主従の間に芽生えてしまった歯止めの効かない愛情は光をも割断する 作:てりのとりやき
宇宙という真空世界にあって、ローロには、今、光が物質として感じられる。
透明な宝石のような固体。
または流れ続ける液体。色や形のない気体……。
光はローロが掴めばその座標点で凍ったように固まった。また、ローロが望めば液体となって時空間を果てしなく速く駆け巡ることもできた。
光はつまり、この宇宙における時空間進行の媒体だ。
それがなければ時空は前進できず、進むことのない停滞を拒むよう運用される宇宙は光を必須の存在とする。
光。その本質は宇宙運営の根幹をなす法則であり──同時に、ローロが自由に制御できる存在でもある。
「……」
今この時、宇宙はかつての暗黒を失っていた。ローロの眼前、真空の世界には果てしない輝きだけが存在する。
宇宙の外縁から隅々まで、全てを一斉に消し飛ばしていく『輝き』。
星も、塵も、彗星も、小惑星も、恒星も、ブラックホールも、銀河も、何もかもが関係なかった。すべての存在はその『輝き』に触れたとたんに消滅し、
『あれが最後の魔法……』
言葉は自身の内から沸き起こるもの。ローロ・ワンが発するものと同じ声音。
横を向く。
そこにはローロとまったく同じ顔、背丈の少女がいた。銀の髪、淡い紫の瞳。どこか無機質な表情。
同じように左腕を根元から欠損し、同じように右手の三指が無い少女。
彼女の名はマギステルシア・ファウスト。
脳機能補助を目的とした魔法存在【ローロ・ワン】が寄生する、本来の肉体の持ち主だ。
「うん。あれ自体がメフトさまなんだ」
『とても眩しくて、だけどなんだか悲鳴を上げてるみたい』
「そうだね。きっとそうなんだと思う」
シンプルな感想にローロは小さく笑って見せる。
……光の速度を制御化に置くローロ・ワンは、今、無意識のうちの時間が凍結したに等しいほど時空間の進行を遅延させている。この宇宙における絶対の法則に、光のようでいてそうでない『輝き』も付き従わざるを得ない以上、『輝き』が宇宙を破壊していく速度も凍結したに等しい。
時が、果てしない永遠に限りなく近い状態で1秒を進めていく世界にあって、ローロが認識する“世界”とは物理法則と少しずれた所にあった。
肉体を共有しているはずのマギステルシアが現界しているように感じられるのも、ローロ・ワンの世界認識が神の領域に達している証拠だ。
『でも、なんていうか……綺麗だね?』
「出会った時からメフトさまは綺麗だったんだ」
『うん。私達はそう感じていた』
二人で一つの存在だったマギステルシア・ファウストと共に並び、白く、色が絶えてしまったような白い『輝き』を眺める。
ローロの感覚として数分間の静寂がその場に流れたが、それが無駄な時間だとは思っていなかった。それはきっとマギステルシア・ファウストとて同じだろう。……ローロ・ワンが考えていることが、これから成そうとする行いの意味を、同じ肉体で思考するマギステルシア・ファウストにも伝わっているはずだから。
──
「ごめんなさい。あなたの体を身勝手に使ってる」
マギステルシアが目を合わせ、にっこりと笑ってくれた。
『ねえ、痛みは、私達にとって前へ進むための力だったよね』
「……うん」
『もしかして迷ってるの?』
「どう……なんだろう」
気にしないでいいと暗に言われている。それが分からないローロ・ワンではない。
それでも自身が抱く躊躇いを彼女にだけは素直に伝えたかった。
「わからないんだ。だけど私には進むべき道が見えてる。これ以上ないほど完成された道なんだ。なのに──どうしてなんだろう? 今、無性に私は振り向いてしまいたくなる」
愛した人は、……メフトは肉体を捨てた。その身を使いつぶす覚悟で神域到達魔法と同化し、一輪の花となった。直径が宇宙同等の花に。そうして終末魔法の最終第五段階を──宇宙全質量魔力転換魔法を起動させてしまった。
もう、きっと、メフトという存在は元に戻らない。死を覚悟して解き放つ最後の呪いこそが、あの『輝き』だ。
