担当ウマ娘に、恋をした。   作:宮川 宗介

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第十四話

レース界というのは刺激的なようで、実は非常にルーティーン的な閉じた世界である。

 

年始の金杯から一年が始まり、寒さがまだまだ厳しい時期にその年最初のG1・フェブラリーステークスが行われて、今年の桜はいつ頃咲くかな?と気になりだす季節に、スピード自慢のウマ娘たちが高松宮記念に集う。

 

桜が咲けばトレセン学園に新入生が入ってきて、クラシック路線は桜花賞・皐月賞で幕が開ける。

 

初夏にはレースの祭典・日本ダービーで盛り上がり、上半期の締めくくりにファンたちの夢を乗せて、宝塚記念が開催される。

 

真夏になればジュニア級の初々しいウマ娘たちが、続々とデビューし始める。

メイクデビューに臨むウマ娘たちはみながみな、某マンガのように『GⅠウマ娘に、私はなる!』と希望に胸膨らませて、トゥインクルシリーズという大海に漕ぎ出してゆく。

 

初秋に中山レース場で行われる電撃戦・スプリンターズステークスは秋のGⅠ戦線開始を告げる号令のようなもので、その後は中距離・マイル・三冠、トリプルティアラの最終戦・国際GⅠレースと、怒涛のGⅠラッシュが年末まで続く。

 

一年の締めに芝は有マ記念、ダートだと東京大賞典という大レースが執り行われ、その年は暮れてゆく。

 

細かなレース改編やルール変更はあるにせよ、毎年毎年、レース界はこのサイクルをひたすらに繰り返しているわけだ。

 

そして俺達レース界の人間は勝っては笑い、負けては悔し涙を流し、また次のレースの準備に追われての輪の中を、クルクルせわしなく回っている。

 

勝ち負けがあってエキサイティングなようであっても、意外に単調な生活リズムだ。

 

俺はまがりなりにもレースで食っている人間なので余計にそう感じるだけであって、きっと世間の人たちもみな、その業界のサイクルの中でせわしなく忙しく生活しているのだろう。

 

*

 

年が明け、フラッシュも2回めのシニア級を迎えた。

 

熟れた様子でダートを走り込むフラッシュを見て、思う。

 

フラッシュももう、ベテランの域に達したウマ娘なんだな……。

 

フラッシュに出会って本契約を交わし、メイクデビューに挑んだのがついこの間のようなことに思える。

 

俺達は一体、いつまで一緒に同じ視線に立って、同じ目標を目指していられるのだろう。

最近、ふとした瞬間にこんなことが頭の中をよぎる。

 

芝を主戦場にするウマ娘で、シニアを3年も4年も続ける娘はとても少ない。

 

ダートならそれぐらいの歳まで第一線を走っている娘はザラにいるが、消耗の激しい芝戦線を走る一流ウマ娘で、そこまで続ける娘は稀である。

 

ましてやフラッシュはダービーを勝った超一流のウマ娘であり、ドイツからの留学生なのだ。

 

最終的にはフラッシュの判断次第になるが、今年いっぱいで現役引退、なんてことも十分に考えられた。

 

フラッシュがいなくなったあと、俺はどうするのだろう?

 

きっとまた新しいウマ娘をスカウトして、そしてその娘との新しい挑戦が始まるのだと思う。

担当との出会いと別れも、広い意味で結局はレース界のサイクルのひとつでしかない。

 

でも……そのあとの、フラッシュとの関係は?

 

俺の気持ちはフラッシュへの恋心を自覚した瞬間から変わっていないが、彼女からすると俺は目標をともにするトレーナーというだけであり、それ以下でもそれ以上でもない。

 

むしろ先日の事件で、【男としての俺】に警戒心を抱いた可能性すらある。

 

男性トレーナーとウマ娘のラブストーリー、というのは昔からドラマや小説などではよく取り上げられる普遍的なテーマであるが、現実にはそんなにたくさんあるわけじゃない。

 

外部から見ると男性トレーナーとウマ娘という関係が、興味深く映るのだろう。

だからこそ、創作物のネタになるのだろうが……。

しかし現実的な距離感は学校の先生と生徒みたいなもので、どんなに二人が近しくて親しい間柄であっても、恋仲なんかになったりしないのが普通なのである。

 

ウマ娘も年頃の女の子であるから、身近にいるちょっと頼れるお兄さん、みたいな感じの男性トレーナーに恋をする娘も確かにいる。

 

でもそういう娘は思春期の女の子にありがちな【恋に恋している】というだけのことが多く、トレーナーの方もそれをよく分かっているから、お互いに適切な距離を保つよう、しっかりと話し合いをするものである。

 

