主従の間に芽生えてしまった歯止めの効かない愛情は光をも割断する   作:てりのとりやき

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16日と2時間11分後である

 

 

 

 魔法創造型魔法【マギアニクス・ファウスト】は、人として受肉した後、かねてからの復讐意志に基づいてメフトを殺すと宣言した。それも直接手を下すのではなく、メフトが創り、マギアが生みだした、ローロ・ワンという二人の恩讐の結晶を利用して。

 存分に愛し合った(メフト)少女(ローロ)が殺し合う事──それこそが復讐なのだとマギアは言った。

 

「二年経っても母さんを殺さなければ、母さんは恐らく私を襲い、私の自己意識は破壊される……」

 

 愛し合う時間には刻限が与えられていた。それ以上を望むのならローロは、メフト達と力を合わせ母親を殺さなければならない。

 実の母親を殺害することについてローロは既に覚悟を固めている。二年前からの決意がある。

 だが、決意以上に必要なものがローロ・ワンにはあった。

 それは──。

 

「……」

 

 アル・ルールの生家。ローロは四人で共用している寝室に入ると、靴を脱ぎ、ベッドの上で胡坐を掻く。

 閉め切った窓の先から差し込む陽光はなめらかで柔らかい。刺々しい冷気さえ遮断できればもうすぐ春が来るのだと実感させてくれる。

 家事を取り仕切るアルは、正午になるまでに掃除を済ませる。真っ先に彼女が手を付けるのが寝室で、それはこうしてローロが訓練に使うためだった。

 

「気を遣われてるなぁ……」

 

 ティアレスが森で罠を仕掛け、食べられる木の実や茸を集め。

 メフトは畑で穀物を育て、日々の道具の手入れを行い。

 アルが家の中を清潔に保つ。

 ──三人ともが、ローロが『母親に勝つ』という目的のための環境を整えてくれている。その事に確かな感謝を抱きつつ、左肩より先にある義手──『左腕』に指示を出した。

 床と並行になるまで腕を持ち上げ。指はそれぞれが干渉しない程度に緩く広げる。

 球体関節と骨に似たフレームで構成された、鈍色の義手に対し、ローロは呟く。

 

「私は現実を超過しなければいけない」

 

 言葉と同時。

 接合なき球体関節と各フレームが解け、バラバラに散った。まるで極めて弱い重力の中にでもいるかのようにふわふわと宙を浮く、指だったもの、腕だったもの、肘関節だったもの、肩関節だったもの……。

 ローロは集中力が高まるにつれ自然と目を瞑っていた。視覚を閉め切った暗黒の中でローロは思考を巡らせる。

 

左腕(・・)は今(・・)3メ(・・)ート(・・)ルある(・・・)

 

 発した音階の意味を『左腕』は正しく解釈する。──瞼を押し上げた時、ローロの右腕同等の長さをしていた左腕は、その全長を3メートルまで延長させていた。球体関節の大きさはそのままに、関節同士をつなぐフレームの長さが伸びている。肩から肘までで1メートル、肘から手首までで1メートル。それぞれの指が1メートルの均等3分割という、言語化しなかった指示さえも完璧だった。

 フレームの太さは変わっていない。ただただ『左腕』を構成する全フレームが、ローロの意志に応じて伸びた(・・・)

 ローロ・ワンは知っている。今しがた起きた現象の全てに、魔力放出が行われていないことを。そして更に言えば『左腕』の伸長は起きても、総重量が変わっていないことを。

 

(現状に疑念を持ってはいけない……)

 

『左腕』が喋ることはないが、つまりそれは、質量保存の法則を無視しているということ。

 少しずつでいい。

 極めて小さな一歩だろうと、ローロは劣悪に強烈な悪意(ははおや)を超えなければならない。

 言い換えるならば、現実を超過した現実の招聘。

 それこそが2年かけてローロが追い求めた力であり、“魔神”マギアニクス・ファウストに打ち勝つべく見出した活路でもあった。

 そのままの状態でローロは左小指から順々に指を折り曲げていく。その細長い指先が部屋の壁紙を傷つけないか心配しながら、自身の指示に従う『左腕』をじっと眺める。

 

