主従の間に芽生えてしまった歯止めの効かない愛情は光をも割断する   作:てりのとりやき

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9日と8時間後である

 

 

 恋人、というものをローロはこれまで作ったことがなかった。

 メフトと出会うまで在籍していた士官学校では“騎士”になることだけが目標だったし、それ以前の生活では幼さから恋愛というものがよくわからなかった。……とにかく、理由を考えだすときりがない。

 他人との関係をより深められる事実をローロ・ワンは嬉しく思う。とくに、今日これから二人きりで過ごせる日なんかは強く。

 アル・ルールの生家、その玄関口。少女は隣で同じ様にしゃがみ込む女と共に、リュックサックの中身をもう一度確認する。

 

「お弁当よし、地図よし、水筒よし」

「準備はばっちりです。どこへでも行けます」

「ん」

 

 今大事なのは、ローロには年上の恋人がいて、彼女と今日これから出かけるということだ。

 

「こんな状況だし、そんな大した遠出はできないけれど……」

 

 こちらに顔を向けてメフトは少しだけ苦く笑う。淡く緩んだ口端が垣間見せる微細な情動の揺れ幅、それを手に取るようにわかるのがローロには嬉しい。

 

「メフトさまとならどこだって最高の場所です」

「そーお? ありがと」

 

 今度こそ確かな微笑みで頷いた色白の女が立ちあがる。ローロも合わせて立ちあがり、しんと静まり返った玄関の奥を見た。

 ティアレスはあの後二度寝をすると決めたらしい。アルは未だに寝息を立てている。

 二人を起こすわけにもいかない。

 ローロとメフトは玄関扉をそっと開けて、外へと繰り出した。そうして二人で歩くこと数分。屋敷から十分に離れてから隣を歩く女を少女は見上げる。

 

「メフトさま。それで……どこへ行くのですか?」

 

 今の今までメフトは目的地を告げなかったのだ。荷物の内容からしてピクニックであることは間違いないが。

 よくぞ聞いてくれましたと女は胸を張った。得意げに彼女が指差したのは、丁度真っ直ぐ見える先の、小高い山。

 

「あの山を登りましょう。見せたいものがあるの」

 

 

 

 ◇

 

 

 

 昼食を食べたのは、山の頂上に辿り着いてからだった。そこから見える光景は確かにすばらしく見晴らしがいい。青い空。澄んだ空気。冬の終わりを告げるように軽やかな風。

 しかし、どうやらメフトの目的地は別にあるらしい。彼女が用意したサンドイッチを満喫した後、水筒に入れてきた紅茶を飲んで喉を潤すと、ローロ達は更に歩いた。

 “騎士”として鍛えているローロも、普段から農業を営むメフトも、肉体的にはまだまだ全然余力がある。他愛ない会話を二人きりでめいっぱい出来る心地よさで満たされながら歩き続けていると、──メフトが唐突に立ち止まった。

 

「ねえローロ」

 

 少し、不安げな声音。

 

「目隠し……してもいい?」

「はい、どうぞ」

「……な、何も聞かないのね」

 

 困惑しているメフトに対し、既にローロ・ワンの瞼は下がり切っている。

 

「いいの? こんな山中で、二人きりで、何をされるかわからないのに……」

「メフトさまにされることなら何だって平気です」

「そ、そう? そうなんだ……。ふーん。へーぇ」

 

 本当にメフトが行きたいところはこの先にあるのだろう。目隠しは、それを見せるまでのものに違いない。……別に違う意図があっても構わないが。

 躊躇いがちに目元を黒のハンカチで隠される。きゅ、と後頭部で結び終える音。ローロの視界は黒だけが広がる。

 

「見えてる?」

 

 見えてない。ふるふると首を横に振る。

 

「そ。じゃあ……──手を、繋いで?」

 

 右手を前に。小指と薬指のない生身の手を、暗闇の中で濃密な人の気配がそっと掴む。いや、摘む。

 陶器のような滑らかな硬さ。矛盾している感覚を呼び起こすほどしっとりとした指。

「──」と、声にならない快さが少女の背筋を奮わせた。

 

「歩くから」

「はい」

 

 一歩。緊張の張り詰める神経が、引かれる手に従って動くことを命じる。ローロはゆっくりと歩き出した。己の手と繋がるメフトの手指の感覚だけを頼りに。

 

「大丈夫。手を離すことなんて絶対にない」

 

 どきどき。

 どくどく。

 とくとく……。

 肉体が──『マギステルシア・ファウスト』の心臓が奏でる鼓動。うるさくて張り裂けそうな轟きが刻む時間。きっと手を伝って知られている。恥ずかしさを覚えて、ローロは早くこの時間が終わればいいと思ってしまう。けれど、メフトの熱量がそれさえ歓びなのだと強く包むから、終わりなんて来なければいいとも願う。

 

「離したくても、離させません」

 

 時間の進み。

 空間の歩み。

 繰り返す時空間の伸び縮み、膨張と収縮。視覚はなく、覚束ない足裏の感触の中、確かなのはあなたの指と爪だけ。

 ……たぶん。

 恐らくだけれど、時間は均質ではないのだ。

 熱量が空間を膨張させるように、時間だって間違いなくエネルギーが緩ませるに違いない。そう思わなければ今この時、この瞬間が無限のように長く感じられるはずがなかった。永遠を抱えているというのに次の瞬間には終わりが待っているかもしれないだなんて、ありえないのだ。

