主従の間に芽生えてしまった歯止めの効かない愛情は光をも割断する   作:てりのとりやき

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29分後である

 

 もう少しで終わる時間を、ローロ・ワンは身だしなみを整えることに使うと決めた。

 

 

 アル・ルールの生家。寝室。鏡台に座り、手に取ったブラシを動かす。

 二年かけてじっくりと伸ばした髪を梳く。ブラシで、何度も何度も梳る。

 やがてうっとりとするような艶を纏った銀色の髪を眺め、ひとつ、ローロ・ワンは満足げに頷いて見せた。

 目の前の鏡台に置いた紐を手に取り、ひとつに結んだ。慣れた仕草だ。

 さっぱりと後頭部でまとめ上げた具合を確認するため首を右に。左に。

 鏡台に映る少女もローロ・ワンの動きに合わせて横顔のかたちを見せる。

 

「……うん。よし」

 

 もう一度頷いて、ローロ・ワンは立ち上がった。肌着を脱ぎ、よそ行きの恰好に。

 自身の動きを妨げない丈の短いワンピース。デニムのジャケット。ボトムスにはシンプルなキュロットと黒のタイツ。

 鏡台に座り直し、ブーツを履く。靴紐をきつく。硬く。

 

「決戦にしては、うーん。ちょっと地味かな……」

 

 鏡台の前に座り、じっと、鏡の中の顔を見る。

 ぼんやりとした焦点の合わない表情。化粧っ気のなさをいつもメフトは微笑んだ。何度か化粧の仕方も教えてもらった。

 どうしようか。

 唇に紅を引くくらいは、してもいいのかもしれない。

 ……と。鏡台に収められた化粧道具へと手を伸ばしかけた時。

 

 

・──『19歳に』『なったよ』

 

 

 言葉は脳の奥……更に深いところから。

 それはローロ・ワンにだけ届く、空間の振幅とも違う『音』。

 端的に言うなら生体脳の震えそのものだった。

 

「髪……伸びた」

 

 ローロ・ワンには見える。

 鏡の中に映る少女の顔が、勝手に動くのが。普段のローロ・ワンがするのとはまた違う表情。

 彼女(・・)は微笑みながら口を開く。

 

 

・──『背も』『伸びた』『!』

 

 

 夢ではない。そして、幻覚でもない。

 生体由来の五感が得た認識を、この肉体が常時発動する【シナプス代替魔法】は受け取り続ける。【シナプス代替魔法】が受け取った情報は処理され、生体脳へ送られ、生体脳が……彼女が生体由来の緩やかな認識と共に【シナプス代替魔法】へと送り返す。

 情報の一次取得は常に肉体側によるものだ。

 つまり、彼女(・・)が外界認識をそう思う(・・・・)のであれば、【シナプス代替魔法】は──【ローロ・ワン】にはそう(・・)見える(・・・)のだ。

 

「ちょっとだけね」

 

 彼女は鏡の中で嬉しそうに笑って見せた。自分が……『ローロ・ワン』が浮かべるよりも柔らかな笑みだった。

 思う。

 ()は、想うことが許されている。  

 だからこそ訊くべき責任がある。

 

「ねえ」

 

・──『なあに?』

 

「私、母さんを殺すことになると思う」

 

・──『……』

 

 沈黙でさえ私達には通じ合う。

 いつから双方が双方を認識し合っていたかなど、どちらにもわからない。

 生まれた瞬間──どこを指す言葉だったとしても、発生の瞬間から【ローロ・ワン】は自己があった。そして、彼女(・・)にも血を分けた母から贈られた名があった。

 

・──『あの』『ね』『訊いていい?』

 

「うん」

 

 その祝福を二年前まで喪失していたのだとしても。

 彼女(・・)が、自分自身を『ローロ・ワン』なる生体・魔法複合人格の一部だと二年前まで認識していたとしても。

 

・──『なぜ』『祈るの?』

 

「祈って、願って、そこには道が出来るよ」

 

・──『なぜ……お母さんは』『憎むの?』

 

「始め方が……憎悪でないといけなかったんだ」

 

・──『なぜ歌うの?』

 

「……」

 

 少しだけ、思考は止まる。

 ……歌。

 歌っているのは誰なのか。

 主体は。

 どのようにして。

 なぜそう感じる? 