まぁ中には両想いになって担当が引退してから付き合おうと約束していたり、担当が引退するまでは周りに付き合っていることを内緒にしておこうと約束して、秘密裏に交際しているトレーナーとウマ娘もいないわけではないが……。

 

それはかなりのレアケースだ。

 

ちなみに男性トレーナーの配偶者にウマ娘が多いのは、若い時に担当したウマ娘と一緒になるから、という理由ではない。

男性トレーナーが自分の仕事に理解を示してくれる女性を探してたら、同じ歳ぐらいのウマ娘と巡り合って結婚、というパターンになりがちだからだ。

 

逆に言うとトレーナーという商売は、普通の女性にはなかなか理解してもらえない職業ということもできる。

 

結婚云々はともかくとして、フラッシュとの関係を進展させたいと考えるのならば、どうしたって俺から動くことになる。

 

ただ、俺がフラッシュのことが好きだと自覚した時、一つの誓いを立てていた。

 

それは俺の一方的な恋心のために、フラッシュの競走生活をかき乱すことは絶対にしない、ということだ。

 

フラッシュに気持ちを伝えるとすれば、彼女が現役を退いてからになるかな……。

 

となると、この気持ちをどうするか、フラッシュとの関係はどうなるかなんてことは、彼女が現役引退を決めてから考えればよいだけのことである。

 

俺は気持ちを切り替えて、次走のためのトレーニングメニューを組み立て始めた。

 

*

 

今年も、バレンタインがやってきた。

去年はおいしいブランド物のミルクチョコレートを世話チョコとして贈ってくれたフラッシュだが、今年も同じブランドのバレンタイン限定チョコレートを、トレーニング前にトレーナー室へ持ってきてくれた。

 

「わざわざ、ありがとう。あとその衣装、似合ってるな……」

 

いつもと違う雰囲気の服装でトレーナー室へ現れたフラッシュに対して、俺が言えたのは3年前に初めて勝負服を披露してくれた時と同じセリフだった。

 

「そうですか?ありがとうございます」

 

そういってフラッシュはあの時と同じように、くるり、ときれいに一回転してみせる。

 

今日のフラッシュは右耳にコック帽をモチーフにした耳飾りをちょこん、と乗っけて、白を基調にした調理服のような清潔感あふれる衣装に身を包んでいた。

 

その、なんというか……パティシエールを彷彿とさせるような、そんな衣装である。

 

生地の素材や服の造りを見るに、それはどうやら勝負服のようだった。

 

「ドイツ語で女性の菓子職人のことをコンディトリンというのですけれどもね」

 

そんな注釈を加えながら、フラッシュはその衣装の来歴を話してくれる。

 

「とてもありがたいことに、私の私設ファンクラブの方々がバレンタインに合わせてこの勝負服をプレゼントしてくださったんです。学園の広報誌に『将来は両親のような立派な洋菓子職人になりたい』と書いたことがありますから、きっとそれを汲んでこのような勝負服を贈ってくださったのでしょう」

「なるほど、それは嬉しい話だね」

 

最近は不調に悩まされているとはいえ、ダービーウマ娘のフラッシュには当然といえば当然であるが、たくさんのファンがついている。

著名人の宿命でもちろんネガティブなことをいう輩もそれなりにいるわけだが、それ以上に彼女を応援してくれているファンがいるのだ。

 

フラッシュのファンの中には熱心な人もいて、そういった人たちはSNSなどで連絡を取り合い、非公認のファンクラブみたいなものを作っているらしい。

 

今回フラッシュに勝負服をプレゼントしてくれたのは、その非公認のファンクラブ一同から、なのだろう。

 

「そのファンクラブ、なにか名前みたいなものはあるの?」

「一応、あるみたいですね……」

 

そんなことを俺が聞くと、フラッシュは照れ笑いを浮かべる。

 

「ファンクラブにも名前があったほうが、ファンたちも一体感とか所属感とか生まれそうだしな。で、なんて名前なんだい?」

「自分でいうとちょっと恥ずかしいのですが……そのファンクラブ名は【フラッシュ様を応援しようの会】というそうです」

「ああ、レースファンってのはそういう名前をつけがちだよな」

 

俺もこの道に入ってまがりなりにもプロになるまでは当然ながらただのレースファンだったわけで、ファンの人たちがちょっと大仰なクラブ名をつけたがる気持ちは理解できた。

 

「応援してもらっている上に勝負服までいただいておいて、クラブ名にケチをつけるわけではないのですが……【エイシンフラッシュを応援する会】ぐらいでも良かった気がするんですけどね」

