担当ウマ娘に、恋をした。   作:宮川 宗介

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第十五話

フラッシュが練習場に姿を現すと、現地のマスコミ陣から歓声があがった。

 

『なんて美しいウマ娘なんだ!』

『彼女は美しいだけじゃない、ウマ娘として理想的なボディをしている。日本はすごいウマ娘を連れてきたな』

『日本のダービーウマ娘らしいぞ。これは要チェックだな』

 

ドバイは様々な言語が使われている都市である。

俺が聞き取れたのは英語だけだったが、それでもたくさんの記者がフラッシュに称賛の声を上げているのがわかった。

 

「なんだか、居心地が悪いですね……」

 

パシャパシャと無遠慮にぶつけられるカメラの閃光に、フラッシュは困惑したような笑みを俺に向ける。

 

「注目に値するぐらい、仕上げてきたからね。それに、その仕上がりはフラッシュの努力の証だよ」

 

ドバイとの時差に適応するためにフラッシュは出発の数日前からタンパク質や糖質、睡眠ホルモンをコントロールし、ここに到着するころには完璧に現地時刻に体が馴染むよう調整してきた。

 

現に到着した日の食事を全部食べることができたのはフラッシュだけだったし、翌日寝坊せず練習場に出てこられたのも、フラッシュだけだ。

 

3日目からはスマートファルコンもトランセンドも普段通りに生活できているから大したことではないように思うかもしれないが、勝負事というのは意外にもこういう小さいことが、結果に大きな違いをもたらしたりするものである。

 

「やはり、ほとんど時差ボケしなかったのが体調にも大きな影響を与えていると思います。時差ボケ対策を徹底的に調べてくださったのはトレーナーさんですからね。私はその指示に従ったに過ぎません」

「いやいや。俺がしたことはせいぜい、水飲み場まで君を連れて行っただけの話だよ。そこできちんと適切な量の水を飲んでくれるかは君次第だったわけだし、それは誰にでもできることじゃない」

 

そう。

俺たちトレーナーができることは、あくまで彼女たちをサポートすることだけだ。

それを受け入れて実行してくれるかは、結局ところそのウマ娘次第ということになる。

 

「そんなことはありませんよ。……私はトレーナーさんを、全面的に信頼していますから」

 

笑顔でそう言うと、フラッシュは練習場のダートに駆け出してゆく。

 

全面的に信頼していますから。

 

トレーナーにとって、これ以上うれしい担当からの言葉はない。

 

ドバイのダートは日本のそれに比べるとだいぶ粘度が高くて、普段軽いダートでトレーニングしている日本のウマ娘は、かなりの走りづらさを感じるはずだ。

それでもフラッシュはスマートファルコンやトランセンドという日本を代表するダートウマ娘、欧米のトップウマ娘と比べても遜色のない動きを披露してくれた。

 

そんなフラッシュを見た取材陣は感嘆の声を上げながら、彼女の走りに熱い視線を向けていた。

 

*

 

たくさんの観客で埋め尽くされた豪奢なスタンドからの照明が、夜の砂漠のレース場を煌々と照らし出している。

 

その幻想的な光景は、子供の頃に読んだアラビアンナイトの物語を想起させた。

 

「ナイトレースというのも、趣があって良いものですね」

「そういや、フラッシュが夜間のレースに出走するのは初めてになるのか」

 

俺がそう確認すると、バレンタインにファンクラブから贈られたコンディトリン風の勝負服に身を包んだフラッシュはええ、と小さくうなずき、夜間照明に照らされた本バ場をゆっくりと見渡す。

 

どうやら俺たちが本バ場一番乗りだったようで、フラッシュの姿を確認した観客たちから大きな拍手が沸き起こった。

 

にしてもドバイを走るにあたり、この勝負服を贈ってもらったのはタイミングが良かったかもしれない。

 

ドバイの文化では、女性が露出度の高い服を着ることをあまり良しとしない。

 

いつものフラッシュの勝負服のような、胸元の大きく開いた服ではきっと【補正要請】が伝達されたことだろう。

スカートも短いものはご法度で、普段ミニスカートで走っているような娘は膝下以下の長さに補正しているか、パンツルックに勝負服を変更したりしていた。

 

ちなみに今日のフラッシュも、パンツルックに着替えている。

それが彼女をまるで本物のコンディトリンのように感じさせ、俺にはそんなフラッシュがとても凛々しく見えた。

 

……いずれフラッシュはレースから引退し、本物の調理服に身を包む日が来るんだろうな、という感傷がわいてきたが、とりあえずそれは心の底に押し込めておく。

 

「この時間にレースを走るというのも、なんだか不思議な感じがしますね」

「中央のレースは基本的に、週末の陽が出ている時間の開催だからなぁ。たしかに、なにか新鮮なものを感じるね」

「それに夕食を終えてから走る、というのもちょっと奇妙な感じがします。レースの日の夕食はいつもレースが終わったあとですからね。実はレース前なのに炭水化物をしっかり摂ることは少し不安があったのですが……満腹感も空腹感もなく、いい感じでレースに臨めそうです」

「それはよかった」

「これもトレーナーさんが事前にスポーツ栄養学を学んでくださったおかげですね。ありがとうございます」

 

微笑みながらお礼を言ってくれるフラッシュに、俺も軽い笑みを返すだけだ。

レース前の食事についてはかなり頭を悩ませたのだが、プロ野球選手が試合前に、エネルギーの消費に備えて炭水化物を摂っているという文献を見つけて、今回はそれを参考にさせてもらった。

