「ラルー! ……ラル!?」
主人の気配を感じ、笑顔で出迎えるラルトスてあったが、ユウジの姿を見て顔色を変えた。
左腕の肘から先が無いのだ。足元もふらついており、今にも転んでしまいそう。
慌てて駆け寄るラルトス。小さな体では到底支えられないのは分かっているが、それでも倒れないようにと足元に両手を添えた。
潤んだ目で見上げてくるラルトスに、苦笑を返すユウジ。そういや心配掛けてばかりだなぁ、と今になって思い至った。
「ぁあ、大丈夫だ。少し、ヘマしただけだから……」
取りあえず用意していた言い訳を口にすると、持ってきた夕食を差し出す。
「ほら、ついでに飯も貰ってきたぞ」
どうやら今回の乱闘で改めてユウジの実力を思い知ったらしく、脱走防止という面目の元、数人に監視されながら食事を受け取った。
これまでのような配給は係員が一人で配給して回るため、リスクが高いと思ったのだろう。
ユウジ限定で今後もこのような配給の形を取るらしい。ラルトスが見つかるリスクが下がるため本人としては異論はなかった。
「ラルラル……?」
「大丈夫だって。心配性だなぁ、お前さんも」
『本当に大丈夫? 痛くない? 辛くない?』と小さな目が語り掛けてくるが、ユウジは頑なに首を振る。
よく見ると額には脂汗を滲ませて呼吸も普段よりもやや浅く早い。異常を来していると分かるが今のラルトスにはそれを見破る観察力と洞察力、そして冷静さが備わっていなかった。
不安は拭いきれないが、それでも主人がそういうならと、言葉を引っ込めるラルトス。
「そういや、アイツも結構な心配性だったなぁ……」
いつものようにシーツの中に潜り込み、食事を始めるラルトスを見つめながら、どこか遠くに思いを馳せる。
ユウジが千切ったパンを小さな手で持ちながら食べていたラルトスは、興味深そうに見上げる。
「自称だけど、俺も元はポケモントレーナーだったんだよ」
この世界で最初に出会ったポケモンはクチートであった。
以前からそれなりにポケモンのことを熟知していたユウジにとって、クチートは好きなポケモンの一体。右も左もわからず途方に暮れていたユウジを見て何を思ったのか、人間が暮らす街に連れていってくれたのだ。
そこから縁が出来、お互いに相性が良いことも分かり、パートナーとなった二人。
そして、好きなポケモンたちと直に触れ合い、この世界を見て回るため旅に出た。
醜く使えないからと捨てられたヒンバス。
独り寂しく泣いていたミミッキュ。
旅の途中で何故か懐かれたイーブイ。
雨に濡れ寒さに震えていたリオル。
怪我しているところを治療したら懐かれたカヌチャン。
懐かしい六匹の相棒たちとの思い出。
そして、クチートとの死別。
元々高齢であった彼女は寿命で静かに腕の中で息を引き取った。彼女の安らかな顔は今でも鮮明に思い出せる。
ユウジの濃くも短い旅の話に、ラルトスは目を輝かせて聞き入った。
「とはいえ、いささか、疲れたな……」
皆は今頃どうしているだろうか。ちゃんと逃げ切ることが出来ただろうか。
ラルトスと触れあっているせいか、嘗ての仲間たちに想いを馳せるユウジ。
彼には夢がある。嘗ての仲間たちを迎えに行き、また皆で旅をするという夢が。
そのためには、なんとしてもここから脱出しなければならない。
「ラルトス」
「ラルー?」
「ふっ、お前さんにはまだ、分からないか……」
1
翌朝、いつもならまだ寝ている時間だが、ふとラルトスは目を覚ました。
何か良くない気配が近づいてきている気がしたのだ。
石畳を叩く靴音が響く。とうやら誰かがこちらに向かっているらしい。
いつもの看守てはないだろう。彼の見回り時間はまだ先だ。
「ラル……! ラル……!」
主人を起こそうとユウジの体を揺するが、反応がない。
おかしい、気配に敏感な彼ならすぐにでも起きるはずなのに。
何か、違和感を感じる。いつものユウジの寝顔とは、どこか違うような……。
「ラル……っ!」
足音が扉の前で止まった。次いで鍵を開ける音が。
咄嗟にラルトスはシーツから抜け出て、木箱の中に隠れた。
直感がそこにいてはいけないと囁いたのだ。
「おはよう。よく眠れたかね」
やってきたのは武装した男たちを連れた司会者。
いつでもスイッチが押せるように警戒しながら、ゆっくりと部屋に足を踏み入れる。
