担当ウマ娘に、恋をした。   作:宮川 宗介

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第二十話

デュッセルドルフウマ娘総合レース学校の外観は欧州の建造物らしく、重厚で歴史を感じさせる佇まいだった。

 

それもそのはずで、このレース学校はドイツが近代レースを導入した1800年代に建築され、改築増築を繰り返しながら現代まで歴史を紡いできたそうである。

 

「ダービートレーナーと聞いていたものですから、こんなお若い方だとは予想していませんでしたわ」

 

ほほほ……と上品に微笑んだのは、このレース学校の校長を務める御婦人だった。

 

通訳の人を介して校長の言葉を聞いた俺は、ちょっと複雑な気持ちを隠しながら、友好的な笑みを浮かべる。

 

「恐れ入ります。経験では確かにまだまだ諸先輩がたに及ぶべくもありませんが、熱意とレースに懸ける思いは負けていないつもりです」

「あら、ごめんなさい。あなたを若さで侮ったつもりはないわ。ただ、ちょっと意外に思っただけでね」

 

校長は口元を隠していたレースがたくさんついた扇子を畳むと、優しい笑顔を見せてくださった。

 

「改めて、デュッセルドルフウマ娘総合レース学校へようこそ。我々は、はるばる日本から来てくださったダービートレーナーのあなたを歓迎いたしますわ。あなたには、とても重要な仕事をお任せしたいと思っていますのよ」

 

扇子を執務テーブルに置き、校長先生は真剣な面持ちでこちらを見据えた。

 

「……それは、どのような仕事なのでしょう?」

「あなたには新入生の、まだ担当のついていないウマ娘たちの指導をしてほしいの。彼女たちは宝石の原石であり、ドイツレース界のスター候補でもあります。入学してすぐのトレーニングの大切さは、あなたもよく理解されていることでしょう」

「ええ、もちろんです」

 

トレセン学園やこの学校のように各国トップレベルのレース学校に入学してくるウマ娘たちは、当然ここに来るまでに、熾烈な競争を勝ち抜いてきているエリートばかりである。

 

それでも小学校・中学校まで競ってきた模擬レースと、日本で言えばトゥインクルレースのような【プロのレース】では、そのレベルの差に用水路と太平洋ぐらいの違いがあるのだ。

 

その意識とレベルのギャップを、入学直後というタイミングの【初等教育】でしっかり理解して埋められるかは、ウマ娘の競走人生に大きな影響を及ぼす。

 

幼い頃から【将来のダービーウマ娘】【10年に一度の逸材】と言われ続けて鳴り物入りで学園にやってきた娘がこのギャップに耐えきれず、入学して夏休みを迎える前に転校、もしくは退学していくのを、俺はこの5年だけで相当数見てきた。

 

いわば【アマプロ】のギャップに耐えられるかはそのウマ娘のメンタルや実力によるところが大きいのだが、トレーナーの指導やトレーニングによっても左右されることは、言うまでもないだろう。

 

「あなたにしていただきたいのは、一人のウマ娘の将来を左右する責任重大な仕事です。それでも、引き受けてくださいますか?」

 

俺の答えは、ひとつだった。

 

「もちろんです。僕はそのために日本からやってきたのですから」

 

少々不遜に聞こえたかもしれないが、俺は自信を持って返答した。

まだ担当がついていないウマ娘のトレーニングを見ることは赴任1年目に経験があったし、変に弱気に謙遜してみせるより、お任せくださいと胸を張って答えたほうが信用を得られると考えたからだ。

 

「心強い返答をいただけたことに感謝いたしますわ。それでは放課後になりましたら早速、自主練に励むウマ娘たちに声をかけてあげてくださいね」

「わかりました」

 

こうして、レース学校の最高責任者との面談は無事に終了したのだった。

 

*

 

「トレーナーさんも、なかなか大胆不敵なお人柄ですね」

 

校長室を出て少し歩くと、俺の通訳についてくれている人が苦笑いをしながら話しかけてきた。

 