 【シナプス代替魔法】が輻輳し代理する思考の脈動を……彼女(・・)は歌だと認識しているのだろうか。

 

「“私”が私達(・・)であることを証明する。ここにいる意味と意義を……存在を、母さんに。そのための手段が歌だと言うなら……『私』は」

 

 見る。見つめる。

 鏡に映る己の──いいや、彼女の(・・・)、マギステルシア・ファウストの顔を。可憐な少女の顔立ちを。

 淡い紫色をした瞳。

 色素の薄い銀髪。

 父と母の確かな継承を結実できたあなた。

 肉と皮と筋と臓腑で構築されたあなた。

 私ではない、マギステルシア・ファウスト。

 ……そうとも。

 彼女は、ずっと昔からローロ・ワンではないのだ。

 

「マギステルシア。あなたと共に歌いたい」

 

・──『……』

 

 思考は比喩でなく直結している。

 ローロ・ワンの一部を、【シナプス代替魔法】が思考として担っている。思考の重要な要素である情動の基底部分を、生体脳であるマギステルシア・ファウストが……この肉体の本来の持ち主が担っている。

 ローロ・ワンが考えることはマギステルシアには筒抜けだったし、それは今この瞬間とてそうだ。

 隠し事ができる相手ではないから、ローロ・ワンはすべてを言葉に変えた。

 

「だから……これは、あなたの体を間借りしている私の小さなお願い」

 

 今、鏡に映る少女は静かにこちらを見つめている。

 探るような淡紫の眼差し。その奥には何があるのだろう。

 

「母さんを超える。これは私の我がままで、そのためにあなたの肉体を酷使することになる」

 

 目を逸らさないまま両の手を拳に変えた。

 左腕は既に人間のものではなかった。鈍く光り輝く義手だった。

 右手には小指と薬指がなかった。二本を、ローロ・ワンが──私が捨てた。

 

「その先にある、より良い未来が……幸せが欲しいんだ」

 

 彼女が……マギステルシアがどこまでを受け入れているのか、ローロ・ワンには分からなかった。

 皺のない脳。

 神経細胞移動異常症。

 その病名をメフトは1900年代初頭の人類では命名しようがないものだと、かつてそう言った。

 生まれついた脳機能障害だ。本来であればマギステルシア・ファウストは生後間もなく死んでいる。【シナプス代替魔法】がなければ、【ローロ・ワン】が定着していなければ間違いなく。 

 だが、だからといって、マギステルシア・ファウストでない者がマギステルシア・ファウストを削り落としていく行いが、許されていいはずもない。

 

・──『あの人のこと』『好き』『なんだね』

 

 彼女がくすぐったそうに目を細めてそう言った。

『声』に、胸の奥がどくんと跳ねる。強い鼓動が顔を熱く火照らせる。ローロ・ワンは両手を用いて、そっと胸元を抑えた。

 

「うん。好き……大好き」

 

 きっと彼女にも分かっている。

 今、あなたの心臓が飛び跳ねそうなくらい激しくて、だけどそんな高鳴りがちっとも苦しくないこと。熱くて、柔らかくて、嬉しくて……。

 

「私…………いいのかな」

 

 だからこそ考えてしまう。

 

「私ばっかりが私らしく幸せになろうとしても、いいのかな……」

 

 彼女は、借り物の体だった。

 酷く言い換えるならローロ・ワンという魔法存在は、彼女に寄生している。

 

「私は……ローロ・ワンは、欲しいもののためにあなたを削り続けてるのに」

 

 懊悩に意味があるのかローロ・ワンにもわからなかった。

 基底部分で結合され続ける生体と魔法なのだ。情動も思考も厳密に言えば融合している。

 ローロ・ワンが抱える悩みは、マギステルシア・ファウストが抱える悩みでもあって、

 

 

 

『2年前にね、知ったの』

『私はマギステルシアなんだって』

『あなたがローロなんだって』

 

 

 

 唐突に。

 流暢に。

 

 

 

『あなたがあの人を愛した時、私も愛することを知ったよ』

『私はあの時、初めてあなたと私が違うんだってことを理解できたんだ』

 

 

 

『音』が。

 想いが。明確に私と違う、心、が……! 