 

当然その文献だけではなく、他にも様々な論文や栄養学の本を読んでフラッシュに炭水化物を中心とした夕食を勧めたわけだが、栄養吸収には個人差がある。

 

幸いなことに今の段階ではフラッシュに悪い影響は出ていないようで、俺も正直ホッとしていた。

 

「あっ。みなさん、バ場に出てこられ始めましたね」

 

フラッシュが視線を向けた方に俺も顔を向けると、数人のウマ娘たちが連絡口を通って俺達のいるバ場へ向かってきていた。

 

壮年の紳士とリラックスした様子で会話をしながら歩いているのは、ソーユーシンクだ。

彼女の落ち着きっぷりからは、世界最高峰のレースで一番人気を背負っているという重圧を一切感じさせない。

それは紳士の方も同様で、彼は世界中のトレーナーから【神様】と崇められ、尊敬を集める伝説的なトレーナーだ。

世界中のレース場を転戦し、GⅠを幾度も制覇している彼女たちにとって、異国の地の大レースで一番人気を背負うということは、プレッシャーに値しないことなのだろう。

 

彼女が姿を現すとスタンドからは歓声が上がったのだが、その一角から、ひときわ大きな激励の声が飛んだ。

 

彼女の母国であるニュージーランドからの大応援団のようで、彼らは祖国の国旗を誇らしげに振り、ソーユーシンクの名を繰り返し叫んでいる。

 

それはまるで、サッカーのワールドカップのワンシーンのようだった。

 

「すごい熱狂ぶりですね」

「オセアニアもレースが盛んな地域だからね。彼らにとってソーユーシンクはサッカーでいうメッシやハーランドのような存在なんだろう」

「なるほど。彼女は世界中のGⅠを10勝もしている名ウマ娘ですものね」

 

サッカー選手での例えはドイツ出身のフラッシュにとってわかりやすかったのか、得心したようにうなずいてくれる。

 

引き続いてバ場に入場してきたのは我らが日本のエース、スマートファルコンだ。

 

その勇姿に現地の人達からは拍手が、そして日本から応援ツアーで駆けつけてくれたファンたちからは大きな声援が上がった。

 

それに応えるように、スマートファルコンは明るい笑顔をスタンドに振りまいて、まるでライブのときのように大きく手を振っている。

 

……が、スマートファルコンが年相応のかわいらしい笑顔を浮かべていたのも連絡口からバ場の入口までだった。

 

本バ場へ一歩脚を踏み入れると、彼女の表情が万人に愛される愛らしい【ウマドル】から、日本のダートを支配する【最強の赤鬼】へと一変した。

 

スマートファルコンはフラッシュの存在に気がついたようだが、こちらを厳しい視線で一瞥しただけで、声を掛けてくるわけでも、いつものように笑いかけてくれるわけでもなかった。

 

「……怖いぐらいの迫力ですね。あれが、勝負の場でのファルコンさん……」

 

スマートファルコンからほとばしる強烈な闘気に()てられたのか、驚いたように両手を口に当てたフラッシュの声は少し震えていた。

 

「フラッシュ」

「大丈夫です。見慣れないファルコンさんに、少しびっくりしただけですから」

 

少し心配になって声をかけた俺に、フラッシュは気丈に微笑み返してくれた。

 

「今日のファルコンさんの迫力からは、自分が日本のダート界の第一人者であるという矜持と、変革者であろうとする覚悟を感じさせられましたね」

「なぁに。あちらさんがダートの第一人者なら、フラッシュはダービーを制した日本を代表するウマ娘じゃないか。気後れせず、全力でレースを戦ってきてくれ」

 

そう言って俺はフラッシュの背中をぽん、と優しく押す。

レース前のフラッシュに俺ができることと言えば、こうして発破をかけてやるぐらいのことだ。

 

「その認識も、今や結構あやしいですけどね」

 

俺の励ましに、フラッシュはなんとも言えない自虐的な弱い笑みを浮かべる。

フラッシュとも長い付き合いになるが、こんな微笑を見たのは初めてのことだった。

 

もう少し時間があれば、うまい言葉を返してやれたと思うのだが。

 

「そろそろ、時間のようですね。私も本バ場へ移動することにします」

 

フラッシュはきびすを返し、堂々とした脚取りで本バ場へ向かって歩きだす。

 

「Viel Glück」

 

俺はフラッシュの背中に、覚えたばかりのドイツ語で激励の気持ちを伝えてみた。

あまりにひどい発音にフラッシュも驚いたのか、彼女は大きく目を見開いてこちらを振り返ると、いつもの明るい笑顔で手を振ってくれた。

 

*

 

ナイターライトに照らされたゲートの中へ、各国を代表するウマ娘たちが一人ずつ静かに入ってゆく。

 

フラッシュはベテランのウマ娘らしく、スムーズにゲートに入室した。

 

そんなフラッシュとは対照的に、レースを前にして気合が乗りすぎてしまったのか、目隠しをしてトレーナーに誘導されつつゲートに収まる娘もいる。

 

ウマ娘のゲート入りは、普通の人間が陸上競技などでスタートに立つのとはまた精神状態が違うらしい。

 

ゲート入りに難を抱えている娘は、ゲートに入るときに心の奥底から沸き上がってくる得も知れぬ恐怖や、自分でもコントロールできないほどの闘志を感じるのだという。

 

それを彼女たちは、『まるで自分の本能の中に眠っている獣が暴れているようだ』と表現する。

 

これには個人差があるようで、少なくともフラッシュにはそのような傾向は見られなかった。

 

本日のニ番人気、日本総大将・スマートファルコンが最後に収まって全員枠入り完了。

 

湿った夜の空気をゲートが切り裂いて、世界最高峰のレースが、今スタートした。

 

フラッシュが、いいスタートを切った。

その好スタートを活かして、バ群の中ほどの良い位置にポジショニングする。

 

どの娘も、なかなか積極的に前に出ようとしない。

 

……ハナを切りたいはずの、スマートファルコンはどこだ?

