発展した科学でも、すべてが解き明かされた訳ではなく、未だ説明がつかない現象や概念などがある。
その一つとして挙げられるのが【念】だ。喜びや楽しさなどから生まれる【正の念】。怒りや悲しみなどから生まれる【負の念】。
これらの概念は、時に今を生きる人やポケモンに大きな影響を与えることがあるとの論文が、近年タマムシシティ大学にて提出された。
そして、この死の地下闘技場には多大な【負の念】が渦巻いており、今まさに一匹のポケモンに絶大な力を与えようとしている。
毎日、死闘が繰り広げられ、いたずらに命が奪われる地下闘技場。
当然、これまで亡くなった人間やポケモンたちの無念が渦巻いている。
──なんでこんな目に遭わないといけないの?
──なんでトレーナーと会えないの?
──なんで戦わないといけないの?
──なんで人間たちは笑ってるの?
──どうしてこんなにも悲しいの?
──どうしてこんなにも苦しいの?
──どうしてこんなにもツライの?
──どうしてこんなにもイタイの?
霊感の強い人や、そっち方面の超能力に目覚めたエスパーが居たら、背筋が粟立ち直ぐにこの場を離れろと本能が警告するだろう。
そんな何千人もの【負の念】を取り込んでいるポケモンがいた。
まるで砂が水を吸うように、貪欲に【負の念】を吸収しているのは、たった今、命が潰えた小さなポケモン。
──主様を、救えなかった……。
──主様を、守れなかった……。
──私が、弱いから……。
そのポケモン──ラルトスの無念に呼応するように【負の念】が一層彼女の元に集まる。
──憎い……人間が憎い……。
老若男女の声が、死したラルトスの中で木霊する。
集結する【負の念】が無理矢理彼女の体に息吹を与え、命の灯火が点火した。
──力が欲しい……。嫌なことすべてを、吹き飛ばせるくらいの力が……。
無意識のうちに抱いていた感情が増幅する。
そして、彼女に訪れる変化は、目に見える形で現れる。
「お、おい、なんか変じゃないか?」
「ラルトスに、黒い靄……?」
彼女の元へ集まっている【負の念】があまりに濃すぎるため、ついに可視化された。
ラルトスを中心に黒い靄が渦を巻いて集まり、彼女の中へと吸収されていく光景に、部下たちが目を見開く。
──私を……私たちを……こんな目に遇わせた人間を、殺せる力が欲しい……。
力なく倒れていたラルトスの体が宙に浮く。
「なんだ、一体何が起きているのだ……っ」
尋常ならざる光景。明らかな異常事態。
司会者の男も訳が分からず、あちこちに視線を這わせている。
──
狼狽する男たちの目の前で、ラルトスの体が黒い光に包まれ──。
──死ね。
爆ぜた。
「ば、馬鹿な……」
「ラルトスが、メガシンカだと……?」
「サーナイトならまだしも、なんでラルトスが……!?」
そう。彼らの前に立っているのは、ラルトスの最終進化形態であるサーナイト。
そして、特殊条件下において稀に発生するメガシンカと呼ばれる現象だった。
しかし、これはあり得ない事象だ。なにせ、生命活動を停止したはずのラルトスが次の進化先であるキルリアをスキップして一気にサーナイトへ最終進化するなど、常識では考えられないことである。
さらにはメガシンカも通常のそれではない。
【進化を超えた進化】とされるメガシンカは、トレーナーと強い絆で結ばれたポケモンがメガストーンと呼ばれる石を用いることで一時的にメガシンカすることができる。
極一部のポケモンはメガストーンが無くても自然エネルギーを吸収することでメガシンカが可能だが、サーナイトはこれに当て嵌まらない、はずだった。
しかし、この場に渦巻く絶大な【負の念】。そしてラルトスが持つ生来の能力であるシンクロ特性が【負の念】と感応してしまい、彼女の想いに導かれる形で吸収されたのだ。
奇しくも【負の念】と言う名の自然エネルギーを大量に取り込んだことで、メガシンカの条件を満たしてしまったのである。
「サーナイトのメガシンカは見たことあるが、これはなんだ……私はこんなの知らんぞ!」
金切り声を上げて狼狽える司会者。