 

「うん。そうね。離さないし離せそうにない」

 

 くすくすとメフトが笑う。どのような顔で笑っているのかをローロ・ワンは空想の中で補った。

 きっと、いたずらっ子の笑みだ。

 

「楽しそうですね?」

「よく考えてみて。今ローロをね、私が支配しているの。これってとっても面白いことだと思わない?」

「メフトさまってたまに意地悪ですよね……」

「そーね。そうかも」

 

 他愛ない会話が耳を撫でていく。山中を巡る緩やかな風に混じる。

 

「着いた」

 

 そうしてメフトが呟き、立ち止まるのを手指の感触で把握する。時間はどれだけ経ったのだろう。数時間にも数分にも感じられた。ローロがそっと立ち止まれば、メフトは器用にも空いている片手だけで目隠しを解く。

 

「あのね、私、恋人って作ったことがないの」

 

 ローロは閉じていた瞼をゆっくりと開けていった。暗闇に浸っていた視覚が光の反射に色と形を思い出し、ぱちぱちと痺れながら滲む焦点。見えるのは……。

 

「だからあなたに、恋人らしい何かをしてあげることが中々難しかった。だってこれまでローロにしてきて、恋人だからしてなかったことって、数えられるくらいしかないから。二年間悩んだわ。悩んで、だけど……」

 

 視界の全体。

 二人で立つのは切り立った崖の上だった。とはいえ足元が崩れ落ちるような不安定さはなく、ひたすらに広大な視界が目の前に広がっている。

 ローロは見えたものすべてに対して息を呑んだ。

 

「『これ』なら──数えられるうちの一つになれる気がしたの」

 

 夕焼けがあった。崖の向こう側に、燃えるような山の斜面があった。花々が斜面の全てを覆い尽くして咲いていた。

 黄。白。紫。青。群青。すべてが恒星の輝きで黄金に輝いていた。

 

「私にできることはたった一つ。あなたに私の時間を捧げることだけ」

 

 陽色の黄金は色とりどりの花々に眩さを許す。幾多様々な植物が芽吹いた結実を、メフトはこの時のためだけに用意したのだと言う。

 

「メフトさま、これは……」

「あまりよくないことかもしれないけど、二年間、花を育てていたの」

「一人で……?」

「こっそりね」

 

 恐らく魔法を使ったのだろう。時間を固定するような超越的なものではなく、成長の促進と停滞のバランスを崩すような魔法。

 沈みゆく星の瞬きと共に広大な花畑を見せることが今日のメフトの目的だった。それ以上は出来ないのだと夕焼けに染まる彼女の横顔が物語る。憂う表情の先に、もっとしたいことはあるのだと、メフトは言っている。

 

「これぐらいしかできなかった」

「……大丈夫ですよ、メフトさま」

 

 例えば二人で街に買い物をしに行くとか。

 例えば喫茶店でまた砂糖を入れずに珈琲を飲んでみるとか。その後に編み物のために毛糸を買うとか、夕食には少し奮発して素敵なレストランに入るとか、二人で同じベッドで眠るとか。

 何者にも壊されない、何ものにも侵しがたい時間。

 そんなものはこの土地に存在しない。何故ならローロ・ワンの生まれ故郷たるこの土地の先には、真空(・・)しか(・・)ない(・・)のだ(・・)から(・・)

 

「私達には“これから”があります。きっと今日より素晴らしい明日が私達には続くのです」

「……ええ。そうね」

 

 これ以上を求めるなら、望むなら、ローロは戦わなければならない。打ち克たなければならない。

 逃避が許される時間には限りがあり、それはもうすぐ尽きるのだ。

 

「今日、メフトさまと二人でいられてよかったと素直に思います」

 

 無限にも思える花畑の色彩を目に焼き付ける。忘れないように、失わないように。

 何よりもかけがえのない時間をくれたことに感謝していた。感謝して、だから──。

 

「メフトさま」

「なーに?」

 

 横を見る。体の向きを変える。

 

「少し、こちらを見てくれますか」

「?」

 

 背を伸ばす。──足りないから少しつま先立ちになる。

 振り向きざまの、きょとんとした顔にそうしてローロは口づけをした。

 

「………………………………」

「…………………………えっと」

 

 不意打ちのキスにメフトが固まってしまったので、ローロもぎこちなく身じろぎをする他ない。

 これくらい、普段の彼女ならさらりと笑って受け止めると思っていた。

 

「お礼……のつもり、なんですが!」

 

 目を丸くしたままでいるメフトに顔を赤くして言い訳をした。それでも女は喋らない。じっ──とさっきまで触れ合っていた唇を凝視している。

 

「あの。何か言ってくれないと困ります……」

「……すごく素敵なお礼だったから、私もお返ししてもいい?」

 

 女がようやく喋った。かと思うと自然な動作で手が伸びてきて、こちらの頬を包むように触れる。親指と人差し指が頬と眦を撫でさする。

 あ──、と思った。

 ローロは知っている。

 それはメフトが我慢できなくなっている時の手癖だと。

 

「ローロ、顔が林檎みたいね」

「メフトさまのせいですよ……んむ……ん……」

 

 すごいキスをされた。

 お礼のお礼ということで、たぶん、百倍返しくらいだったに違いない。

 

 

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