主従の間に芽生えてしまった歯止めの効かない愛情は光をも割断する   作:てりのとりやき

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「運命だとしても私達は選んでしまった」

 アル。……しばらく二人にしてやろう。

 

 

 

 

 ティアレスのそんな言葉を、メフトはどこか遠いところで聞いているような気がした。

 

「私は聞きたいことを聞いた。十分だ。これから先をどうするか私も考える時間が欲しい。後輩よ、お前もそうだろ?」

「………………うん。そうだね」

 

 長年の付き合いであるティアレスに気を使われている。ローロの幼馴染であり、決してメフトの味方ではない、マギアニクスの恩讐による被害者たるアル・ルールでさえも。

 責めることも許すこともしないということ。

 彼女達は優しい。……優しすぎる。

 二人が席を立つ音を、ベッドの上で、瞳を伏せながらただ聞いた。 

 

「あとでね、ローロ」

「……うん。またあとで」

 

 会話と共に扉は開き──閉まる。硬い物音と共に訪れるのはひたすらの静寂だけ。

 ここには当人達しかいない。ローロ・ワンと、メフトだけしか。

 メフトは口を開くことが出来なかった。

 瞼を、顔を上げ、少女を見つめることさえ機会が分からなかった。

 

「……それから」

 

 無言の時はどれほど続いたのだろう。ややあって、少女が訊いてくれる。

 

「それからは、どうなったのですか?」

「屋敷を後にしたわ。あの時のマギアに何を言っても無駄だと思ったから、その場にあった何もかもに背を向けた。ティアレスの実家で働いた。あの時あれほど悪意を向けられた理由を考えながら」

 

 尋ねられて、ただ応じることがこんなにも心を楽にするだなんて。あの頃の自分に想像出来ただろうか。

 少しずつ顔を上げる。義務的な対応の中で、自分を噛み殺しながら。 

 

「……分からなかったの。マギアがどうして自分の娘を絞め殺そうとしていたのか、本当にあの頃の私には分からなかった」

 

 マギアニクスの娘の表情(かお)には、揺れることのない情動だけがあった。

 平淡な眉。平淡な瞳。平淡な頬。薄い情動。

 怒って、いる? 

 泣いているの? 

 それとも……。

 

「延々とマギアの人生を思った。彼女が生きてきた節々で何を考えていたのかをずっと」

 

 分かるはずのない自問を繰り返す。いつもそうだったとメフトは心の中だけで自嘲する。

 知ることを躊躇って、悩み、観察し、眺め、やがて独りよがりな答えを導く。──そんな自分自身を十分に理解している。だからメフトは自分自身を押し殺す。知りたいという欲求を抑え込む。

 

「そしてある時、マギアを理解できなかったのは自分に娘がいないからだと思いついた」

 

 怒りでいい。憎しみで構わない。悲しみだって当然だ。

 ここにいるのは加害者と被害者。

 それ以上を考えるべきではない。

 

「だから作ったの。一人で。私の娘を。似たような独立した魔法存在を」

 

 気付けば陽は落ちかけていた。部屋に備えられた窓の奥で陽光は茜色に変じている。暗がりと夕陽が入り混じる室内、少女の柔らかな銀の髪が薄らと輝く。

 メフトはそっと目を細めた。

 

「私はそうして、魔法創造型魔法さえ越えた、神に匹敵する技術的特異点を生み出した」

「それが、メルツェル・カルテル」

 

 首肯する。

 

「ローロ。一時的にでも並び立ったあなたはもう出会っているはずよ」

「まだいるんですね、そこに。……メフトさまの背後に、今も」

 

 物理法則を──光速度限界の法則を超越したローロは、やはり理解しているようだった。

 メフトは再度頷き、瞼を閉じる。そして自身が常時発動し続ける魔法に物理的顕現を許す。

 意志の発露と同時だった。

 

「──おいで、メルツェル」

 