サーナイトのメガシンカ――通称メガサーナイトは、手に純白のロンググローブのようなものが装着され、スカート部分がクリノリンを着用したドレスのような膨らみを持つようになり、胸の赤いプレートはより大きくなってハートのような形状となる。
しかし【負の念】を取り込んだからか、それとも主人を守れなかったという悔恨の念がそうさせたのか、彼女の形態は通常のそれから大きく逸脱していた。
頭には黒のモーニングベールが装着されており、両手は漆黒のロンググローブに包まれている。スカート部分の膨らみは通常のそれよりややスマートで、色はやはり黒色。
そして、一番大きな変化は胸のプレートだろう。
胸のプレートの形や大きさは主人への想いが反映されたものと言われている。通常のメガサーナイトのプレートが大きく、ハート形なのは、それだけ主人に対して強い想いを抱いている証だ。
しかし、彼女のプレートは赤いハート形ではなく、青色の剣。まるで後ろから突き刺されたかのように、剣が深々と刺さった形をしている。切っ先だけが赤色なのは、彼女の心の涙なのだろうか。
通常のメガサーナイトが花嫁を彷彿とさせるのに対して、彼女はまるで喪服を着た女性。
彼女の顔には一切の表情がなく、無であった。怒りも悲しみも憎悪もない、まったくの無表情。
「……ぅ、うわああああああ!」
彼女の異質な雰囲気に耐えられなかったのか、男たちがそれぞれ動き出した。
部下たちは目の前の脅威を排除するため武器を振り上げ、司会者の男は本能に従い逃げ出す。
結果として、司会者の取った行動が正解である。
『死ね』
誰に告げるでもなく独白するように小さく呟いた彼女。
すると、男たちの体に大きな異変が生じた。
「あ、が……っ」
一人は雑巾を絞るかのように、全身を捻じられ。
「ぐ、ぎ、が……」
一人は亀のように四肢と首が体内に収納され。
「ぐべぼぉ」
一人は口から内臓を引き抜かれた。
“サイコキネシス”を使った人体破壊。それもこれ以上ないほどの惨い殺し方だ。
三人が地面に倒れた時には、すでに司会者の男は逃走に成功していた。
すっかり冷たくなってしまった主人の頬を優しく撫でた彼女は、彼の亡骸を横抱きにして抱えると、ふわっと宙に浮き、静かに滑空する。
部屋の入り口を“マジカルフレイム”で焼き尽くし廊下に出ると、騒ぎを聞きつけてやって来た男たちが包囲していた。
手にはアサルトライフルが握られており、銃口はすべて彼女に向けられている。
コッキングハンドルを引き、チェンバーに銃弾を装填する音が一斉に鳴り響いた。
「撃てぇッ!」
男たちがトリガーを引き、景気よく銃弾をばらまく。
周囲をマズルフラッシュが囲み、亜音速で飛び出した鉛玉が四方八方から彼女の元へと殺到するが――。
『……』
すべて半透明の壁に遮られ、重力に従い地面に落ちていく。
物理攻撃に強い防御技である“リフレクター”だ。
メガシンカによる影響で“リフレクター”の強度も恐ろしいほど強化されており、いくら弾幕を張ろうと傷一つ付くことはない。
ようやく、有効打を与えることが出来ないと気づき、顔色を変える男たち。
そんな彼らに彼女は死神の如く告げた。
『死ね』
“サイコキネシス”で四肢を引き千切られ、脊髄ごと首を引っこ抜かれる男。
『死ね』
“重力”で発生させた強力な力場により、地面の染みと化す男。
『死ね』
“マジカルフレイム”で塵一つ残らず燃やし尽くされる男。
『死ね』
“シャドーボール”で大きな風穴を開けられる男。
逃げ惑う男も含めて、知覚できる範疇に居るすべての人間を鏖殺する。
施設関係者だけではなく、囚われているトレーナーやゲストである上流階級の人も含めて。
「頼む、見逃してくれ! 俺が悪かっ――」
『死ね』
主人以外、人間はすべて敵なのだから。
1
あれからどれだけの時が流れただろうか。
一分のような気がするし、十分のような気もする。もしかしたら一時間かもしれない。
時間の感覚が曖昧な彼女だが、それでも憎悪に突き動かされるまま、施設を破壊しながら人間たちを虐殺して回る。
ポケモンを捕らえている檻を“念力”で捻じ曲げると、同胞たちは皆こぞって逃走する。
中にはこれまでの恨みを晴らすかのように、無差別で人間に攻撃する同胞たちもいた。