「あんまり変に謙遜するのも、校長先生に余計な不安を抱かせるかと思いましてね」

「なるほど。日本人は引っ込み思案で謙虚に振る舞う人が多い、と聞いていたものですから、少しびっくりしました」

「はは、日本人にも個人差があるということですよ。ドイツの人だって、皆が皆勤勉で頑固なわけではないでしょう?」

「確かに。私なんて、いい加減で風見鶏な性格してますからねぇ」

「いや、翻訳だけはガチでお願いしますよ……」

 

俺があきれたような表情を浮かべても、彼女はいたずらっぽい笑みを返してくるだけだ。

 

俺の通訳をしてくれているのはエミーリアさんという、過去この学校に在籍していた芦毛のウマ娘で、大学を卒業後、通訳兼ガイドの仕事をしているとのこと。

 

彼女は日本語の他にフランス語・スペイン語・ギリシャ語・イタリア語・英語を話せるらしく、『翻訳AIが発達しても、とりあえずレースのある国に行けば食いっぱぐれがないように勉強した』なんて言っていた。

 

実は最初、フラッシュが通訳を買って出てくれたのだが、脚の悪い彼女を仕事に付き合わせるのもどうかと思ったし、レース学校のウマ娘たちも、日本ダービーを勝ったウマ娘に自分の走りをじっと見られるというのはプレッシャーになると思って、今回は現地の通訳を手配してもらうことにしたのである。

 

通訳は現地の人にお願いするよ、と伝えた時にフラッシュがちょっと不機嫌になったように見えた理由は、ようとして知れない。

 

「私もプロなんで、そこは信用してくださって大丈夫ですよ。それにほら、私は一応レース経験がありますから、指導の中での微妙なニュアンスを伝えたいというご希望にも添えるものかと」

「その点については、エミーリアさんについてもらって本当に良かったと思っていますよ」

 

通訳の手配をお願いした際、ひとつ注文をつけたのが『できればレースに詳しい人をお願いしたい』ということだった。

 

ウマ娘の指導には様々なレースの専門用語や、レース関係者でないとなかなか感覚的に理解できない言い回しなどがたくさん使われる。

 

そのことを踏まえると、レース経験者で語学に堪能なエミーリアさんが通訳についてくれたことは幸運だったと言える。

 

ただこの人と話しているとノリが軽いというか、友だちとしてはいいかもしれないけど、ビジネスパートナーとしてはもうちょっと真剣味がほしいと感じることもあった。

 

まぁ単にこの人が使っている日本語が、そんな感じに聞こえているだけかもしれないが。

 

「でしょう?ウマ娘相手の翻訳については、どーんと大船に乗ったつもりでいてくださいよ。ところでトレーナーさん、どうせ放課後までは暇ですよね。よかったらお茶でも飲みに行きませんか?近くに美味しいコーヒーを飲ませるカフェがあるんですよ」

 

……ほら、こういうところだよ。

 

「いや、トレーニングの準備がありますし、今日指導する娘のプロフィールとかも確認しておきたいので……」

「あっ、そうですか。それなら放課後までは私の仕事はない感じですねぇ。じゃあまた放課後になったら来ますので、もしそれまでに通訳やガイドが必要になったら、いつでもスマホに連絡くださいね~」

 

そう言って手をひらひら振りながら、エミーリアさんはすたすたと立ち去ってしまう。

ビジネスライクというかなんというか……今すぐの仕事がなくても、近くにいるようにするのが当たり前だろうと感じてしまうのは、俺が日本の労働感覚しか持ち合わせていないからだろうか。

 

「しまった。……プロフィールを読んでて分からないところがあったら、エミーリアさんが必要なんじゃないか?」

 

それに気づいたときにはもう、彼女の背中は見えなくなっていた。

 

*

 

ドイツ、というか、欧州のレース学校ではトレーニングに芝やダートのバ場を使われることがほとんどなく、走り込みは基本的に全天候型の人工バ場で行われているようだ。

 

トレーニングメニューで特に日本と違いを感じたのは、プールでのトレーニング頻度が日本に比べると非常に高いというところだろうか。

短距離型のウマ娘もステイヤーのウマ娘も、みんな積極的にプールで体を鍛え上げている。

 