『ローロ。私はマギステルシアだけど、あなたでもあるから。私の中を走り続けるあなたが何をしたいのかは……知ってる』
「……」
『あの人が望む未来も、あなたが望む未来も、私が掴めるものでもない。それに…………ローロの求める道には……そこには、私も、お母さんも、あなたも』
世界は白い。色という概念を失っている。
『輝き』は何もかもを喰らっている。如何に時空間進行を凍結したに等しいほど遅延できたとしても、進むこと自体を止めることはできない。それはローロ・ワンの願いと祈りに反する行いだ。
だからメフトを元の形に戻す方法は無い。
──だがローロ・ワンには彼女を救う手立てならばあった。
しかしその手立てを成立させるには、ローロ・ワンもまたメフト同様に全てを捨てなければならなかった。
『私達は、どこにもいない。そうでしょ』
そしてローロ・ワンが全てを捨てるということはつまり、肉体の本来の持ち主であるマギステルシア・ファウストも全てを
肉体も。
意思も。
これまで培った全ての記憶、想いも何もかも。
「……ずっとね。自分が信じる行動には、正しい信念が必ず宿るんだって。正しい道を進むための力になるんだって……そう思ってた」
ローロ・ワンには夢があった。母親からの遺言があった。──騎士になりたい。ただその一つの夢が、曖昧な形で存在するだけの幼少期だった。
夢を形にするために、ローロはひたすらに自身が信じる正しさを抱き続けた。
正しい行い。正しい信念。正しい思い。
それこそが正道であり、夢を叶えるための道筋なのだと。
「でも……ティアレスさまとアルは、私の突き進んだ道の途上で死んでしまった」
死ぬべき人達じゃなかった。今でも思う。
さっぱりとした笑顔で死ぬ高潔を、残される側に立ってしまったローロ・ワンは悲しく思う。
その悲しみをも抱えて行くと決め、──それでも、また同じように切り捨てなければならない存在に直面している。
『……』
「何かを犠牲にしないと何も掴めないかもしれない」
私は、見た。
隣に並ぶマギステルシアを。
愛されて望まれ、祝福と共に母から生まれた少女を。
あなたの可憐な容姿にぴったりな、とても素敵な名前だろう。
どれだけの愛情が彼女の存在に込められていたのか。
私、ローロ・ワンは。……彼女の肉体を何度切り刻み、喪失し、そして取り返しのつかない消滅を最後に突きつけることになるのか。
「欲しいものを掴み取るためにはそれ以外の何もかもを諦めるべきなのかもしれない」
畏れ。
躊躇い。
それでもこれしかない。
「──進みたい。行きたいんだ。この先に。ここから繋がる未来に」
『……』
ローロ・ワンという存在が、自ら進みたいと願ってしまった道を行くためには──マギステルシア・ファウストは死ななければならない。
「ごめん。私、最低だと思う」
酷いことを言っている自覚があった。許されるはずがないと分かっていた。
怒り、罵倒され、泣き叫ぶ権利がマギステルシア・ファウストにはある。ローロ・ワンから何もかもを奪い、今すぐにメフトを殺し、残った世界を好きなように扱う権利が少女にはあったのだ。
ローロ・ワンはひたすらにマギステルシア・ファウストの言葉を待った。彼女の想いを受け止めなければ前へ進むことは許されていないと思ったから。
《ローロ》
唐突に、声は横から。
振り向く──マギステルシアから視界がはずれ、反対側の隣に居たのは一人の女だ。
まるでマギステルシアがそのまま大人になったかのような女性。少女よりも少しだけ怜悧な目つきをした淡紫の瞳、銀の髪、大人びた表情。
マギアニクス・ファウストだった。……厳密に言えば、マギアニクス・ファウストを模倣した魔法創造型魔法【
「母さん」
《あなたが正しいと思ったことが必ずしも他の誰にとっての正しさになるという確証はないのよ》
「……」
諭すような口調に無駄な言葉は何一つなかった。理知と冷徹な論理による構造。母のそういった部分だけを抽出した【MOS】の言葉に狂いはない。彼女は淡く微笑んでいる。
《それはきっとメフトにとっても同じこと》
「同じ?」
