担当ウマ娘に、恋をした。   作:宮川 宗介

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※この小説は史実・アプリゲームのストーリー、フィクションを織り交ぜたIF作品となっています。

そのため対戦相手や出走レースが、史実及びアプリの育成イベントと異なる場合があります。

ご了承の上、お読みいただきますようお願いします。



第十二話

 

祖父の訃報を聞いたフラッシュは、震える手でそのままスマホを手提げバッグにしまった。

 

「フラッシュ……」

「お時間を取らせてすみませんでした。トレーニングを続けましょう」

 

フラッシュは青い顔のまま、まるで何事もなかったかのように屈伸運動を始めた。

 

「ちょっと待って!大切な親族がお亡くなりになったんだろう?ご臨終の際に寄り添えなかったのは残念だけど、お葬式には出ないと。すぐに帰国の準備を……」

「トレーナーさん。憚りながら私は、ダービーウマ娘です」

 

目に涙をためながら、フラッシュは言い放った。

 

「もうすぐ大阪杯という大舞台が迫っています。ダービーを勝ったウマ娘が、私事でGⅠを回避するわけにはいきません」

「そうは言っても……」

「トレーナーさん。私はレースを、GⅠを走って勝利するために日本へ来たのです。祖父もきっと、分かってくれます」

「……」

 

俺は、このドイツ人らしい若い頑固者になんと言うべきなのだろう。

トレーナーとしては、ダービーウマ娘としての矜持と心意気を買って『よく言った!』と声をかけてやりたい。

 

しかし、たとえどんな大勝負が迫っているにせよ、大切な人とのお別れのセレモニーをないがしろにするべきではないと説得するのが、良識ある大人してのあるべき姿なんじゃないか。

 

「……分かったよ、フラッシュ。大阪杯を……GⅠを勝って、天国のおじいさんにいい報告をしよう」

 

残念なことに俺は、フラッシュの前で良識のある大人として振る舞えなかった。

結局ウマ娘のトレーナーになるようなヤツは、レースバカでウマ娘バカの、こういうロクでなしの人種なのだ。

 

「はい。すべきことをすべて終えたあとには、必ず朗報を携えて祖父の墓前に」

 

フラッシュはそう言うと、いきなり全速力でダートのバ場へと駆け出してゆく。

 

もうすでにゴールドシップとのマッチレースを全力で走っているフラッシュは、かなり体力を消耗してしまっているはずだった。

 

しかし今日ばかりは、彼女の暴走を止めようという気持ちになれなかった。

 

*

 

GⅠ・大阪杯が行われる阪神レース場の桜は、まるで春のシニア三冠開幕を祝うかのように、美しく咲き誇っていた。

 

「トレーナーさん。ドイツでも4月には桜が咲くんですよ」

「へぇ、そうなのか」

 

隣を歩くフラッシュが、大勝負前とは思えない優しい瞳で桜を愛でながら、そんなことを教えてくれた。

 

桜といえばなんとなく日本の固有種のようなイメージがあったが、桜はバラ科の植物なわけだし、同じ北半球のドイツにあってもおかしくはない。

 

「有名なところだと、ベルリンにあるさくら平和通りの桜でしょうか。1000本以上の桜が4キロにもわたって植えられていて、とても美しいんです」

「それはきっと、壮観な景色だろうね」

「ええ。何度か家族で観に行ったことがあるんですよ。その光景はとても幻想的で、どこまでもその景色が続いているかのような錯覚に囚われてしまいますね」

「ああ。その気持ちはわかるなぁ」

 

桜並木を歩いていると、確かにそのような感覚に襲われることがある。

この景色を永遠に楽しんでいたい、と思うからなのか、桜にまつわる、摩訶不思議な話を想起するからなのか。

 

「日本の桜を見るのも、もう三度目になるんですね」

「……そうだな」

 

そう。

フラッシュも、シニア級に進級した。

 

ウマ娘の現役生活は短い。

ダートを主戦としているウマ娘ならシニアの4年目ぐらいまで一級線で戦う娘はザラにいるが、芝の一流ウマ娘になると、シニアを3年も走る娘はかなり少なくなる。

 