「レースファンにとって応援してるウマ娘というのはただの推しってだけでなく、一種の憧憬や敬愛の対象でもあるからね。人前ではともかく、仲間内ではその娘のことを敬称をつけて呼びたい、というのはわからんでもない」

「そういうものですか」

「そ。そういうもんさ」

 

分かったことのように、俺はわざと大げさに言いきってみせた。

 

ちなみにフラッシュのファンは意外にも……というと語弊があるかもしれないが、女性ファンも結構多い。

フラッシュの女性らしさの中にある芯の強さが、女性ファンたちを惹きつけるのだろう。

 

「クラブのお名前はともかくとしまして……本来であればそのファンクラブの方々一人ひとりに御礼状を差し上げたいのですが、相手方の住所が未記入でしたし、それは難しそうなんですよね。ですが同封されていたお手紙にこのクラブのウマスタアカウントは書いてありましたので、そちらのダイレクトメールにお礼のメッセージを送っておこうと思っています」

「返信先の住所がわからないんじゃ、そうするしかないね」

 

トレセン学園に通っている生徒たちは、もうそれだけで一種の著名人みたいなものだ。

未勝利のウマ娘にもそれなりにファンがいるものだし、期待されている娘だと入学前から後援会のようなものがあったりもする。

 

トレセン学園にはそんな彼女たち宛に、ファンから毎日のようにファンレターやプレゼントが届く。

 

レースファンには広く知られている話であるが、トレセンに所属しているウマ娘にファンレターなどを送りたい場合、あて先に【東京都トレセン学園 ○○様】と書くだけで、全国のどこから発送してもここの広報部に届くのだ。

 

その際ファンレターやプレゼントを受け取ったウマ娘に気を遣わせないよう、自分の住所を書かないまま送る人もいるのだが、それでも郵便局や宅配屋さんはきちんとトレセン学園へ届けてくれる。

 

「そうだ。せっかくいただいた勝負服を着たんなら、そのまま動画を撮ってお礼のメッセージを送って差し上げないか?動画なら、ウマスタにも送信できるだろう。きっと、喜ばれると思うよ」

 

俺の提案に、フラッシュはぽん、と手を打った。

 

「それはよいアイデアです。トレーナーさん。お手間を掛けてしまいますが、撮影をお願いしてもよろしいでしょうか?」

「OK。でもどうせ撮るなら、殺風景なここじゃなくて、広々とした芝コースに出てそこを背景にしないか?」

「そうですね。そうだ。せっかくですし、今日はこの勝負服でトレーニングしてもいいでしょうか?そのトレーニング風景も撮影していただいて、ファンクラブの方々に見ていただければきっと喜んでいただけると思うんです」

「いいじゃないか。自分たちの贈った勝負服を着たウマ娘が走っているところを見る、というのはファンの一つの夢だろうしな」

「それでしたら次走は、これを着て出走するのもいいかもしれませんね」

「そうなったらファンたちは感無量だろうね。よし、フラッシュさえ良ければ、次はその勝負服で挑んでみようか」

「そうですね……次走の()()()()()()()()()()では、この勝負服でレースを戦いたいと思います。ドバイでも日本のファンの存在を感じることができれば、きっと心強いことでしょう」

 

そんな会話を交わしながら俺達は練習場へ向かう。

そう。

フラッシュが次のレースに予定しているのは、アラビアンナイト・砂漠の国で行われる世界最高峰のレースの一つ、ドバイワールドカップだった。

 

芝を主戦場にしているフラッシュがダートに?と思われるファンもいるかも知れないが……もちろんそこには、勝算があった。

 

*

 

練習場の芝は真冬でもしっかりと手入れされて青々としており、ここなら映えスポットとしても文句ない場所だった。

 

「じゃあ、撮るよ」

 

スマホを構えて声をかけると、フラッシュは無言で笑顔でうなずく。

 

俺も動画に余計な音声が混じらないよう、指で3・2・1と合図を送った。

 

「ファンクラブの皆様、こんにちは。エイシンフラッシュです」

 

そう言ってフラッシュはカメラに笑顔を向けて、丁寧にお辞儀した。

 

「この度はこのような素敵な勝負服をプレゼントしていただき、まことにありがとうございました。さっそく着させていただきましたが、どうでしょうか」

 

少し長さの気になるスカートをつまみ上げ、フラッシュはその場でくるり、と回ってみせる。

 

「デザインも素敵で、とても気に入っております。それにサイズもぴったりで、走りやすそうです。今日はさっそく、この勝負服を着てトレーニングに励みたいと思っています」

 

芝のバ場に出たフラッシュは、スタンディングスタートのフォームを取った。

トレーナー(特に男の……)の声が入ってはファンたちも興ざめだろうと思った俺は、右手を上げて、すっとそれを振り下ろす。

 

