主従の間に芽生えてしまった歯止めの効かない愛情は光をも割断する   作:てりのとりやき

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「なんでメイド服を着て森の中にいて武装を携帯しているのですか?」

 

 

 この森はだだっ広い平野の一部に広がる、比較的規模の小さな森だ。とはいえ川があり、木々の密度は濃く、その実りも豊かだった。この時期に食べられる山菜の類をローロは記憶している。士官学校に居た頃は野営訓練も経験した。

 山菜を必要数リュックに詰め終えた少女はほうと一息ついて、空を見上げる。

 

 ・──『まだ』『昼は』『少し先』

 

 恒星は青空の頂点にまで差し掛かっていない。もう少し集めてもいいだろうか。たくさん集めて、役に立つ存在なのだとメフトに示すのだ。

 そう決めて、山菜採りを再開した直後。

 

 

 

 視界の右奥。

 熊が居た。

 

 

 

 藪を挟んだ向こう側。むくりと起き上がる体格はさほど大きくは無い。

 寝起きだろうか──藪に隠れていて気づけなかった──まだこちらを向いていない。

 熊。

 四足歩行の動物。

 肉食性を有し、臆病な性格であることも多い。

 しかし急な出来事には威嚇や襲撃に意識が向く場合もあり非常に危険で。

 今は時期的に冬眠から目覚めたばかりだと推測されるし、そういった動物というのはただでさえ空腹なのだから接触は────『パキ』、と、足元から枝が割れる音。気づいたら一歩後ろに下がっていた右足。

 

「あ」

 

 野獣と目が合う。少女の視界の中で、その熊の、背中の毛がぶわりと逆立ち。

 粘性の涎を伸ばして開く獰猛な顎。濃い、濃い獣臭。

 ローロは感じた。

 聴覚で。

 触覚で。

 視覚で。

 嗅覚で。

 味覚でさえも──幻想の、死の味を。

 

 ・──『ねえ』

 

 起きて。

 

 ・──『【MOS(マギマ)】』

 

 脳が……叫んでいる。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 ──・私は実行され、私を掌( I h a v e c o )

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

「──」

 

 完全展開されるはずだった機構を強制終了させたのは主制御(セカンダリ)か、従属体(スレーブ)か。

 ローロには判断がつかない。

 とにもかくにも少女の真横を駆け抜けていく『何か』があった。強制終了の原因は間違いなくそれだった。

 

 

 

 速度にして亜音速(・・・)。マッハ0.74。

 

 

 

 少女は亜音速物体の正確な速度をはっきりと理解していた。

 ────人だ。

 人間が亜音速で走って(・・・)いる(・・)

 鞘入りの剣を片手に、真っすぐに、威嚇を始めつつあった野獣の下へと。

 まっとうな生体神経系だけで肉体を従属させる生物では決して把握できない領域。しかしローロには全てが把握できていた。【強化】魔法の一部──視覚強化の魔法を発動させなくとも。

 亜音速域にあった人物は、野生動物が反応できる速度を超えて熊の眼前にて急激かつ片足のみで停止すると、その慣性を殺さぬまま鞘入りの直剣を大上段に構え──即座に、空いた足と共に地面へと叩き落す。

 

 柔軟な筋肉が。

 堅牢な骨格が。

 関節による適切な衝撃緩和が。

 それらがすべて輻輳した、惚れ惚れするほどに美しい剣の軌跡――。

 

 ――『   』という、音に等しい風圧が辺り一帯へ広がった頃には奇妙な静寂がひと時のみ流れ。

 

「──次は叩き斬る。立ち去れ」

 

 女の声音によってようやく現実を認識できたのだろうか、熊は恐れをなして逃げ出した。

 ぱちぱちとローロが瞬きをしていると、野獣を追い払った女が振り向いた。

 こちらを青い瞳に収めた女がほっとしたような表情をする。

 

「君、無事かな?」

 