このことは欧州は芝質が重く、レースでは日本以上にスタミナや持久力が必要ということも関係しているのだと思う。

 

……もしヒシミラクルが欧州に生まれていたら、地獄のような環境だったことだろう。

 

『はーい、みなさん。今日は1000Mの坂路を一杯に追ってもらいます。ですがただ1000Mを全力で走るだけではなく、レースと同じようにスタートダッシュや道中のペース、ラストスパートなどをしっかり意識して走ってきてください。帰りは呼吸を整えながら、ゆっくりと戻ってきてくださいね』

 

エミーリアさんは目の前にいる5人のウマ娘に、俺の指示したトレーニング内容をドイツ語で伝えてくれたようだ。

 

『はい!』

 

元気よく返事をしてくれたウマ娘たちは、真新しい色とりどりの運動着姿で坂路に向かって走っていく。

 

彼女たちは今年このレース学校に入学したばかりの娘たちだ。

ドイツで新学期というと8月末になるのだが、ジュニア級のMaiden(メイドン。日本でいうところのメイクデビュー・未勝利戦だ)が6月ごろから始まるので、欧州のレース学校ではほとんどの学校が日本と同じく3月・4月入学という制度を導入している。

 

他にトレセン学園との大きな違いは、ドイツを含む欧州のレース学校には制服といったものがないところが多いらしい。

トレーニングのときも一律の体操服の代わりに、各自がそれぞれに動きやすいものを身につけていた。

 

エミーリアさんに聞いたところによると、もともとヨーロッパでは個性を重要視する文化があるうえ、特にドイツではナチス時代に国から軍服や制服を強制されていたという過去があり、それは好ましくないという考え方から、普通の学校でも制服がないのがスタンダートだそうだ。

 

しかし、国は違えど変わらないものももちろんある。

それはトレーニングに臨むウマ娘たちの熱意や情熱だ。

 

バ場に目を向けると、そこを駆け抜けるウマ娘たちの表情は真剣そのものだったし、トレーナーからの大きな激励の声があちこちから飛んでいる。

 

併走に負けて悔しがる娘もいれば、自己ベストを更新したのだろう、その喜びをトレーナーと分かち合っている娘もいる。

 

その光景はトレセン学園もこの学校も、変わらないものだった。

 

「いやー、懐かしいですねぇ。私も現役の頃は、ああやって毎日必死に走っていたものですよ」

 

なにか眩しいものでも見るかのように、バ場を懸命に走るウマ娘たちを眺めながらエミーリアさんがいう。

 

「エミーリアさんも、こちらの学校の卒業生なんですよね」

「ええ。大して活躍できなかったんですけど」

 

笑顔で謙遜するエミーリアさんだったが、彼女が現役時代にドイツのGⅢを勝っている立派なステークスウィナーであることは、顔合わせする前に通訳のエージェントから聞いていた。

 

「いやいや、エミーリアさんは重賞を勝っていらっしゃるらしいじゃないですか」

 

俺がフォローすると、彼女は困ったような笑みを浮かべた。

 

「ああ、エージェントから聞いたんですね。あれはただ、展開に恵まれたってだけですよ。そのおかげで1度だけGⅠにも出走できたんですが、あそこは化け物の巣窟です。才能のないウマ娘が出ていい舞台じゃありませんね」

「重賞を勝っていて才能がなかった、ということはないでしょう」

 

俺がそう言っても、彼女は苦笑して首をふるばかりだった。

 

ただ、エミーリアさんの言いたいこともわかる。

 

外からはきらびやかに見えるレースの世界であるが、ここはウマ娘たちが持って産まれた才能を競う、ある意味非常に残酷な場所でもある。

 

中学校時代は才能がある、すごいともてはやされていた娘が、トレセン学園の高等部へ入学してすぐに、年下の中等部の娘に惨敗する、ということが普通に起こる世界なのである。

 

もちろん、努力は大切だ。

どんな天才でも、努力なしには大成しない。

 

