『首置いてけ!大将首……また女子か!!!!!』   作:三途リバー

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Thunder Clap

 

齋藤勢進発の報せより3日目の夜半。墨俣より五里先の北方に、とうとうその影が見え始めた。

 

「堀、柵、共に出来(しゅったい)に!」

 

「伏兵展開!急げ急げ!」

 

「竹束ぁ前に出せ!火縄用意!渡河中に削れるだけ削るぞ!」

 

慌ただしく指示が飛び交う本陣にあって、豊久、壬月、ひよ子、転子が顔を突き合わせている。最後の連携確認である。

 

「い、いよいよですね…出来る限りの準備はしましたけど、やはりこの数の差となると…」

 

「いや、こいで良か。敵は数と地の利ば頼んで突っかかって来よる。勢い任せ、勝ちに乗じる猪突ぞ。釣り上げるのは容易か」

 

「貴様と本陣が一撃で潰されれば釣りも何もない。下手を打つなよ、豊久」

 

「必ずお助けします。豊久さま、柴田さま、ご武運を!」

 

駆けていく2人を見送ると、豊久はひよ子へと指示を飛ばして自軍の旗をこれみよがしに夜天に掲げる。その旗の下に集った兵はおよそ1000。豊久とひよ子を除き、全員が川並衆だ。

 

「へへへ、俺達ぁツイてるぜ。豊の大将と大舞台だなんてよ」

 

「おうともよ!島津衆旗揚げの一戦、俺らの名前も軍記に残っちまわぁ」

 

「皆さん、ほどほど!ほどほどですからね!被害は最小限に、そして不自然じゃないように!」

 

「わぁーってるよひよちゃん、大将の調練で耳タコどころか身体が覚えてら」

 

馬蹄の音が近付き、敵方の掲げる灯が対岸に見え始めても、彼らの中に動じる者は1人もいない。腕っ節の弱さを公言して憚らないひよ子でさえ、多少震えつつもその目はしっかりと敵を見据えている。

 

いわんやその親玉をや、である。

 

「さぁ()い、ほれ()い、()()こさえて勇んじ()い!一人残らず首級にすっど!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「対岸に柵?」

 

物見の報告に、竹中詩乃重治は独りごちた。

 

もう3度目になる織田軍の墨俣への出陣。これまで2度に渡り、美濃攻めの最前線基地の築城を試みた彼らが築城そのものではなく、こちらへの防御を思考しだしている。警戒するに越したことはない。

 

「夜が明けるまでに陣を整え、明け方に敵陣概要を把握してから……」

 

「無用である!あのような俄柵、奇襲にて引き倒しそのままの勢いで敵将の首を奪ってくれよう!見たところ敵はせいぜいが1000そこら。一当てすれば蜘蛛の子を散らすように尾張まで逃げ帰るわ!」

 

「飛騨殿…」

 

詩乃の言葉を遮ったのは此度の出陣の総大将、齋藤飛騨守。

武功も行政能力も持たないただの太鼓持ちだが、義龍没後の齋藤家中で得意のおべっかを用いて若年の新当主、龍興に取り入り、信頼を勝ち取った。圧倒的優勢である墨俣の攻防で安全に功績を積ませようと、龍興が無理を言って大将に任じただけの置物である。

戦のいの字も知らぬ男が得意げな顔で勢いの良いことを言っているのは、詩乃からすれば失笑ものだった。

 

「お言葉なれど、敵も阿呆ではありません。やり口を変えることは大いに考えられまする。それにこの闇中では敵の伏兵も警戒せねばなりません。元より我らが有利な戦、焦って仕寄る必要はないかと存じます」

 

「は、今孔明どのは随分と慎重なことで!その消極的な姿勢が、織田勢を何度も撃退しながらも止めを刺し損ねる原因では?」

 

戦の前だと言うのに瓢箪から酒を煽り、臭い息を吐き散らかす男に思わず顔を顰めてしまう。供回りが激昂しかけるが、詩乃は無言でそれを制した。

 