「五指動作制御、問題なし。肘関節動作制御、問題なし。肩関節動作制御、問題なし。うん、準備運動終わり……戻っていいよ」

 

 異形の左腕は少女の発言通り、するするとフレームの長さを元の状態に戻した。

 右腕同様にまでなった『左腕』はしかし、ローロの意志によって床と水平状態を維持し続ける。

 もう一度ローロは目を瞑った。

 ここから先の訓練は、単純な物質変化という訳にはいかない。

 

「……」

 

 ──思い浮かべる。

 彼女の青い瞳。涼し気な目元。見た目の印象以上に柔らかい頬と唇。彼女の腕。彼女の鎖骨。彼女の右肩、断裂部、剥き出しの神経、噴き出した血潮、ぐちゃぐちゃになった左腕。

 ──強く念じる。

 形だけは元に戻したアルの言葉がいつまでもローロ・ワンの中には残っている。

 

『ごめん。先輩の両腕、私でも元に戻せない……たぶんあの人が神経系の修復を阻害してる』

 

 かつてそう言われた時、彼女はどんな顔をしていたのか。

 

『そうか。まあ……壊れたなら仕方ないよな』

『ごめん。ごめんなさい』

『なぜ後輩が謝る? 本当なら人の腕の形もしていなかったはずだろう?』

『でも……』

 

 ──正しく祈る。

 “騎士”が、至高の武装と断じる自身の肉体がもう二度と使い物にならないと分かった時、彼女はどうやってそれを受け止めた? 

 

『いいんだ。こんな不出来な腕でも、少なくともローロを救えたんだから』

 

 ──ひたすらに願う。

 後悔なんて何もないと笑ってさえ見せた。

 それを見て、ローロ・ワンは。

 

「広域展開接続、深度上昇……開始」

 

 私はそん(・・)な現(・・)実を(・・)絶対(・・)に認(・・)めな(・・)いの(・・)だと(・・)、二年前、確かに決意したのだ。

 思い返す。

 確かに念じる。

 冷静に祈る。

 真っ直ぐに願う。

 

『……私は城での生活が好きでした』

 

 ──二年前、メフトの告罪を聞き届け、全員が食卓に集まる中。

 ローロはアルによる宣告の後にそう言った。

 

『取り戻したいのです。あの城での日々を』

『そのために……母親と殺し合うつもりかい?』

『はい』

 

 両腕を雁字搦めに包帯で巻かれていたティアレスの問いに、躊躇うことなく頷いた。

 青い瞳を数舜だけ伏せたティアレスはすぐさましっかりとした笑みを見せたのだ。

 

『わかった。なら私は手を貸すよ。と言ってもまったく使えない手だけどな、はは』

『ティアレスさま……』

『こんな私でも君の力になれるかな』

『もちろんです。ティアレスさまが傍にいてくれるだけで百人力、……いえ百億人力です!』

『そんな風に言われると少しこそばゆいね』

『私も戦う。終わりにするわ。マギアとの全てを』

 

 隣に座ったメフトもそう言ってくれたことを忘れていない。細い指が右手を握りしめてくれたことも、握り返した時の熱も。

 そして。

 

『………………私は』

 

 自然、残った一人へと三人の視線が向かったことも。

 

『アル。答えられないなら今答えなくていいんだよ』

『……』

『後輩よ。誰も君を責めたりなんかしないさ』

『でも……私は』

 

 マギアニクス・ファウストの純然たる被害者は誰なのかと言えば、それはアル・ルールだけだった。メフトもローロも少なくともマギアの心を抉る形で存在していたのだし、ティアレスに至ってはまったくの無関係なのだから。