 

彼女の位置を確認すると、フラッシュよりかなり後方の、バ群のほとんど最後尾に位置していた。

 

これは、スマートファルコンの異国での作戦なのか。

それとも、単にスタートが決まらなかっただけなのか。

 

意外な展開に驚きつつも再び先に目を移すと、トランセンドが周囲を伺いながら、先頭に立っていた。

 

スマートファルコンが競りかけてこなかったことは、できれば単騎の逃げに持ち込みたかった彼女にとって待望の展開になったかもしれない。

 

そのすぐ後ろには今日の主役でGⅠ10勝ウマ娘、ソーユーシンクがつけている。

 

レースは大きな順位の変化もなく、淡々と進む。

少し目を引いたのは、モンテロッソという娘が外からわずかに上がっていったぐらいか。

彼女は去年もドバイワールドカップに出走していて、3着になった実績がある。

 

ただ重賞勝ちはGⅡまでで、各国のGⅠウマ娘が揃うこの中でお世辞にも注目されているとは言えない娘だった。

 

先頭争いは、にわかに苛烈さを増していた。

 

マイペースで逃げたいトランセンドに、ダートの本場アメリカから参戦しているGⅠウマ娘、ゲームオンデュードが並びかけようとしている。

さらには『お前のペースでは逃げさせないぞ』と言わんばかりに、圧倒的一番人気のソーユーシンクもまた、トランセンドにプレッシャーをかけにいっていた。

 

近年では日本のウマ娘のレベル向上も著しく、それは世界の知るところだ。

史上初、中央でのダートGⅠ4勝の記録を樹立しているトランセンドの強さは、世界中どの陣営も承知している。

 

楽なレースは、させてもらえまい。

 

もう一人の日本ダート界の雄、スマートファルコンを探すと、なんと彼女は最後方まで位置を下げいた。

 

走りっぷりからして故障しているということはなさそうだが……彼女が不本意な展開でレースを強いられていることは間違いないだろう。

 

そんな中フラッシュは少し順位を下げ、後ろから3番目に位置して前を行くウマ娘たちを追走している。

掛かっている様子はないが、慣れないバ場のせいか、俺の目には彼女が思ったようなペースで走れていないように見えた。

 

残り800M。

 

ここでトランセンドが、3人並んでいる先頭グループから抜け出そうと仕掛けた。

しかしゲームオンデュードとソーユーシンクも、アメリカとオセアニアを代表する名ウマ娘。

 

そう簡単には抜け駆けさせてもらえず、ピタリと後をついてくる。

いや、むしろ二人はトランセンドを置き去りにして少しずつペースを上げていく。

 

そのトランセンドは徐々に後退し、バ群の中へと消えていった。

レース中盤以降、世界最強のウマ娘から徹底的に強いプレッシャーを掛けられつづけ、さすがのトランセンドも精も根も尽き果てたか。

 

フラッシュは内から虎視眈々と機会を狙っている。

 

残り、600M!

 

各ウマ娘が仕掛けに出た。

 

最後の直線、まず立ち上がったのはアイルランドからやってきたドバイGⅠ勝ちのあるウマ娘、カッポーニだった。

 

その外からモンテロッソが先頭に襲いかかる。

一番人気の期待と祖国の威信を背負って、内からソーユーシンクも来ている。

 

が、世界を席巻した末脚に、勝利したレース動画で見せていたほどの切れ味がない。

いかにGⅠ10勝ウマ娘とは言えど、あのトランセンドにプレッシャーを掛け続けた代償は決して小さくなかったようだ。

 

フラッシュも順位を上げてきているが、まだ4番手、いや5番手か。

脚色にいつもの鋭さが感じられないのは、やはり走り慣れないバ場のせいか。

 

日本総大将・スマートファルコンは、フラッシュよりまだ後方。

 

日本勢は苦しいか。

 

欧州のカッポーニとニュージーランドのソーユーシンクを競り落として先頭に躍り出たのは、地元UAEのモンテロッソだ!