ユウジは、シーツから出てくる様子はなかった。
「まだ寝ているのかね? いい加減起きたまえよ!」
司会者がシーツを剥ぐと、ゴロンと転がり出てくるユウジ。力なく四肢を投げ出し、うつ伏せで倒れるその姿に一瞬キョトンとした司会者は、ステッキの先でユウジを突っついた。
何も反応を示さないユウジを見て、徐々に相好を崩していく。
護衛として連れて来た男の一人がユウジの脈を取った。
「……死んでます」
「そうか……そうか……! とうとうくたばったか! はっははははは!」
その言葉に司会者は腹を抱えて笑った。
「絶対に屈しないとぬかしていたな。俺は生きてここから出るのだと。はっははははは! 死んではその願いも叶わないではないか! とんだお笑い草だ!」
腹を抱えて一頻り笑うと、表情が一変。
鬼のような形相を浮かべながらユウジの体をステッキで叩き始めた。
「よくもっ、さんざんっ、私をコケにしてくれたなっ!」
これまでの鬱憤を晴らすかのように唾を飛ばしながら罵詈雑言を吐き出し、滅多打ちにする。
「貴様の偽善にっ、私がどれだけ振り回されたと思っているっ! どれほど観客たちに頭を下げたと思っているっ! ええっ、なんとか言ってみてはどうなんだ!」
元より体力が無いのだろう。十数回に渡って死体打ちをした司会者は乱れる呼吸を整えると、ユウジの顔に唾を吐き掛けた。
「まったくゴミの分際で歯向かいおって、ぺっ! おい、これを処分しろ」
「ハッ!」
「──っ! ラルー!」
「ぬおっ、な、なんだ!?」
主人への暴行に我慢ならず、木箱から飛び出したラルトスは司会者の足に噛みついた。
小さな体躯のため咬力も大したことないが、噛んだ場所が良かった。
そこは、筋肉がつきにくい脛。急所ではないが、痛みを感じやすい部位だ。
「ぐぅっ……! この、畜生風情がっ」
予想外の襲撃に眉を潜めた司会者は、痛みで顔をしかめながらラルトスを振りほどこうとする。
しかし、振りほどけない。どこにそんな力があるのか、ひしっと足にしがみつきながら目一杯、顎に力を入れて脛を噛み続ける。
「このっ、鬱陶しいわっ」
「ラル……っ」
ステッキでラルトスを打ち、力が弛んだところを蹴り飛ばす。小さな悲鳴とともに振り払われたラルトスだが、すぐに立ち上がるとユウジを守るように手を広げた。
「まったく……。何故ラルトスがこんなところに?」
改めて自分を襲ったラルトスに視線を向けた司会者は、小さく首を傾げた。
この施設にもラルトスはいるが、この個体には首輪が掛かっていない。つまりは余所からやって来た可能性があるが、この地下施設のセキュリティを考えるとあまり現実的とは思えない。
ならば招待客の落とし物だろうか。それにしては何故ユウジの部屋にいるのか解せない。
不明な点は多々あるが、招待客の持ち物の可能性があるのなら保管しておくべきだろう。だが、それにしても妙な既視感を覚える。
「ん? こやつ、もしや……」
小さく震えるその体。
微妙に死線を合わせようとしない その姿。
そして、敵意を剥けているにも拘らずポケモン技を繰り出そうとしないこの状況。
司会者の脳裏に一匹のポケモンの姿が浮かび上がった。
「そうか! 貴様、あのラルトスか! 技のひとつも使えん、オモチャ以下の愚図。すでに処分したはずだが、まさか生きておったとはな……」
得心がいったと言うように手を叩いた司会者は、奇妙なモノを見る目をラルトスに向ける。
視線に晒されたラルトスの体が大きく震えた。
「どうやって生き延びたか知らんが、コヤツに匿ってもらっていたようだな。そうだ、良い余興を思い付いたぞ!」
取り巻きに命じてラルトスを取り押さえさせる。
両手を押さえられ地面に強制的に伏せさせられたラルトスを、見下ろす司会者。その目には嗜虐的な色が浮かんでいた。
おもむろにステッキを振り上げた司会者は、拘束されたラルトスを打ち据える。
小さな悲鳴が上がった。
「さあ泣けっ、叫べっ、喚けっ! その悲鳴を彼奴に聞かせてやれ!」
「ラ、ルゥ……っ」
「まあ、どのみち死んでおるから届かないがな!」
嗜虐心にかられながら何度も何度もステッキで徴擲する司会者。
──痛い、辛い、恐い……。
──今すぐここから逃げたい、けど……。
──ご主人様を、守るんだ……今度は、わたしが……!
