主従の間に芽生えてしまった歯止めの効かない愛情は光をも割断する 作:てりのとりやき
目を覚ます。
体を起こす。
息をするよりも先に思い出す。
メフトの顔。私が作った悪魔。黒く、そして白く、凄絶に非現実な魔なる女王。
……大丈夫。
まだ憎めている。許せていない。怨嗟を抱えていると認識できる。
私は私の憎悪によってローロ・ワンにメフトを殺させる。──うん、大丈夫。
1907年。
私は今日もあの女を憎むところから一日を始める。
◇
ローロ・ワンが魔法で自分の指を切り落としたらしい。それを戦災孤児のアル・ルール……アルちゃんが完全に復元してみせたのだという。
「母さん、まだじっとしてないといけない?」
「黙りなさい」
「……」
ローロ・ワンは本当にどうしようもない愚かな子供だと思う。考えるだけで虫唾が走る。
けど、私の復讐のためには死んでもらっては困る。アルちゃんが治癒系魔法で復元した小さな小指がローロ・ワンの肉体に悪影響を及ぼさないとは限らない。徹底した調査は必要だった。
「……」
「……」
屋敷のリビング。まともに掃除しないから埃まみれに乾ききった室内。椅子に座らせたローロ・ワンは少しだけ落ち着かない様子で、だけど言いつけ通りにじっとしている。私は私の因子を継いだ淡い紫の瞳を出来る限り見ないようにして、ローロ・ワンの小指に対し、魔法を用いた構造解析を続ける。
「……驚いた。本当にアルちゃんが指を作り直したのね」
「うん。アルがね、魔力を出して、必死になって治してくれたんだ」
「おまえに聞いてないわ。黙っていなさい」
「……」
アルちゃん。
私の親戚の親戚の親戚の……ほとんど赤の他人としか言えない遠縁の夫婦が、故郷で起きた紛争から逃げ出し私に託した孤児。二人はこの土地へたどり着いてほどなくして死んでしまった。病に衰弱。
アル・ルールに、最初はさほどの価値を感じていなかった。戦災孤児という孤独の身の上だからこそ幾らでも自由が利く実験素体くらいにしか。
しかしまさか治癒系魔法に
「とんだ拾い物になったわね」
治癒系魔法の使い手が限りなく少ないことを私はもう知っている。
ありとあらゆる魔法の行使が可能であり、『いける』と思ったことは『できる』──私のような魔法に愛された者はこの世にほとんど居ないのだ。
「アルちゃんには治癒士になってもらいましょうか」
「うん。私もそれがいいと思う」
私の計画上、私が表舞台に立つことは出来ない。これまでの計画では、まだ残っている領民の一人を攫い、脳を魔法で弄り、『マギアニクス・ファウストの一時的継承者』として私が望むように世界を導いてもらうつもりでいた。
「あの子にはこれから色々な魔法を植え付けないといけないな……」
計画通りに事が進むなら、私はローロ・ワンを士官学校に入学させる頃に死ぬことになる。
他の誰でもないローロ・ワンによって殺される。
けど、それでいい。
後のことはすべて私を完全模倣した魔法創造型魔法が引き継ぐ。魔法創造型魔法による人格複製、そのための資料は今目の前にいるローロ・ワンが、【シナプス代替魔法】が全て私に与えてくれた。
「アルに母さんが魔法を教えるの?」
ローロ・ワンを構築する【シナプス代替魔法】の構造解析はこの三年で完了している。
あとはローロ・ワンに絶対命令権を持つ魔法創造型魔法を植え付け、一定条件で開花する私の複製体をそこに格納すれば良い。そこまで行けばあとは時を待つのみだ。これまで『マギアニクス・ファウストの一時的継承者』を立てることで予定していた諸々を、アルちゃんに行ってもらえば計画はさらに押し進められるだろう。
アルちゃんは治癒系魔法に天賦の才があるから、世界的な政財界とのつながりを容易に得られる。そう育て、仕向け、世界の先々で私の目的を果たすための指示を強制させる。
「具体的な手段はまだ計画を立てていないけど、……そうね、馬鹿みたいな契約書でも作らせようか」