 

その差が2バ身、3バ身と開いてゆく。

 

もう、彼女の勝利は揺るぎそうにない。

 

残り、50M。

 

勝利を確信したモンテロッソは、ゴールまでまだそれだけの距離があるにもかかわらず、ドバイの夜の空に高々と手を掲げた。

 

そのせいか彼女はわずかに減速したが、一向に後続との差が縮まる気配はない。

 

そしてモンテロッソはそのまま、ドバイワールドカップの栄光のゴールに一着で飛び込んだ。

 

地元ウマ娘の勝利に、スタンドからは大歓声が上がる。

 

モンテロッソは何度も何度も夜空に拳を突き上げ……そしてその手で、瞳を覆った。

去年3着の悔しさを払拭しての、初めてのGⅠ制覇。

それも地元で行われる世界最高峰のレースでの戴冠に、湧き上がる感情を抑えきれなかったのだろう。

 

残念ながら、日本勢は苦しい戦いを強いられてしまった。

 

日本勢で最先着したのは、6着のフラッシュか。

スマートファルコンの着順は、すぐに確認することができなかった。

ただ、トランセンドが最下位でゴールして……その場でバタリと倒れ込んでしまったことが、ここからでもわかった。

 

「トラン!大丈夫か!?」

 

ゴールした瞬間バ場に倒れ込んだトランセンドを見て、彼女のトレーナーが慌てて待機所からスタンドを囲む柵を乗り越えて、彼女のもとに駆け寄る。

 

タフな戦場を駆け抜けてきているはずのトランセンドがあんな状態に陥るほど、日本のウマ娘は厳しいレースを強いられたのだ。

 

幸いフラッシュは倒れ込むようなことはなかったが、立ち止まって激しい呼吸を繰り返していた。

 

とにかく、激戦を走りきったフラッシュをねぎらってあげたい。

本人にとっては残念な結果だったかもしれないが、日本のウマ娘の中で最先着を果たしたフラッシュを、早く称えてあげたかった。

 

そう思った俺は駆け足で連絡口に向かい、トレーナー待機所を後にした。

 

*

 

連絡口から本バ場へ抜けて目にしたのは、フラッシュがスマートファルコンに拒絶されているかのような対応を取られているシーンだった。

 

そのことはもちろん気になったが、なにはともあれ、まず俺はフラッシュの健闘を称えたかった。

 

「お疲れ様、フラッシュ。君にとっては不本意な結果だったかもしれないけれど……日本勢の中で最先着を果たしたことは、立派だったと思う。本当によくやってくれたね」

「……ありがとうございます。せめて、掲示板には乗りたかったのですが……」

 

そう言ってフラッシュは、形の良い下唇をぐっと強く噛みしめる。

 

「世界トップレベルのダートウマ娘を相手にして入賞したのなら、それは一つの勲章みたいなものだ。どうか、自分を卑下しないでほしい」

 

レースの世界では5着までを入着、8着までを入賞と呼ぶ。

入賞を果たせば入着ほどではないにせよ、出走ポイントが与えられる。

GⅠなどの大レースでは、優先出走権を持っているウマ娘以外はこの出走ポイント順に出場することができるので、入賞できる時にきちんと入賞しておくということは、とても大切なことなのだ。

 

特にドバイワールドカップのような国際的な大レースだと、入賞と言えどもバカにはできない。

6着のフラッシュには、GⅢの3着と同等の出走ポイントが付加されるはずだ。

 

「そうですね。結果は残念でしたが、私を応援してくださった皆さんに全力は出し切ったと胸を張って言うことはできそうです」

「うん、今回はそれでいい。慣れない海外のレース場で、本当によくがんばってくれた。……ところで、スマートファルコンとなにかあったのか?」

 

気になっていたことを俺が聞くと、フラッシュは微苦笑を浮かべて小さく首を横に振った。

 

「いえ。おつかれさまでしたと声を掛けようとしたのですが、今は一人にしてほしい、と言われただけです」

「……そうか」

 

日本総大将として世界の大舞台でニ番人気を背負って戦ったスマートファルコンは、どうやら10着でゴールしたようだった。

 

思いもよらぬ惨敗に、色々と気持ちの整理がつかないこともあるだろう。

 

「スマートファルコンは勝つことも負けることも知り尽くした、一流のウマ娘だ。気持ちが落ち着いたら、きっといつもの明るい彼女に戻ってくれるよ。その時はまた、普通に接してあげるといい」

「もちろんそのつもりです。私がしんどいとき、ファルコンさんには色々と支えていただきましたから」

 

フラッシュとスマートファルコンは文字通り、寝食をともにするルームメイトだ。

一緒に過ごしている時間を言うなら、俺なんかよりもよっぽど長い。

 

そんな二人には俺の知らない様々な衝突や、支え合いもあったことだろう。

 

そしてきっと、二人にしか持ち得ない絆みたいなものがあるに違いない。

二人のことは俺が余計な世話を焼かずとも、彼女たちに任せておけば大丈夫だ。

 

「このあとは表彰式があって、それからドバイワールドカップデーの閉会式セレモニーだね。きっと目もくらむほど豪勢な式になるんだろうな」

 

俺が話を変えると、フラッシュも得心したように頷いてくれた。

 

「きっとそうだと思います。少し気忙しいですが、明日の予定はどうなっていますか?」

 

たった今レースが終わったばかりだと言うのに、明日の予定を気にしているあたりがフラッシュのフラッシュたる由縁なのだ。

 

俺はそのことに苦笑いして、明日のスケジュールを説明する。

 

「明日は正午の飛行機で日本へ帰ることになっているよ。それまでは一応、自由時間ってことになってる」

「なるほど。それでしたら家族や友人にドバイでのお土産を選んでいる時間くらいはありそうですね。トレーナーさんさえよろしければ明日は少し、その買い物にお付き合いいただけませんか?」

「ああ、いいよ。特に予定も入れてなかったし。俺も母さんと友だちになにか買って帰るかな」

「……ご友人というのは、あの非常に美しい女性店長のことですか?」

 

なぜだかフラッシュはアイのことになると、ちょっと怖い笑みを浮かべて俺に問い詰めるようなものの言い方をしてくる。

一体アイのなにがフラッシュの逆鱗を刺激しているのか、俺にはさっぱり分からない。

 