フラッシュはダービーを勝利した超一流のウマ娘であり、しかもドイツからの留学生だ。

成長型が普通寄りの早めだと考えられるフラッシュは、シニアの2年目ぐらいまではピークを維持して走れると俺は思っているが、本人がそのあたりどう考えているか、実は一度も聞いたことがない。

 

……少しばかり、その答えを聞くのが怖い、ということももちろんあった。

 

果たして来年の桜はフラッシュと一緒に見られるのかな……などと感傷的な気分に浸り始めたところで、レース場の入口に到着した。

 

*

 

俺はレース場の売店で買ってきたホットコーヒーを片手に、控室に向かっていた。

 

このコーヒーは自販機やコンビニで売っているものより少しばかり贅沢なもので、高級な豆を焙煎した本格的なものである。

 

レース場というのは実はちょっとしたグルメスポットになっていて、ご当地グルメや素材にこだわった飲み物などが飲食ブースで販売されていたりするのだ。

 

フラッシュはドイツ人らしくコーヒー派で(ドイツでは紅茶派よりコーヒー派のほうが圧倒的に多いそうだ)、ランチやトレーニングが終わったあとの休憩時に嗜んでいるのをよく目にする。

 

今日フラッシュは、大阪杯というGⅠの舞台を戦う。

 

そんな担当に少しでもリラックスしてもらえることはないか、レース前のリサーチは怠らないようにしていた。

 

「フラッシュ。美味しそうなコーヒーがあったから……」

 

小さくノックして部屋に入ると、勝負服姿のフラッシュが椅子に座って瞑目しているのが目に入ってきた。

 

彼女は大きなレースの前に精神を統一させているのかもしれないし、亡き祖父へ黙祷を捧げているのかもしれない。

 

フラッシュのじゃまにならないよう、俺は何も言わずにコーヒーを彼女の前にそっと置く。

そして俺も、今日の出走メンバーと作戦の最終確認を頭の中で開始した。

 

*

 

3番人気のフラッシュがパドックの舞台に登壇すると、ファンたちは盛大な拍手で彼女を出迎えた。

 

「エイシンフラッシュの肌の艶といい、筋肉のハリといい、今日の調子はまさに絶好調だな」

「ジャパンカップ、有マといいとこなしで負けてるけど、今日のデキならきっとやってくれる……!」

 

そんな声が、チラホラと聞こえる。

 

普通、負けが込んでいるウマ娘の筋肉はどことなく迫力がなくなり、肌や髪の艶が精彩を欠いてしまうものだ。

 

連敗中の自信のなさがそう見せるのだろうし、負け続けていることでレースへのモチベーションが下がってトレーニングに身が入らない、ということもある。

 

しかしフラッシュに限ってはそのようなことは一切なく、ダービーを勝利したときとまったく同じ、とは言い切れないものの、いつものグッドルッキングを維持していた。

 

今日の一番人気には年が明けてから日経新春杯2着、京都記念3着と安定した成績を残しているヒルノダムールが推されている。

 

彼女はGⅠ未勝利ウマ娘であり、このことはダービーを勝利している俺達にとって、かなり残念なことであった。

 

しかし人気はしょせん、ファンたちの人気投票に過ぎない。

 

ほしいのは一番人気ではない。

ほしいのは、一着である。

 

レース後、ファンたちはどのウマ娘が一番強かったか、思い知ることになるだろう。

 

*

 

歴戦の戦士が集うシニア級のGⅠらしく、ゲート入りはスムーズに進んでいた。

 

もちろんフラッシュもゲートを拒否するようなことはなく、静かにスタートの時を待っている。

 

全員、ゲートイン完了。

 

春風吹く阪神レース場に、心地よいゲートの開く音が響き渡ってレースがスタートした。

 

スタート時に挟まれてしまったのか、一人の娘が後方からのレースを余儀なくされる。

 

対照的に良いスタートを切ってハナを奪ったのは、スマートファルコンと一緒に皐月賞を走って優勝を飾った、キャプテントゥーレだった。

 

二番人気の彼女は美しい芦毛を風になびかせ、颯爽と先頭に躍り出る。

 

キャプテントゥーレは皐月賞直後に大きな故障を発症してしまい、長い休養を余儀なくされた娘だ。

しかし前走の中山記念ではあのヴィクトワールピサの二着に入り、復活の兆しを見せていた。

 

そんな彼女がレースを引っ張る形で、隊列は縦長の展開になった。

 