 

「マギ────ステル、シア──」

 

『不思議だよね。同じだと思ってた。あなたが感じることが私が感じていることで、あなたが私を使うことは……私が私を使うことだと思ってた』

 

 はじめは、三小節の意思発露さえ朧気だったのだ。

 物心つく以前から共に生き続けた彼女(・・)は、生まれた頃は非常に曖昧な意思だけが微かにあるだけだった。

 緩やかに……少しずつだけ。

 彼女(・・)は育っていった。人よりも遅く。

 その代わりとして【(ローロ・ワン)】が外界との矢面に立った。生体か魔法か……どちらにせよ本能が『ローロ・ワン』であることを選択したのだ。

 でないと生きられないとどちらも分かっていたから。その選択が間違いだとは思わない。

 

『離れることなんてできないんだ』

『だって、そうでしょう?』

『あなたが想うことを私も感じてる』

『私が感じたことをあなたも想っている』

 

 ……19年だ。

 19年かけて、彼女は(・・・)マギス(・・・)テルシア(・・・・)ファウ(・・・)ストに(・・・)なれた(・・・)のだ(・・)

 

 

『あなたが好きな人を、私も好きになったの』

 

「────」

 

『あなたが願うことが、私の願いでもあるの』

『あなたが魔法で感じたことを……』

『私も私で感じているよ』

 

「マギステルシア。あなたはもう、ここまで……」

 

『ローロ。だからこれは、あなただけの戦いじゃないよ』

 

 恐らく二年前の出来事が強烈なインパクトをもって生体脳に革命にも等しい衝撃を与えたのだろう。

 ローロ・ワンが愛を知り、愛するを覚え。

 それがマギステルシアに成長を許した。神経系の発達を加速させた。脳が育つ糧を、二年という時間がもたらした……。

 

 

 

『私はむかし、ローロ・ワンだった』

 

「私は昔……マギステルシア・ファウストであろうとした」

 

『ローロ。あなたはだけど……ローロ・ワンだったね?』

 

「マギステルシア。あなたは、初めからマギステルシア・ファウストだったんだ」

 

 

 

 

 マギステルシア・ファウストは『ローロ・ワン』ではなかった。

 私もまた、マギステルシア・ファウストではなかった。

 

「祝福を……私達は、それぞれ大事な人からもらってるね……?」

 

『うん。大事な、大事な贈り物』

 

 もはや、心はひとつではない。

 一つの体に。存在に。

『私』を構築するとても大事なものが、今、ここには二つある。

 

「いこう」(『いこう』)

 

 ──体は自然と立ち上がる。

 その決定がどちらによるものなのか。私は考えるまでもないことだと切り捨てる。 

 

「みんなで居たこの二年間にひとつの嘘もなかった」

 

 丁寧に水気を吹いたキッチン。

 埃ひとつ残さず掃除したリビング。

 それぞれが履く靴には二年という歳月で付いた泥を落とし。

 靴紐を新しいものに替えて。

 

 ――『じゃ、先に行ってくる』

 ――『ローロ。必ず後で』

 ――『わたし……まってるから。ここで。絶対に』

 

 誰もが自らの果たすべき役割を担うため、それぞれの場所へと向かった。

 

「守れない約束かもしれない。守りたくても、帰れないかもしれない」

 

 それでも、ティアレスもメフトもアルもそんな悲しい未来を求めていなかった。見つめる先とはしなかったんだ……。

 ずっと終わらなければいい。

 いつまでも続けばいい。

 永遠を──永劫の二年を、願ったことは本当になかったのか? 

 自問して……私は首を横に振る。

 願ったに決まっている。

 

「きっと私は……それが叶わない願いだと分かってるんだ」

 

 かつて己が神の領域に達した瞬間を思い出す。

 極限の知性を得た、光でさえ20cmも進めない時間流。

 その最中に作り上げ今は(・・)義手(・・)の形(・・)を取(・・)る剣(・・)。──物質を物質であると定めるためには、時間という要素を省くことはできない。今のローロ・ワンでさえそれを熟知している。  

 あの時あった全能性は既に曖昧で、ローロには自分がどのような知性を得たのかはっきりとしたことは分かっていない。

 だからこそ、明確に理解できていることがある。

 

「時間は等しく一方へと進み続け、空間は引っ張られる形で拡張を続けていく……空間は時間の進行によって伸長する。言い換えるなら今よりも少しずつ世界の在り方は変化するということ。それはつまりね、そこには可能性があるってことなんだと思ってる」

 