かといってフラッシュがアイやお店のことを毛嫌いしている様子はなく、自分の友だちに【品ぞろえが良くて店員さんも親切な店】として紹介していたり、サプリメントなどをよく買いに行ってたりしているようだ。

 

特にサプリメントに関してはアイから様々なアドバイスをもらっているようで、『あの方は本当に博識で、親切ですね。なぜ彼女はトレーナーにならなかったのでしょう?』みたいな褒め方をしていた。

 

だからこそ、フラッシュの態度が余計に理解できないのだ。

まぁ、理解できないものは仕方ない。

俺は何も気づかなかったクソボケのふりをして、話を進める。

 

「ん、アイのことか?いや、別に俺も友だちがアイしかいないというわけでもないから、それぞれの友人が喜んでくれそうなものを買って帰る予定だよ。職場でいつもお世話になっている人にもなにかお土産持っていきたいしね」

「……そうですか。では、明日はよろしくお願いします。そろそろ、表彰式が始まるようですね。負けて悔しい気持ちはありますが、レースが終わってしまえばノーサイドです。今日のところは勝者のモンテロッソさんに最大限の祝福と敬意を表したいと思います」

「ああ、行っておいで。今日は本当にお疲れ様、フラッシュ」

 

俺のねぎらいの言葉にフラッシュは軽く会釈すると、そのまま表彰式の会場に脚を向けた。

 

*

 

「見て見て、フラッシュさん!とってもかわいい!これってケーキの材料とかにならないかな?」

「デーツですか。ドライフルーツの一種ですね。ケーキの材料として美味しいとは思いますが、日本や欧米だと入手するのが大変そうですね」

 

ショッピングモールの一角にあるショーケースの中身を見て、スマートファルコンがはしゃぎながら商品を指さし、それに対してフラッシュが冷静に感想を述べている。

 

それは、いつもの二人の光景だった。

 

『気持ちが切り替えが早いのも、ファルコンさんのいいところです』

 

以前フラッシュがそんなことを言っていたが、彼女の見立てに間違いはなかったようだ。

そしてその切替の早さを受け入れてくれるフラッシュを友人に持ったスマートファルコンも、果報者だというべきだろう。

 

「いやー、あれだけタフなレースの翌日だと言うのに、元気なものですな~。ウチのような年寄りは若いもんの買い物に付き合うので精一杯ですよ」

 

何やら年寄りじみたことを言っているのは、たしかに少し疲れた顔をしているトランセンドだった。

 

「何を言ってるんだ、君は。昨日のレースがタフだったのは認めるけど。だいたい、君はスマートファルコンの一つ年下だろ?」

 

確かトランセンドは、入学もデビューもスマートファルコンの一つ後輩のはずである。

 

「そうなんですけどね。ほら、精神年齢的にファル子ちゃんって、なんだか年上に思えないんですよ」

「ああ……」

 

前にフラッシュも、同じようなことを言っていたような気がする。

 

スマートファルコンの名誉のためにもなんとか否定してやりたかったが、今のスマートファルコンのはしゃぎっぷりを見ていると、なかなかこちらとしても返す言葉がない。

 

「ところで君のトレーナーは、担当をほったらかしてどこへ行ってるんだ?」

 

あたりを見回してみても、トランセンドのトレーナーが見当たらない。

まさか担当をうっちゃらかして空港のロビーで寝てる、なんてことはないと思いたいのだが。

 

「ああ、うちの人なら家族やら友人やらのおみやげを買いに何処かへ行っていますよ」

「そうなのか。それにしたって担当を置いてけぼり、ってのは感心しないな」

「ウチもホントは一緒に回りたかったんですけどね~」

 

そういうトランセンドの顔は、なぜか少し嬉しそうだった。

 

「なんでも、ちょっと一人で周りたいんだとか。ふふっ、ああみえてうちの人も可愛いところがありますから、ナイショでウチにサプライズ的なおみやげとかも買いたいんだと思いますよ。そういうのに気づかないふりしてあげるのも、担当ウマ娘の優しさじゃないですか」

「そんなもんかな」

 

どっちかと言えば、それは恋人やら奥さんやら、そういった関係の優しさのような気がするが。

 

トランセンドの『うちの人』という二人称も気になるし……案外この二人は噂通り、周りに関係を秘密にして付き合っているのかもしれない。

 

まぁこれもしょせん下衆の勘繰りだし、そこに突っ込むのはさすがに野暮だということぐらいは木石に手足が生えたような朴念仁の俺でも、察することができた。

 

ちなみにスマートファルコンのトレーナーは担当するウマ娘に『搭乗時間まではお互いに自由行動、あとは空港のロビーに集合ってことで。では、解散!』といって、一人で買い物に出かけてしまった。

 

その放任もまた、担当に対する信頼の形と言えなくもあるまい。

 

「そうだ。フラッシュはスマートファルコンとあちこち見て回るみたいだし、君さえ良ければ俺の買い物に付き合ってくれないか?女友達へのお土産とかは、女の子のアドバイスがほしいしね」

 

アドバイス云々はともかくとして、日本を代表するダートウマ娘に色々と話を聞ける、めったにないチャンスではある。

トレーナーとして、この機会を逃す手はないだろう。

 

「お、デートのお誘いですかぁ。ウチは全然構わないんですけど」

 

