主従の間に芽生えてしまった歯止めの効かない愛情は光をも割断する   作:てりのとりやき

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16日と5時間31分後である

 

 朝からとっても良いものが見れた! 

 とホクホク顔の少女が朝食の準備を終え、幾つかの皿を載せたトレイを台所から直結のリビングへと運んでいく。

 四つの椅子で囲う手狭な食卓。椅子の二つを埋める女達が深刻に落ち込んだ様子で項垂れている。

 

「朝から最悪の気分だ」

「同感よ」

「そうですか? 私としてはとても珍しい光景で満足なのですが」

 

 恨みがましい上目遣いが青と黒で二人分、少女へと向けられる。

 二月──冬の朝であっても『涼しげ』という言葉の似合う顔立ちのティアレスが、ぷくうっと頬を膨らませてせっかくの美人を台無しにしていた。

 

「ローロ。ちょっと恨むぞ」

「ごめんなさいティアレスさま」

 

 ティアレスとメフトは相変わらず仲が悪かった。

 アルの実家で共に暮らしだしてから既に二年弱が経過している。マギアニクス・ファウストの襲撃を警戒して寝食を文字通り共に過ごしているのだから、多少なりとも関係は改善するのではないか……などという淡いローロの期待が叶ったことは今の所あまり無い。

 

「はーぁ。せっかく気持ちよく寝てたのに、どうしてティアレスみたいなムキムキ女に抱き着いてたところで目を覚まさないといけないわけ? 私、柔らかくて丸いものにくっついてたはずなんだけど」

 

 と、肩にかかる黒髪をさらりと払いながらメフトが煽ると。

 

「ああん? 私だって夢の中じゃふわふわの綿菓子を抱きしめてたはずなんだがな。なんでお前みたいな食いでのない女なんか抱き締めなきゃいけないんだ」

 

 などと、右手で中指を立て、左手は親指を下に突き立てるティアレスが煽り返す。

 

「なにそれ。私がまるで痩せっぽちみたいに聞こえるんだけど?」

「事実だろ。もっと肉を食え肉を」

「……お尻バキバキ女」

「黙れ尻も胸も薄い貧相女」

「……」

「……」

「無言で睨み合っても喧嘩をしないくらいにはお二人とも仲よくなれましたよね!」

 

 まあ、昔ならば殺し合いに発展していてもおかしくない状況で、ちょっとした口論だけで済ませられる程度には同棲生活に慣れてくれている。それがローロには嬉しい。

 何にせよ朝食だ。今日の当番だったローロが拵えたサラダとスープ、パン。四人分の配膳を済ませようとトレイを食卓に置き、それぞれの皿を左手で持ちあげた瞬間だった。

 

「──ぁっ」

 

 言うのと同時、少女の左腕は糸が切れたかのように力を失い、その五指で持っていた皿ごと床に落ち──予知でもしていたのだろうか、危なげなくメフトが皿を掴んだ。

 おかげで皿の中にあったパンは無事だ。ほっとローロが息を吐いて、皿を卓上に置いたメフトへと頭を下げる。

 

「ありがとうございます。メフトさま」

「気にしないで。私の方こそお喋りに夢中になりすぎててごめんなさい」

 

 ティアレスとメフトがローロの代わりに配膳を済ませてくれるのを、申し訳なさそうに見つめる他ない。左腕──厳密に言えば、人の腕を模して作られた球体関節と骨に似たフレームによる義腕──は、重力に従う形ですとんと落ち、滑らかに揺れている。

 ローロ・ワンの左腕は根元から消失していた。

 母、マギアニクス・ファウストとの戦闘において、極限の力を求めてローロは【質量転換(マスコンバート)】を発動した。自身の肉体を膨大な魔力に変換する禁術は、代償とした肉体部位の復元を許さない。

 代替として用意した義手は、原理不明の動力によって少女の意志を忠実に再現していたが問題も多かった。

 

「二年近く経つのになかなか慣れません」

「仕方ないわ。ローロは今まで無意識化で行っていた腕の操作を、自意識の領域で行っているんだもの」

 

 自身の肉体を、完全な自意識のみの領域で扱う生命はこの星に存在しないのだとメフトは言う。唯一の例外となってしまったローロは義手に対し常に『人の左腕らしい動き』を指示し続けなければならなかった。それは肩、肘、指、全てに対してである。

 ふとした瞬間にその指示が途切れると、それだけで義手は失神でもしたみたいに動かなくなり、自重で垂れるだけのでくの坊になる。

 

「それ、動力とか操作に魔法を使ってる訳じゃないんだろ? いつ見ても不思議な義手だよ」

「私の願った形がこれということなんだと思います。もう少し自由が利くといいのですが、私にも私自身を制御しきれるわけではないようです」

 

 正直言って不便で仕方がない義手だが、それでもローロはこの腕を使う必要があった。

 それに、悪い事ばかりというわけではないのだ。

 

「いいのよ別に。だって、こうして私がローロの食事を手伝う事もできるわけだし」

 

 などと得意げな顔になってスプーンを手に取ったメフトが、さっとスープをひと匙すくう。片手で零れないように配慮しながら彼女が満面の笑みをスプーンと共にこちらへと向けた。

 

「ローロ。はい、あーん♥」

 

 感じる。『♥』を……! 