しかし、レースの世界において努力というのは能力の限界を伸ばすものではなく、才能という器に能力を注ぎ込む作業なのだ。

 

どんなにたくさんの努力を注ぎ込んでも、器が小さいものだったら、その努力はこぼれてしまってまったく無意味なものになってしまう。

 

昔、あるトレーナーが『重賞に出られるような娘は、やっぱり才能があるんです。どんなに頑張っても、才能がなければ開花しようがない。少し厳しい言い方になりますが、努力だけでたどり着けるところなんて、大した位置じゃないんですよ』と言って物議を醸しだしたが、それは真理の一端を突いている。

 

理不尽で不平等なように感じるが、これがレースの世界なのだ。

 

「まぁそれでも才能があるかなんて、結局やってみなければわかりませんしねぇ。彼女たちには失敗や敗戦を恐れず、どんどんチャレンジしてもらいたいですね」

 

そういうエミーリアさんと一緒に坂路の方へ視線をやると、5人のウマ娘がきつい勾配の坂路をみな懸命に駆け上がっていた。

 

息も乱さず、ゆうゆうと先頭を走っている娘。

息を切らせながら、そんな彼女に必死で食らいつこうとする娘。

マイペースで真ん中あたりを走っている娘。

前にいる娘達を見据えて、力をためている娘。

みんなになんとかついていこうと、シンガリを走っている娘。

 

確かに、持って産まれた才能は個々人で違うかも知れない。

でも、君たちの前には間違いなく無限の可能性が広がっている。

 

挑み、敗れ、ひどく傷つくこともあるだろう。

レースなんて始めるんじゃなかった、と思うことも、きっとある。

 

それでも、君たちには挑戦することをやめないほしい。

 

いつかその意味と意義に気づくときが、必ず来る。

 

「そうですね。やってみないとわからないということだけは、真実です。僕たちトレーナーができることなんて、その挑戦を精一杯支えてあげることだけですからね」

「近くで支えてくれる人がいるからこそ、ウマ娘もがんばれるんですよ。さぁトレーナーさん。未来のステークスウイナーたちが待ってます。坂路の方へ急ぎましょうか」

 

エミーリアさんに急かされていたら世話ないな、と心のなかで苦笑しつつ、俺達は駆け足で坂路へ向かった。

 

*

 

ドイツでのトレーナー生活は、まずまず順調だった。

 

ドイツのウマ娘たちも、トレセン学園に通う生徒たちに負けず劣らず、レースに対して大きな情熱を持って熱心にトレーニングに取り組んでいる。

 

俺が最初に受け持った5人の娘たちもすぐ専属トレーナーがつき、夢に向かっての第一歩を歩み始めた。

 

レース生活は、楽しいことばかりではない。

むしろ、辛いこと、きついことのほうが多いだろう。

それでも彼女たちには、夢を追いかけるという過程を楽しんでほしいと思う。

そしてどうか怪我なく無事に、現役生活をまっとうしてほしい。

 

そんな願いを込めて、彼女たちが俺の元を巣立つ際に『日本には無事是名ウマ娘という言葉があってね。長く走り続けられるウマ娘は、それだけで名ウマ娘なんだよ。だからオーバーワークと怪我にだけは本当に気をつけて、充実した競技生活を送ってほしい』と声を掛けて送り出した。

 

ドイツ語で無事是名ウマ娘をなんと言うのかはわからなかったが、そこはエミーリアさんがうまく伝えてくれていることだろう。

 

その言葉を聞いたウマ娘たちは、みんな真剣な顔で頷いてくれ、俺から卒業していった。

 

俺もなんとか、この学校でやっていけそうだな……。

 

そう思い始めた、ある日のことだった。

 

「Entschuldigen Sie bitte. Sind Sie der Derbytrainer aus Japan?」

 

新しく担当することになった3人の娘たちに指示を出してその様子を見ていると、背後から声を掛けられた。

 

声の主は高級感のあるスタイリッシュなアディダスのジャージに身を包んだ、綺麗な栗毛が目を引く、右耳に髪飾りをつけたウマ娘だった。

 