そういってトランセンドはいたずらっぽい笑みを浮かべながら、フラッシュたちがいるショーケースの方を指さす。

その指先ではなぜか、フラッシュが閃光のような鋭い眼差しで俺達の方を睨んでいた。

 

「ウチもさすがに天下のダービーウマ娘さんに目をつけられるのは嫌なので……今日のところは遠慮させてもらいますね」

「そ、そうか……」

 

別にフラッシュは俺と買い物に行ったぐらいで目をつけたりはしないと思うが……トランセンドがそういうのであれば、仕方ない。

 

「ま、かわりといっちゃなんですが、ファル子ちゃんの手綱は同じダートウマ娘のウチが握っておきますよ。だからトレーナーさんは、担当との海外デートを楽しんできてくださいな」

「……大人をからかうんじゃない」

 

と言ってしまってから気がついた。

そんなことをマジな顔で言ってしまったら、余計に変に勘ぐられるのではないだろうか。

当惑したような顔をして、苦笑いでも浮かべておけばよかった。

 

まさかトランセンドが俺のフラッシュへの恋心に気づいたわけもあるまいが、彼女はにへら、と人を食ったように笑うとスマートファルコンの元へ行き、「さ、ファル子ちゃんはこっちですよー」とフラッシュにウインクしながらスマートファルコンの手を取ってあさっての方へ連れ去ってしまった。

 

「ファルコンさんたち、行ってしまいましたね」

「ああ」

「ところで、トレーナーさん」

「はい」

「トランセンドさんを、熱心にデートに誘っていらっしゃいましたね。トランセンドさんといい……黒髪ロングのあの店長さんといい、トレーナーさんはああいう【オタクの男性】が好むタイプの女性がお好みなのですか?」

「なぜそこでアイが出てくるのかわからんが……あんまり大人をからかうんじゃない。あとそれは偏見だと思うぞ、フラッシュ」

 

俺がそうとがめても、フラッシュはツーンと知らんふりをするだけだ。

 

だいたいトランセンドのような顔立ち(とスタイル)の娘とか、黒髪ロングの美女とか、男ならウェーイもおっさんもオタクも、だいたいみんな好きだと思う。

 

そもそも女性の好みは極めて個人的なものであり、オタクもウェーイもスポーツマンも秀才も関係あるまい。

 

それにしてもトランセンドと話していたとき、フラッシュはスマートファルコンといつもの掛け合いをやっていたはずなのに、なぜそのシーンを目ざとく目撃していただろうか。

 

ウマ娘は確かに常人より視界が広く、それを大げさに『ウマ娘の視野は350度、自分の背中以外は全部見えている』なんて言ったりするが、案外それは真実なのかもしれない。

 

「それにだな。学園に所属しているウマ娘を個人的なデートに誘うとか、そんなことをトレーナーがするわけないだろ。ダートの中央GⅠを4回も勝ってる彼女からはいろいろと話を聞きたかった、ってのはあったけどね」

「左様ですか。それなら、そういうことにしておいてあげます」

 

フラッシュはそう言ってくれたが、あんまりそういうことにしておいてくれてなさそうな口調である。

 

「それに。私が先にトレーナーさんをお誘いした、ということをお忘れなく」

「もちろん忘れていたわけじゃない。ただ、仲直りの意味も込めてスマートファルコンと回ることにしたのならそっちのほうがいいかな、と思ってね」

 

一人の大人として、そしてトレーナーとしてそう思ったのは本当だ。

ルームメイトである彼女たちは否応なしにこれからも共同生活が続くわけだし、それに、あの年頃の友人関係というのは、大学や社会に出てからでは決して手に入らない貴重なものだ。

フラッシュにはできるだけ、そういった友人を大切にしてほしいと切に思う。

 

「それも迷ったのですが、私の方からお誘いしておいて約束を破る、というのは人としてありえません。私は常日頃から、時間と約束を守れないような人はウマ娘に蹴られてどっか遠くに吹き飛ばされてしまえばいい、と思っていますので」

 

そんな怖いことをにこやかに言われると、無表情や真剣な表情で言われるよりなぜか怖く感じるのは、フラッシュの顔立ちが美しいからだろうか。

 

「……まったくもってそのとおりだな。フラッシュはどこか見て回りたいところはあるかい?」

 

俺がそう言うとようやく機嫌を直してくれたようで、いつものように控えめながら明るい笑顔を浮かべてくれる。

 

「そうですね。遠征前から母には、ドバイの名産品であるパシュミナストールをお土産に贈ってあげたいと考えていたので、ぜひストール専門店に立ち寄ってみたいですね。それと『中東のゴディバ』と言われる、パッチのチョコレートを賞味してみたいです。ひょっとしたら、父のケーキづくりの参考になるものがあるかもしれませんから」

「なるほど」

 

自分の欲しいものや見たいものより、家族へのお土産を気にかけているのがなんともフラッシュらしいな、と俺は思う。

 

フラッシュのご家族とは何度かお会いしているが、彼女たちは本当に仲の良い家族だ。

彼女の家族には仲良しこよし家族にありがちな、べったりした距離感はまったくなかった。

 

夫婦はお互いを尊敬しあい、両親は娘を心から愛し、娘は両親を敬愛している。

そして互いの存在を尊重し、信頼してほどよい距離を保っているようだ。

 

もちろん、近しい関係であるがゆえの小さな(いさか)いや衝突はあるのだろう。

どこの家庭でも大なり小なり、そうであるように。

 

