「うーん……………」
アビドスの校舎の屋上でわたしは1人真っ暗になった夜空を見上げていた。
アビドスは人が少ないおかげでビルの明かりもなく、星が見えやすい。それは皮肉なことだが。
ただ、その星の光を覆い隠すように黒い雲がかかった。
「あれもダメ、これもダメとなってくると残された選択肢は────」
アビドスに取れる手段はほとんどない。日雇いも厳しい、土地もない。それでもこの青春の思い出を残したい。それが選ばせる選択は─────
「……………」
わたしは袂から一枚の紙を取り出す。
そこには退部の文字が印字され、名前の記入欄にはホシノちゃんの名があった。
わたしは少しの間考えるとそれを懐にしまい直し、学校の中へと戻っていった。
「神様的にはその行いを止めるってのはよろしくはないんだけどねぇ」
暗くなった廊下の中を誰かを待ち構えるように待つ。静かに、これから来るであろう子に悟られないように気配を断つ。
程なくすると階段を昇る誰かの足音が聞こえてくる。コツン、コツンと一定の間隔を置いて聞こえてくるその足取り。
はっきりと分かってしまうくらい重く、遅いものだった。まるでその足を止めて欲しいと願っているかのように。
「─────なん、で?」
「やぁ、ホシノちゃん。奇遇……というには些かわざとらしいか。」
始めは冗談だと思った。
もちろん期待なんかはしてなかった。今までほったらかしにしておいて今になってやってきたところでできることなんかほとんどない。
そしていざ会ってみれば、心に湧いてきたのは失望と怒りだった。
先生なんて言うから大人の人間を想像していたが、実際に現れたのは背丈は私とほとんど変わらないような子供がそこにいた。
これに怒りのようなものを覚えないでどうすればいいのか。
それに達観したような物言いや雰囲気が余計に苛立ちを覚えた。
『迷惑はかけられない、なんて言うんだったらゲージ技出すよ。』
そんな奴に救えるはずない。そう、思ってた。
最初はヘイローもないただの子供だと思ってたけど、あの時感じたプレッシャーのようなもので一気に認識を改めさせられた。
『名実共に神様もいる訳だし。わたしとか。』
神様。それがやってきた先生の正体。
そんなわけない。この世界にそんな存在があるわけないなんて思ったが、そう思えばあの時の尋常じゃない圧も腑に落ちた。
便利屋の子たちややってきていた風紀委員会の子たちとの戦いも人数の不利があったにも関わらず、ほとんどあの神様と呼び出した知り合いだけでひっくり返していた。
そして─────
『だから、任せてよ。あんな大人とデカブツから君たちの宝物を守らせて。』
噂にしか聞いていなかった砂漠に潜む『ビナー』ですらほとんど歯牙にもかけないまま倒して見せた。
あれを目の当たりにした時にようやく肩の荷が降りたような感覚がした。
この神様になら、
だから私は、アビドスを辞めて、アイツの提案に乗ろうと思った。
そうすれば先生が半分まで減らしてくれた借金もなくなるし、シロコちゃんたちの生活も、返済ばかりだった日々から普通の学生らしい生活に戻ることができる。
それに───ほら、老兵はただ去るのみなんて言うじゃん?