 ベッドの上。上体のみを起こすメフトの背中に、黄金の粒子が現れた。ひとつ、ふたつ、みっつ……瞬く間に粒子はその数を増やし、規則的な配列を見せつける。

 純金よりも尚眩く、あらゆる黄金よりも尚輝くそれら粒子の全てが魔法である。

 そうして現れたのはメフト一人を優に超す大きさの十字光背(カルスィハロゥ)だった。

 ゆっくりと……メフトは瞼を上げる。

 

「これが神域到達魔法、第一神、【M.L.T.Z.E.L.=KC.United(メルツェル・カルテル)】」

 

 視線が合った途端、ローロが息を呑むのが分かった。当然だろう。メフトの両目は普段の黒でなく、今は黄金色に染まっている。

 メルツェル・カルテル同調状態のメフトは、視覚を神域到達魔法と共有する。黄金色への変遷はその副次効果だ。

 

「私の魔法発動意思を瞬時に汲み取り、そのすべてを叶える私の娘。……私が、無限の魔力を常時消費して維持し続けている仮死状態(・・・・)の魔法存在」

「私に【質量転換(マスコンバート)】をくれた時の、瞳の色……あの時メフトさまはメルツェルを起動していたのですね……」

 

 それもまた首肯する。同時にメルツェルの同調を解いた。権限の喪失と共にメルツェル・カルテルは十字光背という物理的顕現の形を失う。

 室内へと黄金の粒子が散らばり、やがて溶け消えた。瞬きと同時にメフトの瞳も黄金から黒へと戻る。

 

「彼女は生まれた瞬間に世界大戦を起こしかけていた主犯格たる国家の首脳を一斉に殺害し、更にはこの宇宙を破壊しようとしたわ」

「……その時メルツェルが使おうとしたのが、終末魔法ですか?」

「ええ。彼女を止めるには、魔法創造型魔法の核たる部分を……自立思考を完全に消し去るしかなかった」

 

 つまり、とローロの淡紫の瞳はつい先ほどまであった黄金の十字架を見つめる。今はどこにもないメルツェルの意志を読み取ろうとするかのように。

 女はただ淡々と事実だけを述べた。

 

「私は私の娘を生み、生み出した直後に殺したのよ。

 ──マギアはあの時、自分の娘を絞め殺せなかったのに」

 

 言葉に、ローロが小さく目を瞠ったのが分かった。

 幼い頃の話で彼女自身はっきりと覚えていないのだろう。もしくは、マギアニクスによる記憶操作を受けているのか。

 いずれにせよ少女は疑問を口にした。

 

「でも、メフトさまの話では、母さんは私を絞め殺そうとしていたと……」

「もしもマギアが本気であなたの首を絞めていたなら、マギアと共に幼いあなたも吹き飛んでいる」

「……そんな。でも」

「どう言い繕う事も出来ない」

 

 全てにおいて事実は一つだけ、──そう(・・)はな(・・)らな(・・)かっ(・・)()

 

「マギアは崖っぷちのところで……それでも耐えていた。自身を潰す悪意の中で、己のあらゆる善性を賭けて。あなたを殺すことを出来ないでいた」

 

 右手が勝手に動いた。

 自意識のどこかが微かに浮かべた、雑念に近い動作。無制御なまま右手の五指が揺れ、掴む。

 己の、左肩を。

 

「私が…………背中を押したの」

 

 ──何度でも定義できる。

 マギアニクス・ファウストはどこにでもいる女の子だった。

 ありきたりな幸せを望み、穏やかな家庭を夢見る女だった。

 母だった──自身の娘を当然のように愛する、まっとうな人間だったのだ。

 心の奥底の優しさを最後まで捨てきれなかった彼女はしかし、今、メフトを殺すためならば全てを犠牲にする復讐鬼に成り果てた。

 

「私が、マギアに、本当の意味で暗い道を選ばせてしまった……」

 

 全ての因果の帰結する場所。

 何もかもの起点は──今、ローロの瞳の中でぎこちなく唇を歪めている。

 

「マギアでさえ成せなかった嬰児殺しを成し。

 その時になってようやく、私は償いようのない罪を悟った」

 

 自らを嘲り。中途半端に笑い飛ばして。

 

 

『ぎり ぎり ぎり ……』

 