それと同時に、フラッシュが素晴らしいスタートを切った。

 

そのスタートの勢いのままに、フラッシュはどんどん加速してゆく。

スタートからわずか数秒で、フラッシュの脚はトップスピードに乗った。

 

芝での走り込みはこのようにスピードが出すぎてしまい、オーバーワークになりがちなのであまりすべきではないのだが……勝負服をプレゼントしてくれたファンたちのために、今日は特別である。

 

やはりエイシンフラッシュのファンたちは、ターフを駆け抜ける彼女の勇姿を見たいだろうから。

 

脚に疲労が残らないよう、あとの練習メニューをどう調整するかな……。

 

そんなことを考えながら、俺は芝の上を全力で走るフラッシュをスマホのカメラで追い続ける。

 

動画の撮影で、カメラのレンズで、そして肉眼でフラッシュを追うたびに、俺はいつも思う。

 

彼女は才色兼備な女性であり、まれに見るグッドルッキングウマ娘だ。

私服姿や制服姿、ライブで歌い踊るフラッシュも、確かに美しい。

 

しかしフラッシュが一番輝いているのはやはり、勝負服に身を包み、こうして全身全霊でバ場を駆け巡っているときであろう。

 

ずっとずっと、フラッシュには輝き続けてほしい。

名前のとおり、鮮烈な閃光をとわに放ち続けてほしい。

 

ファンたちも、トレーナーである俺もそう願っているが、それは到底叶わぬ夢。

ウマ娘はアスリートであり、現役でいられる時間はあまりにも短い。

 

だからこそその儚さに、ファンたちは、俺達トレーナーは、ウマ娘に夢を見る。

 

栄光の勝利という、一炊の夢を。

 

フラッシュ。

 

今はその勝利から遠のいてしまっていて、確かに苦難の季節だ。

でも、こうして一緒に夢を見ようとしてくれるファンたちがいる。

 

応援してくれているファンたちに、また君のまばゆいばかりの閃光を見せてあげようじゃないか。

 

夜明け前が一番暗い。

 

暗いからこそ、閃光はより強く、光り輝く。

 

そう信じて、今はがんばろう。

 

いや。

フラッシュはいつも自分の限界まで、がんばってくれている。

 

俺もフラッシュをしっかり支えられるよう、粉骨砕身、努力しなければ。

レースさながら本気で芝コースを走り抜けるフラッシュを動画に収めながら、俺は決意を新たにしたのだった。

 

*

 

数年前のこと。

ドバイのレース場は大きな変革を行った。

 

伝統的な砂のダートコースを、オールウェザーというバ場に変更したのだ。

オールウェザーというのはタペタという新素材が敷き詰められたコースで行われるレースのことで、水はけもよく、乾燥した地域でもバ場が固くなりすぎるということがない。

文字通り全天候型のコースに変更になったわけだ。

 

しかもウマ娘の脚の故障率も有意に下がっているということで、今注目のバ場なのである。

 

一見いい事ずくめのように思えるオールウェザーであるが、レース関係者のすべてが諸手を挙げてこの変更に賛同したわけではない。

 

とりわけ強い反対の意向を示しているのが、ダート強豪国のアメリカだ。

現在アメリカのウマ娘は、このバ場で行われているレースを回避する傾向にある。

 

その原因になったのは、アメリカのオールウェザーで行われたある年のブリーダーズカップ・クラシックというGⅠレースだ。

 

この時ダートのGⅠを6連勝中で、圧倒的一番人気に推されていたウマ娘が4着に敗退してしまった。

そしてこのレースの1・2着を占めたのがダートレースのないヨーロッパから参戦したウマ娘という、アメリカのレース関係者とファンからすれば悪夢のような結果に終わる。

 

それ以降アメリカでのオールウェザーのバ場は伝統的な砂のコースに戻され、世界中のダートのトップウマ娘が集うドバイワールドカップでさえ、オールウェザーで行われるという理由でアメリカのウマ娘は出走を見合わせるようになった。

 

ドバイワールドカップという大レースに、ダートの本場であるアメリカのウマ娘の参戦が減っている状況は開催国からすると決していいことではないのだろうが、ここに日本のウマ娘たちの勝機がある。

 

ケンタッキーダービーやブリーダーズカップ・クラシックを勝っているような超トップレベルのダートウマ娘が出走してこないことに加え、オールウェザーのバ場だったら芝を主戦場にしているウマ娘がダートのトップクラスのウマ娘とも伍して戦える、ということが先のBCですでに証明されているのである。

 

距離も2000Mと、中距離を得意とするフラッシュが存分に力を発揮できる舞台だ。

 

