主従の間に芽生えてしまった歯止めの効かない愛情は光をも割断する   作:てりのとりやき

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「すすすす?」

 

 うーん。

 う──ん。 

 うううううん! 

 根拠のない気持ちがぐるぐるしている。

 たった今目覚めても、昨日ベッドに入ってからも、それ以前からもそう。私は誰に吐き出していいのかもわからない感情を胸中に抱え続けていて、このままだと……。このままだと顔がトマトみたいになってしまう! 

 こういう時は頼れる隣人に相談だ! と思い立った私は朝食も食べずに家を飛び出した。目指す先は少し歩いた先にある一軒家。冬のはじまりを告げるようなつむじ風は少しだけ肌寒いが、眩しい晴天の下では少しも気にならない。──それは当の一軒家、その庭に置かれたテーブルに食器を並べている彼女とて同じなのだろう。

 

「め、メフトおおお〜」

 

 つるんとした背中の中ほどまである黒髪を後頭部で結び、エプロンなど着ている長身の美女が、玄関口に立つ私へと目を向ける。

 ぱちぱちと瞬きをした隣人……メフトが、相変わらず表情の薄い顔で「マギア」と呟く。 

 

「なーに。そのヤギみたいな鳴き声」

「んへへ」

 

 一年ほど前から彼女は一人暮らしを始めていた。空き家は沢山あったから私が許可して貸した。生まれてからずっとこの家で過ごしている一般村民という身分を得る以外で、どうやら魔法を使わずに生活しているようだった。

 

「おはよ! 元気やってる?」

「ええ、元気やってる。今は朝食の支度をしているところ」

 

 椅子の一つに腰かけると、メフトは何も言わずに食器をもう一人分用意してくれる。ちょうど朝食の前に来れたようだ、いえい。テーブルの上には唐のバスケットに盛られたパンが幾つかと、湧かしたてだろうティーポットがある。

 こうやってメフトと一緒に食事を取ることは多い。彼女がふらりと私の家にやって来て食卓を囲むことも頻繁にあるし(メフトは私の両親のウケがめちゃくちゃ良い)、逆もまた然りだ。だからメフトも最近は「食べてく?」みたいなことは尋ねなくなっていた。

 

「で、どうしたの?」

 

 炙って暖め直したパンを食べつつメフトが尋ねる。なんでもそつなくこなすメフトはお茶を淹れるのも上手で、なんならパンを作るのも私より上手い。

 ふかふかのパンを食べていたところで訊かれたので、もぐもぐごっくん! と勢いよく食べ終えてから、そろりそろりと喋り出す。

 

「す」

「酢?」

 

 神妙な様子にメフトが瞬きを二回した。

 

「すす」

「煤?」

 

 僅かに片眉を持ちあげた彼女は訊き返した。

 

「すすす、す」

「すすすす?」

 

 こてん、とメフトの首が右に傾いた。

 

「すっすっすっすっすっ」

「??????????」

 

 そのままメフトの口が開いたまま閉じなくなった。

 

「──好きなひとができた!!!! ……かもしれない」

 

 噛みに噛んで吐いた言葉に、メフトは首の角度を戻す。食べかけのパンを一口、湯気を立てるお茶を一口。そこまでしてようやくメフトは口を開いた。

 

「…………好き? な人ができた?」

「うん……」

「それで? 誰を好きになったの?」

「それはそのう……」

 

 つい、口がごにょごにょと口ごもる。

 彼女と出会って二年が経ち、メフトは私の良き相談相手になってくれていた。彼女は秘密にしてほしいと言ったら頑なに守秘を貫いたし、どんな雑談にもしっかりと耳を傾けてくれた。姉でも、妹でも、親でも子でも親戚でもない。恋人ではないし友人でもないが、距離感は近い。だからただの隣人と言うには関係が特殊すぎる。

 一言で言い表せないメフトとの関係をどう表現すべきか、私にも分からない。きっとそれはメフトから見た私もそうなのだ。冷徹と理知が満たされた黒い宝石のような双眸はいつも私を真っ直ぐに見つめる。見つめられると私はつい目を逸らす。

 やがてメフトが浅く息を吐いた。

 