今まで経験してきた雰囲気から察するに、あなたが日本から来たトレーナーですか?と聞かれているのだと思う。

 

『はい。そうです』

 

あちらからすれば2才の子でももう少しマシな発音で話すよ、と笑われそうなドイツ語で、俺はなんとか返事する。

 

それから隣に待機してくれているエミーリアさんに振り返った。

 

「エミーリアさん。彼女がどのような用事で僕に声を掛けてくれたか、聞いてくれますか?」

「あっと、こちらにおわすウマ娘さんは……ようがす。少々お待ちを」

 

彼女に通訳をお願いすると、エミーリアさんはなぜか江戸弁でそう言って、栗毛のウマ娘さんとの会話を開始した。

 

彼女たちの話を聞いている(と言っても内容を理解しているわけではないが)うちに、なぜかエミーリアさんは驚きの表情を浮かべて俺の方を見る。

 

「彼女のお名前はアルベルトさんといいまして……2年前のドイチェスダービーウマ娘さんです」

「! そうなんですか」

 

2年前といえば、フラッシュがダービーを制した年だ。

 

ところで【アルベルト】は男性名であるが、ウマ娘にこのような男性らしい名前がついていることは珍しくない。

日本で言えばシンボリ家のクリスエスやツルマルツヨシ、サクラバクシンオーのような感じだろうか。

 

ドイツのダービーウマ娘がどうして俺なんかに声をかけてくれたのだろうか、と疑問に思ったが、エミーリアさんが続けた言葉でそれは氷解した。

 

「彼女はなんとギムナジウムに通っていた時の、エイシンフラッシュさんのライバルだったそうですよ。エイシンフラッシュさんが怪我の療養のためにドイツに戻ってきていると聞いたので、一度お見舞いに伺いたいそうです」

 

なるほど。

アルベルトさんはおそらく、興味本位で日本から来たという俺のことを調べているうちに、レース学校に入る前、自分のライバルだったフラッシュの担当ということがわかったのだろう。

 

そういうことなら、是非もない。

俺はエミーリアさんに『フラッシュも喜んで歓迎してくれると思うので、トレーニングが終わったあとにぜひお願いしたい』と、アルベルトさんに伝えてもらった。

 

*

 

フラッシュの家に向かう車の中で、俺とアルベルトさんは少しお話することができた。

 

といってもスマホの翻訳アプリを介しての会話なので、どこまで通じあえているかは未知数だったが。

 

『こんな物を見せられてると、私もいつまで仕事があるのかと思わず頭を抱えてしまいますねぇ』

 

そんなことをいいながら、エミーリアさんはフラッシュの家に向かうために車に乗り込んだ俺達を見送ってくれた。

 

アプリの通訳越しの会話は不確かで不完全なものだったかも知れないが、それでもおぼろげながらフラッシュとアルベルトさんの関係を知ることができた。

 

彼女たちは学校こそ別(フラッシュは将来菓子職人になることを見越して、ハウプトシューレという学校に通っていたそうだ)だったが、ドイツ国内の模擬レースでよく対戦していたこと。

その成績は3勝3敗で、周りからは二人は良いライバルだと見られていて、自分たちも多少は意識し合っていたこと。

デュッセルドルフレース学校に進学するとフラッシュの姿がなく、どうしたのかと思って調べてみると、彼女は日本にレース留学していて、少しばかりそのことを残念に思ったこと。

 

『連絡先は交換し合っていなかったのかい?』

 

余計なことだったかも知れないが、彼女が持つ友好的な雰囲気に甘えて、気になったことをストレートに聞いてしまった。

 

デリカシーのない質問に彼女は苦笑を浮かべると、首を縦に振りながらその理由を教えてくれた。

 

『なんといいますか……少なくとも私は、その必要性を感じなかったのです。エイシンフラッシュさんとのレース中は、まるで彼女の一挙手一投足が私に語りかけてくるようでした。私は、そんな彼女の『言葉』を一言も聞き漏らすまいと全神経を集中させていた。そして彼女を打ち倒すべく、全身全霊を注ぎました。エイシンフラッシュさんと私は、どんな友人たちよりも雄弁に語り合い、本気で向き合っていたと思います。だから彼女と私の間に、それ以上の交流は必要なかったのです。エイシンフラッシュさんも、きっと同じ思いだったのではないでしょうか』