それに……海外の、それもいつもと違うバ場を戦うことは荒治療になるかもしれないが、スランプを抜け出すよいきっかけになるかもしれないという期待も、もちろんあった。

 

そういった状況を踏まえてドバイワールドカップへの出走を決めたわけだが、少し気がかりなこともある。

 

今年のドバイワールドカップには、去年のJBCクラシックに加え、年末の東京大賞典を驚異的なレコードで圧勝した【砂の隼】、スマートファルコンが参戦予定ということだった。

 

*

 

「寮の部屋での、ファルコンさんとの雰囲気ですか?」

 

エイシンフラッシュとスマートファルコン。

 

本来レース場で交わるはずのない二人が、国際GⅠという大舞台で刃を交えることになった。

それも普段は同じ部屋で暮らし、仲良く遊びに行くこともある親友同士である。

 

そんなレースを目前にして、同室で生活している二人にメンタル的な影響はないのか、トレーナーとしては気になるところであった。

 

どちらかがそのことを意識しすぎて、二人の間の空気がほどよい緊張感以上に険悪になっているのなら、レースが終わるまで隔離することも考えなければならない。

 

「ああ。今度、スマートファルコンとはドバイワールドカップという大きな舞台で戦うわけだろう?やっぱり、気まずい雰囲気になるときもあるんじゃないかと思ってね」

 

俺の心配をよそに、フラッシュは軽く苦笑いを浮かべるだけだ。

 

「私もそのことを少し心配したのですが……ファルコンさんはこちらが拍子抜けするぐらい、いつもと変わりませんよ。こちらから『私も、ドバイワールドカップに出走することになりました』とお伝えしても、『そうなんだ!お互い初めての海外遠征で大変だけど、がんばろうね!』でおしまいでした」

「そ、そうか……。それもスマートファルコンらしいといえば、彼女らしいのか……?」

「むしろいつもいる私と一緒だったら、初めての場所でも安心して遠征できそう、なんてことも言っていました。……正直、それに関しては私も同感かもしれません」

「まぁ、言葉も文化も普段とまったく違う外国へ行くわけだからなあ……」

 

トレーナーの俺でさえ、初めてのアラブ圏への出張にまったく不安がないわけではない。

実際にそんな環境でレースを戦うウマ娘たちが感じる不安は、しょせんは付き添いでしかないトレーナーの比ではないだろう。

 

「ファルコンさんはウマドルをやっているということもあって、あっちこっちに遠征して旅慣れているでしょうしね。私と同じレースを競うことも、レースはレース、プライベートはプライベート、と割り切って考えているようです。レースで負けて帰ってきたときも内心はともかく、表面上はいつもわりとケロッとしていますから、気持ちの切り替えは得意なんだと思いますよ」

「なるほどなぁ」

 

うーむ。

普段はあんな感じでも……と言ったらスマートファルコンに『しゃい☆』っと蹴られそうであるが、そのあたりはさすがに一流のウマ娘である。

 

「それに……」

「それに?」

「ああみえて、ファルコンさんはダートを走ることに並々ならぬ誇りと矜持を持っています。ファルコンさんが私に対して普段通りでいられるのは、芝ならともかく、オールウェザーというダートに近いバ場でレースするならフラッシュに遅れを取ることなんてありえない、と考えているからなのかもしれません」

「そうだとすると……ちょっと面白くないね」

 

俺がそんなあいづちを返すと、フラッシュは強気に微笑んだ。

 

「オールウェザーは確かにダートに近い環境なのかもしれませんが、初めて走るバ場という状況においては、私もファルコンさんも同じ立場です。競走能力で私が彼女に引けを取っているとは思えませんから、きっと良いレースになると思いますよ」

 

大スランプ中のフラッシュではあったが、いつもと環境が違うレースに挑戦することのメリットがさっそく現れたようだ。

 

このことはスマートファルコンに感謝しなければいけないだろう。

 

いつもとなにも変わらない友人と同じレースに出走するということが、フラッシュのやる気と闘志に火をつけてくれたのだから。

 

*

 

ドバイワールドカップはメイダンレース場で行われる、招待国際レースである。

 

といっても、いきなりドバイの方から『ぜひ出走してください』という招待状が来るわけではない。

 

まずこちら側から出たいレースに予備登録を行い、その中から主催者側が開催するレースに出走するのにふさわしいと考えたウマ娘を選出して、招待状を送付する。

 

まぁ、実際に届くのは電子メールであるが。

 

その招待をウマ娘及びレース関係者が受諾すればレースへの登録が完了、という流れになっている。

 

もう一ついうなら、ダテに招待レースと銘打ってあるわけではなく、レースに出走するウマ娘とそのトレーナー(と、いればその配偶者まで!)の移動費および現地の宿泊費は、なんと主催者側が全部持ってくれるのだ。