「……初めてね。マギアが私に隠し事をしようとするのは」

「あっ、ち、ちがくて。ただその何ていうか言いにくいというか……」

「いいの。大丈夫。あなたが喋りたがらないことまで知るつもりはないから」

 

 メフトは魔力であり魔法によって成り立つ存在だ。生まれた瞬間から人間の完全な再現という物質化魔法をしてみせるほどには魔法に精通している。少しでもその気になれば彼女は他人の思考を簡単に読み取る事が可能なのだ。

 ──ふと、道の向かい側にある一軒家から人の気配を感じた。

 つい目をそちらに向けると、そこには一人の少年がいた。

 彼はつい8ヶ月ほど前に紛争の疎開先としてこの土地へ越してきた一家の、一人息子だ。医者をしているという彼の父親が今は小さな診療所を開いている。玄関扉を開けた少年は手に持った桶から考えるに、井戸水を汲もうとしているらしかった。

 

「あっ」

 

 という一言だけでメフトは恐らく因果関係の全てを把握したのだろう。

 私の視線を追い、その先に居る彼を見定めた瞬間、

 

「ああ、彼が」

 

 彼女の頷きには全てへの理解が込められていた、ように思える。

 

「そういえば半年前くらいにマギアが風邪を引いたとき、毎日飲み薬を届けに来てくれてたっけ」

「そ、そうそう。それでねあのねそれでね、ほら、私の家って本がたくさんあるじゃん? それを知ったらたまに読みに来たいって言って、それからも会う機会があって……」

「ふーん」

 

 何もかもを察したメフトを前に、私の口からはするすると言葉が出ていた。顔が火照っているのが自分でも分かるが、とにかく誰かに言いたくて仕方がない。

 ……そう。そう、そうだとも! 

 私はこのぐるぐるした気持ちを吐き出す相手を欲していたんだ! 

 

「……ああ、それで? 村の中に年の頃が同じ相手も他にいないし、体が弱ってるときに接してくれて? それで話してみたらすごくいい人だったってわけ」

 

 こういう時のメフトはすごい。一を言えば百くらいまでは簡単に理解してしまう。

 

「なっなっな、なんでそんな細かくわかるの?!」

「マギアがよく読む恋愛小説に似たような展開がたくさんあるじゃない」

 

 顔が赤くて妙な汗が首筋を濡らす。だけど不思議と居心地の悪いものではなかった。根拠のない感情も吐き出しようのない情動も、メフトの前だとするすると形になってくれたから。

 ──やっぱりメフトはすごい。

 いつも涼しげな眼差しをしていて、超然とし続ける様子はまるで神様みたいだ。

 と。彼を観察していたメフトが少しだけ目を見開く。

 

「あ」

「どうしたのメフト」

「こっち見た」

「えっ!?」

 

 思わず私も目線を向けた。道を挟んだ向かい側。声を掛けるにしては遠い距離で、水を満たした桶を両手に彼が突っ立っている。そして……彼のとび色の瞳とばっちり目が合ってしまい。

 わ、わ、わ。

 わわわ。

 両手が塞がっているからだろう。彼は……ニコっと笑って、口をぱくぱく動かした。

 

「お、は、よ、う。だそうよ」

 

 わっわっわっ。

 

「マギア?」

「わっわっわっ……」

 

 ──わああ! 

 

「ぎゃあああか、カッコいい……!」

 

 彼が家の中に戻った途端、私はテーブルに突っ伏した。

 自分でも分かる。耳まで真っ赤だ。

 

「カッコいい?」

「だってほら! 見てたでしょ! あのくるくるっとした髪とか、ふにゃーてした笑い顔とかさ、ぜんぶカッコよくない?」

「私には人が持つ美醜の価値観というものがないから、どうとも言えないけど……つまりマギアは彼を好きなのね」

 

 うん……。突っ伏したまま頷く私の頭上で、メフトが身動きする気配を感じた。

 顔を上げると彼女はそのほそい顎に手など添えている。

 

「ふむ」

 

 あ。

『頭の中でめちゃくちゃ複雑なことを難しーい言葉で考えまくってるけどそれをそのまま私に伝えても私が??? てなるだけだから私にもわかるように噛み砕いて話すことに時間を割いてる時の横顔』だ! 