 

 力が、込められていく。

 右手が、硬く、蠢きだす。

 

「私が初めて笑えたのはメルツェルが死んでからだった。馬鹿で、愚かな自分を嘲ることでようやく、心の底から笑う事ができたの」

 

 あの時。メルツェルの自意識を完全に破壊して、自嘲から笑うことが出来た瞬間。メフトは後戻りなど出来るはずのない現実の全てを理解した。

 

『マギステルシア・ファウストは、……あなたの娘は。

 生まれてすぐに死ぬためだけの理由で生まれ、

 息をすることひとつ誰にも許されていなかった』

 

 ──どれほど酷い言葉を重ねたのだろう。 

 喉を潰すような絶望の叫び声を淡々と聞いていただけの自分は何様だったのだろう。

 ただ、マギアならば理解できると勝手に思い込んで事実を並べただけ。当人の心を想うことなど微塵もしていなかった。

 

 

『ぎり ぎり ぎり』

『ぎり ぎり ぎり』

 

 

 やり方はあったはずだ。

 言い方ひとつで、変えられた現実がきっとあった。

 だというのに、愚かで不出来な女が呼び寄せたのは間違いばかりで。

 

「どれだけ願っても得られなかった心を、そのかたちを得られたのは……っ! 子殺しを成してからだった……!」

 

 声が上ずっていく。

 呼気が荒くなり、やがては肩で息をする。

 力み、奥歯までむき出しにして口を開く。

 

「馬鹿でしょう? 愚かなのよ。……失敗からでしか私は学べない。罪悪感ありきでないと心を動かすことが出来ない!! それはこれからも、これまでもッ、今までの何一つだって!!」

 

 右手が握りしめていく。左肩を全力で。

 

 

『ぎり ぎり ぎり ぎり』

『ぎり ぎり ぎり ぎり』

『──ぶ、ち、ィ』

 

 

 そのうち肉が裂けた。

 血が溢れ出した。衣服が赤く染まっていった。

 それでも止まらなかった。

 止まれなかった止まりたくなかった。

 

「何も救えない! 何も変えられない! 喜んで、出来ると思いこんで失敗して! 何もかもをどうしようもなくしてから気付くだけ! いつもそうだった……振り返ると関わった全員が死んだ、狂った、壊れた……ッ!!」

 

 千切れろ。

 壊れろ。

 無くなってしまえ。

 消えてしまえばいい。

 ローロが喪失してしまったのと同じように、歪めてばかりの腕など要らない。

 

「すべてを捻じ曲げ狂わせるだけよ!! 私がいたから、私なんかが生まれてしまったから……!」

「メフトさま!」

 

 少女が悲壮な顔で立ちあがる。

 椅子を蹴飛ばし、唯一の右手を伸ばす。

 未だに主君と見定めた馬鹿な女を気遣う少女に──耐え切れなくなった。

 

「マギアは何一つ間違ってない!!!!」

「──」

 

 痛覚が勝手に視界を歪めた。

 左肩の肉を抉り骨を削りだしても尚止まらない右手が寄こす激痛が、だけどどうしてか嬉しく思えた。

 痛みはきっと、絶望の淵で発狂したマギアが抱えたものだから。

 

「私を殺そうとすること、私が死ぬべきだという主張は絶対的に正しいのよ! 全ての事実が彼女に正当な権利を許す、私への復讐を正義だと認める!」

「……っ! もうやめてください! そんなことをしても、なにも! 何も……」

 

 血は止めどなく流れる。

 それを見て少女が泣く。泣いて、泣き腫らした目で震える隻腕を伸ばすのだ。

 左腕を根元から捻り潰そうとする、愚かな女の片手へと。

 

「過去は……何も、変わらないじゃないですか……」

 

 触れて。

 たった三本の指で。

 強張りを一本一本解いて。

 血まみれの右手に、白い手指を重ね合わせる。赤く汚れることも気にせずに。

 ……。

 きっと、また、間違えている。

 

「…………そうね。ええ、そうだと思う。私が悔いても、罪を告白したって、過去は変わらない。変えることだけは神にだって無理だった」

 

 時間は双方向性を持たない。常に一方しか向いていない。

 前だけを見て進み続ける概念にいつもいつも追い縋ろうとして──それでも足が鈍る。全身に亡者が絡む。

 マギアの狂ったような笑い声が耳元でけたたましく鳴っている……! 