 怜悧な顔立ちをした女性だった。

 『涼し気な』という言葉が実に似合うだろう真っ直ぐな背筋と、高い身長。木漏れ日を受けて艶めく金髪は肩口程度の長さをしていて、後ろでちょこんと一つに結んである。背はローロよりも高く、また、メフトよりも高いだろうか。かなりの長身の部類に入る女がこちらへと近寄ってくる。

 恐らく……助けてくれた、のだろう。

 ローロはぺこりと頭を下げた。

 

「助けていただいてありがとうございます」

「いや。なに、偶然見かけてな」

 

 頭を上げたローロは改めて女を見た。特に、その出で立ちを。

 頭髪に飾られたカチューシャ。

 暗い紺色をした踝まで隠すロングワンピースと、同じ丈のエプロン。

 足を覆うのは丈夫さが取柄だと誇示するようなハイカットのブーツ。

 女の出で立ちはどこからどう見ても、──メイドだった。

 

「なんでメイド服を着て森の中にいて武装を携帯しているのですか?」

「……うん、的確な質問だな。はは」

 

 やや骨ばった女の手は、握っていた鞘入りの長剣を腰に挿し直す。メイドの姿をしていることさえ目を瞑れば恐ろしく女の長身に似合う仕草だ。

 

 ・──『剣を』『扱い慣れてる』

 

「一つずつ答えると、まずこの恰好は生家で侍従の立場だったからだな。物心ついた頃からね。こういった服装でないと落ち着かない性格になってしまった。剣を持っている理由は私には必要なものだからだ」

「立場……必要なもの……」

「あまり深く説明する気はない。だからあまり深く考えるな」

 

 他者と自ら距離を置こうとする物言いはどこかメフトのあり様を連想させる。

 なるほど、と理解できない部分をローロは棚に上げておくことにした。何を着て過ごすかなんて個人の自由なのだから、この際そこはどうでも良いのだ。

 ローロが何よりも気になっているのは、何故『例の国』の領地内に彼女が居るのか、だ。

 

「ここは『例の国』の領地です。国民なき国とまで呼ばれるところで、あなたは一体何をしているのですか?」

「…………そうだよなあ、気になるよなあ……」

 

 独り言のつもりだろうか。丸聞こえなあたり、少し気が動転しているのかもしれない。女は苦し気に目を閉じ、眉を八の字にして、うんうん唸っている。

 

「あー。なんだ、あれだ、その…………」

 

 ややあってから──女は『ひらめいた』と言いたげに表情を輝かせた。

 

「そう! 私はこの森の管理人をしているんだ」

「管理人……」

「冷静に考えてみるといい。少なくともこの国とて『国』という組織のひとつだ。書類仕事をする者や、土地の管理をする者も必要になる。うん、すごく筋が通っていると思わないか?」

 

 自分に言い聞かせるみたいに言うんだな、この人。

 

「……なるほど。すごく筋が通っていますね」

 

 ローロを見つめる女の青い瞳には、なにか無理を押し通そうとするような勢いがあるように思える。だが、確かに、とローロは頷く。

 メフトとの生活の中で、国主たる魔王が私室で書類仕事を時折しているのを、ローロは知っている。大抵は他国からの書簡にサインをして返送しているだけのようだが、少なくともそういった『国』としての業務があるのだ。土地の管理人がいたっておかしくはない。

 

「だろう? だろう? うん、だろう?」

「……三回も同じ言葉を使うんですね」

「まあ、はは、いいじゃないか別に」

 

 ふむふむと少女が納得の様子を示すと、途端に女は安堵の息を吐いてみせた。腰に手を当て、幼子をあやすような微笑みまで浮かべている。硬い口調の(ひと)だが、歳相応に気安い性格をしているのかもしれない。

 

「そういう君も、どうやらこの国で生活しているようだな?」

「……尋ねてばかりで失礼しました。ローロです。ローロ・ワン、16歳」

「よろしくローロ。私はティアレスだ」

 

 名乗られたのだから名乗り返す。そういう当然の礼儀を、慣習として身に着けているのだろう。

 しかし。

 

「ティアレス・ティアラ・ホルル────あっしまった」

「『あっしまった』?」

 

