主従の間に芽生えてしまった歯止めの効かない愛情は光をも割断する 作:てりのとりやき
メルツェル。
君は魔法存在だから、人が持つ痛覚というものがよく理解できないかもしれない。
殺し合いに尋常を置く“騎士”として生まれた私は、幼い頃から苦痛への耐性を持つよう矯正された。一つ間違えれば死ぬような『教育』は、私の神経を鈍くするためのものでもあったのだろう。
そんな、痛みに対し矯正を受けた私でも堪えられない痛みの種類というものがある。顕著なのが四六時中続く痛みだ。
10歳ぐらいだったか。
私は気付くと、覚醒中は常に全身が痛むようになってしまった。
骨という骨、筋という筋、神経という神経、内臓という内臓……すべてが致命的な棘でも持っているみたいだった。本来は柔らかいはずの細胞がすべて刺々しい結晶にでもなったみたいで、節々を曲げるだけで、息をするだけでも目眩がするような、痛覚が上げる悲鳴の連続。
壊され過ぎた神経が狂ったのかもしれない。
難にせよそれが13年前から今の今まで続く私の日常だ。
「メフトぉー……」
「なーに?」
とはいえそうなってすぐの頃はさすがに辛かったな。
「痛みを取り除く魔法とか……ないのかよ……」
「探せばあるでしょうけど。でもあなたじゃ使えないと思う」
「だよなあ……」
いつもの『教育』の後。場所も、またいつもの屋敷の裏庭、日陰の中。
【強化】の出力は凄まじいのに制御が雑だったあの頃の私は、剣の柄を握る手に力を込めるだけで手指の骨を砕いてしまうほど未熟だった。そのまま振り抜けば五指は簡単に曲がってはいけない方向に捻じ曲がる。
そういうわけで左手五指の爪先が手の甲に触れるほど曲がっているのを、右手でバキボキと元に戻しながら話をしていたと思う。
「そんなに辛いの?」
「生きるのって大変だよな」
「……」
同じ侍女服姿のメフトは、私のしかめっ面を見て何かを考え込んでいた。かと思えば一言もなくその場を離れ、次に戻ってくる頃には何やら薄紙を細長く丸めたものを一本、手に持っている。
「ん」、とあいつは私にそれを差し出した。
「はいこれ」
「なんだよ、それ」
「煙草って言うの」
「たばこ?」
「知らないの?」
当時の私に知る由はなかった。屋敷の外へさえ出たことがなかったのだから。
私が屋敷を出、初めて付近の街の市場へ行ったのはメフトに連れられてだ。
「火をつけて」
「はあ」
「口にくわえて」
「んむ」
「煙を吸いなさい」
「すー」
「鎮痛作用があるから」
「ぷー」
肺まで異物を──熱を伴う煙を吸い込んで、吐いて。
何度か繰り返すと、体が軽くなる感覚があったのを覚えている。
「……………………なんかふわふわするんだけど、あと、なんか体が痛くない……」
「神経に作用する植物だから、そうなるでしょうね」
「……これ、大丈夫なやつなのか?」
「? 大丈夫じゃないけど?」
「おい!」
メフトは今思い出しても酷い女だった。
あの女に共感性や思いやりといった人間らしさを求めるのは間違っているのだ。そんなものを理解できる存在ではなかったのだから──少なくとも、昔は特に。
「でも、辛いんでしょう?」
辛苦や苦痛を取り除きたいと誰かが望めば、その手立てを用意する。その間に横たわる副作用だとか依存性だとかは無視して当然だと思ってる。そういう一直線な優しさは非人間的で、迂遠でないから私には心地よかった。
「作り方教えるから、今度からは自分で用意して。その辺に自生してるから調達も容易よ」
「ん。まあ、助かる……」
曖昧に言って、メフトもコクコクと頷くだけ。二人して屋敷の壁にもたれかかってぼんやりと空を見上げるばかりの時間。
無意味で無価値で何も生み出さない静かな時の流れだった。
「なんなんだろうなあ……これ、治ると思うか?」
メフトはちらりとこちらを横目に見てから言った。
「無理」
「これからも私ってずっとこうなのかな?」
「そうね」
「……なんか優しい言葉をかけるとかできないのかよお前」
「そんなこと求められても困る。ティアレスあなた、私に思いやりを求めるの?」
「お前はいつもひっでえ現実しか教えてくれないよな」
「ええ。そうね。そうだと思う」
いつ見ても無表情な女だった。
何を言われても眉一つ動かさない。感情なんてないんじゃないかと思えるくらい情が薄くて、そのくせ顔は一度見たら忘れられないくらいに精巧に整っていたから、余計に生物っぽくなくて。
そんな女が、作り物みたいな黒い瞳を無機質に向けて、真顔で言い切った言葉を今でも私は忘れていない。
「あなたの生はこれから先、死ぬまで苦痛だけがあるわ」
「……」