 

ライバルというものは、いろいろな形がある。

 

ダイワスカーレットとウオッカのように、レースでも私生活でもバチバチに張り合ってやり合うような関係。

 

普段はいい友達で、レースはレース、プライベートはプライベートと完全に割り切って競い合うような関係。

 

そしてアルベルトさんとフラッシュのように、レース場のみで交わるライバル関係もある。

 

どのライバル関係が理想的なのかは一概に言えないが、レース場のみでしのぎを削るライバル関係というのは、勝負の純度が非常に高い関係だとは言えるだろう。

 

だがそのような関係は普通、レースで競い合うことがなくなると完全に消滅してしまうものなのである。

 

だってお互いの存在が、価値が、レース場で戦うことでしか感じられないのだから。

 

そのある意味ドライなライバル関係の記憶は、断絶されるとそっと心のアルバムに収められ、過去を振り返った時にたまに思い出す程度のものになる。

 

であるにもかかわらず、フラッシュの帰郷を聞きつけて彼女に会いたいと思ったアルベルトさんの心情は、どのようなものなのだろうか。

 

理由を聞いても、アルベルトさんの気分を害することはないと思う。

でもそれを一番に知る権利はやはりフラッシュにあるだろうと思い直した俺は、アルベルトさんの話に小さく相槌を打ち、黙って車を走らせた。

 

*

 

Herr Alberto! Es ist schon lange her(アルベルトさん!?お久しぶりですね)

 

アルベルトさんと一緒にフラッシュの自宅に戻ると、フラッシュはつぶらなひとみをさらに大きくして驚きつつも、昔のライバルの来訪を歓迎しているようだった。

 

Wirklich, es ist schon lange her.(本当に、久しぶりだね。) Das letzte Mal, dass wir zusammen gelaufen sind, ist...(最後に一緒に走ったのは…) vielleicht fünf Jahre her(もう5年も前になるかな)

Fünf Jahre... ist das schon so lange her?(5年…もうそんなになりますか)

Im letzten Rennen wurde ich geschlagen, (最後のレースは、)weil ich im letzten Rennen geschlagen wurde.(私が負かされてしまったからね。) Als ich nach (借りを返そうと)Düsseldorf weiterfuhr, um mich zu revanchieren,(デュッセルドルフに進学してみたら、) warst du schon nach Japan gefahren.(君は日本へ行ってしまっていた。) Ich fühlte mich wie besiegt.(まるで勝ち逃げされたような気分になったよ)

Für mich war dieses Rennen eines,(私にとってあのレースは) das mir das Vertrauen gab(自分より才能ある), dass ich gegen eine talentiertere weibliches Pferd(ウマ娘に勝つことができて) als mich selbst gewinnen kann und(これなら日本でもやっていけそうだ、) dass ich in Japan gut abschneiden kann.(と自信になった一戦だったんですけどね)

 

当然俺には二人の会話は理解できなかったが、お互いに苦笑しているあたり、懐かしくもセンチメンタルな感情を交換しているであろうことはその場の雰囲気から察せられた。

 

しのぎを削ったライバル同士、つもる話もあるだろう。

 

「フラッシュ。俺は自分の部屋で明日のトレーニングメニューを考えているよ。アルベルトさんは俺が責任を持って学校まで送り届けるから、いつでも呼んでくれ」

「わかりました。今日は彼女を連れてきていただいて、ありがとうございます」

「いやいや……」

 

俺はごゆっくり、の気持ちを込めて二人に会釈してから、下宿先である3階の部屋に戻ることにした。

 

*

アルベルトさんは1時間ほどフラッシュとの談笑を楽しんだあと、俺の送りの申し入れを丁寧に辞し、迎えに来た車(なんとメルセデス・マイバッハだった!)に乗って自宅へと帰っていった。

彼女はどうやらレース学校の寮に住んでいるのではなく、自宅から学校へ通っているようだった。

 