《あなた達は今、同じ孤独を抱えている。同じ躊躇を感じている。同じ方向を見ているはずなのに、どうして二人とも違う歩き方をするのかしらね》
【MOS】が前へと向き直った。『輝き』の眩さに目を細め、その微笑みを柔らかいものに緩めていく。
《とても可愛らしくて……おかしなことね》
三人で並ぶ中、自然と誰もが顔を前へと向けた。
『輝き』が占めるかつての暗黒を、その光輝なる純白の世界を。
『進むと決めたんだよね』
「うん」
《迷いながらでも、傷ついても?》
「それでも」
『分かってる? ローロ、あなたが選択した道は、
「…………」
当然の理だ。
マギステルシア・ファウストがその全存在を捨てることを強要されるのならば、同じ肉体に共存するローロ・ワンとて全存在を失う。
死──と呼ぶべきかは難しい。
だけど彼女がそう定義するなら、それはマギステルシア・ファウストにとっても、ローロ・ワンにとっても等しく『死』だろう。
「それでも、だとしても」
私にとっての気高さ、誇りの全てがそこにあるから。
私の背中を今も大事な人が押しているから。
「私は私の道を行く。光の先へ進むよ」
──言い切るのと同時だった。
横から、軽い衝撃。寄りかかる肉体のやわらかな匂い。同じ肢体の感触──マギステルシアによる、抱擁。
「……」
『私のかわいいかわいいお姉ちゃん。ううん、大事な大事な妹かも』
言葉は耳元から。熱い情動を秘めた、愛しさのすべてを詰め切った声音だった。
あのね、と。
抱きしめるまま、少女は言うのだ。
『私はローロの味方だよ』
「──」
許しも、拒絶も、怒りも、何もない。
ひたすらな愛情だけが
今更のように思い知る。
私は──ローロ・ワンは、こんなにも彼女から想われて、愛されている。
『あなたの選択の全てを見続けてきた私が信じる、ローロ・ワンの味方!』
「……!」
《誰にとってもの救世でなくて、いいのよ》
柔らかな感触が頭に触れて、添えられた。
《救済が、極めて限られた個人にのみ振る舞う光であったとしても──その独りよがりの重圧を背負えるだけの強さがその背中にあるなら》
僅かに顔を上げれば、そこには優しい顔をしたマギアニクス・ファウストがいる。
二人の娘を優しく撫でて抱きしめる、母親がいる。
『ローロ』
《私の娘》
『私の
──駆け巡る。
二人の思いが。
母親の愛情が。
姉妹の愛情が。
共に過ごした時間。流れ。生き続けたこれまでの道のり。何もかも、全てを込めて。
《あなたは、もう、あなた一人で生きていける》
『一人の道を行くべき時が来たんだよ』
愛し、思い、抱き、触れて。
『──それでもね、ローロ』
その背を送り出すための声援を。
『一人でも生きていけるあなたに、それでも二人で行きたい誰かがいるなら──』
ただ一人、独り立ちの時を迎えた者への精一杯の祈りを。
母と娘が。
血と肉で通い合い、愛するを知っている彼女たちが。
『それは愛だよ。
誰にも止められるはずがない、愛することの真実なんだ!』
笑って、ローロ・ワンを送り出そうとしているのだと、私は知った。
──ああ。
こんなにも愛されている。
こんなにも幸福な人生だった。
だから、もう、迷うべき時は終わったのだ。
「……ありがとう」
ゆっくりと母親の慈しむ手が離れ、柔らかな抱擁は解ける。
ローロ・ワンは、行った。
前へ。
光へと。『輝き』へと。
そして──数歩進んでから、振り向いた。
「母さん。マギステルシア」
笑顔の二人に、私は同じように笑ってみせた。
晴れ晴れとした笑顔を作れていたらいい。
「さようなら。
今までありがとう。
──行ってきます」
言い切り、くるりと反転する。
ローロ・ワンは光を見定め、彼女の下へと歩き始める。もう二度と会うことのない最愛の親子との別れを背負い、進みたい方向へと。
「何日かかっても。何年かかっても、何万年何億年かけてでも、メフトさま──あなたの下へ行きます」
宇宙が
世界を風が、
押し負けそうになる圧。『輝き』が時空間凍結級遅延の中でも猛威を振るっている。
転んでしまいそうだ。
「──解を」
だけどこれで最後だから。
歩こう。
躓いても。転んでも。