一番人気のヒルノダムールは先行集団のすぐ後方につけている。

フラッシュは中団よりやや後ろ側に位置していて、落ち着いて周りの様子を伺っていた。

 

よし。

かかっている様子もないし、いい調子でレースに臨んでいるようだ。

 

淡々とした流れで、レースは進む。

大きな順位の入れ替わりもなく、各ウマ娘が自分のペースを守ってレースを走っているという感じだ。

 

そろそろ第三コーナーに差し掛かろうという時に、フラッシュが少しずつ順位を上げていく。

少し仕掛けが早い気もしたが、先頭を往くキャプテントゥーレをあまり楽に逃げさせたくない、という思惑があるのかもしれない。

 

マイペースで逃げているのは、なんといっても皐月賞ウマ娘なのだ。

 

第三コーナー半ばでバ群全体のペースが上がり、それぞれにスパートの準備を整える。

順位こそ大きな入れ替わりはなかったが、刻まれるラップが明らかに早くなっていた。

 

第四コーナーを曲がり、いよいよ最後の直線。

先頭は変わらずキャプテントゥーレで、逃げ切った皐月賞の夢よもう一度、ばかりにリードを広げにかかる。

 

リードが2バ身、3バ身と広がり、皐月賞と同じ2000MのGⅠは譲れない、とスパートを掛けた。

 

その芦毛の強豪に、3人のウマ娘がすごい脚で襲いかかる。

 

今日の一番人気を背負うヒルノダムールと……あの栗毛の娘は、前走でプレオープンを卒業したダークシャドウか。

 

そしてもう一人は去年のダービーウマ娘、エイシンフラッシュだ。

 

三人はあっという間に、キャプテントゥーレを呑み込んでしまう。

圧勝した皐月賞と同じ戦法に懸けた彼女の希望は、ここで完全に絶たれた。

 

残り100M。

 

わずかに抜け出したのは、ヒルノダムールだった。

しかしダークシャドウがプレオープンを脱したばかりのウマ娘のものとは思えない末脚と根性で、一番人気のウマ娘に食らいつく。

 

少しフラッシュは遅れたか。

 

ゴール板はもう目前。

3人の中で脚色が一番いいのは、なんとダークシャドウだ!

 

すわ大金星か、と思わせたところでヒルノダムールがわずかにゴール板を駆け抜けた。

 

一番人気の意地を見せたヒルノダムールと、その彼女にハナ差まで迫ったダークシャドウに、スタンドからは大歓声があがり、同時に惜しみない大きな拍手が送られる。

 

フラッシュは負けはしたものの、去年のジャパンカップ、有マ記念のときよりずっと良いレース内容で、3着入着を果たしてくれた。

 

*

 

「負けてしまいましたが、久しぶりにいいレースだったと思います」

 

控室に戻ってきたフラッシュにスポーツドリンクを手渡すと、サバサバとした様子でそれを受け取ってくれた。

 

「そうだな。道中は冷静に走れていたし、最後の直線も勝利をあきらめずに走りきれていたね」

「ありがとうございます。ただ、少しスパートが早かったかもしれません。キャプテントゥーレさんという2000Mのスペシャリストがあまりに調子よく逃げていたものですから、少々焦ってしまいました」

 

フラッシュが何も言わなかったら、俺から指摘しようと思っていたのだが……。

それに自分で気づけるなら、フラッシュは冷静沈着にレースを走れていたのだろう。

 

大切な人を失ったばかりなのに、本当に強い娘だと思う。

俺の祖父母は幸いにも健在であるが、学生時代のテストや部活の試合の前にフラッシュと同じような不幸に見舞われていたら、いつもの力なんてとても出せっこなかったに決まっている。

 

大丈夫。

この娘ならきっと、すぐに調子を取り戻してまた栄光を掴み取ってくれる。

 

「相手のペースに持ち込ませないことももちろん重要だけど、それ以上に自分を信じてレースをすることが大切なんだ。今日の敗戦を、次走の天皇賞・春では貴重な教訓にしてほしい」

 

エイシンフラッシュの強さを確信した俺は、敗戦が熱を持っているうちに少し厳し目のアドバイスを送った。

俺の助言に、フラッシュは静かに、真摯に頷いてくれる。

 