 

「つまりマギア、あなたは彼と番になりたいってこと?」

「つがッ──」

「彼との子どもを作りたいってことよね」

「いやそんな話じゃなくてえ!」

「? 今日来たのは私にその協力をしてほしいからではないの?」

「ちっっっっっがーう!!!!」

 

 つ、番? 番って! 番って! ──言い方!! 

 私の大声に野鳥が驚きバサバサと空を飛んでいく。肩で息をする私を前に、メフトはこれまでになく真剣な表情で思案を巡らせていた。

 

「? …………ごめんなさい、よくわからないわ」

 

 が、理解できないという結論に至ったらしい。

 クールダウンしようとする私にメフトは実に論理的で理知的な事実整理を始める。

 

「ならマギアは何かの結果を残すわけでもないのに彼を好きになり、そして私に何かを求めるでもなく彼を好きだとただ伝えに来たわけ」

「確かに言ってしまえばそのとおりなんだけど!」

「なんだけど?」

 

 ……いや確かに私の言動かなり意味不明かもね!? 

 

「……だっだけど、だけどもー!」

「だけど、だけどもー?」

「──んもーっ! メフトに相談した私がバカだったー!」

 

 こういう時に思うのは、たぶん私は一生メフトと論戦で負けるのだろうなあ、ということだ。

 顔を真っ赤にしたまま立ち上がった私が、そのまま自宅に走り去ろうとしたのを察知したのだろう。メフトはぴしゃりと言った。

 

「マギア、手を付けたならちゃんと食べきってから帰って」

「はい」

 

 まったくもってその通りなので、私は恥ずかしいやら何やらで頭をぐるぐるさせながら、食べかけのパンをもぐもぐする。

 

「そうそう。そのパン今朝焼いてみたの。どう?」

「これはたいへんおいしいパンです」

「そ。ならよかった」

 

 メフトはいつも通り超然とした態度でお茶を飲むなどしている。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 夜。

 私が悶々とした気持ちを紛らわすために編み物をしていた頃。

 耳元で、唐突に静かな声音が鳴り響いた。

 

「──ねえマギア、話があるんだけど」

「どわひゃあ!」

 

 椅子代わりにしていたベッドの縁で体が勝手に飛び跳ねる。今のはそれくらい驚いた! 

 

「居るなら居るって言ってよー!」

「ごめんなさい」

 

 当然のことながら、突然姿もなく声を掛けられる相手など一人しかいない。メフトがほんのりと眉根を詰めて、申し訳なさそうにしゅんとしていた。

 二年間という時間の中で人と接することを覚え、今では一人で生活しているメフトだったが、どうにも私より勢い任せな時があった。そういう場合は大抵こうやって玄関から家に入るというプロセスを無視することが多い。

 

「こういう所はあんまり変わらないよねメフトって」

「あなたに今訊きたいことがあって、そのための過程がどうしても煩わしい時があるの……」

「お父さんもお母さんもメフトのことならいつでも歓迎だと思うけどなあ」

「あなたの父母に煩わしさを覚えるわけではないけど……」

 

 メフトは両親からの印象がとても良い。それは彼女が魔法で印象を操作しているわけではなくて、ひとえにメフトがこの二年間で勝ち取った信頼だ。

 嫌な顔ひとつせずよく働き、賢くて、丁寧な暮らしを心掛けるメフトを嫌う理由は実際どこにもない。お父さんなんかは「マギアの姉になってくれたらいいのに」などとたまに漏らすくらいだ。編み物もまだまだ下手くそな娘で悪うございましたね。

 

「まあいいから座りなよ」

「ん」

 

 ベッドの縁に座り直した私が隣をぽすぽす叩くと、大人しくメフトはそこに座る。

 

「ねえマギア、誰かを好きになるってどういう状態?」

 

 そして矢継ぎ早に尋ねてきた。私は編み物のために動かしていた両手を完全に止めて、ううんと唸ってしまう。

 

「状態って言われてもなー……」

「ちょっと額を出して」

「? いいけど」

 

 私が横のメフトへと首だけを向け、ちょこんと頭を前に出す。するとメフトが私の額に手を当てた。??? と疑問符で一杯なまま言われるがままの姿勢でいると、彼女の掌から波にも似た静かな魔力が放たれるのを感じた。

 珍しい。メフトが誰かに対して魔法を使うなんて半年ぶりくらいじゃないかな。

 