 実証実験の被験者として愛を強制させられ、それさえ掻き消された女。アルは物心ついてからの全てを否定されたに等しい。そんな彼女に一体どうして、誰が共に戦うことを強制できるのか。

 

『あなたの行いのすべてが純粋な情動に裏打ちされていたことを、この場にいる全員が分かっている。ローロがマギアの呪縛から解き放たれたのはあなたの尽力によるものだもの。だからあなたのこれからの選択を私達は受け入れるわ』

『……だけど、だからって……!』

 

 その身の高潔さから助力を誓ったティアレスという訳ではない。

 恩讐の全てに決着をつけるため共に立ち上がったメフトという訳ではない。

 取り戻したい世界のために歩き続けるローロ・ワンでもない。

 

『私は……!』

 

 アル・ルールは俯き、その豊かに膨らむ栗毛の奥できゅっと目を瞑り。肩を震わせ。想像さえできない混濁した感情の中で、悩みきったままに口を開いて──。

 

「…………………………接続、完了」

 

 アル・ルールの言葉の先を思い返す頃、ローロは蜘蛛の巣ほどに細い糸が太くなる錯覚を心の内に感じた。

 動く両腕の感覚がローロ・ワンの頭脳へと広がっていく。同時に集中を増すごとに振り返るようになった、二年前の決意の光景が掻き消えていく。

 自分のものではない両手。自分よりも遥かに大きく、硬く、広い五指。大好きな、世界で最も敬愛する彼女の手──今、ローロ・ワンの神経系は他者の肉体が得る情報を鮮明な五感そのものとして受け取っていた。

 

「今日の罠はひとつも掛かっていないんですね」

 

 独り言だ。

 言葉が空間の振幅を無視して繋がるほど、現実を超えられてはいない。

 それでもローロは目をつむったまま小さく笑い、呟かずにはいられなかった。彼女の──ティアレスの、生々しいほどに鮮やかな肉体感覚に触れることができて、それが嬉しいから。

 なんてしっかりした手指なんだろう。

 大地を踏みしめる足の頑強さ。起伏の強い森の中でもひょいひょいと気軽に歩ける、太い体幹。

 

「いいなあ。私もティアレスさまみたいに背が高くなりたいのにな」

 

 ティアレスが何を口ずさんでいるのか、何を考えているのかまでローロ・ワンは受信していない。

 けれどティアレス・ティアラ・ホルルという人となりが、例えば丸々と育った茸を見れば小躍りでもしそうなほど軽やかに歩近寄ったり、枝の上でさえずる小鳥をじっと眺めるため立ち止まっていたり、収穫なしの罠を見てしょんぼりと肩を落としたり──そういった所作の全てで『わかる』のだ。

 

「………………………………接続速度よし、感度よし」

 

 瑞々しく鋭敏な感性。世界最高峰の“騎士”が持つ肉体のすべて。

 ローロ・ワンが触れているのはどれだけの金銀財宝を積み上げても得られない、“騎士”としての立ち居振る舞いすべてだ。

 

「よし。今日の訓練、終わり──」

 

 十分にティアレス・ティアラ・ホルルとしての五感情報を吸収し終えたローロは言葉で『左腕』に命じ、言い切るのと同時にティアレスからの単方(・・)向身(・・)体感(・・)覚拡(・・)張展(・・)()が終了する。

 瞼を上げた。

 壁に立てかけられた時計はそろそろ昼時であることを告げている。

 ベッドから跳び出して、靴を履きながら呟いた。

 

「ティアレスさまにお弁当を持っていかないと……」

 

 アルの生家でのローロの役割は、『母に勝つための訓練』だ。

 けれどそれと同じくらい、ティアレスに昼食を届けることもローロの大事な仕事のひとつだった。

 何故ならローロ・ワンは二年前からティアレスの居場所が分かるのだから。

 ティアレス・ティアラ・ホルルがどこにいても。

 何なら――星の外にいたとしても。

 

 

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