「不甲斐なき戦をしております。ですが、勝ち切る戦よりは負けぬ戦、知らぬ者より知る者の言葉…それが我が信条なれば」

 

「……フン!さかしき小娘が…」

 

皮肉に気付く程度の知能はあるのか、と詩乃が気付きを得る間にも、齋藤勢は吶喊の態勢を整えていく。

 

「向こうも我らの存在は察知しておりましょう。十中八九伏兵がおります。渡河中に襲われれば被害は馬鹿に出来ません」

 

「多少の被害を押してでも、ここで織田の馬鹿共に痛撃を喰らわせねばならん。こうも頻繁に墨俣で陣取り合戦など、付き合っておられぬわ。当分立ち直れないほどの敗北を刻み込んでやる。……鬨を上げよ!攻めかかれぇーッ!!」

 

止める間もなく齋藤勢の気勢が宵闇を劈き、次いで浅瀬を渡る音が聞こえ始めた。バシャバシャという足音の中に、次第に風切り音が混じり始めるのに時間はかからなかった。

 

「ちぃっ、やはり狙って…」

 

「木盾を前に!竹束も回してください!織田の種子島の保有数は他家とは比べ物になりません!斉射が来る前に長良川を渡りきらねば──!」

 

詩乃が飛騨守を押し退けた時には、もう遅い。

火砲の音が鳴り響き、硝煙の匂いが辺り一帯に立ち込めた。

 

「ギャッ!」

 

「怯むな!弾込めの間に川を……何っ!?ぐわぁぁっ!?」

 

しかも、その音は鳴り止まない。まるで数百丁の鉄砲部隊がいるかのように、死を撒き散らす音が断続的に響き渡る。

 

「えぇい、恐れるな!この宵闇でまともに目当てなど付けられる筈がない!盲の乱射だ!当たらぬ!押せ、押しまくれ!」

 

(何を馬鹿な…!長良川の浅瀬、渡河地点など既に調べが付いているに決まっています!目当てなど付けずとも、ある一点に撃ち続けるだけでかなりの損害を出せる!このままでは…)

 

詩乃の焦りを他所に、飛騨守は無謀な突撃命令を繰り返すのみ。参陣した他の者も、主君のお気に入りに嫌われるのが怖いのかだんまりである。

 

だが次第に、敵の種子島の音が止んでいった。流石に打ちっぱなしとはいかないらしく、これ幸いと齋藤勢は一気に墨俣へと上陸していく。一方的に嬲られるだけだった兵達が、鬱憤を晴らすかのように一目散に柵へと取り付き、防ごうとする織田の兵達と戦闘に入った。防御が柵前へと集中したことで、後続は次々に渡河し、前線へと合流する。こうなれば数の差、多少手間取れど柵を破壊して築城中の城へと雪崩込むのも時間の問題…と愚将は見たらしい。

 

「よし、よォし!我も渡河し、前線にて兵共を督戦する!さぁ押し出せ、齋藤右兵衛大夫様の威光を尾張の弱兵共に見せ付けてやれ!」

 

「な、お待ちください!」

 

こんな愚物でも、仮にも総大将である。万が一にも討ち取られるようなことがあれば全軍の士気、それ以上に斎藤家の面子にも関わる。

 

「臆病者はここで指を咥えて見ているが良いわ!」

 

「是は臆病に(あら)ず!無理をすべき場と、そうでない場の見分けを付けよと申して…!」

 

「くどい!」

 

言葉と同時に、バシャリと言う水音が周囲に響く。

 

「はははは!鬱々としたその陰気な顔が、少しはマシになったではないか!はは、はははははは!」

 

「……………」

 

それは飛騨守が手元の酒を詩乃に浴びせた音だった。ぽたり、ぽたりと雫が顔から落ちる度、自分の中の何かが同時に零れ落ちていく感覚。最早詩乃には怒りの感情すら浮かばない。

 

「き、さまぁッ!!我が主への侮辱、最早許せぬ!」

 

「お辞めなさい!」

 

刀に手をかけた近習達も、普段は聞かない詩乃の大声…そしてその奥にある諦めの声音に、何かを悟ったように引き下がった。

 