 

「うわぁ、すごい、広い、綺麗!私も何回か飛行機には乗ったことあるけど、ビジネスクラスなんて初めて乗ったよ~!」

 

妙なハイテンションで浮かれて座席でぴょんぴょん跳ねているのは、制服姿のスマートファルコンだった。

 

「ファルコンさん。少し落ち着いてください。恥ずかしいですよ」

「えー、いいじゃない!このエリアには、私たちしかいないんだし」

「そういった問題ではなくてですね……」

 

ハイテンションのスマートファルコンを諌めようとするフラッシュだったが、スマートファルコンはまったく聞き入れるつもりはないようだ。

 

そう。

この飛行機のビジネスクラスエリアは現在、俺たちレース関係者の貸し切りになっている。

なんというか……さすが富の国からのご招待という感じだ。

 

ちなみに当然のことながら、俺もビジネスクラスに乗ったなんて初めてである。

 

そんな二人を、招待を受けたもう一人のウマ娘であるトランセンドが面白そうに見守っていた。

 

「いや~、レース場では【赤鬼】と恐れられるファルコンさんも、こうして見てるだけだと可愛いウマドルなんですけどね~」

 

ウマ娘の大きな耳は決して飾りというわけではなく、普通の人とは比べ物にならないくらい、聴力が非常に良い。

トランセンドの失言(?)を聞きとがめたスマートファルコンは、怖い笑顔を浮かべながらトランセンドに視線をくれる。

 

「トランセンドさん。その赤鬼っていうのは、あんまりファル子に似合ってないかな~?ファル子はいつでもみんなに勇気と希望を与えるウマドル、だよ!」

「いや。同じレースを走る身からすると、恐怖と絶望を振りまく鬼神なんですが。まるでワルプルギスの夜ですよ」

「Walpurgisnacht?ちょっと季節的に早いですね。それに聖ヴァルプルギスとファルコンさんに、なにか関係が?」

 

トランセンドの例え話に、ドイツ人のフラッシュが疑問を呈する。

まぁ元ネタがわからなければ、何のことやらさっぱりわからないだろう。

ってかもう10年以上前のアニメなのに、トランセンドもよく知っているな……。

 

「機会があれば、フラッシュさんにも説明しますよ」

 

トランセンドもそう判断したらしく、人好きする微笑をフラッシュに向けてうまく説明を棚上げした。

 

そう言われては、フラッシュも苦笑を返すよりないようだった。

 

「そのワルプルプルがなにかよくわからないけど……そういうこと言うの、禁止!」

「ライブのコーレスでも『ファル子が逃げたら~?』『追うしかない~!』ってファンたちは気軽に言ってくれますけどね。実際追いかけるウチらの立場にもなってほしいものですよ」

「それは、ファル子が速いから仕方ないよね☆」

「……言ってくれますな~」

 

JK同士の軽いじゃれ合いのようなやり取りの中にも、なにかピリピリしたものが混じっているように感じるのは決して気のせいではあるまい。

 

二人の直接対決ではスマートファルコンのほうが勝ち越してはいるが、彼女たちが戦ったのは地方の舞台であり、実のところ中央ではまだ二人のぶつかりあいは実現していない。

 

地方を無双しているスマートファルコンと、フリオーソ、ワンダーアキュートというダートの超一流ウマ娘をGⅠで完封してみせたトランセンドが中央で戦えば、どちらが強いのか。

 

ファンはこの二人の中央での対決を切望しているが、地方を主戦場にしているスマートファルコンのローテーション上、なかなか実現するに至っていない。

口のこそ出さないが、中央が舞台なら絶対に負けないという自信がトランセンドの方にはあるのだろう。

 

「ファルコンさん、いい加減にしてください。トランセンドさん、ウチのファルコンさんが……本当にすみません」

「いえいえ、フラッシュさんが謝ることではありませんよ」

 

二人の、まるで周りに迷惑をかけた子どもの母親とその迷惑を被った大人のようなフラッシュとトランセンドのやり取りに、スマートファルコンが抗議の声を上げる。

 

「なんかフラッシュさん、私のお母さんみたいになってない!?」

 

しかし二人はそれを聞き流して、「ファルコンさんはレース場でもいつもこんな感じなのですか?」「いやー、さすがにレース場では風格を見せていますよ」みたいなやり取りを交わしている。

 

なぜか保護者のような立場で間に入ったフラッシュが面白くて、俺は思わず吹き出してしまった。

それにしたって羽田を出たのは深夜の0時過ぎだったというのに、3人とも眠気などまったく感じさせず、たいそうに元気である。

俺も10代の頃はあれぐらいはしゃげたものだけどねえ……。

まったく、歳は取りたくないもんだ。

 