 語尾に♥が浮かぶくらいべったべたに甘い声音だったことは間違いがない。そしてそれを独り占めできるのが自分だけなのだという高揚感が胸から全身を満たしていく。少女は脳の全域で幸福を覚え、流されるがまま口を少し開けた。

 

「ぁ、あーん……」

 

 すこしだけ控えめな口元にさっと差し込まれるスプーン。ローロには金属製の食器を伝って最愛の人の指がもたらす熱を舌上に感じた。幻覚だが、味わったことのあるものでもあった。スープを呑み込むまでメフトの指が動いていないことが、舌と口裏の感触で分かってしまう。顔を赤くしながらこくりと喉を鳴らし、口を開け──かち、かち、と少しだけ歯に当たりながら抜かれるスプーン。

 

「……」

「……」

「……はあ」

 

 首に薄く汗を浮かべるほど真っ赤になった少女と、朱に染めた頬を誇らしげに緩める女。二人の視線がじっくりと混じり合うのを見ていたティアレスがややわざとらしい溜息を吐くのでさえ、二人には気にならなかった。 

 

「自分で作っておいてなんですがとってもおいしいです。メフトさまのおかげで美味しさも数倍跳ね上がっています!」

「そ? ならよかった」

「……朝から仲睦まじいのは結構だが人目をはばかってもらいたいな!?」

 

 熱気さえわだかまりつつあった室内の雰囲気を飛ばすつもりでか、ティアレスが変に上ずった声で咳ばらいをする。普段なら冷涼に笑みを刻む頬は少しだけ赤い。

 

「それこそ今更じゃない?」

「そういう問題じゃない。もっとこう、時と場合というものをだな……」

「前時代的なのねあなた」

「慎みを持てと言ってるんだ!」

「つ、慎み……なかったですか?」

「いや、ローロでなくて……。メフトおまえだぞおまえ。おまえがちょっと開放的すぎるんだ」

「ふーん。そう」

「あっ! こいつ反省してないな」

 

 二年弱という時間を、メフトとローロは相思相愛で過ごしていた。メフトが自身の過去とその罪を告白したあの日、二人で手を繋ぎ合って部屋から出てきたことが明確な宣言になった。

 ティアレスが二人の関係自体に口を挟むことはない。それは同性同士の恋愛に対する理解というよりは、この二人ならばそうなるのだろう、というような納得の部分が大きかったのかもしれない。

 そしてティアレスが二人の熱愛ぶりに異論がないように、今ここに居ないもう一人の同居人も──。

 

「ただいまー」

「アル!」

 

 扉を開く音と共に、のんびりとした声が玄関から。ローロが跳ねるように廊下へ移ると、そこには背中の中ほどまで伸びた緩く膨らむ栗毛と、翡翠にも似た青の瞳をした女がいる。

 アル・ルール。ローロの四つ上の幼馴染であり、この家の持ち主でもある。

 

「おはよう。今朝からいなかったけど散歩?」

 

 浅く微笑(わら)いながら柔らかい言葉をかけると、女はそっと視線を逸らしながら頷いた。

 

「まあ。そんなとこかな」

「朝食の準備できてるよ。……一緒に食べよう?」

「あ。うん」

 

 決してこちらを直視することなくアルはリビングへと向かう。ローロもまた彼女を追った。

 

「やっほーおはよう先輩、魔王さま。朝からなんか元気そうだね?」

「んむ……聞いてくれ後輩よ。メフトが私に抱き着いてきたんだよ」

「その言い方は語弊を多く含んでる。正しくはティアレスが私に抱き着いてきたのよ」

「うーん。仲良しだねえ本当に」

 

 椅子に座りながらアルがニコニコと笑い、目の前に並べられた食事へと手を合わせた。実に自然な流れ。自然な所作。 

 ……まるで。

 まるで、先ほどの会話にあったぎこちなさなんて、最初から存在しなかったみたいな。そういう扱い。

 