「はい。次走は母も得意とした長距離戦ですから。尊敬する母の血を証明し、菊花賞に出られなかった無念を晴らすためにも、春の盾の栄誉は必ず……」

 

*

 

『伝統の天皇賞・春も残り200M、エイシンフラッシュ追い込んでくる!しかし、先頭はヒルノダムール、ヒルノダムールだ!ヒルノダムール、今一着でゴールイン!2着はエイシンフラッシュか。ヒルノダムール、長丁場の天皇賞の大舞台でもその実力を遺憾なく発揮してみせました!』

 

『ヒルノダムール、大きなガッツポーズを見せました!前走のレコード勝ちの勢いそのままに、GⅠを2連勝!現役最強はこのウマ娘か!』

 

*

 

『さあ春のGⅠ総決算、宝塚記念も最後の直線勝負。あなたの夢はブエナビスタか、ルーラーシップか。私の夢はトーセンジョーダンです。先頭はアーネストリー!2バ身ほどのリードを取った。一番人気のブエナビスタはまだ後ろ、2番手にはダービーウマ娘のエイシンフラッシュ!一番外から最強女王ブエナビスタが追い込んでくる、ダービーウマ娘も追いすがる、しかし先頭はアーネストリー!』

 

『ブエナビスタ届くかどうか、エイシンフラッシュ、そしてローズキングダムもやってきている!ブエナビスタようやくやってきた!しかし2着争いまでか、アーネストリー今一着でゴールイン!2着争いはどうやらブエナビスタとエイシンフラッシュ』

 

『最強女王を、ダービーウマ娘を退けて勝利したのはなんと6番人気のアーネストリーです!シニア3年めの大ベテランが、初めてのGⅠタイトルをレコードで制しました!あっと、アーネストリー膝をつきましたが大丈夫でしょうか……』

 

『……泣いています。アーネストリー、天を仰いで泣いております。クラシック期には故障による長期休養がありました。重賞の厚い壁に阻まれ続けた時期もありました。数々の苦難を乗り越えて、アーネストリー、悲願のGⅠ初制覇です。本当におめでとう、アーネストリー!』

 

*

 

大阪杯3着、天皇賞2着、そして感動的だった宝塚記念でもフラッシュはあのブエナビスタとハナ差の3着と大健闘してくれた。

 

春シニア三冠を一つも勝てなかったのは残念ではあったが、天皇賞を連対して長距離への適性は示せたし、あと2つのG1も3着までを確保した。

 

祖父を亡くした悲しみの中で、フラッシュは精一杯やってくれたと思う。

 

迎える夏の合宿でもう一段レベルアップすることができれば、秋はフラッシュが台風の目玉になることだろう。

 

しかしこの合宿の少し前から、ネット上でこんなことが囁かれ始めた。

 

『エイシンフラッシュって、パドックではいつも絶好調みたいな雰囲気とバ体してるけど……どうにも結果が出せてないね』

『俺なんか春シニア三冠全部推してたけど、結局ダメだったよ。ポイントめっちゃ損した』

『俺もだわ。なんていうか、あの素晴らしいバ体の雰囲気と超美人なビジュアルに騙されたような気持ちになるよな』

『さしずめ俺達は【エイシンフラッシュに騙されるの会】の会員みたいなもんだなw』

『あのおっぱいになら騙されても……』

『いいわけないだろ!っていい切れない俺達がいる……』

 

確かにフラッシュは、パドックに登場する歴戦のウマ娘たちの中に混じっても、ひときわ良く仕上がっているに見える。

 

それは元の素材がいいこともあるだろうし、日頃から身だしなみには人一倍気を使っているということもあるだろう。

 

フラッシュはトレーニングの時でも髪や尻尾を完璧に手入れして、ヨレ一つない小綺麗なジャージを着てくる。

 

『ウマ娘の仕事は勝利することだから見た目はそんなに気にしなくていい、という娘もいますが、私達はたくさんの人の前で走るわけですからね。それならば普段からやはり、それ相応の身だしなみには気をつけたいと私は思っています。それに、トレーニングの時には取材陣の方もいらっしゃいますから』

 

いつも身綺麗なフラッシュに何気なくそのことを聞くと、そんな返事をしてくれたものだった。

 

フラッシュ、この書き込みを見て深く気にしなければいいけど……。

 