「言を容れられないのであれば、もう私に出来ることはありません。この本陣にて待機させていただきます」

 

「これは愚の骨頂!総大将たる我が前線へ参ると言うに、この場に残ると!?」

 

「えぇ。臆病者は臆病者なりに、この皆様のお働きの邪魔にならぬよう本陣の維持に努めます。どうぞ、ご存分に」

 

吐き捨てるように言い残すと、供回りを連れた詩乃はとっとと自陣へと歩を進める。後ろから罵声と嘲笑が聞こえるが、もうどうでも良いことだ。一切気にすることなく、雑音を頭から追い出して今後について思考を巡らした。

 

(鷺山殿が愛した美濃は既に無く、范可(はんか)殿が欲した強き美濃は影も掴めず。最早、齋藤家に未来はない。ならば私はどうするか──)

 

元より詩乃が心の底から仕えたのは先々代、道三のみ。長良川の戦いでも、竹中家は道三に味方して義龍と争っていた。

 

 

 

『お前が竹中の出来娘か。お袋に義理を通すのは立派だが…夢想を求めるのはもうやめろ。そもそも俺とお袋の親子喧嘩がなんでこんな大事になったか、聡明なお前なら分かるだろ』

 

『……()()()の政策は、美濃国人衆にとって都合の良いものではなかった。そして、尾張のうつけに入れこみすぎた』

 

『御明答。俺も名分のため土岐がどうこう持ち出したがな、結局はそこだ。お前や明智あたりの一部を除いて家臣共の殆どが俺を選んだのは、齋藤道三に美濃は任せられぬと踏んだからよ』

 

『ご自身にはそれを為せると?』

 

『為さなきゃどうしようもあるめぇが。俺にゃ腹を痛めてくれたお袋を、この手で殺した罪がある。償いの方法はただ一つ。美濃を強くする。尾張にも駿河にも、京坂の怪物共にも手を出させない強き国。それにはお前みたいな才人の助力が必要不可欠だ』

 

 

 

 

「お恨みしますよ、范可殿。早死しすぎです」

 

范可…齋藤義龍は、大器であった。恩主を殺した仇に負の感情を抑え切れる訳ではなかったが、それを差し引いても認めざるを得ない男だった。国主としては、下克上するだけしてそれ以上の発展をさせられなかった道三以上に有能であったとすら言える。だが彼は後継者の教育、そしてその傍を固める側近の育成にまで時を割けずこの世を去った。その唯一の欠点が、美濃齋藤家を滅びへと向かわせている。

 

「はぁ……我慢の時はこれにて終い。されど、罪なき兵達を少しでも美濃に返すくらいはして差し上げましょう。その程度の恩義は、私も感じていますから」

 

呟いたと同時、後方で鬨の声、そして数瞬遅れて悲鳴が挙がった。隠れていた伏兵が、柵に取り付いた齋藤勢の後背を突いたのだろう。お手本のような策への嵌り方に、詩乃は溜息を抑えることが出来なかった。

 

「この程度であれば、総崩れの前に我らが横槍を入れれば本隊の損害は抑えられそうですね。…しかしどうした事か…何故こんなにも胸騒ぎが…?」

 

言う間にも戦闘は続く。齋藤勢を食い破った伏兵が柵へと辿り着き、収容されていく様を見ながら、詩乃は言いようの無い不安感に胸を抑えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

渡河し、柵を引き倒そうと寄せてきた齋藤勢の背後から織田の伏兵が襲い掛かる。数はそう多くはないが、暗闇と鬨の声で実数よりも多い敵がいると誤認した兵達はすぐに気勢を削がれた。

 

「手当り次第に斬れ、走れ!止まるな!柵に入るまで足を止めるな!」

 

潜伏し、齋藤勢に斬りかかった伏兵の先頭に立つのは転子である。配下の川並衆を引き連れ、敵を薙ぎ倒しつつ一目散に柵内を目指す。

 