 

「痛くて、生きている事がどうしようもなく苦しくて……だけど自殺なんて許されていないってわかってたから生きる他なくて」

 

 ずっと、惨たらしく死ぬべきだと思っていた。

 盛大な憎悪を向けられて破滅を迎えるべきだって。

 

「──それでも、ローロ、あなたは私の前に現れた」

 

 マギアが仕向けた復讐装置で構わなかった。

 ローロと出会えて、【ローロ・ワン】だと知って、心の底から安心できたのだ。

 

「これで終わることができると……納得した」

 

 少女は泣く。

 ローロの頬を伝う滴を──現象を見て、ようやく気付くことが出来る。

 ……そうか。

 

「すべて。すべて仕組まれた運命だったのですか……?」

「運命だとしても私達は選んでしまった」

 

 彼女はどうしようもない過去によって泣いているのではない。

 愚かな女が、愚かな行いをすることが虚しくて、悲しいから。

 変えられない現実に対し自分に無力さを覚えて、きっとローロは泣いている。

 

「これが私のすべて。私の宿業」

 

 乾いた瞳で、乾いた声で、言葉が勝手に口から出ていく。

 そして──ぐにゃりと。

 

「ねえローロ?」

 

 口端が歪む。

 どこまでも邪悪に。歪に。捻じれ、戻り様のない不出来さで。

 

「お願いが、あるの」

 

 重ね合わされた手を、そっと握った。

 引き寄せて──自らベッドに倒れ込む。

 

「メフト……さま……?」

 

 流れるまま馬乗りになった少女の手を、自らの首に。

 

「ずっと。今この時だけを願っていた」

 

 添えて。

 支えて。

 導いて。

 媚びるように、上目で縋る。

 

「あなたが私の傍に居ると言ってくれた時から、この瞬間だけが私の希望だった」

 

 片手でも、できるから。

 自身の細い首に少女の手を絡ませる。

 

「酷い話、よね。だけどね……──これが本心だから」

 

 手の届かないところにある、眩いだけの天国なんて要らなかった。

 甘やかな煉獄はもう飽き飽きだった。

 苦しみ抜いて消えゆくばかりの地獄が、ただ欲しかった。

 

「ローロ。

 ローロ・ワン。

 私に、あなたが罰をください」

 

 告罪を。

 罪には正当な罰を。

 裁くなら、私はあなたがいい。

 ……泣きながら笑った。

 

「私はあなたに絞め殺されたくて、まだ生きてる」

 

 笑うことしか出来なかった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 恩讐の全ては今、触れた首筋の内にある。

 なめらかな肌。

 脈拍の震え。

 太い血管の隆起。

 肉と皮の中に詰まっているのはどうしようもないほどに捻じれ歪んだ罪の意識だけだ。

 ……私はこの人をどうしたいのだろう? 

 考える。

 メフトが与えた【ローロ・ワン】として、『ローロ・ワン』という生体・魔法複合人格として。

 

 ・――『わたし』『この人のこと』『きっと……』

 

 そして、マギステルシアとしても。

 

「……」

 

 在るべきはずだった選択がある。

 許されるべきだった命がある。

 その全てが損なわれている。

 

 

 メフトは死にたがっている。

 

 

 それでも選ばなければならない。その先に何も無かったとしても。

 主君が断罪を求め、同時に斬首を望むのなら──私は、私達は(・・・)、自らの全てで応じなければならない。

 ……すっ、と。心と体が軽くなった。

 なんだ。決めてしまえば簡単なことだ。

 ここに剣はない。

 盾も。大義も。正道も。

 それでも胸の奥には願いと祈りが、……騎士道がまだ残っている。

 

「──情動が、単純なんです」

 

 ローロ・ワンは決意を胸に、口を開く。

 

 

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