騎士になることを強制させられた少女が飛びつきたくなるような契約の枠組みでも。
「強制的に芽生えさせた愛情がきっとメフトを苦しめる。とことん苦しめばいいのよ。お前の罪がお前を追いかけてきただけなのだから」
「メフトって誰?」
おまえが殺すことになる悪魔。
……そう、メフトにはいずれ世界を支配する立場になってもらうのだ。あの女の動向は小動物に寄生させた複数の監視魔法で常に把握している。今はどうやら私の真似事をして、自分の娘を作ろうとしているらしい。
それも、自分と同じ魔法創造型魔法として。
「馬鹿な女ね。失敗しか出来ない癖に」
私が手を加えるまでもない。
断言しよう、
私が作った悪魔はいつか魔なる王として世界を治めるだろう。
そして、そんなメフトにローロ・ワンが出会ってさえしまえば、私の復讐はいずれ果たされることが確定する。
ローロは何をどうやってもメフトを殺すことになる。
愛は、ただそれだけで呪いになりうるのだから。
「もういい? アルと一緒にお料理したい」
「……」
……ついでに、小指だけじゃなく全身もチェックしようか。
ふいの思い付きで私は魔法の範囲を幼子全体に広げる。そして──。
・──『おかあさん』『目があわない』『ね』
ローロ・ワンではない何者かの自意識。
生体脳が生み出す、神経電位信号の振幅。
──魂、が。
そこに。
私は、見てしまって。
「………………………………………………………………………………………………マギステルシア?」
「? 母さん、それ誰?」
見た。
精緻なつくりの顔。柔らかな容姿。まるくて、父親に瓜二つの可愛らしさ。きっと可憐な少女に育ち、やがては美しい女に変じる。
「嘘よ」
目が合った。
淡い紫の瞳。月光を受ければ無限に輝き続ける銀の髪。うっとうしいくらいに伸びている髪は私が切ろうとしないから、少女もまた切るつもりがないから長く、だけど艶を光を失わない。
「二年前……解析を終えた頃はまったく活動してなかったじゃない」
私は魔法をさらに発動した。
何度確認しても結果は同じだった。
・──『わあ』『目があった』『!』
・──『うれしい』『!』
複雑な色彩。神経たちが奏でる意思の濃淡。
彼女は、見ていた。
彼女は、喋っていた。
彼女は、感じることも、思うことも、赦されていた。
動いている。
脳が。
マギステルシア・ファウストが生きている……!!
「成長、して、るの? マギステルシアが…………私の、娘が……?」
あり得ない話では、なかった。
あまりにつるりとした脳。機能することのない構造。生まれついての異常、不治の病。
生まれた直後から私の娘に心はなかった。ローロ・ワンが私の娘から全てを奪った。
医学はマギステルシア・ファウストに敗北した。
魔法でさえ、私の娘を救う手立てを生み出せなかった。
「……。……………………嘘よ……」
だが──本来死ぬ他なかった生体脳がその肉体を代替魔法脳によって操作されることで、成長できるだけの時間を、外界刺激を得られたなら……。
「じゃあ何? メフトが正しかったとでも言うの?」
何度でも思い出す。
何度でも繰り返す。
朝。目を覚ました時。夜。眠る時。昼。何かを食べる時。
私の手。
何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も洗ったって削ったって切り落としてもこびりついて離れない二歳児の首を絞めようとした感触が私の手からは一生離れてなんかくれない私は私の娘をあの時どうしてもそれしか。
『マギア。これがあなたの幸せだったの?』
ブチッと頭が弾けた。
「あハっ」
唇が裂けて、壊れたみたいに勝手に笑ってしまう。
「
……マギステルシアが生きていて、ローロ・ワンと共生関係にあったとして。
ローロ・ワンを通して娘が私を見ていたとして。
復讐を止めるべきだと?
憎悪の装置として娘を酷使する計画を今更諦めろって!?