痛みと恐怖で涙を滲ませながらも、ラルトスは決して赦しを乞うような真似はしなかった。
受けた恩義は数知れず。
もらった愛情は計り知れず。
死する運命にあった自分を救い、育ててくれた恩人を。
無償の愛というものを教えてくれた愛する人を。
見捨てることが出来ようか。
──たとえ戦う術がなくても心は絶対に屈しない……屈したくない……!
ユウジと出会う前では決して芽生えることがなかった強い意思が彼女を支えているが、それは同時に、己が無力さをまざまざと見せつけられることでもあった。
生来、技が使えないラルトス。“ねんりき”の一つでも使えればユウジを守ることが出来たかもしれないが、念じてもうんともすんとも言わない。
非力な自分が憎らしい。
守ってもらうばかりで何も恩返し出来ないのがもどかしい。
無力な自分が恥ずかしく、それ以上に悔しくて悔しくて、涙が勝手にこぼれ落ちた。
「はっははははは! 痛いか? 苦しいか? 懇願すれば手心を加えてもよいぞ。頭をつけて、惨めに土下座すればな!」
嘲笑する司会者の声とともに、ステッキの乱打が止む。
顔を上げると、ニヤニヤと嫌らしい目でラルトスを見下ろしていた。
悪意に満ちた目が如実にそう訴えているのが分かる。生き延びたければ許しを請え。地に伏し頭を垂れろ、と。
彼女の返答は決まっていた。
「ラ、ル……!」
背中が酷く痛むが、それでもラルトスは気丈にも顔を上げると中指を立ててみせた。ユウジから教わった仕草の一つだ。
「……っ! このっ……、畜生の分際で私をおちょくるかッ!」
顔を真っ赤にした司会者が再びステッキを振り上げる。
思わず目をギュッと瞑るが──。
「……ラル?」
いつまで経っても痛みが襲って来ない。
不思議に思い顔を上げるラルトス。そこには驚愕の表情で固まる司会者の姿が。
視線はラルトスの後方に向けられている。
思わず振り返るラルトス。
そこには──。
「うちの子に……なにしてくれてんだ、テメェ……」
上体を起こし、ステッキの先を掴むユウジの姿があった。
「ラル……っ!」
主人の無事な姿に歓喜の声を上げるラルトス。
反対に司会者たちは顔面を蒼白にしている。
「な、なんで生きて……脈は確実に止まっていたはずなのに……!」
「ば、化け物……!」
死の淵から蘇ったユウジだが、だからといって万全の状態とはいかない。
上体を起こしたというものの、体は今にも倒れそうなほどフラフラで、ステッキを握る手も添える程度の握力しか残っていない。
しかし、眼光は未だ鋭く、鋭利な刃物の如き殺気が漂っている。
死人も同然の姿であるにも関わらず、その身から漂う不気味さが、男たちを呑んでいた。
「う、うう狼狽えるな! 生きておるのは驚きだが、所詮は死に損ないだ!」
司会者がステッキを引くとユウジの体が大きくよろめき、ラルトスの上に覆い被さるような形で体勢が崩れた。
その姿を見て、やはり限界なのだと悟った司会者に勢いが戻る。
「は、ははは、やはりそうか! もはや立つ力さえ残っておらんのだろう?」
嗜虐に満ちた顔で一心不乱にステッキを振るう司会者。
ユウジは亀のように身を縮め、暴虐の嵐が止むのを待つ。
「ほれほれほれ! さっきまでの威勢はどこに行ったのかね。反撃の一つもしてみたまえよ!」
これまで散々煮え湯を飲まされて来た相手を一方的に痛みつける。そのカタルシスに酔いしれ、ステッキを振るう手に力が籠もる。