メフトの言葉に容赦はない。逆に言えば嘘も無い。
あの女が口を開く時は常に真実を語る。そう知っていたから、現実を壁のように感じたんだ。
「それは、──私が私として生まれたから?」
「ええ」
「そっか。まあ、そうだよなあ」
とはいえ碌でもない生まれだという自覚はあったから、さほど傷ついてはいなかったんだけど。
「以外ね。もっと落ち込むと思った」
「今更だろ。こんな生まれじゃあなぁ……しっかしなんで急に全身痛むようになったんだろうな?」
「ティアレス。あなた、内臓が致命的に終わってるの。今死んでいないのがおかしいくらい機能が停止してる」
「……停止してるとどうなるんだよ? 頭の悪い私でも分かるように言えよ」
「ふむ。つまりろくでもないことになるってわけ」
「だから、その碌でもない事ってなんだよ」
「例えばそうね……」
『馬鹿でも分かるように教えるのって大変ね』って感じに腕を組んで考え込んだメフトが黙る事30秒きっかり。
ぴんと人差指を立てて、言った。
「あなたは子供を産めない」
◇
『…………………………それは、ちょっと、……というか。うん……かなり、つらいな』
仕方ないさ。
誰もが生まれを選べない。
産まれることを拒否できる赤ん坊なんていないんだ。
『かもね』
『いや別に、こんな私が結婚とか、できるとか思ってなかったけど』
『うん』
『でも……そうだな。望むことも難しい人生なんだ、これ』
『ええ』
何てことない会話だったけど、たぶん、あの時私は知ったんだ。
人としてあって当然だろう人生の何もかもが私にはそもそも無いんだって。
『なあメフト。母親ってどんな感じなんだろうな?』
『自分の子供を庇うみたいに抱きしめるのよ』
『へえ。知り合いにそんな感じの人でもいるのか?』
『ええ』
『……ま、私には出来ないんだな、そういうことも』
私、ティアレス・ティアラ・ホルルの人生にまっとうな幸福は無い。
世のありふれた女らしく、恋人を作るだとか。
着飾るだとか。
誰かと添い遂げた先に次代を望むだとか。
そういったものが──探すまでもなく存在しない。
それは私が私として生まれた瞬間から義務付けられている宿痾だ。
『でもね、ティアレス』
『……?』
『あなたはあなたとして生まれたわ』
全身の神経は常に崩壊と幻痛に埋め尽くされ、
各部の内臓は常に機能不全の最中で悲鳴を上げ、
各部の骨と筋には壊されていない箇所が見当たらない。
代わりに得たよ。
強靭な神経系を。
致命的損傷を無視できる頑丈な内臓器官を。
戦闘機動に十分な稼働領域を確保できる骨格を。
すべての細胞が、“騎士”であることを私に許した。
『誰も、あなたを拒絶することも、侵害することもできなかった』
……ふは。そうだねメルツェル、これは碌でもない人生さ。
どうしようもない生き方だ。
いつまでも日陰の中で俯いてばかりでいいと思っていた。
『ティアレス・ティアラ・ホルル。
あなたはあなたの存在に胸を張りなさい。
背筋を正し、前を向くべきよ』
だけど君の親が、メフトが居たよ。
あいつは私に道を見せた。
『ねえティアレス。あなたに生物学的直系を継ぐ子孫を設けることはできないけれど』
日陰の中で痛みに呻くばかりの人生には、……だけど悪魔が微笑んだんだ。
『なら私と創ってみない?』
『つく、る?』
唐突に絶望を突きつけたのがあの女なら、
唐突に希望を見せつけたのもあの悪魔だ。
『魔法によって構成因子を継いだ、私達の娘を』
滅多に見せない表情で。淡い、薄い、笑みで。
メフト。お前が善意のつもりで差し伸べた手を──私は取った。
例えどれだけ暗くても、私には光に見えたんだ。
メルツェル・カルテル。
塔を六つ建てた末にある、黄金の光粒。
メフトは言った。
「三つは私が受け持つ。残り三つはあなたが与えて」
骨子を。
思考の軌道たる“軸”を。
それを私は、私が成せる祝福になると思った。
君を象るかたちの内側に私の願いが乗るのであれば、それはきっと祝福に違いないと。
だけど君にとってそれら全ては痛みであり呪いだった。
それが私にもメフトにも分からなかったんだ。
生まれを拒絶できない赤子に生の全てにおいての罪など無い。
生き方を肯定するしかない幼子に一切の非はなかった。
あるとしたら、子をそうあれと望んだ者が背負うべきだ。
だからメフトは支払い続ける。
代償として君が壊しかけた世界を背負った。
だから私も今この時、全生をもって支払うべきだろう。
例えこの脳幹と心臓が砕け散る最中の、小さな時間の流れの中であっても。
死ぬその瞬間まで。
全てを賭けて、剣を握り……。
何度も。
何度でも。