「何を……! 何を! 今更! ──アハハ! ウフっ、ウふふ!! アッッッ────ハハハハハハ!!!!」
「母さん?」
ローロ・ワンから離れる。近くに居たくなかった。視界になんか入れたくなかった。
私は震える体を引きずって部屋を後にする。自分の書斎に引きこもり、扉を閉じた。
映るのは魔法関係の論文ばかり。
メフトという悪魔を殺すためにかき集めた妄執の結実。
「……! ────!!!!」
吼えた。
言葉にならない絶叫を止める者がここにはいない。
◇
なぜ、私は食糧を作るのだろう。物質化魔法で、どうして貨幣を作るのだろう。
自分の食生活にも興味がないというのにローロ・ワンの衣食住を維持する理由は何なのだろう。
マギステルシア。
私の最愛。私の全て。私の過去。
奇跡のようだった涙色の花は私の過去にしか咲いていない。
「……」
気付けば夜になっていた。机一面に広げた研究論文を読むことにどうしようもない徒労があって、両肩に伸し掛かる重みを痛みと混同するほど疲れていた。
私は書斎を出る。
喉が渇いたから水でも飲むつもりだった。……だというのに、足は台所へは向かわなかった。
マギステルシア・ファウストのために用意した私室の扉を、いつの間にか私は開いている。
「……」
「……ローロぉ……」
「んん……重い……」
女の子が二人、部屋の中にいた。
同じベッドで眠る子供たち。仲の良い姉妹みたい。
9歳のアルちゃんは、まだ5歳のローロ・ワンに甘えるように抱き着いて眠っている。ローロ・ワンの表情が苦し気に曇っていて、小さなおでこには似つかわしくない眉間の皺。──ふと、その額を撫でようと体が動き。
「……」
伸ばした腕を、私は止める。
この部屋の中で息をすることは許されない気がした。
「……」
すやすやと眠る少女の顔を見る。瞼を閉じた幼子を見つめることは、何故だかとても簡単だったから。
あそこにいるのは私の娘なのだろうか。
それともメフトの……?
わからない。
わかるはずがない。
「おかあさん……」
「…………………………」
私は……自身の復讐のためだけに、マギステルシアを酷使しようとしている。救う手段を模索するために、娘の命も自分の時間も、使う気がない。
「お料理……食べてね……」
「……お願いだから、黙ってよ」
マギステルシア。
あなたはいつまでも私の妄想の中にしかいなくていい。
あなたの笑ったときの声も、顔も、何もかも私の頭の中にだけあればいい。
何度願った?
何度夢見た……?
あなたを。あなたを抱き上げること。あなたが泣くのを優しくあやすこと。とっても小さなあなたの背中を撫でることだって!
ローロ・ワンは泣かなかった。
抱擁を求めなかった。
生まれた瞬間から賢くて、泣くことなど一つもなくて。
私に母親であることを求めなかった。
子育ての苦労なんか今まで何一つなかった!!!!
「決めたのよ」
どれだけ似ていても、どれほど愛くるしい顔でも、あそこにいるのは……メフトの……!
悪魔の娘でしかない!!
「私は決めた。私は決めたッ。私は決めた……!」
憎め。
奪われた痛みを忘れるな。
祈れ。
あの子のための情念を失うな。
──何故祈る?
──なぜ憎む……!
「お願いだから……黙って……考えないでよ……」
私は扉を閉じて、ずるずるとその場で崩れ落ちる。
頭を抱える。掻きむしる。
蹲る。
流れる涙を拭う者はいない。
私に触れる者がもうどこにもいないことを私は知っている。
「あなた。マギステルシアがね……生きてた。生きてたのよ」
私にはこの道しか残ってない。
「まだ間に合うのかなあ? まだやり直せるのかなあ……?」
独りで歩くこと。
殺し合うこと。
憎しみ合うこと。
いがみ合い、拒絶して、怒り、恨み、恩讐の果てまで行こうとすること。
平凡な春の宵は死んでしまった。
夕暮れを、せめて娘と並んで歩くことすら私は放棄した。
「……………………だめなお母さんで、ごめんね」
私は母親失格だった。私は結局、母親にはなれなかった。
なぜ憎むのか。
……耐えきれないからだ。
なぜ祈るのか?
──縋らなければ息もできないからだ!
「馬鹿な女でごめんなさい……。許さなくていいから、一生恨んでくれていいから……」
……私は呼吸なんか要らない憎悪の塊に成りにいく。
それでいい。
そういうマギアニクス・ファウストで、いい。
「さようなら。マギステルシア」
私は私の闇を行くわ、メフト。
誰に許しを請うものでもない。
私には私だけの神がいる。
この暗がりは私だけのもの。おまえにもくれてやらない。
だから……メフト。おまえはおまえの暗黒を歩めばいい。
失敗の重み。
過去への苦痛。
何もかもがきっとあなたにもわかるときが来る。
「……殺しなさい、ローロ・ワン。愛は普遍的な呪いなんだから」
私は嗚咽と共に立ち上がる。
涙を拭うこともせず、暗い廊下の奥へと行く。
◇
1913年。マギアニクス・ファウストはかつての決意通り全てを成し、四つの遺言を残して死んだ。
彼女が何故ローロ・ワンによる絞殺を自身の終末として選択したのか。
それを知る術はどこにも無い。