「今なんかの魔法使った?」

「……驚いた。よく分かったわね」

「手から出た魔力が水面みたいに揺れた? 気がしたから……それで? 何したの?」

「あなたの脳構造を調べたの」

「え、なんかさらっと怖いこと言ってない?」

「安心して。2年前に私が生まれた瞬間にも同じことをあなたに対して行ってるから」

 

 後遺症もないでしょ? と手を離し、平然としたメフト。まあ確かにこの二年間変なことは起きてないと思う。

 

「それで? 私の頭の中を調べてどうしたかったの?」

「誰かが誰かに好意を向けている状態とその仕組みを知りたかったのよ」

 

 ふむふむ。

 

「よくわかんないけどメフトの知りたいことは分かったの?」

「そうね。メカニズムとして、あなたは気分を高揚させるような脳内物質が多く放出される状態にあるということくらいは」

 

 ノーナイブッシツ? が何のことかは分からないが、メフトの知りたいことは分かった。

 

「『状態』ってそういう意味かあ」

「けど、例えばあなたがステーキを前にしても同じ状態になることを私は知っている。なんなら食事全般に対してもそう」

 

 うん、まあ……。彼のことを好きな気持ちとお腹空かせてる時の食事を同列に扱われるとなんかもにゃっとするけど、メフトが言うからにはそうなんだろう。

 

「つまり頭の中を調べてもよく分かんないってことが分かったってことでいい?」

「ええ。そうね」

 

 ねえマギア、とメフトは改めて私を見つめる。

 彼女は、それを理解したいという純粋な欲求でその黒い瞳に輝きを持たせる。

 

「ねえ、誰かを好きになるってどういうこと?」

「うーむむむ!」

 

 なんだかすごく難しいことを尋ねられている、気がする。

 根源的で根本的な何か……。人生観みたいなものを求められてるような、そうじゃないような。

 メフトは生まれて2歳なのだ。

 いくら超人的でじっさい超人であっても、2年しか時を過ごしていない。彼女に親と呼べるものはなくて、人の子──私……のように情緒をゆっくりと組み上げることも出来ていない。

 それは今私の手元にある作りかけのマフラーのように不安定で不定形だ。

 

「私もうまく言えないけどさ、何ていうか……」

 

 メフトは時折こうやって哲学にも似た問いかけをする。その度に私はその時々の私なりに精一杯の答えを返す。が、それでメフトが納得できているのかは分からない。

 それでも……一年と半年前のことを思い出す。

 分かち難い半身を継いでいなくとも、私はメフトの家族であり友人であり親であり妹であり姉であり、教えたり導いたりできる自分でありたいんだ。

 

「恋は、愛は、……それを抱くだけで幸せな気持ちになれるよ」

「幸せ」

 

 素直な言葉でいいと私は思った。今、16歳の私は、自分が抱えた気持ちというものを自分なりに嚙み砕いて言葉にすべきだと。

 私はあなたを導かなければならない。

 それはつまり、メフトが恋や愛を得た時、それを素直に受け止められる人物になっていてほしいということだ。 

 

「えっとね? なんていうか、この、心臓のもっと奥あたりがね、どきどきするの」

「どきどき」

「うん。肺と、心臓の隙間。お腹のもっと奥、根っこの部分、芯のところがぎゅーって暖かかくなって、彼が喋るたびに、笑うたびに、私が何かをしてあの人がそれに応じてくれるだけで、『ああこれでいいや』って、『この瞬間があればそれだけで』って。……そうなるの」

 

 言ってて恥ずかしくなってくる。だけど今メフトに必要なのはきっとこういう言葉だから。

 私は赤い顔で、だけどメフトを真っ直ぐに見据えて笑うのだ。

 

「肺と、心臓の隙間。腹部の更に奥。根源。芯が熱を持ち、『これでいい』、『それだけで』……」

「んふふ。私が何言ってるかわかんないでしょ?」

「ええ。何一つわからない」

 

 メフトは、はあ、とさっぱりした溜息を吐いた。考え込むように背を丸め、膝で頬杖を突くなんて器用なことをする。ただ前だけを見るメフトの横顔はどこか遠くを見つめていた。

 