「アルベルトさんは寮に入っていないんだね」

「そのようですね。彼女はドイツでも屈指の資産家のご令嬢、ということもあると思います」

「ああ、そういうことか」

 

自分の父親より年上であろう運転手に恭しく扱われながら超高級車に乗り込む彼女は、生まれながらにして人の上に立つ者の振る舞いを完璧に身につけているようだった。

 

「フラッシュは彼女がお金持ちのお嬢様だってことは、知っていたの?」

「ええ、一応は。アルベルトさんのご実家は不動産業を営まれていてUmapediaで調べても出てきますし、お互いが没交渉のような間柄でも、そういう噂は勝手に耳に入ってきますから」

「なるほど……」

 

競技クラスタの人間関係なんて、そんなものかも知れない。

俺も部活をやっていた時はあいつの実家は金持ちだの、副キャプの両親が離婚しそうだの、別に知りたくもない噂がどこからともなく入ってきたものだ。

 

「それはアルベルトさんも同じだったようで、私の両親が営んでいると聞いていたお菓子屋さんに一度来てみたかったそうですよ。なんでもうちのお店のバームクーヘンを、何度か食べてもらったことがあるらしいんです。いろんなバームクーヘンを食べたけど、ここのが一番美味しかった、なんて言ってもらえて今日もおみやげにご購入していただきました。ふふっ、今日アルベルトさんが私のお見舞いに来てくださったのは、そっちのほうがお目当てだったのかもしれませんね」

 

そう言ってフラッシュは柔らかく微笑んだ。

 

「ははっ、俺もお父様が作った焼き立てバームクーヘンを頂いたけど、確かにそう言いたくなるぐらい美味しかったな。……彼女とは、どんな話を?」

 

聞いて良いものか迷ったが、つい好奇心が先走ってしまう。

まぁフラッシュが話したくないのなら、適当にお茶を濁してくれるだろう。

 

「そうですね……久しぶりですからいろいろな話をしましたが、やっぱり話の中心になったのはレースのことですね。アルベルトさんも、ダービーのあと思ったような成績を挙げられてないみたいで」

「そうだったのか」

 

俺はあいまいに頷いたが、明日のトレーニングを考えている合間に、少しアルベルトさんの戦績を調べてみた。

確かにフラッシュのいう通り、アルベルトさんはドイチェスダービーを勝ったあと、大きなレースに勝利していないようだった。

 

アルベルトさんはそんなスランプ状態なこともあって、懐かしい顔のフラッシュに会って色々と話をしてみたいという気持ちになったのかも知れない。

 

「彼女は私と同じ歳で、デビューも同時期ですからね。私たちも、競技者としてロートルといっていい時期に差し掛かっています。私もダービー以降勝利から遠ざかっていますし、今は怪我の療養中です。それでもお互い残り少ない競技生活、もう一花咲かせたいよね、みたいな少しさみしいエールの交換をしましたよ」

「フラッシュがロートルかどうかはともかく、特に欧州のウマ娘は選手生命が短い傾向にあるからなぁ……」

 

欧州の深い芝での激戦は日本での芝以上に消耗が激しいのか、欧州のウマ娘はクラシック級が終わった時点で引退する娘が非常に多い。

 

4戦4勝で欧州三冠(英ダービー・キングジョージ・凱旋門賞)を制した【神のウマ娘】ラムタラも、クラシック級での引退を決めている。

 

そんな欧州においてシニア2年めのアルベルトさんは、【超ベテランのウマ娘】といってよかった。

 

「それに……彼女は現役を引退した後、ギムナジウムに戻って卒業後はお父様の事業のお手伝いをすることが決まっているそうです。もうあまり長くはないかもしれないけど、ウマ娘としてのこの自由な時間を楽しんでいたい、ともおっしゃってました」

「金持ちのお嬢様も、それはそれで大変なんだな……」

 

