主従の間に芽生えてしまった歯止めの効かない愛情は光をも割断する 作:てりのとりやき
マギアニクス・ファウストの肉体が自壊を始めてから塵になるまで、さほどの時間も掛からなかった。
魔法創造型魔法による肉体維持が失われたことを起因とした、物質崩壊。受肉した魔法創造型魔法の死とは自然の摂理とは反するもの。ローロはその事実を、目の前の母親の終わりをもって知った。
「終わっ、た。これで……もう……戦いは」
放心し、脱力し、その場にぺたりと腰を落とす。長く深い息を吐く。戦闘の余波でかつて草原だった一帯の地形は更地と化しており、山も谷も草の根ひとつ存在していない。地平線まで伺えるほどの平地に、冷えた風が流れていく。加熱していた肢体が冷えていき、思考が一定の落ち着きを取り戻した時、ローロ・ワンは辺りを見回した。
「──ティアレスさま! アル!」
声に反応する者はいない。
即座に発動した観測魔法の領域を一気に拡大した。
「ティアレスさま……! アル……っ!」
応える者は、やはり居ない。
平地にも──星にも、衛星宙域にも。月でさえ。
その事実に、少女の胸に去来したのは二つの感情だった。
一つは、『やはり』という諦念。
マギアニクス・ファウストとの最終局面で感じたアルとティアレスの存在が、ローロ・ワンの内にあっただけの幻想だということは……どこかで分かっていたのだ。
「わかって……いた、のに……っ!」
それでも。
二人がもう、この世界のどこにも物質として存在しないことを、受け入れられる自信がなかった。
「……っ!」
ローロ・ワンはきつく目を瞑る。
震える背を折り曲げ、俯き。それでも熱くなる目頭を抑えることもせず、唯一の腕を空へと伸ばす。
ガタガタと震えながら──空の全てを掴まんとするほどに、僅か三指を全開に広げて。
「……………………………………………………、ない」
一つ。ローロ・ワンは二人の死に諦念を抱いた。
そして、もう一つ。
湧き上がってきた感情がある。
「認め、ない」
隻腕が、強く、異常なほどの震えを帯びだす。それはふつふつと精神の奥底から湧き上がり続ける、『否定』という感情の発露――。
「絶対に認めない! 取り戻すんだ。皆で帰れる世界を!! 私が──!!」
少女は吼える。
全てが終わり、帰るべき場所を取り戻せたとしても──そこに居るべき二人が消え去ったことに。
認められない現実を。
受け入れられない世界を。
あらゆる理外を否定し続けた二年前の時と同じように。
「もしもあの人達を救うために……力がいるなら……!」
ゆっくりと顔を上げ、壮絶な決意と共に、ローロ・ワンは自らの手指を見つめた。
震えている。
恐れている。
これから成そうとする行いの善悪を問おうとする、自らの精神性の表われを──それでもローロは、僅か三指の右手を拳に変えた。戸惑いと躊躇いを握り潰した。
「私はもう一度神域到達魔法へと至ります!!!!」
ローロは、立った。
満身創痍で。体のあちこちに残る擦過傷を身に纏い。
敵などもはや存在しない世界で、それでも抗うべき摂理を超えていくために。
──そして。
「【
もう、生きていく上で失ってはいけないものの方が多い体を、ローロ・ワンは酷使していく。
「魔力放出────開始」
直後、少女の肉体から一斉に様々なものが失われた。
匂い。色。空気の味。右目の視界。胃、腸、膵臓、肝臓――腹部の中身……。
それらの喪失を感じ取るまでの刹那よりも、遥かに短い時の最中。ローロ・ワンは莫大な量の魔力を放出する。──解き放たれた魔力量は直径120億光年を超えた。
第二神域到達魔法【ローロ・ワン】はこのようにして、極限時間流にて再臨する。
少女の自意識は既に惑星上の平地には存在しなかった。
今ローロが立つのは、地と天の境目を失い、上下の概念も重力さえも構築されていない、ひたすらに白い空間。かつて“理外無効”を生成した時にも訪れたことがある。無限の理論検証が叶えられる仮想空間。無限の可能性を探すことができる仮初の時間流。──ローロはそこを“神域”と仮称していた。
そして神域にて、少女は魔法を一つ起動した。
【────【
それはかつてローロ・ワンが持っていた最高にして絶対の演算魔法。
死の間際、マギアニクス・ファウストが意図は不明ながら改めてローロに託した能力。
洗脳の可能性を少女は疑わなかった。
疑う必要がないと、もう、わかっていたから。