敵が驚き、足がすくんだこの一瞬を逃せば200足らずの転子達はすぐさま取り囲まれ、数の暴力で嬲り殺されるだろう。混乱が収まらぬ今のうちに一撃を加え、柵の内へ入らなければ死が待っている。

兵達もそれを分かっており、必死に武器を振るい、そして駆ける。命知らずの危険な役割だが、日和る者は誰もいない。

 

「敵ば崩れよる!背中ば突かれて惑いよる!この機ば逃すな!打って出い!行くどぉぉぉ!!!」

 

「「「「「おぉぉぉぉぉッッッ!!!!」」」」」

 

なにせ、総大将がそこまで迎えに来ているのだから。

 

柵を開いて打って出た織田勢の中には、当然のように豊久の姿がある。本陣に反り返るなぞ性にあわん、の一言で反対意見を沈め、侍大将のように最前線で大太刀を振るっている。その吶喊力は凄まじく、齋藤勢を蹴散らして逆に川の方へと押し返す程であった。

 

「っ、豊久さま!」

 

互いに走り、敵陣をぶち抜いた先で合流した織田勢はすぐさま撤退を始めた。崩れたとは言え、齋藤勢が易々と行かせる筈は無い。追いすがり、共に柵へ雪崩こまんとするが……

 

「!?!?」

 

殿を務めていた軍兵達が種子島を構えたのを見て、その足はあえなく止まった。号令もなくそれらの銃口が火を吹き、運の悪い何人かが音を立てて転げた。暗闇故命中率は高くないが、逃げる敵を追い立てようとしていた所にまさかの反撃を食らい、追撃の手は緩めざるを得なかった。

 

「む、無茶をなさりますね!種子島を抱えて飛び出してくるなんて…!」

 

「こん音と光が上がっ度に(だい)ぞ死ぬ。たとえ弾が外れてん、そん恐れは時間稼ぎに役立っど!」

 

「あの連射法…繰り抜きと言い、豊久さまの鉄砲運用には驚かされるばかりです」

 

鉄砲をいち早く戦に取り入れ、その戦術を研究してきた島津ならではの活用法。島津家中では将兵共に銃の携帯を義務付けていたからこそ、このような運用を思い付いたのだ。

また、先程渡河中の齋藤勢への連射を可能にしたのは島津家の軍法、繰り抜き。二列に並んだ鉄砲兵が弾を放つと後ろへ下がり、列の後尾に並び直す。弾込めをしながら待機していた後続の兵がまた撃つと、更に後ろへ…と、詰まるところ機動力を持った三弾撃ちである。父、家久が考案したこの戦術は捨て奸と並ぶ豊久の十八番である。流石に練度不足で薩摩兵子ほどの速度・威力は出せなかったが、それでも齋藤勢の気勢を削ぐには充分過ぎるほどだった。

 

やがて、そうこうするうちに無事織田勢は柵の中への退避が完了する。これで齋藤勢に多大な損害を与え、だけでなく面目を丸潰れにすることができた。

 

「息ば吐くんは早かぞ!顔ば赤くした美濃侍どもが攻めて来よる!」

 

豊久の指示に、兵子達は急ぎ迎撃の支度を整える。長槍や弓を手に、各々が持ち場に駆けていく。

齋藤勢の再攻勢はすぐそこまで迫っていた。

 

「こいで敵ん大将はもう前しか見えん。渡河せんかった一団も引き摺り込めれば良かったが…あいはもう前には出んじゃろ」

 

「どうして分かるんです?」

 

「関ヶ原んわいらと同じぞ。阿呆な味方に呆れて(たたこ)う気ば失くしとる。逃げた味方ば容れる程度はすっかもしれんが、主力ではなか。わいらは目ん前の阿呆を叩く。さぁ、釣りん続きぞ!」

 

楽しそうに声を上げる豊久に、周囲の兵子も大笑して付き従う。

合戦はいまだ、始まったばかりである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「えぇい、先陣はまだ突破出来ぬのか!あんな俄柵、数で平押しにしてしまえば…!」

 

苛立つ飛騨守の声に、本陣を固める旗本達は視線を逸らす。

正直に言って、戦況は芳しくなかった。

 

渡河中の先制攻撃と、柵に取り付いた所に背後からの伏兵。さらに柵内の敵が木戸を開いて打って出てきたことで、既に500近くの損害を出している。

 

(聞いていた話と違う!今度の戦は、儂が何をせずとも勝てる楽な戦ではなかったのか!?)