「? ローロ、早く一緒に食べましょう? 私が食べさせてあげる」

「……いえ。もう腕も動きますから。自分で食べられます」

「そーなの? 残念」

 

 アル・ルールの実家はさほど大きなものではなかった。少なくともかつて四人で生活を共にしていた、『国民なき国』の居城よりは遥かに。

 狭いリビングだ。

 小さな食卓だ。

 四つの椅子で囲めば、主食と主・副菜とを盛った皿を並べるだけで机の上はいっぱいいっぱいだった。

 手を伸ばせば簡単に誰かの腕に触れてしまうほど身を寄せ合わせる他なかった。

 

「んむ。今日のパンは中々上出来じゃないか」

「それ私が昨日焼いたやつね」

「ふん。……おまえもずいぶん料理の腕が上達したな」

「そーね」

「先輩、ジャム取って」

「はいどうぞ」

「ありがとー」

 

 二年近く前、この場に居る全員がマギアニクス・ファウストによって帰るべき場所を一斉に失った。それぞれが抱えていた恩讐も、憎悪も、大義も、全ては転換点を迎えざるを得なかった。

 

「ローロ。どうした? 食欲がないか?」

 

 共に暮らそうと言い出したのは……誰だったか。

 棄てられて久しい、人気の絶えた土地。マギアニクス・ファウストが生まれ、メフトが創り出させ、ローロ・ワンが生み出され、アル・ルールが仮初の愛情を植え付けられ、ティアレスが両腕に致命的な損傷を負った廃領。

 四人でひっそりと暮らす時間に、この土地に、不便こそあれ不満はなかった。

 

「いえ。少し考え事をしていました」

 

 もう間もなく刻限を迎えるまでの仮の宿だとしても、亀裂の走った関係のままで過ごす幼馴染がいても、この四人で共に過ごせる時間をローロは否定したくない。

 失いたくないものがここにあるのだと、口に含んだパンとともに噛みしめる。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 二年も経つと生活にはルーティーンが生まれる。朝食を済ませると各々が各々の仕事に取り掛かるため家を出るのもそうだった。

 

「じゃ、昨日仕掛けた罠の様子を見てくるよ」

「お昼はいつもの場所でよかったですか?」

「ああ。よろしく頼む」

 

 手を振るティアレスが背嚢ひとつで付近にある森へと出かける。ティアレスは『国民なき国』にて森で暮らしていた経験から、猟師のように振舞っていた。定期的に彼女が仕留める鹿や兎は四人の重要な食糧源だったし、人が食べられる山菜の知識も大いに役立っていた。

 マギアニクス・ファウストとの戦闘で右腕を断裂し、左手は神経系の奥深くまで破壊されるほどの重傷を負ったというのに、ティアレスの歩く後姿にかつての怪我は微塵もない。

 

「じゃあ私も畑に行くから」

「はい」

 

 メフトはと言えば、二年以上前から続けていた農業の腕を大いに振るっていた。手入れのされていない畑を幾つか耕し直して、短期間で収穫が可能な野菜を育てている。凄絶に美しく、人智のかけ離れた魔法創造型魔法であり、厳密に言えば不老不死にあたるメフト。彼女がそれでも我を貫き通して人であるために繰り返した生活の基盤が無駄になることはなかった。

 

「……あ、そうだ、忘れてた」

 

 ティアレス同様、手を振って家を出ようとするメフトが不意に思い出したと近寄ってくる。

 そして──くい、と顎を持ち上げられたかと思うと。

 

「…………ん」

 

 視界いっぱいに、目を瞑る色白な女の顔があった。

 努めて抑えられた呼気、その中に甘い花の香り。長い、真っ直ぐなまつ毛。真珠のような肌艶……。

 浅く唇同士を重ね合わせる時間はさほど長くなかった。だが、気付けば酸欠になったみたいにローロは肩で息をしている。

 

「今日はまだ一回もしてなかった」

「……。……急にされるのは少し恥ずかしいです」

「二年経っても?」

「二年経っても、です」

 

 してやったりとメフトが笑う。笑って、少し詰るように見つめる淡紫の上目遣いをじっと見つめ──。

 数秒だけの無言。

 だけど離れた距離を、また詰めて。 

 

「またあとでね、ローロ」

 

 メフトの黒い瞳は愛情で蕩けたように緩々と弧を描く。今度こそ彼女は家を出た。

 玄関口にある静かな時の流れに、浸るようにローロは佇む。閉じた扉をぼうっとした眼差しで見つめながら。

 するとローロの自意識にないところで左腕が(・・・)勝手に(・・・)動き(・・)、その光沢のない鈍色の指先が自身の唇を撫でた。

 その動作に、ローロは慌てて左腕を意識して元に戻す。

 