悲鳴や怒声がそこらかしこから聞こえる、阿鼻叫喚の地獄絵図。
普段のそれと違うのは、悲鳴を上げているのが理不尽な暴力を振るってきた人間たちであることか。
「いけウィンディ! ぶっ殺――」
『死ね』
中には手持ちのポケモンを使って抵抗する人間もいたが、彼女にとってすべて些事だ。
ポケモンではなく人間を殺せばいいのだし、それは容易に達成できる。
“マジカルフレイム”や“シャドーボール”のような技は点での攻撃でポケモンに防がれてしまうが、彼女の得意とする“サイコキネシス”は座標での攻撃。
ただの人間が防ぐには至難の業だ。
「グルルルル……」
主人を殺され報復しようとするウィンディだが、彼女の虚無の瞳に見つめられると、そんな考えはすぐに消え失せてしまった。
邪魔をするならお前も殺す。ドロドロに溶けて濃縮された殺意の塊が言外にそう告げていた。
尻尾を股の間に入れて及び腰になるウィンディ。
目を伏せて小刻みに震えるその姿を一瞥した彼女は、再び移動する。
腕に抱えた亡き主人の仇を取るため。
最も憎い人間を殺すため。
「ひぃぃぃぃ! 来るなっ、来るなああああ!」
「早く儂を助けろ! 儂を誰だと思っているッ!」
「知るかよクソジジイ! 邪魔だ退け!」
「テメェが邪魔だ!」
「早くわちしをここから逃がすアマス!」
『死ね』
逃げ惑う人々を虚無の目で眺めながら、流れ作業のように鏖殺していく彼女。
屍の川を作りながら、気配を辿って後を追うこと数分。
ようやく、件の人間を見つけることが出来た。
「離せッ! このっ、死にぞこないの畜生がッ!」
緊急用の脱出口なのだろう。
非常マークが点灯されている扉に手を伸ばす司会者の男だが、そんな彼のズボンと服をとあるポケモンが咥えて阻止していた。
アブソルとクチートである。
どちらも優司に救われた彼女たちは、ボロボロの体になりながらも今の今まで生き延びて来た。
恩人の言葉を胸に。今度は敵じゃなく、信頼できるパートナーとして迎えてもらうため。
「シャァァァ……ッ!」
「クトォォォ……ッ!」
しかし、それはもう永久に叶わない。
奇しくも、あの人間が死んでしまったことを魂が感じ取ってしまったから。
そんな矢先に起きたこの騒動。施設の至る所が壊され、アブソルたちの檻も破壊された。
脱走、という考えはもはやなかった。
そんなことより、ようやく出会った信頼できる人間を――あの人を殺した奴が、奴らの親分が憎い。
助かる見込みもあるか分からない残りわずかの命だが、使い道はとうに決めていた。
そして今、憎き仇を逃がさないため、すべての力を使って足止めを行っている。
『……』
アブソルたちの想いを感じ取った彼女は一瞬目を伏せると、すぐに視線を件の男に向けた。
「なぁっ――!?」
“念力”に絡み取られた司会者の男。不可視の力により彼女の眼前まで持ち上げられる。
恐怖に染まった顔で何かを叫ぼうとしているが、“念力”により口を強制的に閉ざされているためそれも叶わない。
徐々にサイコパワーの出力を上げて“念力”から“サイコキネシス”へとシフトしていく。
全身に掛かる不可視の力は体の中央に向けられており、ゴキゴキと骨が鳴る音が響く。
そして――。
『死ね』
一気に出力を上げた彼女は、憎き男をビー玉サイズまで圧縮した。
今わの際に言葉を一つ述べることも出来ず圧死した男。
ビー玉サイズとなったソレを適当な場所に“テレポート”すると、遠くのほうから悲鳴が聞こえてくるのだった。
「シャァ……」
「ク、ト……」
男の最期を見届けたアブソルたちが力尽きて倒れる。
その顔はどこか満足気で。
彼女の腕に抱かれた優司の姿をジッと見つめながら。
穏やかな微笑とともに引き取った。
『…………』
アブソルとクチートに挟まれる形で腰を下ろした彼女は、優司の頭を膝の上に乗せた。
無数の傷が付いた体にそっと手を当てて“命の雫”や“癒しの願い”を発動させるが、一度失われた命は戻らない。
『ご主人様……』
主人の頭を撫でる。
髪を梳くような手つきで丁寧に、丁寧に。
いつも自分がされていたように優しく、優しく。
『ご主人様……ご主人様……』
呼びかけに応じてくれる声はない。
溌剌とした笑顔も、自分を気遣う優しい言葉も。温かな体温も。
