俺の妹は初雪   作:cobu

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【 第一話 】

蝉が遠くで鳴いている。

 

窓から見える景色は、ずっと先へ続く海と、無機質な軍港だ。

太陽は柔らかい橙色に変わり、少しずつ海の向こうへと沈もうとしていた。

 

執務室からぼうっと外を眺めていた俺の背後から、微かに扉を叩く音がした。

消え入るような、か細いこの音を出すのは、一人しかいない。

あわよくば気づかれないまま、とっとと自室へ戻ろうとする俺の秘書艦だ。

 

窓の外を見たまま、入るように命じる。

小さく扉が開く金属音が鳴り、そっと人の気配が流れ込んできた。

 

「作戦が完了した…です」

 

特型駆逐艦三番艦・初雪。

相変わらず、面倒そうで気だるそうな表情だ。

今日は特に暑かったから、三割増しでだるそうにしている。

しかし目立った外傷もないようで何よりだ。

 

初雪は俺と目を合わせることなく、ぼつぼつと完了した作戦内容を報告している。

俺たちがこの鎮守府に着任して、既に半年以上が経過していた。

だが初雪はこの秘書艦の仕事が未だに苦手なようで、

指折り数えて報告内容に忘れているものがないか、確認しながら話す。

 

「…以上、です。………帰ります」

「ん、了解した」

念仏のような報告を言い終えて、やっと初雪の表情も和らいだ。

ふぅっと息を吐き出し、手首の力が入っていない彼女らしい敬礼をする。

 

踵を返す彼女の後ろ髪に、ふと目についたものがあった。

長く整然と揃った黒髪に若干焦げがある。

俺は初雪の綺麗な黒髪が好きだった。

まさか戦闘で火の粉でも被ってしまったのかと、慌てて歩み寄り、髪を撫でた。

「…いやだ、触らないで…!!」

 

突然触れた俺の手から、初雪は逃げるようにしゃがむ。

俺の手には、彼女の髪から落ちた黒っぽいゴミだけが残った。

「悪い、なんかゴミだったみたいだ」

いつも眠たそうな目が、一瞬だけ大きく開いて泳いだ。

気まずそうに目を伏せたまま、初雪が立ち上がる。

(彼女と俺は、変わらないくらいの背丈だ)

 

白くふっくらした頬に、長い髪がかかった。

俺が触れた髪を、彼女も触る。

髪を指先でいじりながら、伏し目がちのまま小さくお辞儀した。

そしてそのまま執務室を出ていってしまった。

 

ゴミをとってくれてありがとう、なのか。

拒絶してごめん、なのか。

はたまた違う意味のあるものなのか。

そのお辞儀の意味は、はっきりとは分かりかねた。

 

「もう半年以上、一緒にいるのにな…」

初雪が今の今まで立っていた場所を、じっと見つめた。

「いや、本当はもっとずっとずっと一緒だったのにな…」

 

俺と目を合わせるのも、俺が触れることも嫌がる初雪。

何を恐れるのか。

俺を“知らない人”だと恐れているのだろうか。

 

 

 

*******************

 

 

どうしようもない気持ちで、俺も執務室を出た。

初雪の居場所は検討がつくが、まさか追いかけたりしない。

 

一人で港まで下りていって、波を眺めていた。

この時間は入渠やら夕食やらで、港あたりに誰もいない。

行き場のない怒りや寂しさのようなこの気持ちを抱えて、

うだうだするのに最適な場所だと思う。

 

先ほど執務室から眺めていた時は鳴いていた蝉も、

いつのまにか黙っていた。

夕日もそろそろ、水平線に触れそうになっている。

 

港も俺も、空も海も、赤色と灰色と黒色だけになった。

今の俺の気持ちに似ている色だなんて感傷に浸っていると、

急に青色が目に飛び込んだ。

「浸っているの?」

背中を丸めて座っている俺の横に、

アイロンがけでもされたかのようにピンと立つのは正規空母・加賀だ。

冷静かつ的確に、俺の状況を確認してくる。

「浸ってるんだよ、ほっとけよ」

体育座りでさらに背中を丸めて、俺は加賀に背を向ける。

 

「拗ねているの?子供ね」

「子供だよ。俺は中学生だよ」

「でも提督だわ」

 

俺は顔を伏せていたが、加賀が俺の前へ移動してきたことは分かる。

俺より背の高い加賀の影に、すっぽり入ってしまって辺りが真っ暗になったのだ。

きっと鋭く刺すような目で俺を見ているに違いない。

 

加賀は何でもかんでも冷たいから嫌いだ。

声も言葉も、態度も視線も。

 

そうだ。

『あの日』だって加賀は、とんでもなく冷たかった。

憎らしいほど冷たかった。

 

 

 

**************

 

 

『あの日』。

俺たちがここへ来ることになった日だ。

 

俺はいつも通りの学徒動員の帰りだった。

深海棲艦とかいう訳の分からないものと戦争をしていて、大人の数が減っていた。

俺みたいな学生も労働力として駆り出され、もはや学校でお勉強などしていない。

 

父が海軍兵学校を出て、連合艦隊で戦っている。

憧れだったし、俺自身も同じ道を歩むものだと信じていた。

せっかく中学生になれたのに勉強出来ない、

なんて悔しがっていた時期もあったが、

これだけの国難ともなれば諦めるしかない。

 

俺と同じくらいの中学生が運転する電車に乗って、家へ帰っていた。

(電車の運転だって子供がやるほど、人手が不足しているのだ)

 

大人が減って荒れ始めていた街を眺めていたら、

見覚えのある後ろ姿を見つけた。

「おい、今帰りか!?」

電車から飛び降りる。

 