立ち上がり、傷を受け入れ、恩讐の彼方へ。
「万感を込めた道の先を、今こそあなたに」
宿業を終わらせる為の、
ローロ・ワンが、
ローロ・ワンとして往く最期の路を。
死出の旅を、──さあ、始めよう。
光を割断する時が来たのだ。
私には世界の破壊よりも破壊力のある、歯止めの効かない感情がある。
ローロ・ワンは、もう、無敵だ。
◇
永劫の時を意志一つで突き進み、やがて宇宙の果てへとたどり着いた。
宇宙を壊し続ける『輝き』に手が触れられるほど近づく頃には、無限に等しい時間流の中で『輝き』の正体を解析し終えていた。
『輝き』。
もしくは終末魔法最終第五展開“
六つの第一神域到達魔法それぞれが終末魔法に転換した姿。
それは全六層構成の破壊魔法だ。
現宇宙を六度に渡って『無』まで粉々にする権能だ。
解析し、その構造を把握し、だからローロ・ワンには『輝き』に触れることも、壊すことだって簡単だった。
そして。
触れて、
『ねえメルツェル。
私は想像する。
私は未来について考えている。
色とりどりの花々の中、
あなたが笑うことはできるだろうか。
生まれたばかりの我が子を震える体で抱き留めた、
あの母親のようにできるだろうか。
もちろん不安はある。
あなたがどんな存在になれるか、わからない。
誠実に。
真摯に。
花を共に育てられる私達は
……導けたらいい。
うん。
きっとそうね。
私は、私を導いてくれたマギアのようになりたい。』
息が詰まるような錯覚を覚えた。
「────。」
……これはメフトが六つの魔法に込めた祈りだ。願いと祈りが、残留思念のようなものとして魔法の中に、六層の『輝き』それぞれに込められている。
その思いの丈。メフトがメルツェルへと向けた祈りの深さに、胸が息苦しさを覚える。
それでも思い描いた未来があるから。
震える喉を必死になって堪えながら、そっと……一つの神を握り潰した。
──第一神域到達魔法【
◇
『私には生涯最高の友がいる。
憎まれ口を叩いてばかりだけど。
初めて出来た、とても優しい、対等な友。
時に一人で望んだ。
時にうたた寝の最中に夢見た。
時にティアレスと語らった。
メルツェル。
私達はこんなにもあなたを待ち焦がれている。
大丈夫。
……きっと大丈夫。
あなたを象るための願いも、
あなたを祝福するための祈りも、
全てが全て、私と、かけがえのない友のもの。
早くあなたに会いたい。
あなたを心の底から祝福できたなら、……その時こそきっと。
きっと、マギアの怒りの理由が分かる気がする……。』
ローロ・ワンは彼女の声の色が好きだった。
細いのどが奏でる、理知による硬質な響きが。冷たくて、聞くだけでひんやりとする声音が好きだった。
だからこそ驚いている。
こんなにも優しく柔らかな彼女の思いに。それだけ特別な存在だったという事実に。
重なっていく。
メフトの想いに、マギアニクスの願いが──母親らしさが。
「……っ」
悩み、躊躇った。
彼女の願いと祈りを上塗りする、自分自身の独りよがりな願いと祈り。
正しさを信じ続ける。
だから……壊す。
──第一神域到達魔法【
◇
『両の掌で包み込んだ中に、小さな黄金の十字架があった。
……それがあなた、メルツェル。
メルツェル・カルテル。
私とティアレスの、願いと祈りの結晶。
私達の子ども。
誕生の瞬間に湧き上がってきた熱いもの。
心臓のあたりから全身に広がっていった、形のない脈流。
それこそが喜びなのだと私は知った。
そこから続くすべての未来は奇跡のように、花のように美しい。
きっとそう。
私は、すぐ傍にいたティアレスへと振り向こうとして。
『理解。
決定。
魔法は許されていない』
あなたが発動した魔法によって、世界から十人以上の命が消されたことを理解した。』
心を殺して、呟き続けた。
やらなければならない。
やらなければならない。
やらなければならない……。
メフトの願いも、祈りも、
惜別を思い出せ。
離別の苦しみを考え抜け。その重みを、失うわけにはいかないのだから。
──第一神域到達魔法【
◇
『なぜ?