おじさん1人の体でみんなが助かるなら、それでいい。
「これ、実はシロコちゃんから見せられてね。」
肌寒い廊下から対策委員会の部室に移動したわたしとホシノちゃん。
廊下で鉢合わせた時は動揺みたいなのを見せていた彼女だったが、部室に入るころにはいつもの一人称おじさんの調子を取り戻していた。
そんな彼女にわたしはシロコちゃんからもらった退部届のプリントを見せた。
「うへぇ〜、いつの間に無くなってたとは思っていたけどやっぱりシロコちゃんだったかぁ。」
シロコちゃんが思っていた通り、バッグを漁っていたことはバレていたようだ。
まぁ、それはいい。本題はこんなものを使って何をしようとしていたのかだ。
「どうしても気になったんだってさ。他校の勢力が侵入してきている一大事なのにギリギリになってまで君が来ないなんてありえないって。」
「…………そっかぁ。そうだよね。」
「正直わたしからもあれは目に余るものだよ。だから聞かせて欲しいな。あの時どこで何を、そしてこの紙で君は一体どうするつもりなの?」
ちょっと矢継ぎ早だったかもしれない口調だったが、その質問にホシノちゃんは考えるようにわたしを見ていた視線を逸らしたあと、再び戻した。
「先生、ちょっと歩かない?」
ホシノちゃんのその言葉に思わず呆れたようなため息を吐いてしまうが、渋々彼女に付き合うことにした。
再び廊下に出て、先を行く彼女の後に続く。
始めはそれなりに整頓されていた空間が徐々に手付かずになっている部分が増えていき、終いには砂に塗れた、半ば廃墟になっているところまで来た。
「あまり出歩くべきではないと思っていたけど……………」
思わず口に出てしまった言葉にホシノちゃんは困った表情を見せると机を軽く手で触った。
なんとない行為だが、たったそれだけでホシノちゃんの手には砂とホコリが入り混じったようなものがついていた。
よほど長い期間ほったらかしにされていたことは楽に想像がつく。
「まぁ、仕方ないんだけどね。掃除をしようにも、そもそも人数に対して建物が大きすぎて………」
「昔はかなりの勢力を誇っていたと聞いていたけど、その弊害か………過去の栄光のようなものが欠片も感じられない。諸行無常、栄枯盛衰とはよく言ったものだ。」
「確かに砂漠化が進む前はそうだったらしいけど、そんな記憶も実感も正直おじさんには全くないんだよね~」
最初から全部めちゃくちゃで、ちゃんとしたものなんて何一つない学校だった。
というのがホシノちゃんが入学したときのアビドスの状況らしい。
人もいなければ資金もない。広大だと思っていた土地も気づけば借金の担保として売られ風前の灯火もいいところ。
「でも、結局好きだからここまで抗ってきたんでしょ?」
「どうなんだろうね…………」
前にも───ちょうどヘルメット団が襲撃してきた後も聞いた質問。
ホシノちゃんは乾いた笑みを浮かべながら遠くを見つめる。
「………ま、でもここに来てシロコちゃんやノノミちゃん、アヤネちゃんにセリカちゃんと会えたから……うへ、やっぱり好きなのかもしれないなぁ……」
「なら、改めて聞くよ。そんな君がアビドスをやめたくなる───いや、
「…………」
わたしはホシノちゃんをじっと見つめて彼女の答えを待つ。
校舎の割れた窓から冷たい風が吹く音だけがわたしとホシノちゃんを取り囲む。
「先生、
ついに口を開いてくれたホシノちゃん。一人称がおじさんから私になっていることが気にしないでおこう。おそらくそれが素の彼女なのだろう。
話を戻そう。
ホシノちゃんが受けた提案とは一言で言ってしまえばスカウトだ。
条件はアビドスを退学し、その提案を出してきた相手の企業に所属すること。
その報酬・代価はアビドスの借金の半分を負担してくれるというものだった。
なるほど、条件はかなり破格だろう。偶然とはいえわたしがカイザーに借金の半分を報酬として支払わせたからその提案を受ければ借金をチャラに出来る。
「………………」
わたしはその提案による訝しげな表情を隠しきれなかった。
明らかにきな臭い。その一言に尽きるからだ。
「ホシノちゃん、その提案は誰からのものなの?」
「わからない。私も、あいつの正体は知らない。ただ、私は黒服って呼んでる。」
「…………会ったことがないってわけじゃない?」
「何回も会ったよ。それこそつい最近も。何となくぞっとするやつで……キヴォトス広しといえども、ああいうタイプのやつは見たこと無かった。ただ、怪しいやつだけど、別に特段問題を起こしたりもしなかった。」
どうやらホシノちゃん、風紀委員会が来た時にはその提案してきた相手の黒服とやらと会っていたようだ。
企業に所属することを条件にしているってことはやっぱりカイザーの社員なのかな?