 

飛騨守には特技もさしたる才能もない。自他ともに認める凡才である。ただ、父を失くし、新当主としての重責を一身に負う龍興に気に入られようと調子の良いことを言い続け、気付けば分不相応な地位にまで登りつめていた。家中での評判は当然悪く、それを自ら理解してもいる。故にこそ、形ばかりの総大将を引き受けて楽な勝ち戦の手柄を丸々もらい、威光を増す算段であったのだ。

それがどうだ。

今もなお齋藤勢は柵を攻めあぐね、弓の狙撃と投石による死傷者を増やすばかり。これだけの兵を与えられて、しかもあの小憎たらしい竹中の小娘に大言を吐いて失敗するなど断じて認められない。

 

(おのれおのれ… !無駄に粘りおって、柴田勝家ぇっ…!!)

 

柵の向こう、敵の本陣に翻る旗は丸に二つ雁金。織田家中にて森可成と並んで勇猛を知られる宿老が総大将と見て間違いない。その采配は素人の飛騨守から見ても分かるほど的確で、味方はもう既に幾度も撃退されていた。

 

「本陣を前に出す!足軽共の尻を叩き、織田の陣を踏み潰せ!かかれ柴田の首級、我が手ずからあげてくれるわ!」

 

ここに詩乃がいれば、不用意な前進策など取らなかったであろう。しかし今や本陣に残るのは、飛騨守の機嫌を損ねないという一点にのみ気を注ぐ者達のみ。無策の前進に異を唱えることはなく、唯唯諾諾とその指示に従っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

柵に取り付く敵の勢いが増した。

最前線で指揮を取りながら、豊久はそれを肌で実感した。目を凝らすと、齋藤の本陣がこちらへ向かって前進してくる。

 

「ははぁ、尻ば叩かれて焦っちょっとか」

 

この状況での本陣移動は余程の剛気か阿呆である。自ら死地へと足を踏み入れるようなものだ。

 

「柵を引き倒せー!空堀を越えろー!!柴田権六の首を奪れ!」

 

「尾張の弱兵共を蹴散らせ!」

 

とうとう柵が破られ、敵軍の侵入を許してしまった。勢いに乗じた齋藤兵達が刀槍を振るって陣内へと雪崩込む。だが豊久は、それを見て嬉々として周囲に声を張り上げた。

 

「獲物ば餌に食い付きよった!さぁこっからが本尊ぞ!気張れや兵子ども!」

 

本命が釣れたならば、もうこの陣に用はない。余計な犠牲を出す前にとっとと引き払うに限るのだが、あまりに露骨だと偽装撤退が察知されてしまう。

故に、豊久は自ら殿軍に立って適度に敵をいなし続けることを選択した。

 

大太刀を抜き払い、飛ぶように宵闇を縫って疾走る。すれ違う味方がぎょっとして足を止めるが、構わず豊久は敵の只中へと身を踊らせた。

 

「はは、死ね死ね織田の馬鹿どもが────ぎゃぁっ!!!」

 

「な、なんだこいつ、なんでこっちに突っ込んで…うわぁぁぁっ!!」

 

すれ違いざまに斬撃を浴びせ、瞬く間に2人を斬り倒すと豊久は大音声で威を放つ。

 

「島津中務少輔豊久、推参!死にたかもんから前ば出い!!」

 

言う間にも、手近な兵を斬っている。

 

その鮮烈な鬨の声に、攻勢をかけんと意気込んでいた齋藤勢の足が止まる。無論、織田勢がその隙を見逃す筈は無い。

豊久に追従してきた80名ほどが一塊となって齋藤勢にぶち当たり、一撃で数多の生命を抉り取っていった。

 