そういう俺も一時期、オヤジの跡取り息子みたいな感じで周りに見られていた時期もあったし、オヤジも俺のことを会社の後継者のように育てているフシがあった。

だからこそ、大学進学時にあれだけの言い合いになったということもある。

息子に跡を継がせたい、というオヤジの気持ちもわからないでもなかったけど、仮にまったくその仕事に興味のない(俺のような)人間が会社のトップになったとして、従業員さんたちはその人物についてきてくれるものなのだろうか。

ウマ娘のトレーナーなんて商売をしていて、一般企業への就活もロクにしなかった俺が言うのもなんだが、そんな会社にあまり長くいたいとは思わない。

それなら赤の他人でもやる気があって、そのビジネスを愛している人に社長の椅子を譲ればいいし、なんなら引退間際に会社ごと売ってしまって、老後の資金にするのが最善手のような気もする。

このあたりは起業家じゃないと、わからない感情もあるのかもしれない。

 

「私も両親と同じように立派な菓子職人になりたいと考えていますが、両親から『私たちの後を継いで、菓子職人になりなさい』と言われたことは一度もありません。菓子職人になりたい、というのはあくまで私個人の夢であり、意思なんです。ですから周りに大きな会社の後継者と期待されているアルベルトさんの気持ちを理解してあげることは難しいのですが……一人のウマ娘として言えるのは、後悔のない現役生活を送ってほしいということですね」

「レースを走るウマ娘にとって、それがいちばん大切なことだと俺も思うよ」

 

レース場では、生まれも育ちも、年齢さえも関係ない。

 

誰が一番速いのか。

誰が一番強いのか。

 

ただ純粋に、それを決めるためだけにウマ娘たちは全身全霊でレースに臨む。

求められるのは持って生まれた走力と、それを鍛え上げた鍛錬のみ。

 

才能が、軽く努力を超えてゆく。

レースの世界にはそんな残酷なことも、時にはある。

 

それでもアルベルトさんは『自分の力と努力だけで戦える』レースというものを愛しているのだろうし、その競技者でいるときだけが【大きな会社の跡取り娘】というプレッシャーを感じずにいられる時間なのだ。

 

もちろん彼女にとって、お金持ちのお嬢様ということが悪いことばかりだった、ということはあるまい。

幼少期より最高の教育を受け、普通の人が一生会えないような人物と交流を交わし、人が羨むようなお屋敷に住むことは、やはり恵まれたことであったと思う。

それを自覚しているからこそ、アルベルトさんは俺と違って引退後は父親の、周りの期待に応える生き方をしようと決めているのだろう。

 

「それから……友人というものは、地位や経済状況を気にせずにいられる大切な存在です。いつになるかはわかりませんが、アルベルトさんとは私の作ったお菓子をつまみながら、コーヒータイムをご一緒したいものですね」

 

そう言ってフラッシュはスマホを取り出し、今しがた二人で撮ったであろう1枚の写真を表示して手渡してくれる。

 

写真は笑っている二人のウマ娘が肩を組んで写っているだけの何気ないものだったが、将来二人だけのティーパーティーでこの写真を見返した時、今あらためて結ばれた友情がどれほど貴重で大切なものだったか、お互い笑顔で確認することになるだろう。

 

そしてそれは、きっと素敵なことだ。

 

「そうだね」

 

スマホをフラッシュに返しながら、俺はふと思った。

 

将来のこと、か。

 

フラッシュの怪我が癒えて日本へ戻ったとして、彼女は一体いつまで現役のウマ娘でいられるのだろう。

 

……一体いつまで俺を必要として、俺と一緒にいてくれるのだろうか。

 

フラッシュがウマ娘としてロートルかどうかは見解が分かれるので一旦おいておくとして、彼女が現役でいられる時間が、今まで一緒に過ごしてきた時間より短いことだけは確実である。

 

前からそのことが脳裏をよぎることはあったが、まだそれは先のこと、と自分に言い聞かせて目の前のレースやトレーニング、問題の対処に意識を向けて考えないようにしていた。

 

別れの時は、そう遠くない。

 

フラッシュとの離別がやってきた時、俺はどう振る舞いたいのだろうか。

今回のドイツ派遣の旅は、そのことを本気で考える良い機会なのかもしれなかった。

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