【人としての母さんは、魔法創造型魔法を作るに当たって自分をモデルにした。当然だよね、自律活動可能な魔法創造型魔法に将来の計画を任せるのなら、目的意識の共有は必須だから。だったら自分のコピーに、必要な情動だけを抽出したモデルとして構築した方が都合がいい】
物質が、活動を停滞しているに等しい時間流。
ローロの意識は物理法則の外で思考を纏めていく。
【そうして創り上げた魔法創造型魔法は
白いばかりの空間に突如として『下層』という概念が生まれた。地上という概念がない領域には光を吸収しきったかのような長方形の穴が開いている。それはよくよく目を凝らしてみれば、地下に通じる階段のようだった。
ローロ・ワンは、その穴の中へと潜っていった。
【そしてもう一つが、母親としての自分──母性を抽出したモデル】
一段。一段。
階段を下りていく少女は、光の届かない闇に包まれる。
“神域”は発動者の意識の影響を強く受ける、特異な領域だ。光の概念もなかった世界に『闇』や『暗がり』などといった領域が広がっているのは、ひとえに今のローロ・ワンがそういった概念を抱いているからに他ならない。
変化点がどこにあったかと言えば、ローロ・ワンが自身に拡張した演算能力……【MOS】の展開だろう。
つまりこれは、【MOS】の抱えているモノだ。
【ずっと私達を見守っていたんだね】
そうしてローロは階段の果てに辿り着く。
闇の奥深く。
暗がりの末路に、女が居た。
【
伸びきった銀の髪。
艶のない、青白い肌。
やせ細った肢体。
簡単な長衣を着ただけの女だった。
暗い道の袋小路のどん詰まり。女は壁の方を向いて立ち尽くしている。
【ううん、
女は首だけを折り曲げ、俯いていた。面に手を当てそこから微動だにしていなかった。
……これが仮想の領域、神域到達魔法にまで至った自我が織りなす特異空間だとは理解している。つまりは超知能が自身に状況を認識させるための
それでも──ずっと、いつまでもそうしていたのだろう。
《私は……あなた達に触れるべきではなかった》
女の背中がそう呟く。
何時の時代の話をしているのか、ローロには見当がつかない。
《手を、伸ばそうとした事。それ自体が罪だった》
それでもそれが
つまりは、罪悪感を基幹とする母性本能。それこそが【MOS】の基底にあるもの。
【……力を貸してほしい。私は『できる』領域を増やさなくちゃいけない。そのためには
既に【MOS】はローロ・ワンの意図を把握しているはずだ。【MOS】発動者であるローロが何を得ようとしているのか。そのために必要な力が何であるかを。
自律行動可能な魔法創造型魔法に行動を強いることは、今のローロ・ワンならば難しいことではない。しかし……。
《それが罪滅ぼしに、なるなら》
【罪滅ぼしなんかじゃない】
罪の意識から戦うことを、ローロは否定する。
《……?》
【一緒に。私は母さんとも手を取り合って行くんだ】
常に前を向いて生きてきた。
戦う理由はいつも道の先にあった。
それを、出来ることならば母と共に成したいとローロは願う。
──一歩、前へ。暗がりの終わりへと。
女の背中が微かに震える。
【夕暮れが沈むその先に!】
歩き、ローロは右手を差し出す。
孤独を選び、罪悪感を基に求められる計算能力を差し出し続けた母親に。
【私と、マギステルシアと、母さんの三人で!】
《──ああ。そうか……》
そして。
《私には、娘が二人も……いたのね》
女が面に当てていた手を下ろし。
俯いていた顔が、ゆっくりと、振り向いて────。
◇
……よって完全な答えがここに固定され。
私は私の代替として神域を得る。
「【
◇
少女の視界には既に色が無かった。
「人の命は、魂に宿るものだと思いますか?」
白と黒の二色だけで構成された世界には、既に青空の『青』はない。
それは同時に、今目の前にいる二人の瞳にも『青』がないことを意味する。
「魂とは何なのでしょうか」
片目を失明した状況では視力も落ちてしまったのだろう。魔法で視覚を強化すれば良いのだが、輪郭がぼやけた状態を少女は受け入れるべきだと思った。
僅か五歩の先にいる、二人の姿を、ありのままの自分で見つめたかったから。
「私はこう考えるのです」
……少女は0.0000000005秒だけ神に返り咲いた。そして神で居られる0.0000000005秒で新たな力を獲得した。
二年前、万象奇跡成就の剣を得たように。
今回も、限りある時間に捕らわれない力を。
「これまで経験したすべての時間を積み重ねた肉体。それさえあれば、そこには完全に同一な魂が宿ると」
