフトが目を瞑ればそれらすべては塵となって消えてしまった。

 生み出せるのなら、消し去ることさえ簡単なのだと。

 およそ全知全能その一歩手前。

 思い付きで作られたにしてはあまりに精巧で、完成された、人心を持った神話の具現。

 

「……」

 

 アルも、ティアレスも、ローロも、理解する。

 ──メフトは。

 メフィストフェレスラフレシアディアレシオディファレンスディファレンシアバレルロードカルテル・ファーストラグドールは。

 

「生まれた直後、確かに私は神だった。

 14歳の少女によって作られた、生まれるべき理由のない神」

 

 この世に初めて現れた技術的特異点。

 原初の魔法創造型魔法。

 ──空想が生んだ、魔法という名の神だ。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「人を……人よりも完全な存在を、14歳の少女が、か」

「断言してもいいけど、マギアニクス・ファウストは史上最高峰の魔法使いだったわ。不幸だったのか幸運だったのか……マギアの生まれた環境は、彼女が歴史に名を残すほどの魔法使いであることを当の本人にも、周囲にも気付かせなかったの」

 

 不世出の天才。

 既に人気の絶えた廃集落であるこの土地が、その閉鎖的環境が少女をどこにでもいる子供として育てさせた。

 

「きっと私が生まれたことに大して深い意味はなかった。あの頃のマギアは不満を正しく不満として発散しようとする活力があったから……私はその発露の一つだったってわけ」

 

 過去を懐かしむようにメフトは淡く笑う。これまでの陰りある語り口からは僅かに温かみのある笑い方に、それだけメフトにとって比重の大きい思い出なのだとローロは気付く。

 ……わずかに、唯一の右手を、その三指を握りしめた。

 

「あの頃の私に躊躇はなかったし、悩みや迷いというものもなかった。生まれたばかりの赤子はね、だけど神にも匹敵するだけの全能性を持ちあわせていたの。今の私にはもう無い全能性を」

 

 そんな私は生まれてすぐに思い知ったのよ。

 

「──『生まれるべきではなかった』と」

「……っ」

 

 メフトの断言と断罪を織り交ぜた一言に、少女の表情が明確に歪む。思わず立ち上がりかけて──瞬間的な激情を、握りつぶすほどに力を込めた右手で誤魔化す。

 

「そんなこと。……そんなことありません」

 

 息を吐いて一拍を置いた声音がどれだけ感情の奔流を抑えたものだったか、その大きな肩の上下だけで誰にも分ってしまっただろう。それでもローロは努めて表情を変えることなく、平淡な眼差しでメフトへと右手を伸ばす。

 彼女を。

 自死さえ選ぼうとした主君を守るために左腕を捨てた。

 だからと主たるメフトに報いを求めるのか? ……そんな卑しい思いは抱えたくない。

 あの時の行いに悔いはないし、間違いだったなんてこれからもきっと思うことはない。──始まった瞬間から、ローロ・ワンという存在が破綻していたのだとしても。メフトによって破綻させられたマギステルシア・ファウストとやらが存在したとしても。 

 三指だけの右手を、ローロはメフトの手に重ねる。握りしめる。きゅっ、と、音さえ聞こえるほどきつく。

 

「そんなことはありえないのです、メフトさま」

「……ありがと、ローロ」

 

 真摯な淡紫の瞳に見つめられて、重なった片手の柔らかな熱に触れて、メフトは溶けるような笑顔を浮かべる。心の底からの愛情で目を弧にする。

 だが、「でもね(・・・)」、と。

 

「どうしたって私はこの世界における異物だった。排除されてしかるべき異常だった。ただただ、この世界には触れるべきでないと……」

「……」

「それでもマギアは──ローロ、あなたの母親は私を導こうとした」

 

 強烈な因果がメフトの口から、マギアニクス・ファウストを擁護するような言葉を吐き出させる。拭いきれない過去が彼女に後悔を選ばせるのだ。そのたびにローロの心にちくちくと軋むような棘が積み重なっていく。

 

「……結果としてそれが間違いだったのかそうでないのか、私は今でもわからない」

 

 ──ローロの幼馴染であるアルは、二人のやり取りを静かに傍観していた。

 どこまでも尽くすローロと、その重みを理解したとしてもマギアニクス・ファウストから逃れられないでいるメフト。忠義と親愛、義務、罪悪感、贖罪……双方が抱える想いはそれぞれに対しあまりに巨大な形として向けられていて、頑ななのだと分かっていたから。

 

「なんか、遠いな……」

 

 自分に出来ることは何も無いのだと、そうわずかに俯く。

 

「ねえローロ、マギアにも天真爛漫な時代があったの。無作為に苛立ち、無作為に笑い、無作為に喜ぶ……そんな、どこにでもいる子供だったのよ」

 

 メフトは言う。

 マギアニクス・ファウストは生来の狂人ではないと。

 よく働き、よく笑い、よく生きようとする……きっとどこにでもいる女の子だったのだと。 

 決してローロ・ワンの母親は悪人ではないのだと、必死の呪いを諭していく。

 

「私が狂わせたの」

「……あれだけのことをした女をそうまで庇う理由が私にはわからんね」

 

 ──メフトと旧知の仲であるティアレスは、時として我慢の効かない性格だった。

 特に恩讐を抱えるメフトに対してはそのはっきりとした態度が表に出る。全身に包帯を巻いた彼女へと三人の視線が集い、特にティアレスを隣から見上げるアルは目を瞠っていた。

 一斉に見つめられて、小さく肩を竦めたティアレスはこうも付け加える。

 

「悪気はないよ。でも、ローロやアルが今に至るまで抱えている苦痛を思えば……黙るわけにもいかない」

 

 ティアレスが現在進行形の状態として慮る二人への言葉に、メフトは曖昧な顔をした。

 分かっている、そんなことは。

 そう言いたげに瞳を伏せた彼女を、“騎士”は静かに睨みつける。青の瞳その眼光ひとつで首を刎ねると言いたげなほど、鋭く。

 

「先輩、わたしは別に……」

「よくないね。まったくもってよくない。本来苦しむべきはそこの女だけだろう? 後輩よ、君まで気を病む必要はどこにもないんだ。──もちろんローロもね」

「……」

「私の腕がどうなろうがお前が心身共に苦しもうがどうだっていいがなメフト、おまえは二人が自分で自分をこれ以上責める前に、さっさと続きを話すべきだ。違うか」

「そうね。わかってる。……続けるわ」

 

 女は情け容赦のない言葉に当てられて顔を上げる。

 

「私が生まれてから二年……正確には二年と二ヶ月一二日目。マギアがね、恋をしたって言いだしたの」

 

 その先に続く言葉が、何故だかローロには分かる気がした。

 

「ローロ、あなたはあなたの両親が恋と愛を重ねた末に生まれたの。望まれて、祈られて、祝福されていた。それだけは間違いなく真実なのよ」

 

 そしてメフトは次なる物語を語りだす。

 

 

 

 

 …………あれは凍えるような寒さの冬だった。

 マギアニクス・ファウストはね、愛と恋を、純粋な思いの貴さを私に教えようとした。

 あの頃の私には何一つ理解できなかったのにね。

 

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