それを差し引いてもフラッシュの家族は、まるで理想の家族像を体現しているかのような、そんな印象を持たせる家庭だった。

 

家族仲があまりよろしくない家庭出身の俺は、正直それを羨ましいと思う。

 

「じゃあ、ストール専門店から回ろうか。ちょうどここからパッチのお店の中間ぐらいの位置に、何軒か並んでいるみたいだ」

「はい、ぜひ。あの、トレーナーさんのお買い物は……」

「ああ、二人で見回っているうちに良さげなものがあったら買うよ。フラッシュも見ていて良さそうなものがあったら、教えてくれ」

「ええ、わかりました」

 

そうして俺たちは、時間ギリギリまでショッピングモールを歩き回った。

正直なところ、むちゃくちゃ楽しかった。

レースのために遠征してきてこういうのも難であるが、この遠征中一番楽しい時間を過ごしたように思う。

 

フラッシュはお母様のために購入したストールを3枚、お父様にはケーキ制作の参考になりそうな傷みにくい食材を数種類、ドバイの郵便局から郵送した。

 

俺もおふくろにストールを、そしてそれぞれの友だちにフラッシュがセレクトしてくれたお菓子やらちょっとしたアクセサリーやらを買い込んだ。

 

それから……。

 

「そうだ。フラッシュ、これは初めての海外遠征記念のお土産だ。よかったら受け取ってくれ」

 

そう言って俺はフラッシュに小洒落た小箱を差し出すと、大きな瞳を見開いて驚いてくれた。

 

「えっ、よろしいのですか?」

「もちろん。よかったら開けてみて」

「ありがとうございます。では、失礼しますね」

 

フラッシュは小箱を丁寧に受け取ってくれ、そしてそっとそれを開けた。

 

「素敵なネックレスですね!しかもこのアラビア文字、もしかして私の名前入りでしょうか。私の名前だけにしては、少し文字列が長いように感じますが……」

「ああ。フラッシュの名前の前に、第77代日本ダービーウマ娘って入れてもらったんだ」

 

そう。

俺が贈ったのは蹄鉄型のペンダントトップにアラビア文字でフラッシュの名前を入れ、彼女がダービーウマ娘であることを称えたネックレスだ。

わざわざ日本ダービーウマ娘と入れたのは、あくまで【今】はトレーナーからの贈り物、ということにしておきたかったから。

 

実は到着した次の日に、ドバイで超有名な(きん)市場のゴールドスークに足を運んでこのネックレスを注文しておいたのだ。

 

「あの、お気持ちは大変に嬉しいのですが。その……これって金のネックレスですよね?かなり高価なものじゃ……」

「ペーペー社会人の俺でも買える値段だ、大したものじゃないよ。それに、ドバイは金の価格が世界的に見ても安い地域だしね」

 

当然フラッシュは遠慮するであろうと予測していた俺は、あらかじめ考えていた口上をすらすらと並べ立てた。

 

と、カッコつけてみたものの、円安のこのご時世である。

実のところ俺の月給の半分ぐらいは飛んでいったが、まぁフラッシュが喜んでくれるなら安いもんだ。

 

「しかし……」

「もうダービーウマ娘の尊称と君の名前を入れてしまったし、受け取ってもらわないと困るよ。どうしてもいらないなら、日本に帰ってから金買取専門店に持ち込んでくれ。結構いい値段で売れるはずだ。ただ売るときはできるだけ、俺にわからないように頼む」

 

冗談めかしてそう言うと、フラッシュも困ったような微笑を浮かべてくれた。

 

「そんな……売るなんてとんでもない。一生、大事にしますね」

 

嬉しいこと……いや、彼女から一番聞きたかったであろうその言葉を聞いて、俺はこぼれ出る笑顔を隠し切ることができなかった。

 

「早速、つけさせてもらってもいいでしょうか」

「もちろん!」

 

俺の返事を聞いてからフラッシュは慎重に箱からネックレスと取り出し、そっとその白くて細い首につけてくれた。

 

「いかがでしょう?」

「良かった、よく似合ってる」

 

決して世辞などではなく、フラッシュの清楚で端正な顔立ちと、控えめなデザインのネックレスが調和して、稀有な彼女の美貌をさらに引き立てているように俺には思えた。

 

「ありがとうございます。このネックレスの品位に負けないウマ娘になれるよう、これからも努力していきますので、どうぞよろしくお願いします」

「うん、期待しているよ。じゃあ、そろそろ行こうか。飛行場へのバスに乗り遅れてしまう」

「あっ、少し待ってください」

 

フラッシュはそういうとお土産の入った大きな袋の中からひとつ箱を取り出して、俺にそれを差し出してくれた。

 

「このような高価なものを頂いたあとに渡しにくいのですが……私からも、これをトレーナーさんに」

「えっ、俺に?いいの?」

「はい。本当に大したものじゃないんですけど……」

「いやいや、嬉しいよ。開けてみてもいい?」

「ええ」

 

フラッシュの許可を得てから、俺は箱のフタを開けてみる。

 

「おおっ、これは……キャンドルスタンドかな?すごく綺麗な色と形をしているね」

「はい。立ち寄ったライトスタンドのお店にありまして、一目惚れした一品(ひとしな)です」

 

はにかんだように微笑んだのは、きっと出会ったときの俺の一言を思い出したからだろう。

でも俺は照れくささもあって、それに気づかなかったことにした。

 