少女は
『二人を取り戻す方法は正しいか』と。
──叶えたいのであれば、関連する全分子・全原子の運動逆算さえできればいい。
──その理論は適当である。
だが正解だったとしても、実現するためには完全で完成された、一分の狂いもない完璧な演算が必要だった。当然だ、
必要だった。理論を叶えられるだけの超絶規模をした演算機構が。
だからローロは、
【MOS】を基幹に。
世の、ありとあらゆる演算とその結果を実現可能な存在を。
“現在”を起点にありとあらゆる“過去”と“未来”を得られる、全知全能の演算機構──それはもはや、神の領域に達している。
第三神域到達魔法【
「あなた達を蘇らせるために必要だというのなら、私は神を作ります」
銀紫色の円環をして、物質として存在する、それは神だった。
そしてローロ・ワンは、神を戴冠していた。
神の使役者だった。
「帰りましょう。私達の帰るべき場所に」
頭上に浮き
真摯な表情と共に。
物質として存在する、アル・ルールと、ティアレス・ティアラ・ホルルに。
「私達は、死んで、……蘇ったのか」
「そんなことをローロが……」
摂理を超えた法則の越境を、成された神域の御業を、二人はしばらく呆然と見つめることしかできなかった。
ローロもまたひたすらに二人の言葉を待った。手を差し出した姿勢のまま、祈り続ける表情のまま。
……やがて。
「後輩よ、君も同じかい?」
「うん。だって──」
少女が見つめる先。
二人は顔を見合わせて、小さく笑い合う。
爽やかな──実にすっきりとした、心残りのない様をはっきりと表すほど。
晴れ晴れと。
「わたし、後悔してなかったから」
「…………そうかい。ああ、私も同じだよ」
一つ、頷き合い。
そして二人は────。
「ローロ。……君とまた出会えてよかった」
「最後にお別れを言う機会をくれて、ありがとう」
言葉の意味を、理解できないローロ・ワンではなかった。
それは。
それは、
つまり、
だから。
蘇った側が、蘇生を拒否している、それが現実で。
「……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」
わかって、…………わかってる。
わかって──いたのに。
「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………嫌です」
差し出した手を、拳に変える。思いの丈を握りしめる。
体が震えていた。
抑えきれなくて、拳を胸に押し当て──吼えた。
「──嫌です!」
納得できない。
納得できない……。
納得なんて、できるはずがない!
「なんだって叶えられます! なんだって手に入ります! 苦しみも悲しみもなくせるんです!」
皆で帰ろう。
あの城で、仲良く、ずっと暮らしたいと。
たったそれだけだ。ただそれだけを欲しているだけだ。
「ねえローロ。わたし達は生きてたよ」
「過去形にしないでよ……! アルが思い出になんかなってほしくない!」
それは許されない願いなのか?
それは許されてはいない祈りなのか?
──ならば許さないのは誰だ……!
「わたし達が生きていて、そこにローロがいて、たくさんの時間を織り重ねたよね。それさえローロは否定してしまうの……?」
「私達と共に帰る。それが歪んだ願いになってしまったことを、君はもうわかっているだろう?」
「そんなことないっ!」
心臓が痛い。喉が苦しい。吐きそうだ。吐いてしまえたらいい──もう、胃も腸もない体では何も吐き出せないのに。
視界が歪んだ。
涙があふれてあふれて仕方がなかった。頬を伝う雫を止める方法が分からなくなった。
「嫌です……嫌です、嫌です、嫌です!」
神を得て、頭上に戴冠し、そのための代償はすべて安いものだった。
胃なんてもういらない。
腸なんか捨ててしまって構わない。
もう二度と何も食べられなくたっていい。
右目も、色も、匂いも、味も! ……二人を取り戻すために必要だというなら何もかもは安い代価でしかないのに。
「やだ。やだよ、やだよう……」
ローロ・ワンは、泣いた。盛大に。大粒の涙を流し続けた。口を大きく開けて、泣き叫んだ。駄々をこねる子供のように──これが駄々以上のものにはなり得ないと分かっているからこそ。
「……ねえアル、もうすぐ春が来るよ……?
ティアレスさま……っ。春の次には夏が待っています。
メフトさまと過ごす冬だって……!