「わ、わかってるけど。そういう気持ちだっていうのは。こういう時に勝手に動くのはどうにかならないのかな」

 

 少女が赤い頬を落ち着かせるために何度か深呼吸をしていると、

 

「……朝から本当に仲がいいね」

「わぁっ」

 

 ──廊下の奥からぼそっとした一言。

 慌てて振り返ると、呆れかえった様子のアルがこちらを見ていた。ちょうど廊下の曲がり角に、腕組みなどしてもたれかかって立っている。

 

「み、見てたの?」

「まあ」

「いるなら言ってよアル……」

「邪魔しちゃ悪いかなって」

 

 素っ気ない言葉に動揺を落ち着かせたローロは、体の向きをアルへと正す。

 

「アル、あの……」

「掃除してくるね」

「あっ。なら私も手伝うよ」

 

 咄嗟の動きで左腕が持ち上がった。差し伸ばすように、五指が広がり、アルへと向かう。

 人体とは完全に異なる鈍い色の義手をちらと見たアルは首を横に振った。

 

「いいよ、家の中のことは私に任せて」

 

 決して遠くない位置の曲がり角。

 アルが自ら近寄ってくることはない。今も、二年前から続く今までも。

 きっと──これからも。

 

「ローロにはもっと大事なことがあるでしょ」

 

 言って、アルは廊下の奥へと姿を消した。言った通り家中を掃除するのだろう。住みやすい環境を整えるために。

 メフトとティアレスが食糧調達を。アルが家事の一切を。調理だけは当番制。

 生活は二年も経てば安定する。それぞれが役割を担い、生きることを目的にし始める。

 そんな中でローロだけは明確な役割を持たなかった。

 その理由は常に傍にある。在り続けることをきっとローロ・ワンは願っている。

 一人きりの玄関口で、ローロは意識して左腕を下ろした。球体関節と物理的接合面のないフレーム各部は軋み一つ上げず、滑らかに少女の指示に従う。

 

「……うん。そうだね。でも、私は」

 

 脳の働きを強制できるマギアニクス・ファウストにとって、アル・ルールは都合の良い戦災孤児でしかなかった。ローロ・ワンにメフトを殺させるという復讐劇を成り立たせるための実証実験の被験者であり──だから、アルはローロを愛するよう脳に魔法的改造を受けていた。 

 そしてその改造処置さえも、二年前、アルはマギアニクス・ファウストによって消し去られている。

 愛の名残が果たしてアルにあるのか、ローロには分からない。 

 

「私は、アルと仲直りがしたいんだ」

 

 冷淡というわけでも、拒絶が滲み出ているわけでもなかった。ただただアル・ルールの言葉には、二年前まではローロ・ワンに対して確かにあった愛情がなかった。

 乾いている。味気の無い言葉のやり取りを二年ほど前からずっと続けている。

 そん(・・)な現(・・)状を(・・)変え(・・)たい(・・)とず(・・)っと(・・)ローロ(・・・)は願(・・)って(・・)いる(・・)

 

「──おまえはどうして私の望みを叶えてくれないの?」

 

 ローロは詰る口調で自身の左腕を見下ろした。

 艶のない鈍色の義手はただ静かにローロ・ワンの左腕であることを演じ続けている。

 

「……難しい力だね、おまえは。でも、だからこそ二年も時間をかけて私は私を作り込んだんだ」

 

 不便な義手だった。

 明確に意識して指示を出さなければ動かず、動力源は不明であり、そもそもローロ・ワンの肉体と物理的に接続されているわけでもない。『左腕』の持つ最も大きな球体関節である肩部の球体は、何故かローロの左肩があった位置で浮いているのだ。

 原理の解明を魔法創造型魔法であるメフトでさえ投げた。

 分かっている事実はただ一つ。

 

「ローロ・ワンに、本当ならばできないことは何も無い」

 

 ローロの生物学上の母、マギアニクス・ファウストは少しの反抗的態度にも破滅的報復措置を取る事で世界を支配している。『魔王メフト』の名を借りて、『国民なき国』その唯一の領地である城に居る。

 ……ゆっくりとその場に腰を下ろして、膝を抱えた。『左腕』は実に滑らかな動きでローロ・ワンの左腕らしく振舞い、少女の膝をそっと抱き寄せる。

 見つめる先、光沢のない鈍い色合いは剣身にどこか似ている気がした。

 少女は首を倒して左腕に頭を乗せる。

 横を向いた視界の先には人気のない廊下。

 窓がないために光の差し込まない暗がりを見つめながら、呟いた。

 

「勝つよ。勝つんだ、母さんに」

 

 左腕は、喋らない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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