もはやユウジの背中一面は痣だらけで、腫れていない部位を探す方が難しい。
「お主が築き上げた不敗伝説も、今日で終わりを迎える。それも観客の前で敗れるのではなく、誰も見てないところであっさりと。
惨めなものよ。ほれ、いつものように皮肉の一つでも返したら、どうかね……っ!」
「ラル……っ! ラル……っ!」
目に涙を浮べて何かを訴えるラルトスにぎこちない笑みを返すユウジは、唯一残された手で彼女の頭を優しく撫でた。
体の熱が徐々に失っていく。
もはや痛みは感じず、チカチカとした視界は壊れかけたカメラのように不明瞭で、ラルトスの姿がぼやけて映る。
それでいて聴覚だけは正常に機能していた。
ラルトスの悲鳴。悦に浸った司会者と、取り巻きの男たちの嘲笑の声。
それらが鮮明に聞こえる。
「ラルトス……ラルトス……よく食って、大きくなれ……強くなれ……」
「ラル……」
ラルトスの頭を撫でる手から、徐々に力が失われていく。
「ラルトス……ラルトス……お前……だけでも……自由に……」
おぼつかない手つき。命の灯火が今にも潰えてしまいそうな儚さに、ラルトスは否が応でも悟ってしまった。
「こんな……世界から……逃げて……生きて……」
「ラル……っ! ラ──」
カチッという小さな音と、ボンッという大きな破裂音。
ユウジの体から力が抜け、そのまま伸し掛かられる形で下敷きになるラルトス。
何が何だか分からないながらも小さな体を賢明に動かし、ユウジの下から這い出た彼女は、彼の姿を改めて目にして思わず首を傾げた。
「……?」
うつ伏せの状態で横たわるユウジの、首から上が無かった。
首元から白い煙が立ち昇り、頭があった場所には血痕と小さな肉片が散らばっている。
焦げた臭いの中に混じった血の臭い。
うつ伏せで倒れたまま微動だにしないユウジの体をラルトスは揺する。
揺する。起きない。
揺する。起きない……。
揺する。起きない…………。
何度揺すっても、ユウジは微塵も反応を示さない。
「しまった、つまらん茶番についイラッと。うむむ、もう少し遊びたかったんだがなぁ」
「────」
いつも優しい笑顔を向けてくれていた顔は、頭ごと無くなったままで。
酷く現実味がなく、どこか夢を見ているような気分。
目が覚めれば、いつものように暖かな眼差しとともに「悪い夢でも見たか?」と頭を撫でてくれて。
だからきっと、これは悪い夢に違いない。
「まあよい。お主も主人の元に送ってやろう」
不意に、胸に熱いものが差し込まれた。
いや、違う。鉄の棒が──槍が、ラルトスの胸を貫いていたのだ。
「ラ、ル?」
痛みはない。ただ、胸が熱い。
まるで灼熱の棒で貫かれたかのように。
体から力が抜けていき、気がつけばユウジの胸に身を預ける形で倒れていた。
胸から流れ出る血が、ユウジの血溜まりの中に溶け込んでいく。
──……あるじさま……あるじ、さま……。
ユウジの背に耳をつける。
力強く鳴り響いていた鼓動は鳴りを潜め、温もりを与えてくれた体は、もう冷たくなってしまっていた。
もはや指を動かすことすら困難なほど力が抜け、体温も徐々に下がっていくのが分かる。
死が目の前まで迫っているのを、感覚で理解した。
──ごめん、なさい……あしでまといで、まもってもらって、ばかりで……なのに、なにも、かえせなくて……。
視界が暗闇で覆われていく。
瞼を開けるのも億劫で。
──やくそく、まもれなくて、ごめんなさい……。
愛する主人の背の上で、小さな命がまた一つ散った。