「な、なん──!?」

 

「良か、逃げっど!」

 

そして、すぐさま反転。脇目も振らず、築城中の墨俣城へ向かって駆け(にげ)出した。

 

「あ、あの武者を殺せ!!なんとしても討て!齋藤の武名を汚すなぁっ!!」

 

後方から、怒りに充ち満ちた号令が響いた。恐らく大将であろう。齋藤飛騨守だったか、詳しくは知らぬ人物だが上手くのせられてくれたようだ。

 

「そいに、今度は女子じゃなかようだの。良か良か」

 

時たま追い付かれそうになると、豊久らが急反転し敵の追手を斬り崩してはまた逃げる。これを幾度か繰り返すうちに、齋藤勢は中洲の中央…完全に柵内へと入り込んでいった。

それが死地の入口とは、誰一人として気付かない。

 

そして、その時はやってくる。

 

びゅおう、と鏑矢の号砲が墨俣へ鳴り響く。それは釣りの大締めの合図。島津のお家芸、釣り野伏せの最後のひと押しを下す号令だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(やはり、と言ったところですか)

 

鏑矢が鳴り響いた瞬間、二段構えの伏兵が左右の森から飛び出し、味方を挟撃する。それだけでなく、先程まで撤退していた織田本陣の軍兵も全軍が反転し、三方からの包囲が完成しつつあった。

 

殿の武者を思い思いに追い掛けたことで先鋒は伸び切り、飛騨守本陣の守りも薄くなる。そこに三方からの苛烈な包囲攻撃とあって、齋藤勢はみるみるうちに数を減らしていっていた。

しかも柵内には資材や糧食に見せかけて油やら火薬やらを持ち込んでいたらしく、火矢によって引火したそれらが派手に炎を巻き起こす。夜空に炎が舞い上がり、まさに川を隔てた先は地獄の有様であった。

 

(伏兵の存在自体は予期していました。しかし、それもこちらが柵の破壊に気を取られた隙に後背を突く程度のものと踏んでいた…。一当てして態勢を立直し、清須からの援軍を待ちつつ時間を稼ぐつもりかと思っていましたが…三方殲滅戦とは。一気に片を付けに来ますか)

 

柴田勝家、なかなかどうして軍略家である。

彼女とはかつての美濃侵攻の折にぶつかった事もある。あの時の彼女は常に最前線で兵を鼓舞し、攻める時は先頭、退く時は殿といった豪傑ぶりであった。その勝家が、旗印は見えど姿を現さない。反転攻勢の指示を前線で出していない。その真意は────。

 

「何か違和感を覚える…あの闘将が、最前線で指揮を執らない…?最奥の本陣に居座ったまま指示を出す…?…………まさかっ!?」

 

詩乃が声を発したのと、鬨の声が挙がるのはほぼ同時だった。

 

深入りした齋藤勢を囲むように、新たな伏兵が500ほど飛び出したのが目に入る。その勢いは凄まじく、跳ね飛ばされた兵が軽々と宙を舞う姿がここまで見えた。あの膂力、そして突撃力。間違いない。柴田勝家本人である。

 

「三の伏兵!!柴田勝家本人の!川並衆ではない、織田の正規兵!最強の兵、最強の将をここで駄目押しにっ……完全包囲を完成させるつもりですか!!」

 

伏兵の存在、そしてその後の戦の推移も半ば当ててみせた詩乃の唯一の失念。それは、()()()柴田権六勝家が本陣にあると思い込んだこと。

 

島津豊久という将の存在を、知らなかったことである。

 

 

 

 

 

 





范可……唐代に父を殺した人物の名とされ、義龍は道三を殺した己の境遇を重ねて長良川の戦い以後范可と称した……というのは創作。そんな人物居ないし范可という名も道三殺害以前から名乗っている。本作では義龍の真名という扱いとした。


釣り野伏せ墨俣エディションについては次回、全容が明らかになります。ちょっと回想で義龍を贔屓し過ぎた感は否めませんが、好きなんだもの…范可好きだよ范可
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