すべて失ってしまった。
『ご主人様……ご主人様……ご主人様……』
優しい手つきで、優司の頭を何度も撫でながら。
無表情だったその顔に、微かな微笑を浮かべて。
『
永い眠りについた――。
2
気が付けば、見知らぬ大地に立っていた。
濃い新緑の香りが漂う森の中。穏やかな日差しが木漏れ日となって降り注ぎ、様々な鳥ポケモンの囀る声が聞こえてくる。
『また誰か来たよ?』
『サーナイトのようだね。彼女も酷い目にあったのかな』
『でも、もう大丈夫! ここはポケモンたちの天国なんだ!』
『神様が作ってくれたの! ここには人間なんて居ないから、もう怯えなくていいんだよ!』
『馬鹿、ツツケラ! 人間もいるじゃん!』
『あっ、そっか。でも居るには居るけど、害はないよ!』
ちゅんちゅんピヨピヨと、喧しく鳴くポケモンたち。
ようやくそこで、彼女は自分がサーナイトの姿であることに気が付いた。
同時に愛する主人を亡くした喪失感がドッと押し寄せてくる。
『あ……ぁああ……ぁあああぁあああああァァァ……!』
崩れ落ちるように膝を付くと、声を大にして泣いた。
『ご主人様……ご主人様ぁあああああ――――ッ』
ポロポロと大粒の涙を零しながら、子供のように泣きじゃくるサーナイト。
驚いた鳥ポケモンたちは彼女の肩に止まると、慰めの言葉を掛けてくる。
『大丈夫? どこか痛いの?』
『苦しいの? 悲しいの?』
『泣かないで、泣かないで』
それでも彼女の涙は止まらない。
何事だと草むらから顔を覗かせるブラッキーやエーフィたち。
そして泣きじゃくるサーナイトを発見すると、心配げな顔で駆け寄り、擦り寄って慰める。
それでも彼女の涙は止まらなかったが、やがて――。
「おいおい何だ何だ? どうしたってんだよ、まったく」
白雪のような美しい毛並みのアブソルに連れられて、一人の人間がやって来た。
その声と、何よりも心の色を感じ取ったサーナイトは、思わず顔を上げる。
『ご主人様……?』
そこに居たのは彼女の最愛の主人。亡くなったはずの優司であった。
失った左腕は健在で、地下闘技場で受けた傷は綺麗さっぱり無くなっている。
Tシャツにジーンズというラフな格好の優司。右手には鍛錬で使用している木刀が握られており、首筋の汗をチルタリスが翼で拭った。
「サーナイト? なんで泣いて――うぉおおお!? な、なんだ!?」
『ご主人様ぁ!』
アブソルと鍛錬していたらリーフィアがやって来て、何かを伝えてくると、唐突にアブソルに裾を引っ張られてここまでやって来たのだ。
そうしたら何故か泣きじゃくるサーナイトが居て、気づけば抱き締められているという展開である。
頭の中を疑問符で埋め尽くされる優司だが、一つ心当たりがあった。
「もしかして、お前さん……あのラルトスか?」
彼の生涯で関わりのあったサーナイトというと、幼体のラルトスくらいである。
主人って言ってるし、もしかしてと声を掛けてみれば案の定であった。
『はい……! ご主人様だ……本当、に……ぐすっ……うぇ、ふええええええ~んっ!』
「……よく頑張ったな」
この世界には時間の概念が存在しないため、優司からしてみればつい昨日のことのように感じるが、ラルトスがサーナイトになっているのを見るに、大分時間が経ったのだろう。
自分の死後、彼女がどのように生きたのか分からないが、あの地獄の環境に居たのだから相当辛かったはずだ。
「もう大丈夫だ。これからはずっと一緒だ」
万感の思いでサーナイトを抱き締める。
木漏れ日の下、多くのポケモンに囲まれながら、二人はいつまでも抱き締め合うのだった。
此処は、ポケモンだけの天国。
死した魂が辿り着く、ポケモンにとっての楽園。
彼に心を救われたポケモンたちの嘆願と、その行いを見ていた神――アルセウスによって特別に招かれた、たった一人の人間と様々なポケモンが暮らす、穏やかな世界。
今日から一匹、新たな友達が仲間となった。
人間が暮らす家に同居することとなった彼女は、幸せそうな笑みを浮かべていたと言う。
いつまでも、ずっと――。
そして、しばらく経った後。
アルセウスからとある話を持ち掛けられるのであった。