もう一度訪れる春を、陽だまりの中で昼寝できたら……きっときっと幸せです……」
どれだけ言葉を重ねても届かない五歩の先。
宇宙の果てよりも遠いと感じた。
「私の幸せは、アルも、ティアレスさまも、誰一人欠けてはならないんです……!」
二人の顔にあるのが喜びでないことが、ローロ・ワンには地獄だった。
命をどれだけ無限のものに変えられても、魂を自由にはできない。……その一線をローロ・ワンでは越えられない。そこが神さえ得た少女の限界で。
「約束……したじゃないですか……」
アル・ルールの顔に浮かぶのが郷愁であることが悲しかった。
ティアレス・ティアラ・ホルルの顔にある静謐が悲しかった。
「ごめんね、ローロ」
「嘘つき……」
「すまない」
「嘘つき! 約束してくれた! 二人とも約束したのに──嘘つきだ!」
吼え、錯乱し、髪を振り乱して泣き喚く少女。その動きは突然止まる。
アル・ルールが少女を抱きしめていた。
果てしない五歩の奥から、確かな熱と柔らかさがここにはある。
「──」
震える体に、頬に、女の手が触れた。ゆっくりと自身のぬくもりを伝えるように、静かに。
至近から、鼻と鼻が触れるほどの距離から、青より碧いはずの瞳が見つめてくれる。
色のない世界にアル・ルールの熱を感じた。
「アル。離れないで……ずっと一緒にいてよ」
「……物質として存在できる幸せは、いま、確かに受け取ったから」
何かを堪えるように、名残惜しさを引き連れて、女は離れる。彼女の顔に浮かぶ暖かな笑みを呆然と見る他なかった。
「なあ、ローロ」
……声はこれまで静観していた、ティアレスから。涼しげな目つきは今も変わらずローロを見つめている。
「始まったものには必ず終わりがある。それを神様だからって歪めてはいけないんだよ。その一線を超えてしまえば君の大切なものは価値をなくすよ」
「……そんな理屈はありません」
「ならば君はどうして戦った? 戦うための理由はどこに置いてきた? その理由はどれだけ君の中に価値があったんだ? 価値があるからこそ、損ないたくないから……戦ったのだろう?」
「──っ」
「なあ、わかっているはずだローロ。君は今、目的と手段を入れ違えている」。──そう言われて、返す言葉が何もない自分。
俯いて、臍を噛み、黙りこくるしかなくて。
「後戻りの効かない世界で、だから君は歩き続けたんだろう?」
「──!」
「君の願いと祈りを、君自身が壊してしまうなんて……哀しいじゃないか」
失ってから、やっと分かったことがある。
……ずっと続いてほしかったのだ。
「ローロ。私が剣を捧げる君は、強い人だ。気高い少女だ。誇りを胸に、背筋を伸ばして生きて行ける人だ」
永遠に終わらない世界が欲しかった。
限りある永劫だとしても……無限に続くあなた達との時間が欲しかった。
「私はそういう君が好きだな」
「…………!」
──顔を跳ね上げる。
見た。
色はなくとも、ぼやけた輪郭でも。
「泣いていい。だけど負けるな。君は誰よりも強いのだから」
鮮やかだった。爽やかだった。
ティアレス・ティアラ・ホルルは今まで通り、曲がることのない背筋を真っ直ぐにして──涼しげに笑ってくれる。
………………終わってしまうのに。
なぜ……笑えるの?
生きて。
どうして胸に誇りを、
死んでしまえばそこで終わりで、
──終わりになんかしたくなかった!
なのにあなたたちには笑顔が。
ここにあるよ。
ここから先へ……
どこまでも遠くにだって行ける!
そんなにすっきりと笑う必要なんかない。
私は、まだ、あなた達と。
一緒に。
生きて……
命は此処に──!
此方から、彼方の先までも!