「へぇ。フラッシュのお眼鏡にかなっただけあって、見事な品だね」

「……私の審美眼なんて、自分の好みぐらいしか見分けられませんけどね。それはともかく、これで香り付きのキャンドルを焚くと、リラックス効果も得られると思います。お疲れの時はぜひ、試してみてください」

「そうだね。……ありがとう。大切にするよ」

「そうしていただけると、嬉しいです」

 

……いつか今回のドバイ遠征を振り返ったとき、真っ先に思い出すのはドバイの強い日差しでも、アラビアンナイトに行われた世界最高峰のレースでもなく、今見せてくれたフラッシュの微笑かもしれない。

 

こうしていつまでもフラッシュと語り合っていたかったが、そろそろ空港からの迎えのバスが来る時間が迫っている。

 

思い出に残るであろう一品をお互いに交換しあった俺たちは、少し早足でバスターミナルに急いだのだった。

 

*

 

帰国後、海外遠征が良い刺激になったのか、フラッシュの調子は目に見えて上昇し始めていた。

 

「よーし、フラッシュ!残り400M!ひとつギアを上げていけ!」

「はいっ!!」

 

俺の檄に応え、フラッシュは深く体を沈み込ませてダートのバ場を思い切り踏み抜いた。

ダービーウマ娘の加速力は素晴らしく、同じようにダートでトレーニングしているウマ娘たちを一気に引き離してゆく。

 

フラッシュの走りは確実に、ダービーを制した頃の雰囲気と迫力を取り戻しつつあった。

 

そのことに気がついているのは俺だけではないようで、レース関係者やマスコミ陣からも『エイシンフラッシュがどうやら往年の走りを取り戻したようだ』『今年の春三冠路線は、エイシンフラッシュが中心になるかもしれない』ともっぱらの話題になっている。

 

次走は去年2着と善戦して相性の良い、春の天皇賞を予定していた。

 

春の天皇賞にはきっと、皐月賞と菊花賞の二冠を制したフラッシュの友人、ゴールドシップが出走してくることだろう。

 

たしかに長距離戦では、生まれ持ってのステイヤーであるゴルシのほうに分があるかもしれない。

だがフラッシュには海外も含めた、数多(あまた)のGⅠを走ってきた豊富な経験がある。

 

そしてそれを使いこなすだけの冷静さと知力がある。

 

ゴールドシップという怪物ウマ娘を相手にしても、決して引けを取るまい。

そしてその後は、宝塚記念へ向かう予定だ。

 

7月8月は毎年恒例の合宿で心身を鍛え上げ、秋は毎日王冠から始動し、秋の天皇賞に挑戦する。

 

秋の天皇賞は東京・2000M。

フラッシュが最も輝ける舞台のはずだ。

 

その大舞台でエイシンフラッシュは勝利を収め、ダービーと天皇賞という日本を代表する2つのGⅠを制したウマ娘として、東京レース場に、そしてウマ娘の歴史に彼女は永遠に名を残す。

 

俺は、そんな青写真を描いていた。

 

「残り100!!フラッシュ、ラスト……」

 

それは、俺が声を張り上げた瞬間だった。

なんの前触れもなく、()()()()()()()()()()()()()姿()()()()()

 

「えっ……」

 

一体、何が起きたのか、俺には理解できなかった。

 

「フラッシュさん!?大丈夫!?」

「ちょっとこれ、やばいんじゃ……」

 

フラッシュが消えた場所から、その近くでトレーニングしていたウマ娘たちの悲鳴が上がった。

 

その声が耳に入ってきた瞬間、嫌な予感が全身を駆け抜ける。

 

「フラッシュ……!?」

 

俺は慌ててラチをくぐり抜け、全速力で何人ものウマ娘たちが立ちつくしているそこへ駆け寄った。

 

「フラッシュ、どうし……」

 

駆けつけた俺の目に飛び込んできたのは、ダートのバ場に倒れ込み、声も出せないほど右足を痛がっているフラッシュの姿だった。

 





長文読了、お疲れさまでした。

またしばらく間が空いてしまいましたが、その長文を書いていたことが原因です。

もう少し短いほうが絶対に読者さんもとっつきやすいよなあ……と毎回思いつつも、
私の作品をいくつか読んでくださっている人はもう諦めてくれているだろうと、
というみなさんに甘える形でいつも好きなだけ書かせて頂いています(笑)。

毎回私の長ったらしい駄文にお付き合いくださっているみなさんに、
感謝の意を捧げたいと思います。

ありがとうございます。

そして誤字修正を報告してくださった読者さん。
本当はDMで感謝の気持を伝えたかったのですが、ハーメルンのルール上それが許されているか
はっきりしなかったので、この場を借りてお礼を言わせてください。

書き手がつい見過ごしてしまうような誤字を発見してもらえるくらい
熱心に読んでいただけていることを、本当に嬉しく思いました。

これからも誤字脱字があればどんどん、報告していただけるとありがたいです。

いつも感想をくださる方。
評価をつけてくださった方々。
少しばかり指摘しにくいであろう、誤字脱字を教えてくださる方。
そして、読んで下さる方々。

いろんな方に支えられて、この小説はなんとか続いています。

物語も、いよいよ終盤です。
よろしければ、最後までフラッシュと彼のお話にお付き合いください。

それではまた近いうちに次回作をお披露目させていただきたいと思っておりますので、
引き続きご愛読のほど、どうぞよろしくお願い致します。
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