どうして?
……“終末魔法”?
そんな魔法を使う必要が、どうして。
わからない。
わからないわからないわからない。
メルツェルあなたはどうしてそんなに。
世界を、魔法を憎んで……。
止められない。
これ以上の時の進行を許せば、メルツェルを止められる者はいなくなる。
その先にあるのは……破滅。死。既存世界の破壊。
何もかもが壊れるのだろう。
何もかもを壊すのだろう。
そうした末に、きっと、すべては。
私が、私の選択が、すべては損なわれる。』
……メフトの痛みと困惑を感じた。
それは水晶のように透明で滑らかな、純粋な感情だった。
美しい形をした思いを、自らの手で潰すことが悲しかった。
必死になって、奥歯まで噛み締めて、──花を手折るように。
──第一神域到達魔法【
◇
『あなたが魔法の全てを否定し、
魔法の無い世界を作った時、きっと私は存在しない。
あなたも恐らく世界の秩序に近い概念体になるのでしょう。
そうなると理解できた瞬間、私の頭に浮かんだのはたった一人の少女のこと。
ローロ・ワンが……消えてしまう……。
私が作った。マギステルシアの内に残してしまった、あなたの姉妹が。
人として──人の中で。
懸命に生きているだけの幼子が、メルツェルの作る新世界では存在できない。
ただひたすらに生きる他なかった……。
あなたも。
ローロ・ワンも。
私でさえ。
生まれたいと言えるはずなんて、なかったのに。
……………………それでも。
私は。
せめて。
正しい行いを!
メルツェル──あなたを!!
今、この手で……!!!!』
「────。」
ローロ・ワンの瞳からは気づけば涙が流れていた。
一人で生きてこれた訳ではない。そんなはずはなかった。
自分がここに居るまでに、葛藤と懊悩の連続があり、選択があり、……そう。メフトによる選択の瞬間が、今ここにローロ・ワンを立たせているのだ。
ならば。
私は……!
──第一神域到達魔法【
◇
『潰した時の感触はきっと忘れられないだろう。
ただただ時が当たり前のように流れる中、
私の胸には穴が空いているような気がした。
それが悲しみの形だと、今更理解できた。
作ってしまった傲慢。
無知という名の罪。
私の、失敗。
ああ──マギアは。
だから、私のせいで、自らの子の首を……。
許してほしかった。
全てを。
許されるべきではなかった。
全てが。
マギアでさえ出来なかった嬰児殺し。
矛盾を抱えて、私はそれでも選んでしまった。
殺した。殺した。殺した……。
あなたに沢山のことを教えたかった。
もっともっと何かを出来る自分になりたかった。
なのに掌の中には、ぐちゃぐちゃになった黄金の残滓だけ。
……生きよう。
後悔と贖罪のための生を。
メルツェル。あなたの選択を背負うためにも。
私があなたの凶事の全てを背負い、
ローロ・ワンが健やかに過ごせる世界を維持できたなら。
その成長を見守ることさえ許されていない少女のための生で、あれたなら。
だから、ええ、そうね。
私は独りで良い。
あなたが傷つけてしまった世界には、
私が傷つけさせてしまった世界には、
それでも
…………自らの住む城に突然現れた少女が、マギアニクス・ファウストの娘だと知って。
それでもローロ・ワンを名乗っていることを理解した瞬間、メフトはどのように感じたのだろう。
“ねえローロ。あなたの……────いえ、なんでもないわ”
罪がついに追い付いてきたのだと、そう感じたのだろうか。
『ねえメルツェル。
これからの私はね、畑を耕すの。』
……………………生きなければ、ならない。
悲しくて、痛くて、やりきれなくて。
自分から壊すことだってあるに決まってる。
大事なもの同士を天秤にかけなければならないことはきっとこれからも、何度だって。
『自らの体ひとつで、息を荒げ、汗を流し。
苦しみの中で鍬を振るい、野菜を採って。
時折街へ向かい必要なものを買い足して。
道具を整備し、食べて、眠り。
起きて。繰り返して。独りで。』
生きて、前を向くために。
『そうだ』と『そうあれ』と描いた世界があるのなら。
決めたなら。
決断の責を負ってでもローロ・ワンは前へと進みます。
『苦労と共に。
生きて。
生きて、
生きて、
生き続けて。』
私は……!