にしてはホシノちゃんの評価も曖昧だったけど。
「何なんだろうね。あのカイザーの理事ですら、黒服のことは恐れてるように見えたけど──」
「それでその提案に乗るためにこの退部届を?」
わたしがもう一度退部届を見せるとホシノちゃんはうへ、と小さく呟いてから気まずそうな表情を見せた。
「まあ、一ミリも悩んでなかったって言ったら嘘だし。ちょっとした気の迷いっていうか。──うん、もう捨てちゃおっか。」
そう言って、ホシノちゃんはわたしから持っていた退部届を取ろうとしたが、ひょいっと退部届は上に上げられてしまい、手は空を切った。
「あ、あれ…………先生………?」
「これ───実はうまく使えばカイザーを嵌められるって言ったらどうする?」
わたしが浮かべた不敵な笑みにホシノちゃんは意味がわからないというような顔を見せた。
「は、嵌められるって…………そんな紙切れ一枚で何ができるの。」
「わたしがシャーレに来たばかりの時の書類仕事を手伝ってくれた子がいるんだけど、その子曰く書類っていうのはハンコやらサインがされてないとその書類に書かれてある通りの効果が無いんだってさ。」
そう言ってわたしはホシノちゃんの退部届のある箇所を指差した。そこには欄の中の先生の文字とその下にハンコを始めとする何かしらの認印をするスペースがあった。
「要はわたしがここにハンコを押さないと書類上はまだアビドス生徒のまま。君がこっそり持っているスペアの退部届を出したところでね。」
「ッ……………!!!」
ホシノちゃんの表情が苦しげに歪んだ。わたしを見据える目はどこか恨みがましいものだ。
抜け目のない印象のある君のことだからスペアくらいあるかなって思ったら案の定か。
まぁ、こんな誰もいない時間に1人でやってきてる時点で今から何かしますって言ってるようなもんだと思うけどね。
「あーらら、ちょっとカマかけただけだったんだけどなぁ。」
「先生………一体何がしたいの!?」
鬼気迫る勢いのホシノちゃん。鋭い目つきから感じる気迫は歴戦のそれだ。
うーん、やっぱりこの子もかなり強い方だったかぁ。
なんて呑気なことを考えながらわたしは宥めるような口調で語りかける。
「そうねぇ、強いて言うなら『絶望』と『その先にある希望』を伝えに、かな。まぁまずは落ち着いてよ。そうもカッカされてると話せることも話せなくなっちゃう。」
それは非常に困ることを伝えるとホシノちゃんは腑に落ちない様子だが、そこらへんにあった机に腰掛けた。
「まず結論。多分その提案に乗ってもカイザーは止まらないと思う。」
「……………それはどうして?」
不機嫌なのかどこか威圧的な雰囲気でそう聞いてくる。
いやー、雰囲気が悪い。下手したら銃弾が飛び出てきそうだ。ひぃん。
荒事はばっちこいだけど、不本意なものまで喜ぶほど戦闘狂じゃないからそれは勘弁願いたい。
「一つ、カイザーの狙いはあくまで土地だ。借金はその土地を得るための手段に過ぎない。つまり君が人身御供になって借金を肩代わりしてもらったところでカイザーからしてみれば貸してたものが戻ってきただけだから止まるだけの理由にならない。」
「二つ───そもそもとしてその黒服ってカイザーの人なの?企業とは言ってるけどそれがカイザーとは限らなくない?明言しなかったのも気になるし、もしかしたら別の協力企業ってオチもありうる。」
「…………借金を減らすにはもうこれしかないんだ。ちょうど向こうもPMCのための人員を探しているって話だった。」
うーん、本当にそうなのかな…………確かにホシノちゃんは強いし戦力としては申し分ないけど…………
とりあえず今は彼女の逸る気を抑えるのが先決だ。