「いい雰囲気で、現地入りできそうですね」

 

そう声を掛けてきたのは、トランセンドのトレーナーだ。

 

「そうだね。そのことについては、トランセンドには感謝しないと。フラッシュとスマートファルコンは同室で顔見知りだけど、トランセンドとはほとんど初顔合わせみたいなものだったからね。そのへん、ちょっと心配だったんだ」

「トランは、誰とでも仲良くなれる娘ですから」

 

そう言って彼は微笑んだ。

彼は俺が赴任した次の年に新卒としてトレセン学園に入ってきたトレーナーで、俺と違って1年目からトランセンドという素質に恵まれたウマ娘を担当している。

 

彼にはトランセンドと付き合っている、って噂がついて回っているが……ああいう親しみやすいタイプのウマ娘を担当していると、色々と誤解されることもあるのだろう。

 

「フラッシュはバ場適性と距離適性を鑑みてドバイ遠征を決めたわけだけど……ドバイワールドカップは今年も豪華メンバーが勢揃い、って感じだね」

 

俺は話を変えて、後輩に当たるトレーナーにレースに関する話題を振ってみた。

 

「そうですね。世界的名トレーナーの担当で、世界中を股にかけてGⅠを10勝しているソーユーシンクに、ダートの本場アメリカからはGⅠ2勝のゲームオンデュードが参戦しています。他にも欧米を代表するGⅠウマ娘がズラリ、といった感じですよね」

「そんな中で現在2番人気に推されているのが、我が日本総大将のスマートファルコンってわけか……」

 

そのスマートファルコンはトランセンドのツッコミにボケ倒して(本人は大真面目のつもりなのだろうが)、その様子を静観しているフラッシュがあきれたようなため息をついている。

 

まるでトレセン学園でのワンシーンのような、緊張感に欠けた3人のやり取りにそこはかとない不安を覚えたが、それ以上に異国で大レースに挑む前だというのに【いつもと変わらない】彼女たちを見て、心強さを覚えたのもまた事実だった。

 

「あの様子でしたら、3人とも現地に着いても大きなメンタルの崩れもなくいい状態でレースに臨めるでしょう。前走のフェブラリーステークスではいいところを見せられなくて評判を下げてしまいましたが、トランの力はあんなものじゃない。きっと巻き返してくれると信じています」

 

トランセンドは2月に行われたフェブラリーステークスで一番人気に支持されながら、7着に敗れている。

前々走のチャンピオンズカップでは老雄・ワンダーアキュートを完封して勝利していたことから、その不可解な惨敗にファンも関係者も首を傾げていた。

 

「うちのフラッシュも調子が悪い、というわけでもないのに最近結果が出てないからね……。今回の海外遠征でなにか上昇のきっかけを掴んでくれたらいいな、と思っているんだ」

「なるほど……。担当が不調の時、もちろん本人が一番苦しいのはわかっていますが、我々トレーナーもそれなりに苦悩しますよね」

 

そんな会話を交わして、俺達は苦笑いを交換する。

担当を持つと多忙になるせいだろう、トレーナー同士の交流というのは意外に少ない。

こうして悩みというかグチというか、職場の人間と語り合う機会というのは存外に貴重だった。

 

「キミとは色々と話したいこともあるけど……少し、眠っておくことにするよ。あの娘たちみたいに、もう俺は若くないんでね」

 

まだキャイキャイ言い合っている三人を指さした俺に、彼は困ったように笑うばかりだ。

ちなみにさっきから全く話に出てきていないスマートファルコンのトレーナーさんは、機上の人になった瞬間、アイマスクとノイズキャンセラーをつけてさっさと眠ってしまっていた。

 

スマートファルコンのトレーナーという立場上、当然彼女も旅慣れているわけで、旅の流儀に関しては彼女を見習っておけば間違いなさそうだ。

 

「なにをおっしゃるやら。でも、睡眠を取っておくということは僕も賛成です。ドバイまではおよそ12時間といったところでしょうから、目が覚めたらいい時間になっていることでしょう」

 

ドバイと日本の時差はおよそ5時間。

あちらに到着する頃には、ちょうど朝食の時間になっているはずだ。

 

これなら、ひどい時差ボケに悩まされることもないだろう。

そんなこともあって、わざわざ深夜便に搭乗したわけである。

 

「向こうに着いたら、とりあえず朝飯かな。しかし、ドバイのうまいもんってなんだろう?」

「確かに、ドバイ名物ってあまり聞いたことがありませんね」

「もちろん探せば色々あるんだろうけど……まぁ、めぼしい店がなければマックでいいだろう。世界中、どこに行ってもマクドナルドはあるはずだから」

「ドバイまで行ってマックですか……」

 