突然降ってきた俺に驚いて、その子はビクリと大きく揺れた。

「あぶな…っ…。やめてよ、お兄ちゃん」

―――俺の妹だ。

「下手くそでちんたら走っているから、飛び降りたって怪我しないさ」

 

俺を心配する可愛い妹の頭をグリグリと撫でてやる。

今の栄養不足になりがちな食生活なのに、妹の髪はとてもきれいだ。

栄養素は全部髪の毛にいっているのかもしれない。

母に毎朝整えてもらう長い髪は、

撫でると上質の絹のようにさらさらとしていた。

 

「もう、さわらないでよ…」

そう言う割には、口角が上がっている妹。

たった一つしか年齢が変わらない俺たちは、

兄妹であり幼馴染の親友のようでもあった。

それは俺が中等学校、妹が高等女学校に行っても変わらない関係だ。

 

「おまえも動員の帰りか」

「うん…。工場で縫い物…してきた」

「女らしいなあ」

俺たち男子は、製鋼所に行っていた。

妹の手を見るとどうにも針で刺したような跡もある。

女らしいと褒めたものの、まだまだ未熟なようだ。

「こんなんじゃ、嫁に行けないぞ。…俺が養うしかないか」

「…………ばか」

 

妹は引っ込み思案で、こうやって俺と話していても声さえ小さくて、

俺にとってずっと守りたくなる存在だった。

そんな俺に妹も懐いていて、どこでも俺についてきてそのまま後ろで隠れている。

今だってこうやって並んで歩けば、俺のやや後方を歩く。

肩の後ろに妹の肩が時々触れる。

実際の背の高さはほとんど変わらないが、うつむきがちな妹は俺より小さく感じた。

 

「おい!何だあれ!?」

妹と歩いていると、前方から見たこともないものが飛んできていた。

背中が緑色に発光しているカラス…?

違う。もっと異質なものだ。

 

ギラリと光った頭部から、禍々しい大きな歯が見えた。

歯があるのに、機械のようで、しかし飛行機などとは全く違う。

「逃げるぞ!」

目はないようだが、視線が合ったような気がしたので妹を引っ張って逃げた。

火の粉などがかからないように、風向きと逆方向へ来た道を走った。

俺たちよりもずっと後方で、爆音が響く。

 

あれはきっと深海棲艦の飛行機なんだろう。

どこかでも空襲があったと聞く。

ついに俺たちの町にも空襲がきたのだ。

 

家には戻れなかったが、幸いに近くの防空壕へ逃げられた。

周囲は燃えてしまっているようで、防空壕内へも熱気が風で運ばれてくる。

年寄りと女子供ばかりの防空壕の中で、俺は妹を包むように抱いて外を睨んだ。

誰も守ってくれないのだから、俺が妹を守らなければならない。

 

 

+++++

 

 

空襲そのものは長くなかった。

しかし家々が燃え広がって、防空壕を出ると焼け野が原になっていた。

 

「お兄ちゃん、もうやだ…帰りたい…」

妹が俺の服の裾をつかむ。

その白い手が震えていた。

「お母ちゃんが家にいるはずだよな。早く帰ろう…」

震えが止まるように手を強く握って、妹と家へ走った。

 

しかし走っても走っても、家なんてほとんどない。

木造住宅ばかりだから燃えてしまっている。

俺たちの家も、どこにあるのかさえ分からなくなっていた。

 

どこまで歩いたのかもよく分からず、俺と妹は疲れて立ち尽くす。

外は明るいが、これは炎のせいだ。

本当はもう夜になっているはずだ。

 

「…帰りたい……」

か細い妹の声は、本当は叫んでいたんだと思う。

「戻ろう。お母ちゃんもどこかの防空壕に逃げたかも知れない」

重たすぎる足を、なるべく元気に見せかけて歩いた。

妹の足取りは重い。

声には出さないが、一足ごとにぽつりと涙が零れていた。

 

隠れていた防空壕へやっと戻って来た時には、すっかり夜らしくなっていた。

 

この防空壕は小さな山をくり抜いたような横穴だ。

奥が広くて、柱もあるし、作りがしっかりとしている。

 

だから多くの人がここに避難していると思ったのだが、

何故だかしんとしている。

誰もいないのだろうか。

だが妹は疲れ果てている。

ここで問題ないはずだ。

「今日はここで寝よう」

「ん…」

 

ぽっかりと空いた横穴は、奥が見えず闇そのものに見えた。

だが妹も恐怖より眠気が勝ったんだろう。

嫌がるかと思ったが、すんなりうなずいてくれた。

二人で支えあうように横穴へ近づく。

 

すると突然。

「待っていました」

そこで冷たい声に、歓迎された。

 

思わず妹と二人でびくついてしまったが、現れたのは二人の女性だった。

俺たちよりは大人に見えるが、こうも暗いとよく分からない。

分かるのは、弓道着のような服を着ている赤色と青色の二人組だということだ。

 

「急にごめんなさい。でも、聞いてほしいの」

赤色の服の女性は、優しげに話しかけてくれた。

どうぞ、と言われて俺たちは防空壕の中にあった座布団に座った。

 

赤色の人が防空壕に明かりを点けているうちに、青色の方が話し出した。

 

「単刀直入に言います。あなたたちの両親はどちらも死んでいます」

 

事実だけを淡々と告げる、思いやりのない声だった。

 

「母親はこの空襲で死にました。父親は既に海で戦死しています」

 

冷たいかき氷を一気に食べると頭が痛くなるが、

冷たい言葉を一気に浴びせられても頭が痛くなるようだ。

 

 

+++++

 

 

 




中学生が運転する電車ってのは、
祖父から聞いた実話です。
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