 本名を言い終えて直後、なぜか女……ティアレスは頭を抱えていた。

 明らかに自身の失態を苦慮する態度に見える。本名を名乗ることの何が『しまった』なのか、ローロにはまったく分からない。

 

「い、いや。なんでもない。気にするな。はは、…………はあ、私はとことんだめだな……」

 

 言い繕っているのか独り言なのかいまいちはっきりしない。

 ローロがじっと見上げる先(メフトよりも背が高いティアレス相手だと、首を少し曲げる必要があった)、話をごまかすようにティアレスは顔をそむける。

 

「この森には肉食動物が多い。……君のように見目麗しい少女が一人で出歩くのは、感心しないな」

「……」

「ん。どうした、そんな不思議そうにして」

「いえ。見目麗しいだなんて初めて言われたので」

「そうか。君ほど目を引く容姿なら言われ慣れていると思うんだが」

 

 からかわれているのだろうか。

 ローロが困惑した様子で瞬きすると、ティアレスは少し曲げた膝に手を当て、にこりと笑い顔を浮かべる。子供扱いされているが、歳はメフトと近いはずだ。さほど年齢差はないと思う。ただ、凛々しい顔をした人だが、笑うと素敵だとローロは素直に思った。

 しかしそんな女の表情もすぐに凍り付いてしまう。

 

「先ほどから気になっていたんだが、君はこんなところで何をしているんだ?」

「今はこの国でメフトさまに仕えています」

「へえ」

 

 決して女が表情を崩さず相槌を打つのを、ローロは確かに見上げていた。表情は崩さなかったが、ぴくりと小さく震えた、彼女の両肩も捉えていた。

 

 ・──『メフトさまの』『名前に』『反応した』

 

「じゃあ、同僚ってことになる、のだろうな」

「はい。そのようです」

「……とにかく今日はもう城へ帰るといい。私も、これで失礼する」

 

 言うが早いか、ティアレスはくるりと踵を返し森の奥へ……城の反対方向へと進んでいく。驚くべきことに森の中にあっても、彼女の足音は一切無かった。

 木々の合間に姿を消した、特徴的なメイド服姿の、背が高い(ひと)

 

「ティアレスさまは……どうして【強化】魔法を使えたのだろう」

 

 ローロは呟く。呟きつつも、彼女の提言に従って、同じように城へと向き直る。

 歩きながら考えた。

 あの、ティアレスが見せた亜音速の斬撃を──その走行速度を。 

 

 ・──『あれは』『間違いなく』『【強化】魔法』

 

 膂力強化の魔法群は総称して【強化】と端的に呼ばれることが多い。さして努力せずとも扱えるため、軍人であれば誰もが程度の差こそあれ扱える簡易な部類の魔法。

 しかし亜音速域までの加速を許すほどの膂力強化となれば話は別だ。尋常でない才能と、圧倒的な量の魔力が必要になる。

 ──古代より、英雄と評される戦士の全ては、【強化】を極めることを至上とした。

 超大規模火力魔法を広域展開し戦場を支配した“魔法使い”を、その魔法展開速度よりも早く強襲・殺害するために。

 戦いに必要なものは己が肉体、そして鍛え上げた鋼の魔法。最後に、決して折れない剣があれば良い、と。  

 【強化】魔法至上主義者──たった一つの魔法を鍛え続けた果てに戦略(・・)兵器(・・)級の(・・)膂力(・・)を獲得した者達を、1900年代の誰もがこう呼ぶ。

 

「“騎士”がどうして……森の管理人を?」

 

 間違いない。

 ティアレス・ティアラ・ホルルと名乗った、何故かメイド服を着こなす長身の女性は“騎士”だ。

 騎士──その言葉はローロの脳裡にひとつの推測を与える。

 

『それでも本契約を結ぶのであれば、契約者は世界を支配する魔王より直属の『騎士』に叙任される』

『ふーん……そ。しかし今回の騎士はあなたみたいな女の子なのね。ふうーん……』

 

 まさか。

 

「前任の、騎士とか……?」

 

 

 

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