私は、だから……っ!
『……いつか私を責め立てる者が来る。
正当な権利を持った者にこの胸を貫かれ。
悪を成す魔なる王として死ぬために。』
目の前に、光があった。
それは、とある女の、零し続けた涙そのものだった。
血を流しながらも生きる他を選べなかった不器用な彼女。
土と汗で汚れ、それでも自らの手で生きようとしたあなたの。
かけがえのない光。
「メフトさま……」
最後の一層。
「私は、あなたを」
祈りも、
願いも、
それでも。
「私の神を、今────殺したのです」
──第一神域到達魔法【
◇
そして。
光を、剣が貫通していた。
少女の、唯一の腕は、間違いなく女の全てを砕いていた。
『ねえ……メルツェル……。
いつか。
もしも許される時が来たなら。
その時は、花を、育てよう?
夢見たような色とりどりの花々を。
涙のような、
奇跡のような、
美しい花を……。』
このようにして魔王は絶命し、魔王の騎士は涙を流す。
宇宙の辿り着く果ては確定した。
その瞬間だった。
黄金が……白光の内で燃えている……。
「ローロ・ワン。君と目が合うのはこれで二度目だ」
名を呼ばれ──自身の名を呼んだ女を、まじまじと見つめていた己を自覚した。
女は真っ白な長衣一枚の出で立ちだというのに、違和感がないのだから不思議だった。
「どう呼べばいいのかな」
「私には正しい名というものがない。自称するならば六角魔女と。……そう名乗りたいところだが、君に敗けた以上は価値のある名でもない。彼女が与えた名で適格だろう」
「……ここはどこ?」
「私なりの言葉を使えば、君の従たる神域到達魔法と私との間で確立した相互通信プロトコル上の送受信情報を、君にも理解可能な認知空間として表現している『仮想領域』だ」
滑らかで歯切れのよい女の言葉に釣られ、辺りを見回した。
白い──どこまでも白く境目のない世界。
「君の言葉で言うなれば“神域”かな」
そう付け足す彼女の声音は平淡だ。心というものがないみたい。
けれど、──だからこそだろうか。
人ならざる存在に、いっそ神々しさを抱くのは。
「……」
「……?」
黄金に輝く髪。
比喩でなく真の意味で金色の虹彩。
美しく病的な白い肌。ほっそりとした手足と胴。高い身長。
およそ人ではなかったし、事実彼女は人ではない。
側頭部より生える、鹿のようにも空想の竜にも見える捩れた角は六つ。黒い角の全てに無数の鈴と装耳具が飾り付けられ、彼女が少し首を傾げるだけで幾多様々な音が世界中に澄み渡る。
その鈴と宝石、貴金が奏でる音はまるで人智など遠く及ばない論理を謳っているように複雑だった。
「どうした。何を考えている」
「ううん。大したことではないんだけど、……あなたは、私にとっての妹なのかなって」
「……。」
「だってほら。私の方が先に生まれたわけだし」
「…………驚いたな。私に姉がいるという認識はなかったが。ふむ。まあ、人間の関係に当てはめて言えば……メフトによって作られた者同士という意味で、時系列上は……そうだな」
それは世界の終局点を見つめ、何もかもを破壊すると決断した黄金の神性。
破滅を鎧い、謳い、見つめ、喋らず、眺め続け、死んだように沈黙した──はずだった。
……目の前に、居た。
「私の名は六角魔女。
メルツェル・カルテル。
君の妹にあたる魔法存在だ」
髪と目の色が違うだけの、メフトに酷似した女だった。
「少しでいい。ただ最後に、ローロ・ワン、君と話をしたかったんだ」