 時間は誰に対しても平等だった。

 停滞も逆流も不可逆だった。

 だけど、どこへ向かうのだとしても進むことはできるのだと知っている。

 

「時空間の進行維持――それがきっと可能性なんだ。守るべき、私の世界……」

 

 玄関の前に立つ。

 閉じた扉を開ければ、恐らくその先には死地が待つ。

 

「…………」

 

 呼吸を一つ。

 吸って。吐いて。生きるために呼吸することを……確かな実感に重ね合わせる。

 

 

 

 

「勝つよ」

 

『戦うんだ』

 

 

 

 

 意思、よし。

 

 

 

 

「絶対に負けない」

 

『私達は……負けない』

 

 

 

 

 武器、よし。

 

 

 

 

「私が、いるから」

 

『私が……守るから』

 

 

 

 

 決意、よし。

 一歩前へ。ドアノブに触れ、二年の終わりを──願いを破壊する明確な意思と共に、扉を開けた。

 青き空は仮想と偽装を一斉に解き。

 そこに、故郷の景色はなかった。

 

 

 

 

 

 現れたのは果てのない黒。宇宙の色。

 在るのは無窮にも想える灰の大地──月面。

 

 

 

 

 

 そして凄絶な孤独を訴えかける宇宙空間、ローロから見て真正面。地平線の奥にただひとつ青い星──。

 

「決着をつけよう。母さん」

 

 月に立つローロ・ワンは、真っ直ぐに青き惑星を見据えた。

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

「たっぷり遊べた? 

 いっぱい愛せた? 

 よかったねえ? 

 いい思い出ばっかりだねえ? 

 でも残念! ぜーんぶ私が壊してあげる!!!!」

 

 

 

 ◇

 

 

 

 ──そして、マギアニクス・ファウストもまた、地表から月を睨み上げて笑っていた。

 いや、見つめていたのは月だけではない。

 マギアニクスが惑星全域に展開する観測魔法群すべてが彼女にその結論を与えていたのだ。

 

「クク、ク。メフトぉ、何よ準備万端じゃない……」

 

 同じ恒星系に属する星と星の間には、数えるのも馬鹿らしくなるほどの小惑星が帯を成している──所謂アステロイドベルト。

 そこから二年もの歳月をかけて飛来してきた、無数の小惑星がある。

 莫大な量の質量体すべてが惑星降下軌道にあった。そして、全ての落下地点は完璧に合致している。つまり──落下地点はここ、『国民なき国』の城。銀河を周遊する恒星が、重力によって時折見せる偶然の軌跡……なんてものでは勿論無い。

 

「二年前に星系規模で発動された推進投射の魔法はこのためってわけ? あなたあの一瞬でこれだけの数の隕石を呼び寄せたっていうの? ──ああもうほんと、本気なのね!?」

 

 もはや断じる他なかった。

 メフトによる先制攻撃──総数(・・)98(・・)万2(・・)11(・・)6個(・・)の小(・・)惑星(・・)()によ(・・)る超(・・)精密質(・・・)量爆撃(・・・)が、開始されたのだ。

 

「そんなに私を殺したいの!? そんなに私を潰したいの!? アハハハハハハハハハハ────ッ!!!!」

 

 裂けるほど薄く引き伸ばした唇の端。自然と吊り上がる気狂いの笑みで、だがマギアは突然抑揚を抑えてつぶやく。

 

「……奇遇ね。私もあなたを殺したいのよ。そのために準備したわ。そのために二年間我慢してたの」

 

 女の周囲には整然と並ぶ死体があった。

 首から上を失った“騎士”百名の死体。本来顔があるべき場所には輻輳円環として顕現する演算魔法が鎮座する。

 

「さあみんな? 宴を始めましょう──」

 

 城の塀を出、草原に立ち。

 マギアニクス・ファウストはまさしく女王然と腕を組む。周囲を囲む“騎士”の死体が一斉に両腕を天へとかざす。

 膨れ上がる魔力放出──星を支配する魔法使いの女王が咆哮を上げ。

 

()゛!!!! 

  ろ!!!! 

   ォ゙!!!! 

    すッッッ!!!!」

 

 号砲の如く、反物質砲撃が開始された。

 

 

 

 

 1921年2月12日14時37分2秒――。

 人類史上最大級。惑星規模の魔法戦はこのようにして幕を開けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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