意外に思うが、フラッシュはネットでの自分の評判を気にする方らしい。

ダービーのときも【ダービー エイシンフラッシュ】と検索して、ファンの評価を確認したりしている。

こういう悩みは、著名人ならではのものだろう。

 

ちなみに俺は、よく行く店の公式アカウントとか、読んでる漫画の作者のアカウントぐらいしかSNSは見ない主義だ。

 

自分がネットでどう思われているか、気になる気持ちはよく分かるけど。

 

ファンなんてネットでは言いたい放題言うもんだし、そのくせ週末になるとそんな書き込みはすべて忘れてしまって、文句言ってた娘をレース場で応援していたりするものなのだから。

 

*

 

「よーし、今日はここまで!休憩にしよう!」

 

巨大なタイヤを引き終わったフラッシュに、俺はキンキンに冷えたスポーツドリンクを手渡した。

とにもかくにも、このトレーニングのあとは水分補給が急務なのである。

 

「はぁ……はぁっ……はぁ……ありがとうございます」

 

滝のように流れ出る汗を拭うのもあとにして、フラッシュはドリンクを受け取って口づけると、一気にそれを体内へ流し込んだ。

 

「ふぅっ……人心地つきました……」

「お疲れ様だったね。必要とはいえ、タイヤ引きは厳しいトレーニングだからな。今年の夏も、本当によく頑張ってくれた」

 

今日は、合宿最終日。

と言っても明日の予備日があるので、学園に帰るのは明後日なのだが。

 

フラッシュはこの酷暑の中で、懸命にトレーニングを消化してくれた。

幸いなことに彼女は夏負けになったりもせず、順調に夏を過ごすことができた。

 

「ありがとうございます。今年の合宿も自分なりにできることは精一杯やったと思うのですが、しかし去年ほど大きく成長できなかったようにも感じます。タイムも結局、自己ベストを更新できませんでしたし……」

「クラシック期というのは、ウマ娘が一番成長する時期だからね。その時期と比べると、晩成型のウマ娘以外は成長が鈍化しているように感じられるのは仕方ない。タイムについては、バ場状態とか計った日の体調とか、いろいろな要因が絡んでくる。自己ベストを更新できなかったからイコール成長できなかった、と思い込むのは早計だよ」

「そうですよね……」

 

俺の言い分に、フラッシュは無理に納得したような苦笑を浮かべた。

 

フラッシュのモチベーションを下げないために俺はああ言ったものの……実は、彼女の肌感覚は正しいものだった。

残念なことに、この夏の合宿でフラッシュはほとんど能力を上積みすることができなかった。

 

このことは、フラッシュの力がほぼ上限に達したことを意味している。

 

逆の見方をするならエイシンフラッシュというウマ娘の能力は今まさに最盛期を迎えているわけで、今の実力をどこまで維持させられるかが、これからの俺とフラッシュの大きな課題になってくる。

 

「フラッシュは真面目な娘だから色々考えてしまうのは分かるけどさ。ともかく、無事に夏を越して合宿を終われたことは素直に喜ぼう。明日は予備日と称した休日だし、近所でやってるお祭りに、友達同士で出かけたらどうだ?きっといい気分転換になると思うよ」

 

そう。

学園がわざわざ今年に限って予備日なんて設けたのは、その日が地元のお祭りの日だからだ。

 

このお祭りにはトレセン学園も協賛していて、少なくない寄付金を拠出しているということもあるだろうが、もちろん厳しい夏合宿を乗り越えたウマ娘たちへのちょっとしたご褒美、みたいな意味合いも含まれていることだろう。

 

こうしたところが、学園のちょっと小粋なところだと思う。

 

「そうですね。それもいいかもしれません。……ところで明日、トレーナーさんはなにかご予定が入っていたりしますか?」

 

*

 

合宿中はトレーナーが飛ばす檄やウマ娘たちの掛け声で喧騒に満ちていた海岸も、今は夏の終わりを惜しむかのように、静かな波の音が聞こえるだけだった。

 

闇夜の海面に映っているのは、まるで光の道筋のような月明かりばかりである。

 

近くの広場から聞こえる祭囃子が、なぜかひどく遠くからのもののように感じられた。

 