悲しくて、
失いたくなくて、
壊してしまいそうで、
大事な──本当に大事な、宝物。
それはきっと今ここにある命だけではない。
「…………見ていて、くれますか……?」
覚えている。忘れてなんかない。
私の
そして大切な過去があるからこそ、今、泣きながらでも前を向ける──未来まで見通せる。
「ずっと。ずっ、と! 私のことを見守ってくれますか?」
ローロ・ワンの頬をまた涙が流れていく。
だがその涙は辛苦から訪れるものではないのだと、分かっている。
「私が挫けそうになったら、私が振り向きそうになった時、私が諦めかけた瞬間、弱くて脆くて頼りないものになってしまいそうな時に必ず──私を見ていると約束してくれますか?」
今度こそ少女は二人を見た。見つめ、真摯な祈りと共に涙を零した。
そして──。
真に青い世界。平らな大地の上。
それでも色の無い世界に、二つ、輝くような笑みが灯る。
「ああ。君をいつまでも守るさ──」
「──祈るよ。願うよ。守り続ける」
……。
ああ、────ようやく。
ようやく、分かった気がする。
「なら、これは、お別れなんかじゃ、ありません……っ」
いつも胸に思い描いていた。
より良い未来を得ようと。
進む先に。道の果てに。きっときっと『より良い』と許容できる世界があると。
「ただ二人が、私とは違う道へ行くだけのことです」
それが具体的にどのような形をしているのか、ローロは今まで分からなかった。
ただただ最善を選び抜くことで拓ける景色なのだと。曖昧な考えばかりが先行していて。
青い言葉を沢山吐いた気がする。
未熟な意思で無茶を押し通してきた。
「もう二度と会えなくとも──別れではなく、だから、さようならとは言いません」
だけど今、理想は地を踏みしめて形を得た。
『より良い未来』。
ローロ・ワンには、それが何であるのかが、もう分かる。
「大好きです……」
今、この心臓を苦しめて止まない鼓動の重み。鋭さ。息苦しさを、愛おしく思おう。泣くことで震えあがる喉を慈しんでいこう。
──忘れない。
痛みも。
苦しみも。
涙の理由も。
どれだけの時間が流れようと、ローロ・ワンは今この瞬間の全てを、二度と忘れない。
「二人の事が私は大好きです! あなた達が私を好きなよりも何倍も、何十倍も、何億倍だって大好きです!!!!」
「えへへ。照れるね?」
「だけど君らしくていいな、うん」
三人で、笑い合って。
最後にローロはそれぞれ二人と抱擁を交わし。
「これからの全てに、どうか気高い意志を欠かさずに」
「ティアレスさまとの時間をいつまでも誇りに思います」
ティアレス・ティアラ・ホルルからは、騎士道を。
「ローロ。私に『愛してる』を教えてくれてありがとう」
「アル。あなたと居た時間が、私の原動力だったんだよ」
アル・ルールからは、誰をも治し救えるだけの優しさを。
そして、これが、二人にとっての終着点だった。
「──ローロ。メフトのことをよろしく頼む」
「あの人、すごく寂しがりやだと思うから」
頷き、ローロが見つめる中。
二人の肉体がゆっくりと色と形を失っていった。
────あっけないほど、あっという間に。
ティアレス・ティアラ・ホルルも、
アル・ルールも、
そこに居た手がかり一つ残さずに、
霧のように、霞のように、世界へと溶けていった。
「アル。ティアレスさま……。私、忘れません」
いつまでも失うことのない痛みを謳おう。
どこまでも届くだけの深い、大きな愛情で。
青く。
澄み切った空の下。
──もう二度とその青を見ることができなくとも、少女が心に描いた青は二色ある。
青より碧い翡翠。
青より済んだ蒼。
「絶対に……絶対に忘れませんから」
ローロは、そうして神の展開を停止した。
銀と紫の円環は物理的顕現状態を終え、非稼働状態へ移行。姿を消す。
少女は涙の跡が残る顔にすっきりとした笑みを浮かべて見せた。
そして。
宇宙の、闇の只中。
一人の女がにっこりと笑った。
ねえローロ。
私ね、わからないことがあるの。
『最大の懸念だったマギアニクスは打ち倒され』
どうして命は、争うことばかりを選ぶのでしょうね。
どうして人はその手を憎むことにばかり使うのだと思う?
『最大の不確定要素だったアルは魔力に溶け』
手を繋ぐことを放棄して。
立ち止まり、恨み、睨んで。
隣人を殺すことばかり考える。
だけど同じ心で愛を歌えるのが人間だった。
誰かを殺せるその手を組み合わせ、無心に祈れたのもあなた達。
なぜ憎むの?
なぜ祈るの?
なぜ歌うの?
私が根源から抱え、これからも答えを掴めるはずのない疑問。
だけど推測だけなら立てることができる。
『最大の障害だったティアレスも尽き果てた』
全ての憎悪に起源を与えるなら、それは。
『これで……ようやく』
それはきっと──
ねえ、想像して?
魔力がない世界を。
考えてみてほしい。
魔法なんて始めから存在しなかった宇宙を。
手段は、メルツェルが用意してくれた。
目的も……メルツェルを殺した時に生まれた。
最後に必要だったのは覚悟だけ。
『私を止められる者は世界にただ一人だけ』
……そう。
『ローロ。私があなたを必ず救うわ』
さあ。
始めましょうか、メルツェル。
あなたが願った終末と再生を。
世界を……取り戻すのよ。