Widerspruchの言っていた誰も幸せにならない選択を取る前に。
「そして三つ目、これが一番要の部分。アビドス廃校対策委員会は公には公認の部活にはなっていない。書類上は存在していなくて、今この学校にあるのはアビドス生徒会ただ一つ。」
「えっ、あっ……………ウソ…………」
そこまで言ったところでホシノちゃんは気付いたのか動揺し、顔を青くし出した。
そうか………まさかとは思っていたけど知らなかったのか。
ってことはおのずとほかの子たちもこのことを知らないと思った方がいいかな。
ともかく、これで事の重大さを理解してくれたみたいだ。ちょっと酷だったかもしれないが。
「そう。アビドス生徒会は3年生の君だけ。君が辞めてしまうとアビドス生徒会がいなくなる。そしてそれは、アビドス高等学校が消滅したことと同意義なんだ。学校を運営できる組織がないんだから。」
「結果、君が抜けるとアビドスがなくなる。ってことはこのあたりは事実上の空白地帯と化す。さて、それでいの一番に喜ぶのはどこでしょうか?」
「カイザー………コーポレーション…………!!」
「そういうこと。だから君を止めにきた。悪い大人の策謀に嵌るその前に。」
さて、どうなる。とりあえず今の話や事前情報とかから色々推察してこうなる可能性高いよってだけの話をしただけだが。
最悪言葉でダメなら武力行使の手段しかないが…………
「…………ねぇ、先生。私ってどうすればよかったかな。」
「……………」
消えるようなホシノちゃんの呟き。
おそらく独白に近いそれ。
「前まで、それこそノノミちゃんやシロコちゃんがアビドスに来る前、ここには私とユメ先輩………その時の生徒会長しかいなかった。それでも楽しかった。いろんな思い出が今もある。」
「でも、ちょっとしたことから喧嘩になって………それが最後のやりとりになっちゃって………それをもう繰り返したくなかったから…………」
始めはゆったりとした口調だったが、次第に声が震え始め、泣いているような声色で話す。
「だけど、その結果がこれなんて………!!結局、私はあの時から何も変わってない………!!」
「…………一人で抱え込もうとするの、あまりよくない癖だと思うよ。それに言ったでしょ?絶望の、その先にある希望を伝えに来たって。」
なーんか鬱屈した雰囲気になってるホシノちゃんにそう言ってやる。
というか、さっき言ったじゃん。退部届うまく使えばカイザー嵌められるって。
わたしは持っていたホシノちゃんの退部届を再び見せた。
「向こうが意地の悪い大人のやり方やってきたんだ。こっちも一芝居打ってみない?目には目を歯には歯を、なんて便利な言葉がある。」
どうする?さんざんやられっぱなしじゃ性に合わないでしょ?
わたしはホシノちゃんに向けて手を差し伸べた。
その差し出された手をホシノちゃんは呆然と見つめていたが、やがて噴き出したように表情を緩めた。
「…………先生ってさぁ、ホントに先生やる気あるの?生徒に悪いこと勧めるなんてさ。」
「マニュアルみたいのがない以上我流になってくるのはどうしようもなくない?まぁ可能な限り言葉は尽くすけどさ。」
そう返してやるとホシノちゃんはわたしの手を取って腰かけていた机から降りた。
「で?先生はこんなおじさんに囚われのお姫様なんてやらせて何をすればいいの?」
「うーん………強いて言うなら───待て、しかして希望せよってやつかも。だけど、必ず助ける。頼れそうなところはなんでも使ってね。」
そういってわたしは通信端末を取り出した。
可能な限り打てる手は打っとかないとね。
うおお!!ぼちぼちランセレできる!!