「海って不思議ですね。こうして眺めているだけで、なぜか気持ちがとても落ち着きます」

 

隣に座るフラッシュが、ぽつりそんなことをつぶやいた。

見慣れているはずの彼女の横顔は柔らかな月光に包まれていて、海の女神テティスの美しさもかくや、と思わせるものだった。

 

「確かに、不思議なもんだなあ。まぁ海は生命の根源とも言うし、母なる海とも言うからなあ」

 

こういうシチュエーションでうまく言える男だったら、俺はきっと片思い知らずだったことだろう。

 

「私にとって母を感じさせる自然美といえば、月明かりですね。ご存じかもしれませんが、私の母の名前はムーンレディっていうんですよ」

「そうだったね」

 

フラッシュのお母様とは、フラッシュと正式に契約を結ぶ際にお会いして、自己紹介していただいたことがある。

お母様はフラッシュに似た超絶美女で、それでいて物腰が柔らかく、気取ったところのない親しみやすい女性だった。

ちなみにお父様もイケメンで、『なるほど。美女ってのはこういうイケメンと結婚して、フラッシュのような美少女を授かるのだな』と血統の残酷さを思い知ったものだった。

 

「そういえば、トレーナーさんのお母様ってどのようなお方なのですか?」

「ん、俺の母さん?」

 

話が思わぬ方向へ流れてしまった。

俺の母さんねぇ。

 

「なんていうかな、口うるさくて、おせっかいで、いつまでも俺のことを5歳か6歳の子供だと思っている、そんなどこにでもいる、ふつーのカーチャンだと思うよ」

「ふふっ、それはうちもそうですね。私も母から週に3回は『しっかり食べていますか?』『がんばりすぎていませんか?』ってメールが届きますよ」

「きっと母親ってのは、世界共通でそういう存在なんだろう。そういや、俺も母さんからの連絡の冒頭はほとんど『ちゃんとしたもの食べてるの?』だな……。なんでカーチャンって子供と離れて暮らすようになると、まず食ってるかどうかの心配を一番にするんだろうな」

「理由は色々あるとは思いますが、きちんと食事を取れていれば、まずは健康だということが知れるからじゃないでしょうか」

「なるほど。自立することを俗に『食っていけるようになる』って言ったりするもんなあ」

 

そういえば最近忙しさにかまけて、母さんに電話どころかLANEも入れてないな……。

フラッシュとこんな話になったのもなんかの縁かもしれない。

 

あとで元気か?のLANEぐらい入れておくか。

 

母親談義はそこで終わり、ふと二人の間に沈黙が流れる。

 

時の流れがゆっくりとしたものに感じられ、耳を打つのは遠くから聞こえる祭りの喧騒と、海が奏でる波音だけ。

 

こんな時間を一緒に過ごすのは、フラッシュと知り合ってから初めてじゃないだろうか。

 

俺達は今まで、トゥインクルシリーズという名のレースを脇目も振らず駆け抜けてきた。

たまにはレースのこともトレーニングのことも忘れて、こうして静寂の時を楽しむのも悪くない。

 

そんなことを考えていると、こつん、と肩口に小さな重力を感じられた。

ふいにふわり、とシャンプーの甘い匂いと柔らかい髪の感触が、俺の鼻腔と触覚を直撃する。

 

「フラッシュ……?」

 

今まで元気に振る舞って見せてくれていたが、本当はよほど疲れていたのだろう。

彼女は俺の肩に頭をあずけ、すぅすぅと規則正しい寝息を立てていた。

 

……この夏、君は本当にがんばったもんな……。

 

伸び悩むタイムに、去年の冬から続く敗戦の悔しさがあったのだろう。

俺とのトレーニングが終わったあとも、自室でできる筋トレをしたり、合宿所周りを走り込んだりしていたようだ。

 

オーバーワークになるようならもちろん止めるつもりでいたが、一線を越えない範囲ならフラッシュの努力に口を出すようなことはせず、静かに見守ろうと決めていた。

 

今日俺をここへ誘ってくれたのは、こうして疲れているところを仲間たちに見られたくなかったのかもしれない。

 

幸い、今日は潮風もゆるやかだ。

多少長くあたっていても、体に障るまい。

 

俺はフラッシュに肩を貸したまま、月光に照らされた母なる海をいつまでも眺めていた。

 

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