「私には遠いかもしれない」

「大丈夫! メフトも誰かを好きになればわかるよ」

「私には……私の番なんてこの世のどこにも……」

「──いいじゃん相手が同じじゃなくたって!」

「…………」

 

 私はメフトの手をそっと取る。柔らかく握る。彼女はちらと横目を向けて、『この行いの意味はなに?』って不思議そうな問いかけを眼差しだけで行う。

 ──意味なんかないよ、と。私はにっこり笑うのだ。

 

「いつかね。いつかきっとメフトの前にも現れるよ」

「それはつまり、例えば性別も種族も関係ないって言いたいわけ?」

「うん。私はそういうの、いいと思うよ」

「ふーん。そ」

 

 しばらく、メフトは目を瞑った。彼女は独り言のつもりなのか、ぶつぶつと呟いていた。

 

「そういう考え方はなかった……」

 

 

 

 ◇

 

 

 

 それが恋? 

 ふーん。そ。……私には、どうだろう。

 

 

 私はその、あなたの温かみのある声を、顔を、どのように受け止めるべきなのか。いつか私にも訪れるという番の存在を予期しての顔なのか、それともあるいは。

 ……精神機序に関して私は理解しているようで理解していない。

 仕組も構造も把握している。マギア、あなたが笑うのは脳内細胞たちの複雑な化学反応に基づいた神経系の働きによるもの。一種の電気信号にも似た入出力の連鎖が筋肉を……表情筋を動かさせて、あなたにそういう柔らかい表情を作らせる。全身でもって情動を表すことを可能にする。

 生物の進化において真に不要な機能は無い。

 なぜなら常にあなた達は進化の途上であり、1世代でいつまでも完成することはないから。あなた達は生存に……もっと言えば種の存続に必要だからあらゆる機能をその身で受け持つ。

 表情もそう。感情も。あなたの複雑な微笑みも。直接的で非言語的なコミュニケーションを行わないのも、きっと必要だから。

 理解している。

 わかっている。

 だから私にも出来ると思う──しかし二年かけて私に出来たものは何もない。

 心……そんなものがもしもあるなら、私の『心』とやらには何があるのだろう。

 

 

 恋。愛。

 あなたは謳うように踊るように寿ぐ。

 

 

 今日の出来事で確信したことがある。

 かたちなどないモノにマギアは触れることができるのだ、と。

 それは『幸せ』よりも遠くにあって、私には手が届かない。

 

 

 マギア。

 マギアニクス・ファウスト。

 16歳で、よく笑い、よく働き、父母と関係良好で、花壇の世話が趣味で、今は恋を知った。

 あなたはこの2年でずいぶんと成長した。

 私を置いて前へ突き進む。

 果てなきところへ、行ってしまう。

 

 

 私は未だに笑う事ひとつできない。

 ……ふと気づく。

 私は笑ってみたいのだろうか。その、発露たるものさえ確かでない欲求は明確に言語化できるのだろうか。

 

 

 あの時見た光。

 形質なき集光性を私でさえ持つ。

 

 

 マギアニクス・ファウストが笑うから、私も笑ってみたい。

 ──言葉にすればそんな単純なこと。

 

 

 だけどそれがどれほど難しいか私は知っている。2年という歳月を無為に過ごしたわけではないから。

 であれば私も……マギアが見つけたように、私も番を見つければいいのではないか。

 この世界に私と同種の存在なんてどこにもいないというのに。

 

『いいじゃん相手が同じじゃなくたって!』

 

 ……マギア。あなたは凄い。凄まじい。本当に、すごい。

 何一つ躊躇わずそう言えるあなただから、私はあなたの行く道を行きたいのだろう。

 出会えるだろうか。

 姿形を問わず、彼女が焦がれるような情動を抱ける者に。

 

 

 思考し、論理を回し、……ただそれだけを積み重ねる時間が曖昧に過ぎていく。

 やがて冬は終わり。

 春が来て、夏も秋も冬もただ巡り。

 

 

 

 

 

 そして、私が生まれてから四回目の春にマギアは結婚した。

 

 

 

 

 

 彼女が新たな命を宿したと分かったのは、それから更に二年後の1902年。

 死滅と乾いた空気ばかりの厳冬期。

 年の暮れに、彼女の娘が……産声を上げようとしていた。

 

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