俺の提案に、彼はなんとも言えない渋い顔をした。

気持ちはわからないでもないが、海外で食するマックや中華にハズレが少ないということは確かである。

 

「でもドバイのマックって高そうじゃないですか?」

「あっちは物価が高いとは聞くけど、まさかハンバーガー1つで100ドルも取らないだろ」

「そう信じたいですけどね。……え~っと……。今調べた感じ、だいたい日本の倍ぐらいみたいですね」

 

う~む。

さすがは富の国ドバイである。

単に最近は日本円が弱くなっている、という話なのかもしれない。

 

「それぐらいなら、彼女たちの分も含めてなんとか……。最悪、俺たちはホテルに着くまで我慢すればいい。ホテルに着けば宿泊費と食事代はあちら持ちだからね」

「えっ。宿泊代はともかく、食事代も招待側が持ってくれるんですか?」

「そりゃあ宿泊費と食事代はセットのようなもんだから、そのはずだろう」

「そんなこと招待状に書いてあったっけなあ……」

 

とこんな感じで結局日本時間の3時ぐらいまで男同士、ぐだぐだとつまらないことを喋り倒してしまった。

 

そんな時間まで付き合わせた彼には悪いことをしてしまったが、なんだか学生時代に打ち込んだ部活の合宿の夜中のようで、妙に楽しい時間だった。

 

ちなみに食事代はパーティとレセプションで振る舞われるもの以外、自腹とのことだった。

 

*

 

砂漠の国というと空気が乾燥していて気温が高い、というイメージがあったが、ドバイは日本と同じく高温多湿の気候地域になるらしい。

3月末の朝方だというのにどうにも蒸し暑く、空港から乗った迎えのシャトルバスから一歩外に出ると、ムワッとした空気が肌にまとわりついてくる。

 

「はぁ~、さすが世界中からお金持ちが集う国。なんというか、スケールが違いますな~」

 

到着したメイダンレース場の偉容を見て、トランセンドが感嘆の声をあげた。

 

レース場といってもレースコースだけがそこにあるわけではなく、ホテル・映画館・ショッピングモールなどが一つになった、いわば複合商業施設になっている。

 

しかもその一つ一つの施設の造りも豪華で、1日中ここを見回っているだけでも退屈することはなさそうだ。

 

「すっごーい!ねぇ、ひょっとしてファル子たち、ここのホテルに泊まれるの?」

 

目をキラキラさせて、スマートファルコンが自分のトレーナーに確認する。

 

「もちろん!なんと5つ星のホテルだからホスピタリィも期待していいと思うわ」

「うわぁ、楽しみ!」

 

スマートファルコンは自分のトレーナーの手を握りしめ、飛び上がらんばかりに高級ホテルに宿泊できる喜びをあらわにした。

 

実は俺も彼女のように表立って喜びこそしなかったが、内心は同じように感じていたのだが。

 

「身に余る待遇ですね。このもてなしに報いるだけの、レースをしなければ」

 

4日後には自分が国の威信を懸けて走っているであろうオールウェザーの本バ場に真剣な眼差しを向け、神妙な様子でフラッシュが言う。

 

「そうだね。でも、気負いすぎることはないよ。フラッシュはいつもどおり、自分のレースをすれば大丈夫だ」

「はい。日本の代表として、恥ずかしくないレースをするつもりです」

 

口調こそ冷静だったが、フラッシュの言葉にはダービーウマ娘のプライドを感じさせられた。

 

正直なところ俺はこの世界最高峰のレースで、フラッシュに勝ち負けまでを期待していたわけではない。

現地のファン人気投票でも、7番人気と今ひとつだ。

 

今回の遠征はいつもと違う環境でレースを戦うことで、スランプ脱出のきっかけを掴んでくれればいいな、程度に考えていた。

 

しかし力強い眼差しでそう言ってくれるフラッシュを見ているうちに、自分の考えが間違っていることに気付かされた。

 

フラッシュは当然、このレースに勝利するつもりで臨んでいる。

 

フラッシュクラスの一流のウマ娘で、2着でいいや、入着できれば十分だ、と考えてレースに出場する娘はいないのだ。

 

世間の評価はともかく、担当トレーナーの俺が彼女の勝利を信じてやれなくてどうする。

 

「よし、その意気だ。まずは明後日の最終追いきりで、日本のダービーウマ娘のレベルを世界に見せつけてやろう」

 

強気な発破をかける俺に、フラッシュは確かな闘気をその蒼い瞳にたたえて静かにうなずいてくれた。

 

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